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chap5.浸潤する影
73.怯える人質
しおりを挟むフィズはシュラが去った後、牢の壁によりかかり、じっとしていた。
特に何をされるでもなく、何かができるわけでもなく、虚しく時間が過ぎていく。逃げた三人の安否が気になるが、確かめるすべはない。ただ無事だと信じるだけだ。
しばらくして、兵士が一人、牢の前に歩いてきた。
「陛下がお呼びだ」
「ヴィザルーマ様が?」
「馬鹿か、お前は。ヴィザルーマは死んだ。国王はチュスラス様だ。二度と同じことを言うな」
「……」
フィズは、ヴィザルーマは生きている、チュスラスはヴィザルーマからひどいやり方で王座を奪った卑怯者だと叫んでやりたかったが、城に入り込む前に、ヴィザルーマの生存はどんなことがあっても誰にも話してはならないと言われていたことを思い出し、口をつぐんだ。
「早くしろ」
「分かりました……」
気は進まないが、拒否したところで聞き入れられるわけがない。フィズは後ろ手に拘束された状態で牢から出され、兵士に連れて行かれた。
*
フィズが通されたのは、美しい模様のカーペットに覆われ、豪華なソファの並んだ部屋だった。
談笑するための部屋のようで、菓子や酒が並べられ、じゃらじゃらと下品なくらいに宝石を身につけた男達が享楽を貪っている。
その中心で、ひときわ豪華なソファに体を横たえたチュスラスが、にやにや笑いながら、フィズを嘲るように言った。
「待っていたぞ。フィズ」
シグダードを雷の魔法で撃ち、やっと会えたルイとも離れざるを得ない原因を作った男を、フィズは敵意を込めた目で睨みつけた。
「私に何の用ですか?」
「ヴィザルーマも、キラフィリュイザの王ですらたらしこんだ男がどういうものか、興味があってな」
「私はっ……たらしこんでなんかいません!」
「だが、会ってみれば、たいして美しくもない。ヴィザルーマもキラフィリュイザの王も、見る目がないな」
「あなたのような人間が! シグやヴィザルーマ様を悪く言うな! 汚らわしい!」
即座にそばに控えた兵士が「無礼者!」と怒鳴り、フィズを後ろから殴り倒す。手足が自由なら、こんな風に殴られてやることはなかったのに、あまりの悔しさに奥歯がなる。
フィズの物言いに、不機嫌になったチュスラスは、ゆっくりと腰をあげフィズに近づいてきた。
「……それがグラスの王に対する態度か?」
「あなたなんかに払う敬意は持ち合わせていません……卑怯者が……」
フィズの怒りに満ちた言葉を聞いて、焦った様子の兵士が、フィズの腹を蹴る。
「貴様! 陛下に向かってなんということを!」
フィズを見下ろすチュスラスは、ますます顔を怒りの色に染めていた。あっさり怒り出し、平静を失うなんて、とても王の器とは思えない。
すると、ソファに戻るチュスラスに、そばにいた男が話しかけた。貴族だろうか。下品に飾り立てた姿をして、フィズに侮蔑の一瞥を投げかけてくる。
「陛下、それは殺さないのですか?」
チュスラスは、顔を歪ませて答えた。
「……殺すのは私にかしずかせてからだ。フィズ、お前は魔族だったな?」
「だったら何です?」
「魔族の血には色がないと聞くが本当か?」
「それが、何か?」
「それなら、血で部屋を汚すことはないわけだ」
チュスラスが、控えた兵から鞭を受け取り近づいてくる。
フィズは、兵に慣れた手つきで天井から鎖で吊された。
趣味の悪い王だ。部屋のあちこちにある不自然に飾られた器具は、美しい装飾をつけた拷問器具ではないか。
「……楽しませてもらおう……」
チュスラスが鞭をふるう。それはフィズの着ていた粗末な服を破り、肌を裂く。
悲鳴をあげるフィズを見て、チュスラスはニヤリと笑った。
「本当に血に色がないな。お前ほど、拷問にちょうどいい奴はいないなあ」
愉快そうに、チュスラスは何度も鞭をふるう。フィズが泣き叫ぶ度に、観衆達の嘲笑が響いた。
フィズが傷だらけになると、天井からの鎖を外され、フィズは床に転がった。手の枷はまだされたまま。起きあがることができないフィズに、チュスラスはからかうように言った。
「痛いか? フィズ。どうだ? 少しは態度を改める気になったか?」
「……」
「さあ、フィズ。言ってみろ。国王陛下、どうかお許しください、だ」
どうやら彼は、拷問が目的でなく、自分の前にひれ伏し、泣き請う姿をみたいらしい。
「はは……」
言われたことを繰り返さず、弱々しく笑うフィズを見て、チュスラスがますます機嫌を悪くする。
いい気味だと思った。
誰がこんな男になど従うものか。いっそ、豚にでも頭を下げた方がまだマシだ。
「あなたなんかが王だなんて……グラスは終わりだ……」
「……よほど痛みが好きらしいな」
そう言って、暖炉わきの兵にチュスラスが目配せをすると、兵は、彼に火掻き棒を渡した。
「お前を奴隷にしてやろうか。毎日拷問してやるから、泣き叫びながら過ごすがいい」
「……っ!」
「ひれ伏す気になったか?」
「……」
なにも言わず、ただ相手を睨みつけるフィズに、チュスラスは後悔するぞと告げる。暴れるフィズは兵たちによって押さえ込まれ、焦げ臭い匂いがした。
火掻き棒で焼かれた背中は痛みに苛まれ、フィズは、今にも気を失いそうだった。
傷だらけのフィズを、チュスラスが見下ろしている。
「さあ、跪け」
「……」
こんな奴に頭を下げるなんてできない。フィズは苦しさに耐え、弱々しく息を吐きながら、正気を保とうと必死だった。
シグダードを不意うちし、卑怯な手でキラフィリュイザをおとした奴に仕えるなどできない。しかし、繰り返される拷問に心の方が限界を迎えそうだった。
いつまで経っても従わないフィズを見下ろし、チュスラスは大きく顔を歪める。
「フィズ」
「……」
「名前を呼ばれたら答えろ」
「……」
何も答える気にならなかった。返事をしないフィズに、チュスラスは手に持った熱い酒を振りかけてきた。
「あっ……つっ!!」
「くれてやる。すべて舐めろ。絨毯にこぼれたものも全てだ」
「……」
「お前がしないならこいつにさせようか?」
チュスラスは、自分に新しいワインを持ってきた給仕の腕をとる。突然降ってわいた災難に、給仕の男は目を丸くした。
「え? 俺ですか?」
「ああ。お前だ。フィズが今私に従わないなら、代わりにお前を鞭で打つ」
チュスラスの横暴なやり方に、フィズは悲鳴のような声を上げた。
「チュスラス! その人は関係ないだろう!!」
自分の代わりに他人を、しかも全く関係のない人を巻き添えになどできるはずがない。
「その態度は何だ? チュスラスだと? 国王陛下、だろう? お前の一言が、私の機嫌を損ねれば、お前の代わりにこいつが拷問され死ぬことになる」
「やめろ!」
「おやめください、だ!」
怒りに声を張り上げ、チュスラスは鞭を振るう。
火傷の痕を打たれ、フィズは叫んだ。
「あああ!!」
「さあ、早く跪け」
痛みで動けないフィズに向かって、チュスラスに腕をとられた給仕が、悲鳴じみた声を上げる。
「おい! 早くしろよ!! 俺が殺されるだろ!」
「くっ……」
このままでは本当に彼が拷問されるかもしれない。フィズは、痛みに耐えながら、床に染みた酒を舐め始めた。
従順な様子に気分をよくしたのか、チュスラスが笑いながら、フィズの頭を踏みつけてくる。
「ほら! 早くしろ! 私は気が短いぞ!! もたもたするならこいつをなぶり殺しにする!」
強く頭を床に押さえつけられ、息ができない。フィズの耳には、周囲の嗤い声と侮辱の言葉が聞こえた。
「ははははは! 浅ましい豚だなあ! 貴様には家畜動物が似合いだ! おい! フィズ! 服を脱げ! 家畜が服を着るな!」
「なっ……!」
「早くしろ! こいつが死ぬぞ!」
チュスラスは片手に捕まえた給仕を引き寄せ、愉快そうに喚く。
そんなこと、絶対にしたくないが、人質を取られては逆らうことなどできない。
チュスラスは本気だ。嬉々として何の関係もない給仕を殺すだろう。
給仕は、真っ青になってフィズを非難してくる。
「おい! お前! 何してんだよ! お前がもたもたしてると俺が死ぬんだぞ! 迷惑なんだよ! 陛下を怒らせたお前が悪いんだ! 責任とれ! 早くしろ!」
急かされ、枷をはずされたフィズは、泣きながらボロボロになった服をすべて脱いだ。上半身は鞭で引き裂かれ、すでにほとんど裸だったが、下半身を覆っているものを、こんなにも大勢の前で自ら脱がされ、あまりの羞恥に、消えてしまいたくなった。
チュスラスは笑いながら言った。
「素っ裸が似合うじゃないか。このままここにいる皆様にご挨拶してもらおうか? おい、鎖と首輪をもってこい。家畜はきちんと繋がないと迷惑だからな」
沸き起こるひときわ大きな嘲笑を聞かされながら、フィズは首輪をつけられた。首輪につながる鎖を引かれ、抵抗すれば鞭で打たれる。もう体を動かすことすら苦痛だった。
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