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chap1.押し付けられた恋心
13.奇妙な贈り物
しおりを挟むフィズが窓を開けると、朝の気持ちのいい風が入り込んできた。前に倒れた時とは違い、今日は暑さも和らいでいる。爽やかな秋晴れの朝だった。
「おはよおー……フィズー……」
のそのそと布団から出てくるルイは、まだ寝ぼけたような顔をしている。冷たい水で冷やしたタオルを顔にあててやると、彼は気持ちよさそうに笑った。
銀竜に襲われた後、体調が戻ったフィズは、新しい部屋に移された。前にいた塔の部屋よりずっと広く、居心地もいい。快適とまでは言い難いが、狭い部屋で怯えきっていた時より、ずっとリラックスできた。
ベッドの布団やシーツを整えていると、ノックの音がした。この時間にここにくるのはリーイックだ。
「リーイックさん、おはようございます。どうぞ」
フィズが入ってくるように促すと、ルイより数倍気だるげな顔をしたリーイックが入ってくる。彼も朝は苦手のようだ。
「リーイックさん、おはようございます」
「ああ」
適当な返事をするリーイックに、まだ半分寝ているような顔のルイが、どこか偉そうに、咎めるように言う。
「ああ、じゃないよー、リー。ちゃんと朝の挨拶しようよ」
「そんなもの、あってもなくても変わりないだろう。フィズ、体の具合はどうだ?」
彼はいつもこうして、フィズの体の具合を確認しに来てくれる。
「大丈夫です。特に……悪いところはないと思います」
フィズが答えると、リーイックは「そうか……」と言って、だるそうにベッドわきの椅子に腰掛ける。
早朝からこんなところまで足を運ばせ、毎日フィズの体調を気遣ってくれる彼に、ひどく悪いことをしているような気がした。
「あの……私はもう大丈夫ですから、毎日こなくてもいいですよ」
フィズがそう言っても、リーイックは首を横に振る。
「お前がよくても、陛下がいいと言うまでは続けることになっている」
「でしたら陛下に、私はもう大丈夫とお伝えください」
「そう言っても聞かん」
「あ……」
「よほどお前が心配らしいな」
「……そうですか……」
そんなに心配をかけていることに申し訳なさでいっぱいになる。
銀竜に襲われ、重傷を負いながらも自分を守り、心配してくれることは率直に嬉しい。感謝など言葉では言い表せないほどだ。
だが、それは押し付けられた恋心のせいだ。
そう考えると、自分が極悪の詐欺師のように思えた。シグダードはそのせいで、命までおとしかねない怪我をしたのだ。
「あの……陛下は……いつ元に戻るんですか?」
「まだしばらくはかかる」
「……」
「お前が気に病むことはない。お前は巻き込まれただけだ」
「……はい」
返事をしながらも、やはり胸は痛む。せめて元に戻るまで、もうシグダードには、苦しい思いはしないで欲しかった。
フィズが思い悩んでいると、思考を砕くようにノックの音が響いく。
「失礼します。フィズ様」
この声はトグハだ。フィズがこの部屋をあてがわれた時から仕えてくれている宦官で、フィズの身の回りのことは、ほとんど彼が世話してくれている。
「陛下より贈り物をお預かりして参りました。このようなお時間にお部屋を訪問致します無礼は重々承知しておりますが、お品が痛んでしまいますので、どうか入室の」
「あの……それ、もういいので、入ってきてください……」
この国の入室の挨拶だけは、どうにも慣れることができない。目上の人の部屋に入るときにするらしいが、正直、意味があるようには思えない。終わるまで待っていられなくてつい遮ってしまったが、トグハは気を悪くした様子もなく、いつものように無表情で入ってきた。
彼に向かって、リーイックが問いかける。
「それは陛下が禁止しなかったか?」
「はい。陛下に対しては禁止です。フィズ様に対しては禁止されておりませんので」
リーイックの問いかけに答えながら、トグハは持ってきた透明な瓶をテーブルにおき、中の液体をコップにつぐ。
それを眺めながら、リーイックは、今度はフィズに言った。
「禁止しない限りするらしいぞ。フィズ」
「あ……じゃあ、その……これからはやめてください……」
「承知しました」
トグハは恭しく頭を下げる。その従者のような態度もやめてくれと言ったのだが、それでは彼が怒られるらしい。
フィズは、どうするのが一番いいのか分からなくなってしまい、さらに、トグハが持ってきた物を見て、ますますどうしていいか分からなくなった。
「またですか……」
トグハがついだのはいつもと同じ、水だった。
シグダードは、毎日水を贈り物にしてくる。最初のうちは、まさかただの水を贈り物にするような王はいないだろう、何か秘密があるのか、と思っていた。しかし、リーイックに聞いたところ、本当にただの水らしい。
「あの……また水ですか?」
フィズが聞くと、トグハは振り向きもせずに答える。
「はい。では失礼します」
素っ気なく言って、トグハは出て行った。
贈り物の水を眺めて、フィズは今度はリーイックに聞いてみた。
「リーイックさん、なんで水なんでしょう?」
「俺に聞くな」
「キラフィリュイザの風習ですか?」
「そんな風習は聞いたことがないな」
「え……と……どういう意味なんでしょう……」
「知らん。陛下に聞け」
「でも……私はここから出られないし……」
「陛下から多少の外出はしていいと許可が下りた」
「本当ですか! ありがとうございます! リーイックさん!」
「なぜ俺に言う? 外出を希望したのはお前で、許可したのは陛下だ。俺は伝言役になっただけだ」
「そ、そうですけど……」
「ほら、早く行ってこい」
「はい! ありがとうございます! 行こう! ルイ!」
フィズは、思いがけない許可に心を踊らせながら、ルイをつれて外にでた。
中庭にでると、秋口の心地よい空気が迎えてくれた。
さわさわと風に草木が揺れている。明るくなりたての空には雲一つなく、秋の太陽が優しく輝いていた。
「フィズ、どこへ行くの?」
フィズの隣に並んで飛ぶルイは、飛びながら器用に体をのばす運動をしている。
フィズは少し気恥ずかしくて、彼とは目を合わせないよう俯いて答えた。
「陛下にお礼を言いに……」
「えー! 何で!? 行かなくていいよ! そんなの!」
ルイは、シグダードのことになると、いつも過剰に反応する。自分を撃ち落とした人間のことが気に入らないのは分かるが、たまに異常さすら感じる程だった。
フィズは、戸惑いながら続けた。
「でも……せっかく贈り物してくれたんだし……」
「ただの水じゃん」
「その意味も聞きたいから……」
「うー……でもまだ寝てるんじゃない?」
「あ……そうか……」
確かにまだ夜が明けて幾分もたっていない。リーイックやトグハのように、フィズの生活リズムに合わせて行動している人はともかく、普通ならまだ寝ているだろう。
ルイはフィズが同意したのを聞いて、声を張り上げた。
「だから戻ろ!!!」
「でも……」
フィズが悩んでいると、庭の入り口の方から誰かが手を振りながら近づいてくる。前に医務室で会った、近衛隊長のバルジッカだ。
「おう! フィズじゃねーか。何やってんだ? こんな所で」
「あ、えっと……バ、バルジッカさん……」
「はは、バルでいいぜ。俺もフィズって呼ぶからよ」
彼は朝から元気だ。近衛隊長ともなれば、朝は弱いなどとは言っていられないのだろう。こんなところを一人でふらふら歩いていることは不思議だが。
「で、何してんだ?」
「その……陛下にお会いしたいと……」
「シグに? あー……それは難しいかもな……」
「え?」
「あいつ、まだ寝てるし、あいつに会うには時間を決めて謁見の許可をとらなきゃならねえ。それにお前は捕虜ってことになってるから許可は下りねえだろうな」
「そうですか……」
バルジッカの言葉を聞いて、さっきまでフィズの陰に隠れていたルイが飛び出してくる。
「さあ! 諦めて帰ろう!」
フィズは焦った。ルイは金竜だ。この国では忌み嫌われる存在なのだ。ここにいることが露呈すれば殺されるかもしれない。
「ル、ルイ!」
必死に隠そうとしてももう遅い。
バルジッカは、ルイの方をまじまじと見て、ため息をついた。
「それは……」
「あ、こ、これは……その……だから……」
「金竜か……」
「ご、ごめんなさい! その……ル、ルイは友達で……」
「あせんなよ。秘密にしといてやる。シグには見せるなよ」
まさかそんな言葉が聞けるとは思わなくて、安心するとともに感動してしまう。すぐに捕らえられると思ったのに。
「バル……」
「シグに言っといてやるよ。フィズが会いたがってたってな。あいつからなら会いに来れるからな」
「ありがとう! バル!」
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