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chap3.回る毒

34.偶然の解毒薬

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 日が暮れ、一日の仕事を終えたシグダードは、フィズのいる塔に向かった。

 煩わしいことばかり起こる。早く彼に会いたいと思うと、自然と早足になっていった。

 塔の扉を開けると、何か、異様な匂いがしていることに気づいた。鉄の匂いのような、気味の悪い匂いだった。

 なせだか分からないが、嫌な予感がした。出所知れずの不安に包まれながら、ゆっくりと階段を上る。

 しばらくシグダードの足音だけが響いて、フィズのいる部屋の明かりが見えてきた。

 塔の部屋の扉は開いていた。

 シグダードは、部屋に入ったところで足を止めた。

 そこは、真っ赤な色に染まっていた。

 床も、壁も、天井ですら所々に赤いシミを作っている。もちろんこの部屋にそういう塗料が塗られていた訳ではない。それは紛れもなく血だった。フィズのものではない、真っ赤な血。

 部屋の奥にある小さなテーブルの上に、一本だけ火のついた蝋燭が立っていた。フィズは、その近くで倒れている。彼の体には、毛布がかけられていた。

「フィズ!」

 彼に近づこうとすると、シグダードの足先に何かが触れた。丸い、球のような何かが。

 今度は、部屋の床に足を出すと、ベチャリとしたものが靴の裏を汚す。

 何か、柔らかいものを踏んだ。ぐにゃりとした感触が気持ち悪い。

 足元を見る。踏んだものの正体が分かった。

 手首から切り取られた人間の手だ。

 驚いて一歩後ろに下がったところで、不覚にも辺りを見渡してしまう。そこには、バラバラにされた人体の破片が散らばっていた。

 先ほどシグダードが踏んだものの隣には、切断されたヘザパスタの首が転がっている。さっき足先で触れてしまったものはあれだろう。

 悲鳴を上げると吐いてしまいそうで、口元をおさえ、猛烈な吐き気を抑えながら、フィズに近づく。彼にかけられた毛布をどかすと、その頬が少し赤かったが、それだけで、体に他に傷ついたところはなかった。

 シグダードは、フィズを抱き起こし、その体を揺り動かす。
 するとフィズは、シグダードの腕の中でゆっくりと目をあけた。

「……シグ?」
「フィズ……無事か?」
「……はい」
「……何があった?」
「何って……ひっ!!」

 フィズは、近くにある生首を見て悲鳴を上げる。パニックに陥る彼を宥めて、シグダードは彼にたずねた。

「何があったんだ?」
「あ、あ…………な、なんで……なにがって……わ、私は知りません!!」
「分かった……とにかくここからでるぞ!」







 塔から出た所で、フィズは、ひざを折ってそこに座り込んでしまう。

「大丈夫か? フィズ」
「は、はい……」
「なぜ……あんな……」
「あ、あ、あの人が……急に入ってきて……ご、拷問の続きするって……な、殴られて……そ、そこから覚えてなくて……」
「フィズ、落ち着け。もういい」
「シグ!」

 フィズがシグダードにしがみついてくる。震える彼をしばらく抱きしめていると、外灯に照らされた庭道の向こうに、誰かが倒れているのが見えた。

「なんだ?」

 シグダードは、城の異様な様子に初めて気づいた。

 妙に静かだ。誰もいないのかと思ってしまうほどに。

「フィズ、ここにいろ」
「いや! 私も行きます!」

 追い縋る彼を振り払うことなど到底できなくて、フィズを支えながら、倒れた人に近づく。それは、一人の文官だった。

「おい! 起きろ! おい!」

 どれだけ体を揺すっても、声をかけても、彼は目を覚まさなかった。首もとに手をやると、弱々しいが脈を感じることができた。

「生きてはいるな……」
「な、なんで……寝ているんでしょうか?」

 異常な状態であることは分かる。しかし、何が起こったのか分からない。

 シグダードは、城の中の様子が気になって、フィズをつれて城内に入っていった。

 城内は、しんと静まり返っていた。

 もう日が沈んでいて、明かりは燭台が照らすものだけになっている。

「あ! 誰か倒れています!」

 フィズに言われて、廊下で倒れている者に近づく。彼もまた、先ほどの文官と同じように、生きてはいるが呼びかけには答えない。

「どうなっているんだ……」

 シグダードはそう呟いて、城の中をしばらく歩いたが、皆死んだように寝ている。いくら呼んでも、体を揺すっても、誰一人起きることはなかった。

 フィズが首を傾げた。

「みんな疲れているんでしょうか?」
「それでも起きないのはおかしいだろう」
「……まるで毒です」
「毒?」
「あ……その……私はよく知りませんが、コーリゼブル・キリゼブルの毒が回った時はこんな感じだったらしいんです。みんな寝ているように死んでいたって……」
「不吉なことを言うな。死んでいない──まさか……」
「シグ?」

 シグダードは、フィズの手を引いて走り出した。使者、キザラギの部屋を目指して。







 フィズを連れてキザラギのいる客室に走る途中には、たくさんの人が倒れていた。最初のうちはいちいちその生死を確かめていたが、皆、寝ているだけだと気づいてからは、その横をすり抜けながら一心不乱に走った。

 誰もが死んでいる訳ではないのに目を覚まさない。城中に何か異常な事態が起きていることは明らかだ。
 その原因がキザラギとは限らないが、今最も警戒すべき男を先にあたることは、無駄にはならないはずだ。

「キザラギ!!」

 シグダードは、客室のドアを勢い任せに開ける。

 キザラギは部屋の中央に倒れていた。

「キザラギ様!」

 フィズがかけより、脈をとって、他の人と同じように寝ているだけだと告げてくる。

「キザラギまで倒れているなら、原因はこいつではなかったのか……?」
「いえ……多分、キザラギ様が原因です」

 重々しい口調で言うフィズに、なぜだと聞くと、彼は床に落ちていた懐中時計を拾い上げる。しかし、それには特に変わったところが見当たらない。

 シグダードは首を傾げた。

「それが何だ?」
「これは、風時魔族の終わり時計です。きっとこれを使ったんです」
「オワリドケイ? なんだ、それは」
「風時魔族という種族がまだ存在していた時代に、彼らが同族を処分するために使っていた時計です」
「処分? 殺すために使われていたのか?」
「はい。今、こうして時計の針が動いているでしょう? 時計の針が動くたびに、中にある毒が広がるようになっているんです」
「なっ……ど、毒だと!?」
「はい……」

 恐ろしいことを、フィズは暗く陰った顔で口にする。
 焦ったシグダードは叫んだ。

「何をぼーっとしているんだっ!! 早く止めろ!」
「……止められませんよ。止まらないようになっているんです……」
「なんとかならないのか!?」
「私には……無理です。多分……風時魔族の力を持つ人でない限り……」
「な……」

 絶望的な事実を聞いて、シグダードは言葉を失った。
 やはり、和平派を殺してでもキザラギを城に入れるべきではなかったと後悔するが、もうどうにもできない。
 何か仕掛けてくるかもしれないと警戒し、怪しいものは全て取り上げ、燃やしてしまったが、まさか、時計に罠が仕掛けられているとは思わなかった。
 動く針をただ見ていることしかできない自分に焦りばかりが募る。

 フィズが唐突に言った。

「あ、止まった」
「は!?」

 フィズの言葉に驚いて、シグダードは時計をのぞきこんだ。針は確かに止まっていた。

「お前、どうやったんだ?」
「どうもしてません……勝手に止まったんです」
「……本当か?」
「ま、また疑うんですか! 私は嘘なんかつきません! 終わり時計っていうのはしばらくしたら勝手に止まるようにできてるんです!」
「じゃあ、もう毒は消えたのか?」
「……それは……消えません。これ以上時計から毒が放たれることはありませんが、時計が止まったからといって、皆さんが吸った毒が消えてなくなることは……ありませんから……」
「そんな……」

 恐ろしい現実に背筋が冷たくなる。ここへ来るまでの間、フィズとシグダード以外に起きている者はいなかった。城中の人間が眠っているのだろう。毒を消し去る方法がない限り、万事休すだ。

「おい、フィズ。毒とはどういうものだ?」
「え? わ、分かりません」
「は!?」
「わ、私には、そんなこと分かりません! 風時魔族の終わり時計は、風時魔族が滅んでからは、いろんな種族に争いの道具として使われたらしいですが、詳細は知りません……ま、ましてこれに入っていた毒のことなんて……」
「だが、お前はグラスから来たのだろう?」
「き、来ましたけど、ヴィザルーマ様は毒なんて作りませんっ!!」
「……なら、チュスラスが作らせていたのだろう」
「そんなっ……! チュスラス様は和平を……」
「そんなものは嘘だっただけの話だ」
「だ、だって……もういがみ合う理由なんてないのに……」

 フィズの言葉を聞きながら、シグダードは落胆していた。

 いがみ合う理由などない。それでも、争いは終わらなかった。和平を結んでいればよかったのかと思ったが、チュスラスの使者の言葉は全て嘘で、ヴィザルーマの書簡は届いていない。グラス側にも反対派はいたのだろう。もちろん、キラフィリュイザにも。その最たる例が自分だ。
 自分のグラス嫌いがなければよかったのか。雷魔族を恨まなければよかったのか。どれもできなかった自分が王にならなければよかったのか。存在しなければ、こんなことにならなかったのか。

 後悔は全て遅い。

 そして今、城のものは誰も動けない。おそらく、今のうちに攻め込んでくるつもりなのだろう。

 全てが終わったのだ。

 これから自分を待つのは、王族としての処刑だけだろう。

 フィズが、震えながら聞いてくる。

「ど、どうするんですか……?」
「私に聞くな……」
「聞くなって……あ、あなた王様でしょう!」
「もう治世は終わりだ。キラフィリュイザはグラスに負けたんだ」
「……」

 ため息とともに投げやりに言った言葉を聞いて、フィズはもう何も言い返してこなかった。

 あっさりしたものだ。長く続いたいがみ合いが一日で終わってしまうなんて。

 どうにもならない事態なのに、シグダードには、焦りも恐怖もなかった。

 いつか来ると信じていた破滅が、ついに煩わしいすべてを終わらせたのだ。
 ずっとすべて滅びてしまわないかと、心のどこかで思っていた。深い憎悪を抱きながら、決められたままに王として生きる現実を、何かが壊してくれないかと。

 国が滅びれば、王族に待つものは国と共にある死だけだ。後宮を廃し、妻すら設けなかったシグダードには後を継ぐ子もいない。シグダードが死ねば、キラフィリュイザの血は途絶える。

 ついに、すべてが終わるのだ。

 城の中はこんな状況だ。グラス側も、動けないものをみだりに殺したりはしないだろうと思った。

 気が抜けたシグダードに、フィズがおずおずと声をかけてくる。

「あ、あの……シグ?」
「ん? なんだ?」
「……こ、こんな時なのに、な、なんでそんなに落ち着いてるんですか……?」
「いいだろう。別に。そんなことが言いたいのか?」
「……そ、そうじゃありません! そうじゃなくて……今気づいたんですけど……」
「なんだ?」
「私達は、なぜ平気なんでしょう?」
「は?」
「なんで、城中の人が眠ってしまったのに、私達だけ、なんともないんでしょうか……?」

 確かに、フィズの言うとおりだ。毒をまいたキザラギ自身ですら倒れているのに、フィズと自分だけが平然としていることが不思議だ。

「なにか……あるのかもしれない。私とお前だけが、毒を免れた理由が……」
「私と……あなただけが……」
「私とお前だけ魔力がある……か?」
「……そうか……で、でも、それだと、王様のあなたにだけ絶対に効かない毒になりますが……」
「……それはおかしいな。王だけ助ける毒は使わないだろう。それなら、私とお前だけ、塔にいた……か……」
「じゃあ、高いところにいれば助かるんでしょうか!?」
「それはないな。あの塔よりここの方が高い」
「……そうですか……」
「………………私とお前の間の愛がそうさせたんじゃないか?」
「……何言ってるんですか? ……こんな時に、冗談やめてください。 好きか分からないなんて言うくせに……」
「……そんなことを根に持っているのか?」
「ま、まじめに考えてくださいっ……! シグは王様でしょう?」
「そうだな……」

 なおもシグダードが頭をひねっていると、唐突にフィズが手をたたいた。

「あ……そうか……」
「なんだ? 分かったのか?」
「あー……はい、まあ……」

 彼は、シグダードをちらりと見ると、ひどく歯切れの悪い返事をした。

「なんだ? 言ってみろ」
「あ、あの…………その……り、リーイックさんの部屋に案内してくれませんか?」
「リーイック? なぜだ?」
「えっと……だから……その…………あ、歩きながら話します……怒らないなら……」

 フィズは、ひどく気まずいような顔をしていたが、シグダードにはその理由がさっぱり分からなかった。
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