上 下
24 / 290
chap2.消えていく思い出

24.帰れない場所

しおりを挟む

 シグダードは、隣を歩くフィズの横顔を、足を止めずにうかがった。
 彼は目を伏せ、暗く沈んだ顔をしている。

 さっきフィズが泣き出した時は焦った。フィズには泣いて欲しくなかった。彼の泣き顔は見たくない。
 今はもう愛しているかも分からないのに、彼を手放したくないなんて、自分はいつからこんなにわがままになったのだろう。
 フィズには辛い思いをさせていると分かっているのに、そばで笑っていて欲しかった。

 しばらく行くと、湖が見えてくる。フィズが木立の向こうに見える水面を指さした。

「あ……湖、見えてきましたね」

 あそこまで行けば、鳥に乗って城に帰ることができる。しかし、帰る前に伝えたいことがあった。

「フィズ」

 シグダードは、走り出そうとするフィズの手を捕まえた。
 彼が不思議そうな顔で振り向く。

「シグ?」
「その……無理を言ってすまない……」
「……気にしないでください……」

 フィズはそう言って、無理やり作った笑顔を見せる。その青い目は、剣を振り回していた時には考えられない弱さをはらんでいた。

 彼が、今にも消えそうなくらい儚く見えて、胸が熱くなる。
 当分、彼を放してやれそうにない。

 彼に夢中になっていたら、一瞬、敵の攻撃に対する反応が遅れた。

 その隙をついて、くさむらから飛び出してきた狼が、シグダードの腕に食いついた。

「シグ!」

 フィズが剣を抜くが、もう遅い。飛び出してきた狼達に、シグダードは肩と足をやられてしまう。激痛に声もなくその場にひざを突いた。

 フィズの剣が野獣を切り裂く。彼は、シグダードを背に庇うように立っていた。

 しかし、相手は多数だ。勝ち目がない。シグダードとフィズは、すぐに四つの尾を持つ狼たちに囲まれてしまった。

「逃がさないよ」

 群れの後ろから、タトキが歩み出てくる。獲物は逃がしたことがないというだけある。このままでは二人とも、食われるだけだ。

「フィ……ズ……」

 彼だけでも逃がしたくて、声をかけようとするが、それすらもできそうにない。食いつかれた体からは、血が流れ続けている。激痛に苛まれ、もう動けそうにない。

 狼たちが一斉に襲いかかってくる。体のあちこちに噛みつかれながらも、フィズは、シグダードに狼の牙が向かわないように、必死に抵抗していた。

「フィズ……もう……いい……逃げろ……」

 消えそうな声で言っても、彼には聞こえないのか、それとも聞く気がないのか、フィズは、シグダードのそばを離れなかった。

 その後ろ姿に、異様なものを感じた。フィズが噛みつかれたところから流れる血には、色がなかった。

「フィ……ズ……?」

 無色の血──それを見た時、シグダードは、体の中に冷たいものが広がっていく気がした。

 いや、そんなはずはないと、浮かんだ嫌な推測を打ち消そうとする。フィズがそんなものなはずがない。

 フィズの猛反撃にひるんだ狼達が、一旦飛びかかるのをやめた。数で押せば勝てるとはいえ、狼達も生物だ。自分が殺されるかも知れないと悟れば、後込みしてしまうのだろう。

 彼らが飛びかかるのをやめた隙に、フィズは剣先を自分の首もとに向ける。

 突然の行動に、タトキは、訝しげな目をしていた。

「何のまね?」
「タトキ……私には奥の手があるんですよ」

 フィズは、場に似合わない落ち着き払った様子で答えている。そしてシグダードに振り向いた。彼は、シグダードの目をまっすぐ見ていた。

 シグダードは、フィズが彼自身を犠牲にしてでも自分を守ろうとしているのだと思った。後で考えれば、ある意味、本当にそういうつもりだったのかもしれない。

 彼は、小さな声で囁いた。

「シグ……ごめんなさい……」
「フィズ……? まさか……」

 シグダードが言葉を続けるより早く、フィズは、タトキに向き直り、高らかに宣言した。

「タトキ! 退いてください! さもないと、私はこの場で自爆します!」
「……は?」

 タトキが間の抜けたの声をあげる。彼にはその意味が分からないのだろう。

 けれど、フィズはさらに続けた。

「私は……雷魔族です!」
「なっ……!」

 タトキの驚愕の声が響く。

 一方シグダードは、自分の嫌な推測が当たってしまった絶望に、言葉もでない。

 知ってしまった事実に、シグダードの中のフィズへの感情が、瓦解の音を立てて変形していく。

 フィズは、かつてシグダードの母を殺し、父を壊した雷魔族と同じ種族だった。

 言葉だけなら信じなかったかも知れないが、彼の傷口からは魔族特有の血が流れている。他の種族にはあり得ない、無色透明な血が。

 フィズは、シグダードの前に立って、さらに続けた。

「タトキ……退かないのなら、今この場ですべての魔力を爆発させますよ」
「……ちっ……! 退くぞ!」

 タトキの号令を聞いて、狐妖狼達は森の中へ退いていく。血を流すフィズと、渦巻く黒い感情に沈んでいくシグダードを残して。







 二人だけになり、シグダードは、血まみれのまま、フィズにゆっくりと近づいた。

「フィズ……お前……」
「シグ……その……私は……」
「──っ!!」

 自分が大怪我をしていることも忘れて、シグダードは、哀しい目をするフィズにつかみかかる。

「フィズ……お前……ま、魔族……」
「はい……」

 フィズは、顔を伏せた。

 その態度を見て頭に血が上ったシグダードは、彼の襟元を掴む手に力を入れる。

「フィズ! 貴様! なぜ……なぜ……」

 問い詰める声は、怒りに震えていた。吐く息は荒々しく、途切れ途切れになっていた。最大の憤怒というものは、息をすることすら難しくするらしい。

 また、雷魔族が自分を弄びにきた。母を奪い、父を絶望させた雷魔族が、今度は自分を狙ってきたと思うと、シグダードは、今にもフィズの首を切り落としたい衝動に駆られた。

 これまでフィズとすごした時間を忘れていたら、そうしただろう。初めからそうだと知っていれば、最大の苦痛を与えながら殺してやったのに、今まで何も知らず、そうしなかった自分すら腹立たしい。

 フィズは、シグダードに追い縋るように喚いた。

「シグ! 落ち着いてください!」
「落ち着け? またお前達が私の前に現れたのに? 今度は何をする気だ!!」
「シグ! 違います! 私は何もする気はありません!!」
「ならばなぜここに来た!?」
「それは……」
「何をしに来た!?」
「な、何もする気はありません!」
「ふざけるなぁ!!」

 逆上したシグダードは、フィズを殴りつける。倒れ込む彼に馬乗りになると、フィズは哀しい目のままシグダードを見上げていた。

 そんな目が、ますます腹立たしい。

「何もする気はない!? そんな戯言に騙されるか!」
「本当です! 私は……何もする気はありません!」
「このっ……!」

 どれだけ殴っても、フィズは「何もする気はない」と繰り返すばかりだった。らちがあかないと感じたシグダードは、彼の鳩尾を打って気絶させた。

「城に帰ったら……何をしてでも聞き出してやる……」

 ぐったりしたフィズを担ぎ上げると、初めて彼を担いだ時と同じように軽かった。

 なぜ初めて会った時に気づかなかったのだろう。あの時、彼の体を濡らしていたのは、汗などではなく、色のない魔族の血だったのに。

 愛してくれたと思ったのに。そばにいたいと思ったのに。

 フィズがしてきたことすべてが、自分を騙すためだったように思えてくる。

 一度は愛したはずなのに、その過去すら憎くてたまらない。
 せめて愛さなければ、こんなにも憎むことはなかったのかもしれない。

 しかし、もう遅い。

 シグダードは、初めて彼に会った湖のほとりを目指しながら、燃え上がる憎悪と、そばにいてほしいと思った恋人を永遠に失った哀しみに縛られていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

何を間違った?【完結済】

maruko
恋愛
私は長年の婚約者に婚約破棄を言い渡す。 彼女とは1年前から連絡が途絶えてしまっていた。 今真実を聞いて⋯⋯。 愚かな私の後悔の話 ※作者の妄想の産物です 他サイトでも投稿しております

悪役令息に転生したら、王太子に即ハメされまして……

ラフレシア
BL
 王太子に即ハメされまして……

巨根騎士に溺愛されて……

ラフレシア
BL
 巨根騎士に溺愛されて……

ゆい
BL
涙が落ちる。 涙は彼に届くことはない。 彼を想うことは、これでやめよう。 何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。 僕は、その場から音を立てずに立ち去った。 僕はアシェル=オルスト。 侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。 彼には、他に愛する人がいた。 世界観は、【夜空と暁と】と同じです。 アルサス達がでます。 【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。 随時更新です。

立派な王太子妃~妃の幸せは誰が考えるのか~

矢野りと
恋愛
ある日王太子妃は夫である王太子の不貞の現場を目撃してしまう。愛している夫の裏切りに傷つきながらも、やり直したいと周りに助言を求めるが‥‥。 隠れて不貞を続ける夫を見続けていくうちに壊れていく妻。 周りが気づいた時は何もかも手遅れだった…。 ※設定はゆるいです。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?

【完結】婚約破棄したのに幼馴染の執着がちょっと尋常じゃなかった。

天城
BL
子供の頃、天使のように可愛かった第三王子のハロルド。しかし今は令嬢達に熱い視線を向けられる美青年に成長していた。 成績優秀、眉目秀麗、騎士団の演習では負けなしの完璧な王子の姿が今のハロルドの現実だった。 まだ少女のように可愛かったころに求婚され、婚約した幼馴染のギルバートに申し訳なくなったハロルドは、婚約破棄を決意する。 黒髪黒目の無口な幼馴染(攻め)×金髪青瞳美形第三王子(受け)。前後編の2話完結。番外編を不定期更新中。

側近候補を外されて覚醒したら旦那ができた話をしよう。

とうや
BL
【6/10最終話です】 「お前を側近候補から外す。良くない噂がたっているし、正直鬱陶しいんだ」 王太子殿下のために10年捧げてきた生活だった。側近候補から外され、公爵家を除籍された。死のうと思った時に思い出したのは、ふわっとした前世の記憶。 あれ?俺ってあいつに尽くして尽くして、自分のための努力ってした事あったっけ?! 自分のために努力して、自分のために生きていく。そう決めたら友達がいっぱいできた。親友もできた。すぐ旦那になったけど。 ***********************   ATTENTION *********************** ※オリジンシリーズ、魔王シリーズとは世界線が違います。単発の短い話です。『新居に旦那の幼馴染〜』と多分同じ世界線です。 ※朝6時くらいに更新です。

処理中です...