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chap5.浸潤する影
93.惨劇の朝
しおりを挟む焦るフィズを尻目に、男たちは竜の前で立ち止まる。竜と彼らに挟まれて、フィズは動けなくなってしまった。
白竜を見た男たちは、初めてそれを見るのか、驚きと感心を合わせた吐息を漏らしていた。
「すげえ……竜だ……」
しかし、竜の方は人間を見ても驚きもせず、まして感心などするはずもなく鬱陶しいだけのようだ。長い息を吐いて頭を振っていた。
「大勢で騒がしい……出て行け……」
つまらなそうに竜がため息まじりに言う。しかし、男たちは竜の態度が気に入らないようで、口々にわめきだした。
「鎖で繋がれてるくせに、なに命令してんだ! 偉そうに!」
「お前さー、家畜と変わらないの、分かってる?」
男たちは、竜の言葉をあざ笑いながら近づいてくる。
フィズは焦った。竜を甘くみれば痛い目にあう。
「や、やめてください! 竜を挑発してはいけません!!」
けれど男たちは笑うばかりだ。
騒ぎ立てる男たちに、竜は気分を害したのか、威嚇するような声を出し、男たちに言う。
「騒がしい奴らだ……今すぐ出て行け……」
怒った竜の迫力に、男たちは後ずさる。しかし、竜が鎖で繋がれいるのを見て、強気になってしまったのか、竜をバカにし始めた。
「ムカつく竜だな。えらそーに。家畜ふぜいが、どっちが上かわかってねえのか?」
「おい……少し教えてやろうぜ」
「ああ、いいな」
男たちは、小屋の壁に立てかけてあったくわを持って、竜に近づいていく。
迷惑そうに竜は呻くが男たちは気にも留めない。
ついに一人の男が、竜を鍬で殴りつけた。
ギャア、と悲鳴をあげて、竜がよろめく。男たちに殺気のこもった目を向ける竜を、男達は殴り続けた。
「やめてください! 竜をみだりに傷つけてはっ……」
制止しようとするフィズを、後ろから男が羽交い締めにする。
「黙って見てろよ。あいつが終わったら、今度はお前を調教してやるから」
「離してください! なんでこんなことをするんですか!?」
「なんで? どっちが偉いか教えてやらないと、困るのはあの竜の方だろ?」
「何を言っているんですか! それを学んだ方がいいのはあなた達の方です!」
「はは……お前、あれだけやられてまだ分かんねーのか?」
男と話しているうちにも、竜に対する暴行は続いた。しばらくして、ギャア、とひときわ大きな悲鳴をあげ、竜はその場に倒れてしまう。
男たちは、竜を取り囲んだ。
「なんだ? 竜って意外に脆いな」
「おい、大丈夫か? これ。死んだらやばいんじゃね?」
「いいだろ。こいつが襲ってきそうだったから、俺らは身を守っただけだし」
フィズはたまらず叫んだ。
「何を言っているんですか! あなた達が」
「黙ってろよ。元側室様。ああ、そういえばこいつの調教の途中だったな」
男たちがフィズに振り向く。その視線に、フィズはゾッとした。
彼らは倒れた竜を跨いで、フィズに近づいてくる。
「余計な嘘を言わないように、ちゃーんと、教えてやらないとな」
「や……ち、近づくな……」
フィズの声は恐怖で震えていた。フィズを羽交い締めにしていた男が、フィズの体を離す。すぐに逃げ出そうとしたが、フィズはすでに男たちに囲まれていた。
「や、やだ……」
逃げることもできずに、フィズは本当に殺されると思った。
その時、小屋の奥から、低く、野獣のような呻き声が聞こえた。倒された竜がおき上がったのだ。
竜を殴った男は、近づいてくる竜の方に振り向いた。
「なんだ? まだ生きてたのか?」
「やって……くれたな…………」
竜の声は震えていた。恐怖ではなく、怒りがそうしているようだ。血走った目をして、こちらに近づいてくる。
チャリチャリと、鎖が床を這う音がした。それが、竜を繋ぐ鎖だと知っている男たちは、竜を嘲笑う。
「はあ? お前にいろいろ教えてやったんだろ? 反省とか感謝とかないの? 竜って…………」
口元からダラダラよだれを垂らし、息を荒くしながら近づいてくる竜を見て、さすがに危険なものを感じたのか、男たちが後ずさる。
それでも、相手は鎖に繋がれているはずだという安心感があるのか、男たちは横柄な態度を崩さない。
「なんだよ。まだ分かんねーんなら、もっとやって……」
余裕を保っていた男たちの言葉が、だんだん、小さくなっていく。
竜が近づいてきたことで、その首輪につながっている鎖も引きずられてくる。その鎖の先はどこにも止められていなかった。他に竜の足を止めるものも存在しない。戒めのない竜は、男たちを睨みつける。
「非力な者だと甘い顔をしてやれば……ふざけた真似をぉ……」
「ひっ……」
一気に状況が変わり、男たちはすくみあがる。
しかし、それも今更だ。白竜は自尊心が高く、怒らせれば手がつけられない。
フィズは叫んだ。
「逃げて! 殺されます!」
その声とほぼ同時に、竜は男に飛びかかり、一人の男の喉笛を食いちぎってしまった。
男の断末魔は、聞こえなかった。喉をごっそり持って行かれた男は、身体を支える力を失い、その場に倒れる。
「ひっ……あ、に、逃げろお!!」
先ほどまで、楽しそうに竜を痛めつけていた男達は、フィズの横をすり抜け、一目散に逃げ出す。
竜は恐ろしい咆哮を上げ、それを追って小屋から出て行った。
取り残されたフィズは、小屋の出口まで走るが、すぐに足がすくんでしまう。庭に響く悲鳴と飛び散る血を見て、もう一歩も前へ出れそうにない。
男達は中庭を逃げまわっているが、どう考えても、人の足で逃げ切れる相手ではない。逃げたところで、皆殺しにされるだけだ。
フィズが怯えていると、小屋の中から数匹の白竜が出てきた。
暗くて分からなかったが、竜は一匹ではなかったらしい。
竜たちは、首から鎖を下げているが、どこにも繋がれていない。まるで、首輪だけはつけたが、鎖を繋ぐのは忘れてしまったかのような状態だ。
仲間がやられているのに、助けもしなかった竜達は、男たちを追いかけ回す白竜を見て、のんきに言う。
「なんの騒ぎだ……」
「ダラックの奴……キレたな」
傍観している竜たちに、フィズはなんとか今の惨状を止められないかと、恐々竜に話しかけた。
「あ、あの……お願いです。あの方を止めてくださいませんか?」
けれど、白竜たちのうち、一際体の大きな竜が、首を横に振った。
「あきらめなさい。魔族のお兄さん。ダラックが怒るのも当然だろう?」
すると、それを聞いた仲間の竜たちが口々に言う。
「リアン、珍しいな。お前がそんなことを言うとは」
「殺してはならないとうるさかった古株でも腹がたつのか?」
「全くだ。お前が止めるから我慢していたのに、ダラックだけ黙認か?」
「力のないものをみだりに殺してはならない、はやめたのか?」
すると、大きな竜は、ため息をついた。
「仕方がないだろう。あれが怒るのも当然だ」
彼の言葉も理解できないわけではないが、このままでは困る。怒って男たちを追い回すあの竜を止められるとすれば、同じ竜の彼らだけだ。
フィズは、怯えながら続けた。
「そんなことを言わずに……どうかお願いします。このままではみんな死んでしまいます」
けれど、大きな竜は首を傾げた。
「だからなんだい?」
「え?」
「あいつらはダラックを殺すつもりだったのだろう? だったら彼も殺すつもりでやる。当然じゃないか」
「あ、で、でも、多分……殺すつもりはなかったと……あ、多分……ですけど……」
「バカな話をするもんじゃない。そんな話、聞く価値もない」
竜は、フィズにボロボロの布を放ってきた。古い雨よけのマントだ。
「さあ、魔族のお兄さん、それを着なさい。裸じゃないか」
「え? あ、ありがとう……ございます」
フィズがそれで体を覆うと、大きな竜がにやりと笑った気がした。
その仕草にゾッとした。
怯えるフィズに、竜はゆっくりと落ち着いた優しい口調で問いかけてくる。
「それで逃げられるかい?」
「え?」
「お前もあれの仲間だろう?」
「え……な、仲間?」
どう答えていいか分からなかった。
大きな竜の両隣から次々竜達が前に出てくる。そして大きな竜は変わらずゆっくりした口調で語りかけてきた。
「白竜には、会話ができる相手には飛びかかってはならないという掟がある。会話ができるなら……ね……」
「あ……や、でも……」
「眠らされて連れてこられてもそれだけは守らないといけない。しかし、もうその必要はなくなった……」
「い、いえ……ですからそれは……わ、悪ふざけで……」
近づいてくる竜たちは、フィズの話を聞く様子がない。口の端を上げ、ゆっくりフィズに近づいてくる。
「魔族か……人間よりは逃げ足は早いのか?」
「え……?」
戸惑うフィズに、別の白竜たちも次々楽しそうに言う。
「何をしている? 早く逃げろ」
「多少は抵抗してもらわないと、殺してもつまらない……」
「早く逃げろ……嚙みつき甲斐がないじゃないか」
「ほら、頑張って逃げろ」
最後に、大きな竜も口を開く。
「逃げなさい。魔族のお兄さん。私たちの間に、会話ができなるなら殺してはならないという掟があるのは、そうしないと、次々に殺したくなるからなんだよ」
「あ……」
フィズは咄嗟に、落ちていたくわを拾いあげた。それで飛びかかってきた竜の牙を受け止める。
「や、やめて……」
竜達はフィズの言葉を聞かず、次々飛びかかってくる。フィズはそれらをなんとかかわし、小屋から逃げ出した。
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