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chap4.堕ちる城

58.自由な踊り子

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 何とか話がまとまり、フィズは胸を撫で下ろした。

 シグダードも、上機嫌で言う。

「よし。始めるぞ、ジャック。フィズ、店の方を頼んだぞ」
「わ、わかりました……」

 フィズが店の方に向かおうとすると、駆け寄ってきたシグダードに止められる。

「フィズ。これを持って行け」

 彼が渡してきたのは、ジャックから手に入れた鈴だ。いらないというフィズに、シグダードは無理矢理それを握らせてくる。

「お前がいらないなら、さっきの踊り子に渡してこい。見物料だ」
「は!!?? で、でも……ラッジさんがお城を勝手に抜け出して踊っているのは、お金のためじゃないですよ? それにラッジさん、私を知ってますし……」
「正体がバレてまずいなら、近くにいる奴に渡してもらえ」
「なんでそんなに渡したいんですか……」
「嫌なら私が行く」
「……分かりました……」

 しぶしぶそれを受け取る。

 気乗りしないまま店に向かおうとすると、ジャックがフィズに向かって釘を刺してくる。

「おい、フィズ。お前、ちゃんと店番してろよ。俺が戻るまでに一個も売れてなかったら、てめえが体で稼いでこい」
「ええ!?」

 とんでもない話に、フィズは悲鳴じみた声を上げてしまう。商売なんて、したことがない。

 焦るフィズに、シグダードはどこからか取り出した紙にペンで走り書きをしたものを丁寧に折って、フィズに渡してくる。

「大丈夫だ。これをその鈴と一緒に、あの踊り子に渡せ」
「なんですか? これ」
「中をみるな。あいつへの讃辞が書いてある。お前に見られては恥ずかしいからな」
「……」
「いいか。必ず渡せよ」

 シグダードに念を押され、フィズは仕方なくそれを受け取って店へと戻った。







「全然売れない……」

 店に戻ったフィズは、屋台で肩を落とした。

 店番を初めて、しばらくしても客は誰も来ない。皆、前を素通りして行ってしまう。

 シグダードに渡されたものは、リリファラッジのそばにいた男性に「あの踊り子さんに渡してください」と頼んで、そのまま逃げるように戻ってきた。本当は渡したくなかったが、頼まれてしまっては仕方ない。

 完全にシグダードに振り回されてしまっている。

 フィズは、店で頬づえをついて、ぼんやりしていた。

 すると、不意に鈴の音が聞こえてくる。遠くから聞こえていたはずのそれは、だんだん大きくなる。

 音が聞こえてくる道の向こうを見ていると、踊り子の衣装のままのリリファラッジが、先ほどシグダードに渡せと頼まれた鈴を片手に、踊りながら歩いてくる。

 彼はフィズが番をしている店の前で立ち止まり、優雅な仕草で頭を下げた。

「素敵な鈴を送ってくださり、誠にありがとうございます」

 近くで見ると、その美しさに改めて見ほれてしまいそうになる。日の光を反射し、美しく輝く金髪が風に舞うように靡いて、整った目鼻立ちからは人間離れした印象を受ける。
 側室でもない彼が、後宮を自由に歩き回ることから、ヴィザルーマは彼と逢瀬を繰り返しているのではないかと噂になったことがあるが、それも無理からぬことだ。

 しかし、今はのんきに見惚れている場合ではない。正体がバレれば面倒なことになる。

 フィズは、極力彼と顔をあわせないようにしながら、小さな声で「気にしないでください」と答えた。

 すると彼は、フィズに顔を近づけ、小声で言った。

「フィズ様……ですよね?」
「え!? あ、ち、ちが……」

 いきなり正体がバレてしまい、フィズは焦った。慌てて否定するが、リリファラッジは、微笑んで続ける。

「慌てなくていいですよ。あなたがここにいることを公にする気はありません」
「え?」

 フィズが顔を上げると、リリファラッジはにっこりと笑っていた。相変わらず、彼の笑顔はどこか小悪魔じみている。

「ら、ラッジさん……」
「フィズ様、ここではリリファです。そうお呼びください」
「え? あ、はい……」

 小声で話す二人に、後ろから中年の男が声をかけた。

「リリファ、知り合いか?」
「はい。なにしろこの鈴はこのお店で買った物ですから」

 リリファラッジは、事実とは少し違うことを平然と男に笑顔で話す。

「一目で気に入ってしまいまして。こうして踊りに取り入れてみたのです」 

 彼は鈴をならしながら、軽くステップを踏んでみせる。その軽やかな足取りと耳が透き通るような音に、周囲が拍手を送った。

 リリファラッジは賞賛の声に感謝を示し、頭を下げる。あっと言う間に店先が彼の舞台になってしまった。

 身なりから見て、観客たちはほとんどが平民だろうが、中には貴族も混じっているようだ。妙に身なりのいい者たちが金貨を投げてくる。後宮にいるはず者が、こんな所で見せ物になっているとは思ってもみない者もいれば、彼の正体を知っていても、彼のやり方に合わせ、彼に好かれたい者もいるのだろう。

 リリファラッジは、魔性の微笑みと共にお礼を言う。

「ありがとうございます。皆さん」

 すると、観客たちから次々に賛辞が飛んでくる。

「礼を言うのはこっちだ。リリファ。ろくでもねーことばっかり起こる今、お前の踊りだけが救いだ」
「ああ。王様が代替わりしてから、税金はあがるわ景気は悪くなるわ、ろくなことがねー。何か気晴らしがないとやってらんねーぜ」

 彼らの言葉を皮きりに、次々現勢に対する不満の声が挙がる。どうやら、チュスラスはかなり評判の悪い王のようだ。

 リリファラッジは、賛辞に答えて鈴を鳴らす。そしてまた、美しい舞を見せてくれた。







 踊り終えたリリファラッジは、拍手を送る観衆に頭を下げる。

 もう店の前にはたくさんの人だかりができていた。
 これでは商品を買いにくる客も近寄れないような気がして、フィズは焦った。このままでは帰ってきたジャックに何を言われるか分からない。

 屋台で頭を抱えるフィズの耳に、リリファラッジの声が響いた。

「フィーさん。こちらの笛も試してみてよろしいでしょうか? フィーさん?」

 肩を揺すられて、やっと自分に話しかけられているのだと分かった。顔を上げると、リリファラッジはフィズににっこり笑いかけている。

「フィーさん。聞いています?」
「え? あ……あ、は、はい」

 どうやら、「フィー」というのはフィズのことらしい。フィズの、正体を明かしたくないという意志を尊重して、偽名で呼んでくれているようだ。彼の頭の回転の速さは昔から変わらない。

「あ、え……と、なんでしたっけ?」
「笛です。試しに吹いてみていいですか?」
「あ、はい。もちろん」

 フィズが笑顔で笛を差し出すと、なぜかリリファラッジは苦い顔をする。

「……いいんですか? フィーさん。売り物にならなくなってしまいますよ?」
「あ、そ、それは困ります……」
「じゃあ、ダメですよね?」
「えー……と……た、多分大丈夫です! 後でジャックさんに」
「フィーさん……」

 急に顔を近づけてきたリリファラッジは、ゾクッとするような形相でフィズを睨んでいる。

 なぜそんな顔をするのか分からない。笛のことなら、構わないと言っているのに。

「え……と……ラッジさん?」
「リリファです。だめですよねえ? フィーさん?」
「あ……その……」
「だめだな? そうだな? 早く言え」
「……はい……」

 ドスの利いた声で脅すように言われ、フィズは、つい頷いてしまった。リリファラッジが吹いてみたいと言ったから許可したのに、怒るなんて、変な人だと思った。

 フィズに無理矢理断らせたくせに、リリファラッジは大仰な仕草で残念がってみせる。

「ああ! 残念です! せっかく皆さんに笛の音も楽しんでいただこうと思ったのに!」
「あ、あの……ラッ、じゃなくて、り、リリファさん……」
「本当に残念です……あの笛があれは素晴らしい音色を楽しんでいただけるのに!」
「リリファさん……?」

 自分で「ダメだと言え」と命令しておいて、なぜこんなに大声で残念がるのか分からない。
 フィズが戸惑っていると、観衆の中から一人の男が手を挙げた。

「リリファ! 俺が買うぜ! その笛!」

 男は前にでると、フィズに金を出してくる。突然のことにフィズは戸惑ってしまう。

「え? え?」
「早くしろよ。にーちゃん。リリファが笛を待ってるんだ」
「あ、は、はい。ありがとうございます」

 礼を言って金を受け取ると、男は手に入れた笛をすぐにリリファラッジに差し出す。

 リリファラッジは、にっこり微笑んで礼を言った。

「ありがとうございます。とっても嬉しいです」
「俺もみんなも、お前の笛の音が聞きてえからな! なあ! みんな!」

 男が、集まっている人達に向かって声をかけると、賛同の声と拍手が沸き起こる。リリファラッジの舞いは後宮だけではなく、ここでも評判のようだ。

 リリファラッジは、観衆に向かって一度お辞儀をする。

「光栄です。それでは……」

 彼は、手にした笛で美しい音色を奏でて見せた。
 その音色に、周囲の者達は皆、感嘆の吐息を漏らす。彼の、人を魅了する能力はどこへ行っても通用するらしい。

 演奏が終わると、皆のうっとりした視線を浴びながら、リリファラッジは優雅に一礼した。拍手喝采とアンコールをうけながら、彼はにっこり笑う。

「ありがとうございます。皆さん。やはりこの店のものは最高ですね」

 リリファラッジは、突然フィズに振り向き、その場で頭を下げる。

「ありがとうございました。フィーさん」
「え? あ、いえ……」

 その親しげなリリファラッジの様子を見た観客の一人が、リリファラッジにたずねる。

「へえ! リリファの行き着けかい?」

 覚えのないことを言われ、フィズが否定しようとすると、それより先にリリファラッジが声を上げる。

「はい。この店の細工が気に入っているんです」
「いいぞ! リリファ! アンコールだ!」
「アンコール! アンコール!」

 広がるアンコールの響きに答え、リリファラッジは再び笛を構え、見事な音色を奏で始める。
 聴衆に混じって、フィズもその音色にうっとりしていると、突然、横から中年の男性に声をかけられた。

「よお、にーちゃん。そっちの笛、もらえるか?」
「え?」
「リリファにプレゼントするんだよ。そしたらもっと演奏が聞けるし、俺の顔も覚えてもらえるかも知れねーからな」
「あ、はい……分かりました」

 フィズが笛を差し出し、金を受け取っていると、後から後から似たようなことを言って商品を求める客が現れる。
 フィズがそれらの相手に夢中になっているうちに、リリファラッジの演奏は終わり、店の商品はほとんどなくなってしまった。
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