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chap3.回る毒
35.並んだ名前
しおりを挟むフィズが、城の廊下を歩きながら、シグダードが飲んだ薬のことを話すと、当然のことだが、彼はひどく驚いていた。無理もない。知らないうちに、敵国からの迷い人を好きになる薬を飲まされていたなんて言われたら、誰だって驚く。
「お、お前たち! そんなものを私に飲ませていたのか!?」
「すみません……」
「すみません、じゃない! どうりでおかしいと思った!!」
「や、やっぱり思いましたか?」
もうフィズには、誤魔化すような愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
ここでシグダードが怒り出し、お前など死刑だと言って剣を抜いたらどうしようかと思ったが、意外にも、彼は呆れたように肩を落とすだけだった。
フィズは、恐る恐るシグダードにたずねた。
「あの…………お、怒らないんですか?」
「今更それを怒っても、意味がないだろう……おい……」
「はい? な、なんですか?」
「お前も、薬を飲んだのだろう? お前が私のことを好きなのも……薬のせいなのか?」
「違います。だって…………」
「だって? なんだ?」
「私には薬が効かなかったって、リーイックさんが言ってました」
「効かなかった?」
「はい。その証拠に…………え、っと……あの…………わ、私は……最初、あなたのことなんて、大嫌いでしたから……」
「なんだと!?」
「だ、だってっ……! わ、私は、監禁して襲ってきたり脅迫する人なんか、好きになれません! 怒ってばっかりで怖かったし…………」
「ぐ……すまん…………今は好きなのか?」
「え? あ、はい……」
「それなら……別にいい……そのまま好きでいろ……」
「……」
フィズは、すぐには答えられなかった。ずいぶん無茶な要求がきたと思った。
シグダードはまだ自分を疑っている。長年の憎悪は簡単には消えないのだろう。フィズが雷魔族であるという現実もそのまま。結局は、何も変わっていない。
恐ろしい記憶だって、フィズの中に残っている。
シグダードのことは、好きだ。けれども、彼をずっと以前のように、この先も好きでいられるかと聞かれたら、返事ができない。フィズは、迷い始めていた。本当に、こうして二人でいていいのかと。
「…………それは……約束……できません……」
「な、なんだと!?」
「だ、だって……あ、当たり前じゃないですか! 心なんて変わるし………………し、シグは……ひどいことするし……」
「お前な……私にそんな怪しい薬を飲ませておきながら、何を言う!」
「の、飲ませたのは私じゃありません! リーイックさんです! だ、だいたい……リーイックさんがそうしなかったから、シグは、初めて会った時に、私を殺していたはずです!」
「…………」
「ほ、ほらっ! だ、だいたい、シグの普段の行いが悪いから……そういうことをされるんです! いい気味です!」
「ぐ……」
切り返す言葉に困っているのか、シグダードは俯いてしまう。
かっとなってまくし立てた自分の言葉に落ち込んでのことに思えて、罪悪感が湧いてきた。
「シグ……あの……や、約束はできませんが、今は…………好きです……それは薬のせいでも、嘘でもありません」
「フィズ……」
「だ、だからっ……! その……今は一緒になんとかする方法を探しましょう」
「……ああ」
*
フィズがシグダードと共に、リーイックの部屋に入ると、きつい薬品のにおいがした。
部屋の床には、ピスタチオの殻が散らばっていて、部屋の奥にあった机には、リーイックが顔をふして寝ている。
「リーイックさんも……寝てますね……」
「ああ。その薬とやらは、私とお前しか飲んでいないのだろう?」
「はい……」
「リーイックに聞かないと、その薬の詳細はわからないな……」
「どうしましょう……?」
どうしようと考えてみるが、リーイックが寝ているのでは、薬のことを聞くことはできない。フィズが覚えているのは、白い粉薬だったということだけだ。
するとシグダードは、突拍子もないことを言い出した。
「薬を飲ませてみたらどうだ?」
「は!?」
シグダードの提案に、最初は驚いたが、他に方法があるとは思えない。
フィズとシグダードだけが毒を免れた理由として思い当たるのは、リーイックの惚れ薬くらいだし、もしも、それがはずれていたとしても、今より悪い状況になるとは思えない。
「じゃあ……や、やってみましょうか……」
「で、その薬とやらはどれだ?」
シグダードがフィズに、たくさんの薬の瓶が並んだ薬品棚を指差しながら聞いてくる。しかし、どれだと聞かれても、フィズには全く分からない。
「えっと……どれでしょう?」
「どれだか分からないのか?」
「だ、だって、私はリーイックさんに薬を渡されただけです。どれかなんて……分かりません」
「仕方ない。自分達で探すか……」
「惚れ薬って書いてあるのを探せばいいんですよ!」
「そんなに分かりやすく書いてない。瓶のラベルには、訳の分からん名前が書いてあるだけだ」
フィズがシグダードにならんで、瓶のラベルを読んでみると、聞いたことのない名前が書いてあるだけだった。これではどれが目当てのものか分からない。
「どうしましょう……」
「これじゃないか? リリスハラの薬」
「聞いたことない名前です……本当にそれですか?」
「白い粉薬だろう。これは、白いし粉だ」
シグダードが、瓶の蓋を開けて中身を見せてくる。そこには確かに白い粉薬が入っていた。
しかし、フィズはシグダードに同意できない。
「……でも、これも白いし粉薬ですよ」
フィズが、近くにあった瓶を開けるとそこにも白い粉薬が入っている。ただし、ラベルの名前は全く違う。
「白い粉薬……多いな……」
シグダードが手当たり次第、瓶を開けて、ため息をつく。薬品棚にある瓶のうち、半分が白い粉薬だ。すべて名前が違う。
フィズは、並んだ瓶の前で、どうすればいいか分からなくなってしまった。
「どれでしょう……?」
「全部飲ませてみたらどうだ?」
「ええ!?」
「どれかは当たりだろう?」
「大はずれを引いて、リーイックさんが死んじゃったりしませんか?」
「……そうだな……」
「名前……見当つきませんか?」
「私に聞かれてもな……惚れ薬、以外に……何も……」
「でも……リーイックさんが作ったんだから、きっとリーイックさんがつけそうな名前ですよ!」
「あいつのつけそうな名前? そうだな……人を信じたら終わり、とか、他人は実験動物、とか……」
「そんな名前、リーイックさんはつけません!」
自分は必死に考えているのに、嫌がらせのようなことを言うシグダードに向かって、つい声を荒らげてしまう。
するとシグダードは「お前はリーイックを買いかぶりすぎだ」と拗ねたように言った。
「フィズ、お前ならなんて名前をつける?」
「私ですか? 私なら……あ、好きな人の名前とか!」
「好きな人?」
「そうです!! だって、人を好きになる薬ですから! リーイックさんにそんな人、いないんですか?」
「……まさか、フィズ、じゃないだろうな……?」
「……そんなわけありません」
言いながらも一応探してみる。フィズという名前の薬はなかった。
シグダードが安心したように肩をおろす。
「ないな……」
「あ、当たり前です! 私とリーイックさんはただの友達です! い、いつまで疑ってるんですか!」
「他に……検討がつかないな……」
「そんな……」
この際、最初にシグダードが言ったとおり、全部飲ませてみようかと思ったとき、シグダードが手をたたいた。
「一人……いる……」
「え?」
「あいつが心を寄せる者だ」
「誰です?」
「ナルズゲート・ログノラスだ。探してみろ」
「……ナルズゲート……」
「フィズ? どうした?」
「いえ。探してみます」
シグダードに言われた名前を探してみても、やはり見つからない。
「ありませんね……」
「……婚姻前の名前かもしれない………」
「え? その人、結婚してるんですか?」
「最近な。旧姓はナルズゲート・ファークバトラーだ」
「あ、これでしょうか? ゲートファーク」
フィズは、薬品棚の中から、一つの小さな瓶を取り出した。あけてみると、白い粉薬が入っている。
シグダードも頷いた。
「多分……そうだな……」
「飲ませてみます?」
「そうするしかないだろう」
「でも……どうやって?」
フィズが悩んでいると、シグダードに薬を取り上げられてしまう。
「シグ?」
「……仕方ない」
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