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chap5.浸潤する影

78.立ち止まる二人

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 シグダードは、ズキズキと痛む頭をおさえながら、起き上がった。かけられていた布団がめくれ、毛布が床に落ちる。なぜか頭から肩までがぐっしょり濡れているうえに、体はひどく冷えていた。

 近くにあったタオルで、濡れた頭を拭きながらあたりを見渡してみると、見知らぬ部屋にいることがわかった。
 壁一面に本棚が並んでおり、ずらっとファイルのようなものが並んでいる。それと自分が寝ているベッド、そのわきの小さなテーブル以外には何もない、殺風景な部屋だった。

 カーテンの開いた窓からは、赤い夕日を背にしたグラス城が見える。どうやら気を失っているうちに連れてこられたようだ。

 確か、チュスラスの雷にやられ、目が覚めた時には、縄で馬にくくりつけられていたはずだ。意識が朦朧とする中、走る馬に揺られ、土砂降りの雨音と鳴り響く雷鳴を聞いていたのを覚えている。
 そのままどこかの屋敷に連れてこられたようだったが、そこから記憶がない。自分は今どこにいるのか、どれだけの間寝ていたのか、気になることはいくつもあったが、何より先にフィズのことが気になった。

「フィズ……?」

 名前を呼んでみても、返事はない。
 声を出して初めて、ひどくのどが渇いていることに気づいた。

 立ち上がろうとすると、右足がひどく痛む。布団を全部めくってみると、右足首をテーピングで固定されていた。ほとんど記憶がないが、いつの間にか痛めていたらしい。

 自分が置かれた状況が分からず、戸惑っていると、ドアが開く音がして、白衣の男が入ってきた。リーイックだ。

「陛下、やっと起きましたか……」
「……」

 答えようとするが、のどがカラカラで声がでない。彼が渡してくれたコップの水を飲むと、渇いた体が少し落ちついた。

「リーイック…………ここは……どこだ? フィズは……」

 かすれる声で尋ねても、彼はなにも答えない。まさか、フィズに何かあったのだろうか。

「リーイック……フィズは」
「これを」
「……──そんなものっっ──どうでもいい! フィズは──っ……どうした!?」

 いつまでたっても答えない彼に、かすれ声のまま叫んで、差し出された体温計をはたき落とす。それでもリーイックは質問には答えずに拾い上げた体温計を渡してくる。

「──っ答えろ! ──リーイック! フィズは」
「これが終わったら答えます」
「……」

 しぶしぶそれを受け取り、シグダードは体温を計りだした。計り終わるまでなんて、とても待てずに、わきにそれをさしたまま、リーイックを問いつめてしまう。

「フィズは……?」
「足はどうです? 痛みますか?」
「そんなことより」
「あなたが私の質問に答えたら私も答えます」
「……痛くて立てない」
「捻挫していましたからね。完治までしばらくかかるでしょう」
「フィズはどうした?」
「彼は捕らえられ、今はグラス城にいます」
「何っ!?」

 最悪の答えに自然と身を乗り出してしまう。勢いで体重をかけた右足がズキっと痛み、そのままベッドから転げ落ちてしまった。

「いっ……」
「体が治るまではじっとしていてください」
「フィズが──……っ……捕らえられているのにか!?」
「おとなしく、しばらくお休みください。体が動かなければ、フィズを助けに行けません」

 フィズが危ない目にあっているというのに、こんな時に動かない体が忌々しい。苛立ちに頭をかきむしると、ひどいめまいに襲われた。

「く……」
「あんな雷にやられて生きていただけでも奇跡です。あなたは運が良かったのです」
「……」

 チュスラスが撃った魔法は、明らかにシグダードを殺すためのものだったはずだ。しかし、死ななかったのは運が良かったからというより、自分の中に流れる雷魔族の血のおかげだと考えた方が合点が行く。
 嫌っていたものに偶然救われた気がして、ますます苛立った。

「チュスラス……あいつ……──おい……ヴィザルーマ達は……どうした?」
「存じ上げません。元々あれらとは敵同士です。今となってはお互い行方知れずの方が争うこともなく、都合がいいでしょう」
「都合が……いい? ──人を利用していた奴ら……だぞ……次に──会ったら」
「……陛下、フィズがなぜ捕らえられたかご存知ですか?」
「……いや」

 急に話題を変えたリーイックは、いつもの冷めたような目を崩さないながらも、口調は重々しい。

「フィズはあの場からあなたを逃がすために犠牲になったのです」
「なっ……!」
「フィズは今は生きていますが、いつまでか分かりません。彼を助け出すためにも、早く体を治すことをお考えください」
「ふざけるな! 体など……──どうにでもなる! 今すぐっ……」
「あなたはバカですか?」
「なんだと!」

 人を侮辱する言葉にかっとなり、彼につかみかかろうと立ち上がるが、足の痛みに負け、その場に倒れてしまう。床に伏すシグダードを、リーイックは冷たい目で見下ろしていた。

「立てもしないあなたが、のこのこチュスラスの前に行けば、誰が一番困るか、お分かりにならないのですか?」
「──っそんなことはっ……分かっている! しかし」
「しかし、なんですか? しかし行く、ですか? それが何になるのです?」
「……」
「今度失敗すれば、死ぬのはフィズです。それが理解できるなら、早く体を治すことを考えてください」
「……」
「自分でベッドに戻れますか?」

 シグダードが頷いて答えると、リーイックは黙ってきびすを返す。その背中に向かって、「どうすればいい?」と尋ねると、彼は振り返って、ベッドのわきの小さなテーブルを指差した。

「そこにある薬を飲んで、しばらくおとなしくしていてください」
「いつ頃……フィズを救いに行ける?」
「…………あなた次第です」 

 そう言って、リーイックが去っていった後、シグダードは動けない歯がゆさに、床に拳を打ちつけた。







 フィズは、誰かに呼ばれたような気がして、目を覚ました。体を起こしたことで、かけられていた毛布がずり落ちる。それのおかげで、あまり体は冷えていなかった。

 フィズのすぐ近くでは、馬が乾いた牧草を食べている。小窓からは朝日が入ってきていた。朝まで馬小屋で寝ていたようだ。

 ここにいるおかげで、誰にも会わなくていいことにホッとしてしまう。しばらく誰にも会いたくなかった。まだ裸のままだし、人に会えば、あの時のチュスラス達の笑い声を思い出してしまう気がした。

 体の傷はすでに塞がっている。首輪と鎖で壁に繋がれているが、手枷や足枷はされていないので、ある程度は動けた。後孔に突き刺されたものも、いつの間にかなくなっている。汗と血で汚れていたはずの体もきれいになっていた。
 そして、フィズが寝ていた辺りには、お湯が入った木桶、タオルに、水の入ったコップがおいてある。その水を飲んでみると、ひんやり冷たくて少し落ちついた。

「フィズ様」

 呼ばれて顔を上げると、入り口の方からリリファラッジが入ってくるのが見えた。右手には白い布をかけ、果物とパンが入ったかごを下げている。

 フィズは、自分が裸のままなので、慌てて見られたくないところを隠した。

 リリファラッジは、そんなフィズの様子を特に気にすることもなく、フィズの前に腰を下ろすと、白い布を差し出してくる。

「今朝は冷えます。これを……」

 それはガウンだった。
 フィズはなぜ彼がそんなことをしてくれるのか分からず、戸惑ってしまう。

「わ、私にですか?」
「はい。早く着てください。そんなにエッチな格好してると、襲っちゃいますよ」

 リリファラッジの危ない言葉に、フィズは慌ててそれを受け取り、袖を通した。

「ラッジさん……でも、なんで……」
「あなたが助けてくださったのは私の友人です」
「え?」

 助けた、と言われても、自分は何もした覚えがない。記憶を呼び起こしてみても、思い当たる人物は一人もいなかった。

「ラッジさん、友人って……」
「チュスラスのそばにいたはずです」
「あ……もしかして……」
「思い出しましたか?」
「はい……あ、でも助けたりなんか……」
「フィズ様がチュスラスに従わなければ殺されていました」
「……」

 リリファラッジにそう言われると、あの部屋であったことを思い出してしまう。恐ろしい記憶に、自然と涙がでた。傷は塞がっているはずなのにまだ痛い気がする。両腕を自分の体に回して、自分で自分を抱くようにすると、無意識のうちに震えていることが分かった。

 すすり泣くフィズの頭にリリファラッジは軽く手をおく。彼はそのまま何も言わなかった。
 しばらくして、フィズが泣き疲れた頃、リリファラッジは口を開いた。

「待っていてください。もう少し待遇がよくなるように頼んでみます」
「え? な、なんで……ラッジさんが?」
「フィズ様には大きなかりができてしまいましたからね」
「かり? お友達のことですか?」
「はい。私にとっては唯一の、大切な友人です」
「でも……そんなことを頼んで、ラッジさんは大丈夫なんですか?」
「フィズ様、私を誰だとお思いですか? それとも、リリファラッジ・ソディーの頼みごとを断れる人間をご存知なのですか?」
「ラッジさん……」

 不敵に笑うリリファラッジはとても頼もしく思えた。

 彼はいつもの調子でフィズの前で優雅に一礼し「少しだけ待っていてください」といって、馬小屋からでていった。
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