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chap3.回る毒
40.必要のない愚策
しおりを挟む「落ち着け。フィズ。今陛下を責めても意味がない」
リーイックに諭されて、フィズはしぶしぶ怒鳴り散らすのをやめた。フィズの勢いに負けたのか、シグダードはそっぽを向いてしまっている。
フィズだって、怒鳴りたいわけではない。しかし、今回のことは許せなかった。やっと会えて、仲直りもできたルイに、乱暴を働くなんて。シグダードが、ルイを見つけてくれたと思った時は、あんなに嬉しかったのに。
けれど、相手の話も聞かずにカッとなりすぎたかもしれない。
フィズは、肩を落としているシグダードに声をかけようとしたが、腕の中で小さくなって震えているルイを見ると、それができなかった。
「あの、シグ……あ……も、もう……しないでください……」
「……フィズ。その竜は」
「ルイが? ど、どうかしたんですか?」
「そいつは、あの塔で、ヘ……」
「え?」
シグダードは何かを言いかけて、途中で考えるように黙り込んでしまう。
「シグ……?」
フィズは、シグダードが言いかけたことがなんなのか、分からなくて聞き返すが、シグダードは「いや……なんでもない……」と言うだけで、話そうとしたことを教えてくれない。
それは、ヘザパスタの名前をフィズの前では出さないでおこうとするシグダードの気遣いだったのだが、あの塔で、殴られた後はずっと気絶していて事情を全く知らないフィズは、なんのことなのか、推し量る術がなかった。
フィズの腕の中ではルイが笑顔を浮かべていたが、フィズはその真意に気づかず、彼が泣き止んだのだと思った。ルイに「大好き」と言われ、同じ言葉を返した。
「フィズ、もうはなれるなんて言わないでね!」
「……うん。ルイ。ずっと一緒だよ」
抱き合う二人に、これまで黙っていたヴィザルーマが声をかける。
「ルイ、無事だったのか」
「ヴィザルーマ…………?」
ヴィザルーマの声を聞いて、ルイは初めて、ヴィザルーマの方に振り向いた。ヴィザルーマがリーイックの陰になっていたのと、フィズに抱きつくのに夢中だったせいで、ヴィザルーマには気づかなかったらしい。
しかし、フィズはルイの様子に違和感を覚えた。
ルイが、震える声でヴィザルーマの名前を呼ぶ様子は、長年の友人に再会して喜んでいるとは思えないものだったからだ。
ヴィザルーマは、ルイの不穏な様子に気づいているのか、気づいていても気にとめていないのか、咎めるように問いかけた。
「ルイ、私との約束はどうした?」
ヴィザルーマの問いかけに、ルイは答えない。フィズの腕の中で震えている。それが恐怖からでないことは、一目瞭然だった。彼の息が次第に荒くなっていき、口からはよだれが垂れている。
「る、ルイ? どうしたの?」
フィズの問いかけにも、ルイは答えなかった。彼はずっと、ヴィザルーマの方に血走った目を向けている。ルイがこんな風に怒っているところを見たのは初めてだった。
今にもヴィザルーマに飛びかかりそうで、フィズは彼を抱く腕に力を入れた。
しかし、逆上した竜の力にはかなわない。ルイはあっさりフィズを振り払い、ヴィザルーマに向かって飛んでいく。
「ぅうあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
「ルイ!」
フィズが止めようとしても、もう遅い。
襲い来るルイの鋭い牙を、ヴィザルーマは懐から取り出した短剣で受ける。鞘から抜いていないそれに、殺傷能力はないが、フィズには二人がこんな風に争っていることが信じられなかった。
ヴィザルーマはルイのことを大事にしていてくれたし、ルイも彼に懐いていたのに。
突然襲われたというのに、ヴィザルーマは、こうなることを予測していたかのように冷静だ。
「ルイ、落ち着け。フィズの前だぞ」
「うるさいっっ!! 殺してやるっっ!! 今ここで!」
ルイは、その言葉どおり、ヴィザルーマを食い殺してしまいそうな勢いだ。彼がそんなことをするのは嫌だったし、ヴィザルーマにも怪我をして欲しくなくて、フィズは荒れ狂うルイに向かって走った。
「ルイ!」
「フィズ! 来るな!」
ヴィザルーマに止められても、フィズは止まれなかった。やっとルイと再会できたのに、こんなのは嫌だった。
「ルイ!」
駆け寄るフィズに、ルイが振り向く。その恐ろしい形相にぞっとした瞬間、ルイの体が水の鎖に縛られた。鎖は一瞬で凍り、体の自由を奪われたルイは地に落ちる。
水の魔法だ。
フィズは、シグダードに振り向いた。
「シグ……」
「お前に怪我をされたのでは困る」
ヴィザルーマを助けた訳ではないと強調しながら、シグダードは、フィズをルイから隠すようにして立った。
ルイが危害を加えてくるなんて、考えたくないのに、怒り狂う今のルイは、ヴィザルーマを殺す邪魔をする者は、すべて手に掛けそうな勢いだ。
「はなせ! 殺してやる!!」
拘束されてもなお、殺してやる、と繰り返すルイは、フィズがいくら声をかけても、全く聞いていないようだ。こんなことは初めてだ。
「ルイ! どうしちゃったの!? ヴィザルーマ様は」
「フィズ!! そいつはあっっ!! 国のためにフィズを生け贄にしたんだ!!」
「い、生け贄?」
聞き慣れない言葉に、フィズはどう反応していいのか分からなかった。
ヴィザルーマには、散歩に行ってこいと言われただけで、そんなものになった覚えはないし、そんな話も聞いていない。何かの間違いではないかと思ったが、そう感じたのはフィズだけのようだ。
リーイックは不愉快そうに眉をひそめていて、シグダードもまた、彼と同じような顔をしていた。
「なるほどな……それであのペンダントか」
呟くシグダードは、顔をそむけるヴィザルーマに冷たく笑いかける。
それがひどく皮肉げに見えて、フィズは嫌な予感がした。
「し、シグ、どういう意味ですか?」
「あんなものを持っている奴はグラスでも数少ない。第一、あのペンダントに使われている石も、それなりに高価なものだ。あれはフィズが王家から遣わされてきたという証明のつもりだったんだろう」
「え?」
やはり、何を言われているのか分からない。
今度はリーイックまでもが、似たような視線をヴィザルーマに向ける。
「……なかなかやりますね……」
当事者なのに、一人意味が分からないフィズは、シグダードとヴィザルーマを交互に見ながら、湧き上がる不安を打ち消すように、ヴィザルーマに問いかけた。
「ヴィザルーマ様? どういう意味ですか?」
「……」
フィズが聞いても、ヴィザルーマは何も答えてくれない。ただ、黙って目をそらす彼に、初めて不信感が生まれる。
そんなフィズの思いを助長するように、シグダードは、ヴィザルーマを問い詰めた。
「お前、フィズに──いや、フィズは何も知らないのか……では、ルイに言ったのだろう? キラフィリュイザの王に伝えろと。争う気はない、和平を求めると。親交の証に、滅びたはずの雷魔族を差し上げると」
「さ、差し上げる?」
何を言われているのか分からず、フィズは首を傾げた。しかも、ヴィザルーマが何も言わないものだから、余計に怖くなってくる。
その恐怖を打ち消すように、フィズは、愛想笑いを浮かべて言った。
「そ、そうなんですか? それならそう言ってくれればいいのに! ヴィザルーマ様! 教えてくれれば、ちゃんと私がシグに伝えます!!」
すると、シグダードがあきれ半分、同情半分の口調で言った。
「フィズ、お前、よく笑っていられるな」
「え?」
「分かっていないのか?」
「……え? え?」
「グラスの雷魔族がこちらに来て、そんなことをほざいたところで、長い間不仲の国の王が簡単に信じるわけがない。何をされるか分からないが、もしかしたら信じてもらえるかも……くらいだろう。そこにいるグラスの王は、よほど追い込まれていたらしいな」
「え? あ……ヴィザルーマ様? な、何をされるかって……」
フィズは、自分がキラフィリュイザに来てから、どんな目にあったか、思い出してしまった。
それに、リーイックの薬があったから、フィズは今もこうして生きているが、もしそれがなかったら、どんな目にあっていたか、想像に難くない。
シグダードのグラス嫌いを知っているヴィザルーマが、それを予測しなかったはずがない。
シグダードは、さらに続けた。
「お前なら、私にルイごとうち落とされたところで、怪我ですめばすぐに治る。金竜のルイも同じだ。城の者には、排斥の動きに従って雷魔族が出て行ったと言えばいい。かつて魔法の力をもたらした雷魔族を遣いにすれば、こちらへの敬意を示すこともできる。正式な書簡はすべて消されたから書かなかったのだろう。早い話、お前たちは丈夫な書簡にされたんだ」
「……」
フィズは、ショックで動けなかった。長年慕ってきた友人のヴィザルーマに、意志を持たない物のように敵国に差し出されたなんて、信じたくない。しかし、実際にそうされているのだから、否定のしようがない。
「そんな……ヴィザルーマ様……」
震える声で声をかけると、ヴィザルーマはフィズに振り向きもせず、肩を落とした。
「すまない。フィズ……国のためなんだ……」
「ふざけるな!!」
勝手な謝罪に怒りを露わにしたのは、フィズではなく、シグダードだった。
彼はヴィザルーマにつかみかかる。
「そんなことをされて! フィズがどう思うか! お前のことをずっと信じていたフィズがどれだけ悲しむか! 考えなかったのか!?」
「私は王だ! 私の国を守る義務がある!」
「世迷いごとをっ……! 自分を慕っていた者を、そんな風に犠牲にする奴に、国など守れるものか!!」
フィズはシグダードに駆け寄り、ヴィザルーマにつかみかかる腕を引いた。
「シグ! やめてください!」
「フィズ! お前はまだこいつを庇うのか!?」
「か、庇ってるんじゃありません……だ、だって……ヴィザルーマ様だって、し、仕方なかったんですっ……」
「仕方ないなんて理由で生け贄にされたんだぞ! そんなことを受け入れていいのか!?」
「でも……私は死ななかったし、ほ、ほらっ! 今も元気だし……」
被害者のフィズによる制止に、さすがにシグダードもヴィザルーマから手を離した。
「結果だけを見ることはないだろう」
「い、いいんですよ! グラス城にはお世話になったし! ほら! お、お礼に役にたてるならいいんです! 私……城にいるとき、なんの役にも立たなかったし……」
フィズは、叫びながらも、後半は涙が混じってしまう。感情を完全に封じてしまうことなど、不可能だ。
「フィズ……」
いたわるようなシグダードの問いかけに、ひどくいたたまれない。この場にこれ以上いると取り乱してしまいそうで、フィズはヴィザルーマに背を向けて走り出した。
「フィズ! 待て!」
シグダードが後ろから呼んでいる。そう言われても止まることなどできなくて、フィズはその場から逃げ出したい一心で走りつづけた。
*
中庭を適当に走ったフィズは、細い水路の前に来ていた。流れる水の音を一人で聞いていると、悲しみが増していくようで、フィズはその場に座り込んで泣き出してしまった。
ヴィザルーマのことは、ずっと友人だと思っていた。当然彼もそう思っていると信じて疑わなかった。そうでなければ、義務もないのにフィズを庇護してくれていた説明が付かない。
しかし、ヴィザルーマはグラスの王だ。時に自分の感情を殺し、無情の決断を選ばざるを得ないこともあるだろう。仕方なかった、ヴィザルーマだって、苦渋の決断だったはずだ、そう自分に言い聞かせても、辛かった。悲しい涙は次々と溢れてきて止まらない。
「フィズ……」
後ろから呼びかけられて振り向くと、肩で息をするシグダードが立っていた。どうやら、暗い中、見失ったフィズを探して走り回ってくれたようだ。
「シグ……」
「フィズ……その……気にするな……」
「…………無理です……」
気にするな、なんて無理な注文だ。長年の友人に、物のように扱われて、笑っていられる訳がない。
ますます涙が流れてしまうフィズに、シグダードは優しく言った。
「…………すまなかった。お前の前で言うことなかった」
「い、いいんです。私だけずっと知らなかったら、一人だけピエロじゃないですか」
「フィズ……その……ヴィザルーマのことを……」
「……シグが思うような間柄じゃありません。ヴィザルーマ様は亡くなったお后様を愛していらっしゃいましたし……でも…………」
話の途中にも涙が溢れてくる。こんなふうに泣いたら、シグダードにますます心配をかけてしまうと分かっているのに。
ヴィザルーマは、いつもフィズのことを気遣ってくれたし、よく他愛無い話をして笑いあったりもした。ヴィザルーマが自分にペンダントを渡したのも、何か考えがあってのことだと思っていた。それがまさか、こんなに冷たい理由だったなんて。
非情な現実に、フィズは、その場にうずくまってしまう。立ち上がる力すら涙に奪われて、ただ泣くことしかできない。
「フィズ……」
「……」
「フィズ、その……あんな奴は忘れろ。今は私の妻だ」
「…………好きかも分からないのに?」
「……」
「……ヴィザルーマ様……私が強姦されそうになったり、拷問されたって聞いたら、後悔するでしょうか?」
「やめておけ。それで後悔する奴は最初からこんなことをしない。むしろ安心する。その程度ですんだのかと」
「うー……」
その程度だなんて、あんまりだと思った。ヴィザルーマが、それ以上のことをされるかもしれないがもしかしたら運良くことが進むかもだなんて運任せな策で、あっさり自分を敵国に差し出したことが悲しいし、悔しかった。
「ううー……」
「落ち着け、フィズ」
「ひどいです……みんな………………人間なんて……ひどい人ばかり……わ、私は今回のことが終わったら、もう実家に帰ります!」
「実家があるのか?」
「あります……昔……兄弟とはぐれて私だけ迷子になったから帰れませんけど……」
「……お前……ずいぶん間抜けだな」
「うあああん!!」
追い討ちをかけるようなシグダードの言葉に、大声をあげて泣くしかできない自分にすら、苛立ちが湧いてくる。
フィズは、これまであった辛いこともすべて吐き出すように泣き続けた。
泣き喚くフィズに、シグダードは寄り添って、慰めてくれる。
「……フィズ……落ち着け」
「もう……人間なんて大嫌いです! いつか絵本で読んだ魔王になって世界征服してやる!!」
「……落ち着け。魔王なんて、お前に似合わない。頭が弱いし……」
「だっ……誰の頭が弱いんですか! 誰の!」
「フィズ……」
「うあああん!」
ひたすら泣くフィズの背中を、シグダードがさすってくれる。それでもフィズの涙は止まらなかった。
しばらく泣いていると、リーイックが走ってきた。かなり焦っている様子を見ると、何かあったようだ。
「陛下!」
「なんだ?」
「ルイの鎖をといてください! あのままでは凍ってしまいます!」
「あ、忘れてた」
ルイは、シグダードの氷の鎖に縛られたままだ。
彼を凍えさせるわけにはいかない。フィズは、シグダードと共に、ルイの元に戻った。
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