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chap2.消えていく思い出
26.用意された引き金
しおりを挟むシグダードは、地下牢へつながる螺旋階段を降りながら、フィズのことを思い出していた。
自分に笑いかけてくれた彼も、自分の話を静かに聞いてくれた彼も、自分と愛し合った彼も、すべて嘘だったのかと思うと、憎悪ばかりがわいてきた。
黙って歩くシグダードの前を、ヘザパスタが降りていく。彼は、落ち着いた様子でシグダードに話しかけてきた。
「陛下が、私にまた拷問をしろと仰るとは思いませんでした」
「……」
ヘザパスタは、シグダードのもとに来た時は、不機嫌な様子を隠そうともせず、不遜な態度を見せていた。それなのに、シグダードが彼を呼んだ理由を話すと、ガラッと態度を変えた。
まるで、ずっとお預けされていた好物を鼻先に突き出された猛獣のように、ギラギラした目をしている。
そんな彼に、シグダードは釘を刺した。
「言っておくが、殺すなよ。ここへ来た理由を聞き出すまでは」
「ええ。承知しておりますとも。殺しちゃつまらない……意味がないですからね。ところで陛下」
ヘザパスタがシグダードに振り向く。
「もしも、もしも……私が、奴がここにきた理由を聞き出せたら……また、尋問方法に拷問を加えていただけませんか?」
「分かった」
「ありがとう……ございますぅ……」
そう言ってヘザパスタは、その目に狂った火を灯しながら笑う。
それは分かっていたが、怒りと憎悪に支配されたシグダードは、彼の目の炎がいつか延焼を引き起こす懸念すら、捨て置いてしまった。
*
地下牢まで降りてくると、牢の中のフィズが格子に駆け寄ってきた。
「シグ! 聞いてください! 私は」
「まだ何も企んでいないとほざくのか?」
冷たく問うシグダードに、フィズは臆することなく「何もする気はない」と繰り返した。
シグダードは、格子の隙間から彼の服の襟をつかんで、最後だと警告してから「何をしにきた?」と聞いたが、フィズの答えは変わらなかった。
「陛下、無駄ですよ。それじゃあ吐きません」
そう言って、ヘザパスタが前に出る。
「もう……いいですか? 陛下……俺ぇ……我慢できません……」
荒い鼻息の間に言葉を絞り出すヘザパスタは、発情した野獣のようだ。彼にとって拷問という行為は、欲望を満たすための唯一の手段だ。
「やれ。ヘザパスタ」
シグダードの言葉を聞いて、ヘザパスタは飛びつくように牢の鍵を開け、中にいるフィズの両手を拘束して引きずり出す。
「シグ……」
拘束されたフィズの目に哀しいものが写るが、それはシグダードの怒りを増長しただけだった。
「さあぁー……行こうかあ……」
ヘザパスタは、フィズに頬ずりをしながらその頬に舌を這わせる。
嫌悪から、フィズは小さな悲鳴をあげすくみ上がるが、それはヘザパスタの嗜虐心をくすぐるだけだった。
*
様々な器具が並ぶ拷問部屋にフィズを連れてきたヘザパスタは、後ろに立つシグダードに鬱陶しそうな目を向ける。
「陛下、そこにいていいんですかぁ? 途中で止めたりしないですよねー?」
「止めない。早くしろ」
「ふ……ふふふふふふふ」
フィズを天井から吊したヘザパスタの目が弧を描く。彼は、ギリギリとフィズを吊す鎖を上げた。
床から足が離れたフィズが苦しげに呻く。
それを見たヘザパスタは、恐ろしいほどに楽しげだった。
「フィズぅ……初めましてぇ……俺、ヘザパスタ。今からお前が、何をしにきたのか、答えるまで、お前をじーっくり、じーっくり、嬲るからぁ……」
「わ……たしは……何も……わっ!!」
フィズは、急に鎖を緩められ、石の床に叩き付けられる。後ろ手に拘束されたまま立ち上がろうともがく彼の前に、ヘザパスタがしゃがみこんだ。
「そうだよなあ? ずっとずーっとそう言っててくれよ? そうすれば俺、拷問やめなくていいんだから」
すっかりヘザパスタは拷問に夢中だ。このままでは本来の目的すら忘れかねない。
シグダードは、再びヘザパスタに釘を刺した。
「おい。ヘザパスタ。分かっているな? 聞き出すことが目的だぞ」
「もちろんですぅ……こいつが話したらやめます……は、な、し、た、ら……」
「それと、そいつの血は無色透明だ。それは他言するな」
「へえ?」
ヘザパスタが、フィズの髪を鷲掴みにして、無理やり彼と目をあわせる。
「傷つけた時に赤い血が飛ばないのは……寂しいが……まあ、泣き叫ぶ口はあるみたいだから、いいか……我慢します……」
ヘザパスタはフィズを吊り上げ、宙に浮いた彼の足に、鉄球のおもりをつけた。
体を引き裂くような苦痛に、フィズが悲鳴をあげる。
「いたい? フィズ……ああ……いいね……お前の声……」
そう言いながらヘザパスタは、小さなナイフでフィズの服を破いていった。時々彼の服を裂く手に力を入れ、わざとその肌を浅く切る。裸体を露わにされたフィズはあちこちに小さい傷を作っていた。
「ああ……ごめん……つい切っちゃった……ふさがないとね……」
ヘザパスタが小さな鉄棒を蝋燭であぶり、先が燃えるそれを、フィズの傷にあてる。
傷口を焼かれたフィズが叫ぶ。
それを聞いて、彼は口角を上げ舌なめずりをしていた。
「フィズ……フィズ……いいね……鳴いてよ……」
今度は腰にさげた鞭を片手に取り、ベチャベチャとそれを舐めながら、彼は自分の股間を弄っていた。
「ああ……いい……いい……ああ……またあの感触を味わえる……肉を打つ感触をぉっ!!」
ヘザパスタが鞭をふるう。裸のフィズの体が裂け、彼が悲鳴をあげるたびに、ヘザパスタは叫んだ。
「ああああーーーっ!! いい! いいよぉっ!! フィズぅ! もっと! もっと! もっともっともっともっと泣いてぇっ!! ああああああーーーーっ!」
彼が凶行を繰り返す様に背を向け、シグダードは牢をでていった。
それから寝所に入ったシグダードは、誰も入ってこれないように鍵をかけ、一人で泣いた。
*
次の日の朝、シグダードに、驚くべき知らせが入った。
謁見の間に呼ばれた伝令の男は、震えながら平伏し、それを伝えてくる。
それを聞いて、シグダードは思わず叫んだ。
「グラスの王が死んだだとっ!??」
「は、はい。た、確かです」
「まさか……」
信じられなかった。人は必ずいつか死ぬものだが、夏の日に国境で起こった激しい雷雨はその男の仕業のはずだ。そんなグラスの王が死ぬなんて。
復讐するはずの仇に永遠に逃げられたような悔しさが湧いてきたが、それよりも驚きの方が大きかった。
伝令の男は、さらに震えながら伝える。
「あ、新たに王位についたのは、チュスラス・グラス。その……前王の一人息子です……」
チュスラスの名前は以前聞いたことがある。会ったことはないが、グラス王家の血を引くなら、魔法を操ることだけは変わらない。ならば、今までと何も変わらない。
それなのに、伝令の男は、まだ下がろうとしない。
「あの……そ、それで……」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「あ、あ……そ、その……ひ、東の国境門からの伝令で……その……チュスラス王が……わわわわ和平を結びたいと……」
「なんだと!!?」
シグダードが叫んで立ち上がると、男はその勢いに震え上がる。
「あ! あの! 前王の死を期に意味のない争いは終わりにしたいと申しているようで──ひぃぃっっ……!!」
恐怖から早口になっていた男は、飛んできた魔法の水の弾に縮み上がる。
彼からしたら、仕事をしているだけなのに、こんな風に八つ当たりをされたのでは迷惑きわまりないが、それを止める者はいない。
こんな状態のせいで、しょっちゅう伝令をする者は変わる。
しかし、それに配慮する気のないシグダードは、震え上がる男を睨みつけ、怒りを露わにした。
「ふざけるな……何を……」
両国が建国したときから犬猿の仲なのに、今さら和平など、何を言っているのかと苛立つばかりだ。
新しいグラスの王は馬鹿なのかと思ったが、フィズのことを思い出すと、それも何かの策略かもしれないと思い直した。こちらにスパイを送り、和平を持ちかけて、何か企んでいるのだろう。
「和平など有り得ない。そう伝えろ」
「お待ちください。陛下」
謁見の間に控える大臣達の中から、最も煌びやかな姿をした初老の男が歩み出る。白い髪に骨張った体をしたその男は、リーイックの叔父で、元老院の中で最有力貴族の男、イルジファルア。シグダードにとって、最も扱いにくい者だ。
イルジファルアは、シグダードに向かってわざとらしい仕草で軽く頭を下げた。
ますます苛立つが、彼を相手に、先ほどと同じことはできない。
シグダードは、イルジファルアを睨みつけ、できるだけ怒りを抑えて口を開いた。
「待てとはどういう意味だ……イルジファルア……」
「陛下、その話、一度聞かれてみてはいかがです?」
「貴方はこのような妄言を聞けと言うのか!? こちらの油断を誘うためのグラスの謀略に乗れと!?」
「謀略と決めつけるのは早急でしょう。グラスとて、なんの対価の提示もせずそんなことは言い出すまい」
そう言ってイルジファルアは、伝令の男に振り向く。
「グラスからは誰が来る?」
「は、はい……あ、あちらが遣わしたいと言っているのは、キザラギ・ギア……」
それを聞いて、シグダードはますます訝った。
「キザラギ? 前王の寵臣ではないか。なぜそんな奴を……」
「こちらに門を開かせるためでしょう」
イルジファルアはそう言って、シグダードに嘲るような目を向けてくる。
確かに、遣いが相手の国の重要人物なのは、こちらに対する敬意なのかもしれないが、相手はグラスだ。そう簡単に城門など開けない。
するとイルジファルアはさらに続けた。
「陛下、もしかしたら地下牢の捕虜……いえ、あなたの寵姫を返して欲しいとの申し出もあるのでは? これを期に、あの男が国境の森の中にいた理由も問いただしてはいかがです? あの男は、ヘザパスタの拷問に耐えているそうではないですか」
ヘザパスタの名前を聞いて、周囲がざわつく。
シグダードが再び、ヘザパスタに拷問を許可したという話は、皆にとって恐怖であるとともに、そんなものを復活させたシグダードへの不信を誘う原因になっていた。
ざわつく広間で、イルジファルアはほくそ笑んでいるように見えた。
「陛下、ヘザパスタに聞き出せないなら、もうこちらには打つ手がありません。私たちも、敵国の者が城をうろついていたなど、恐ろしくて恐ろしくて…………私は、早くあれの真意を知りとうございます」
わざとらしく怯えてみせるイルジファルアに、くだらない演技はやめろと言いたくなる。しかし、最有力貴族を無碍には扱えない。
グラスから来たフィズに、城の中を歩かせていたことも事実だ。敵国の人間が城の中を悠々と歩き回っていたことには、城にいる大抵の者が不安と不信を抱いている。
大臣の一人が言った。
「……陛下。私は、イルジファルア様に賛成いたします……長く続く隣国とのいがみ合いには、誰もが疲れ果てております……陛下のグラス嫌いは存じておりますが、グラスの王は代替わりしたとのこと。王が変われば、国も変わります」
その意見を皮きりに、次々に賛意が表される。
彼らに促され、シグダードは頷くしかなかった。
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