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chap1.押し付けられた恋心

10.的外れな伝言ゲーム

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 寝所に戻ったシグダードは、なんとか頭を冷やそうと、布団をかぶっていた。

 部屋の中には自分以外誰もいない。静かな部屋に一人でいると、さっきのフィズのいやらしい姿ばかり思い出してしまう。

 フィズは一体どういうつもりなのだろう。あれだけ嫌がっていたくせに、急に誘ってきた。

 ライチは手渡すつもりだったのに、指ごとくわえてきた。そういうことは恋人同士がすることなのに。
 その後は果汁でベタベタに汚れた手をいやらしい音を立てて舐めだすわ、何かを連想させるようなパンをそのまま咥えてみせるわ、もうわざとやっているようにしか思えない。
 しかも、初めてみせる笑顔で「好きです……」と言われ、内心焦っていた時にだ。
 その後は、「こんなに固いのは初めて」とか、「いれてもらえませんか?」とか、淫らなことしか連想できないようなことばかり言いだした。
 しまいには、白濁した液体を頭からかぶるという卑猥なことをしてみせた。

 誘われたのなら、応じた方がよかったのだろうか。もちろん、フィズがそうしたいと言うならそうしていた。

 しかし、簡単にはいかない。怪我の問題ではなくて、気持ちの問題だ。

 なにしろ、前にしようとしたときは、散々泣かれた。その後は、シグダードを見ただけで怯えてしまい、話もまともにできなかった。

 フィズが誘ってくれるならそうしたい。しかし、万が一違ったら、また泣かれて怯えられるかもしれない。それは嫌だった。

 どうしたものか、一人で考えていても、答えはでそうにない。

 仕方なく、扉の向こうに控えているはずの近衛隊長を呼ぶ。自称恋愛の達人なら、相談くらいできるだろう。

「バル! 入ってこい! 話がある」

 しかし、バルジッカは扉の向こうで言った。

「ここにか? お前なあ! ここ、寝所だぞ!」
「私がいいといっているんだ! 早くしろ!」

 怒鳴りつけると、彼はしぶしぶ入ってくる。

 ここに自分がいるときに、緊急時以外で他人を入れるのは初めてだ。後宮は即位したときに廃止したし、今まで后がいたこともない。部屋を整える女官以外をこの部屋に入れたことなどないのに、初めてそれ以外で寝所に入れるのが、幼なじみの近衛隊長というのはなんだか不満だが、今はそんなことより、フィズのことを相談したい。

「お前な、こんなとこに俺を入れて、変な噂が立っても知らないぞ」

 そう言いながら入ってきたバルジッカは、物珍しそうに辺りを見回している。下流貴族の生まれである彼には、王族の寝所など、初めて見る物で溢れているのだろう。

 きょろきょろしている彼をそばに呼んで、寝台に座れと命じる。彼は躊躇ったが、なるべく近くで話したかった。

「フィズが誘ってきた」
「フィズが? よかったじゃねえか!」
「いや……それが……よく分からない」

 シグダードが、さっき医務室であったことを話すと、バルジッカはしたり顔で顎に手をやる。

「それはな、試されてるんだよ」
「試されてる?」
「そうだ! どう考えても誘ってるとしか思えない状況でも、自分が嫌がればやめてくれるか、試してるんだよ!」
「なぜフィズがそんなことをするんだ?」
「自分の気持ちを最優先にしてくれるか知りてえんだよ」
「……それなら私は誘われてもずっと我慢しなくてはならないのか?」
「バーカ。それじゃ、相手に主導権を握られちまうだろ。こういうのは駆け引きよ!」
「……」

 確かに、恋愛には駆け引きが必要と聞いたことがある。誰から聞いたのかは覚えていないが。

 しかし、王族である自分が恋愛などというものを経験するとは思わなかったので、駆け引きと言われても、どうしていいのか分からない。

 仕方なく、一番聞きやすいバルジッカに聞くことになる。

「……どうすればいい?」
「はは。しょーがねーな。これだから恋愛初心者は。この恋人が星の数ほどいるバル様が教えてやるよ」

 彼の場合、恋人が星の数、というのは、星の数ほどふられている、という意味だ。あまり自慢げに言うことではないような気がするが、そのあたりを指摘すると、「あれはあいつが悪い」だの、「ふられてやった」だのという聞き苦しい言い訳を、こちらが同意するまで聞かされる羽目になるので、黙っておく。

 バルジッカが、シグダードの顎に手を当ててくる。

「フィズ……いけない子だ。その気もないのに誘うなんて」
「……」

 やはり、やめておけばよかった。
 これと同じように自分がフィズに言えば、笑われるか、しらけた顔で呆れられるかどちらかだ。

 それなのにバルジッカはなおも続ける。

「今、私がどれだけお前を欲しいと思っているか分かるか?」
「……バル。やっぱりいい。もうやめろ」

 もう時間の無駄にしかならないことを続けるのはごめんだ。シグダードは、彼の体を押しのけようとするが、怪我をした腕では力が入らない。

 するとバルジッカは、シグダードの長い髪に触れてきた。

「この美しい髪が……」
「おい、バル……いい加減に」
「美しい肌が……」

 寝所に戻ったときに適当にまとった寝衣から見える肌に、指で線をかかれると、背筋がぞっとした。

「おい! やめろ!」
「美しい唇が私を惹きつける」
「バル! もういい! やめろ!」

 唇にまで同じように指で触れられると、さすがに身の危険を感じた。

 振り払おうとしたが、バルジッカがシグダードの手首を掴む手はびくともしない。

「逃げないでくれ。フィズ……」
「おいっ……はなせ!」

 バルジッカは、自分の世界に入りすぎているのか、全くシグダードの制止を聞かない。それどころか、シグダードをベッドに押し倒した。

「愛してる」
「バル! はなせ! 私は怪我人だぞ! ──っっ!!」

 両手首を抑える彼の拘束から逃れようとするが、動くたびに全身が痛むのでは、本来の力など出せない。
 バルジッカには、シグダードの制止の声が聞こえていないのか、さらに続けた。

「安心しろ。愛しいお前に痛い思いはさせない」
「は!?」
「気持ちよくしてやるから……」
「────っっ!! はなせ! バル! やめ……やめろ!」

 そこまで教えてくれと頼んだ覚えはないし、この先まで体で学習なんて冗談にもならない。
 しかし、シグダードにはどうすることもできないし、本来、王を守るはずの近衛隊長に襲われたのではどうしようもない。

「フィズ……恥じらうお前も素敵だ……」
「ふざけるな! おりろ!」

 寝台の上で無力な抵抗を繰り返していると、扉の向こうから人の声がした。

「失礼します。陛下」

 シグダードは、助けが来たと思って、扉に向かって叫んだ。

「誰だ!? 早く入ってこいっっ!!」
「陛下、リーイックです。傷の様子を見せていただきたいので、無礼を承知で入室の許可を」
「そんなこと、どうでもいいから入ってこいっっ!!」

 こんな状況でも、長々とした入室の挨拶をしているのは、それが礼儀ではなく、形式化した無用な物に成り下がった証拠だ。
 今後絶対禁止すると決意しながら、悲痛と言ってもいいくらいの声音で叫ぶと、冷めた顔をしたリーイックが入ってきた。

 シグダードは、リーイックに向かって叫んだ。

「リーイック! この男をなんとかしろ!」

 けれどリーイックは、明らかに人が襲われているというのに、焦ることも驚くこともせず注射器を取り出す。その間にも、未だに演技を続けるバルジッカが、シグダードに迫ってくる。

 それでもリーイックは、いつもの冷めた顔で、平然と採血を始めようとしていた。

「陛下、左腕をだしてください」
「リーイック! 今すぐ」
「陛下、私は医術士です。傷病の治療が私の仕事です。あなたの警護はあなたの上にのっているその男の仕事ですから、御命令はその男になさってください」
「は!? お前っ……!!」

 確かにリーイックは医術士で、王の警護はバルジッカの仕事だ。しかし、今はそんなことを言っている場合ではないはずだ。

 何しろ、もうすでに寝衣ははだけられ、体の包帯を考慮に入れなければ、ほとんど裸の状態だ。

「こんなときに他の男の名前をだすなんて……お仕置きだ!」
「おい! いい加減に──っ!! バル!!」

 何度も制止しようとするが、バルジッカは一向にシグダードを離そうとしない。

 リーイックはリーイックで、採血を終え、さっさと出て行こうとしている。シグダードが本気で「待て」と言って止めても、振り向きもしない。

「では失礼します」
「リーイック! 待て! 貴様、後でどうなるか……」
「私を罷免なさるのは結構ですが、私に代わる腕がこの世にあるとお思いですか?」
「な……」
「では失礼します」

 無情な音をたてて扉がしまる。その後でシグダードがどれだけ呼んでも扉は開かない。

「おい待てっ…………!! リーイック!」
「フィズ、キスがしたい……」

 バルジッカが、動けないシグダードに迫ってくる。逃げたくても何もできない。

「バル……まさか本気じゃ……まて……私は……」
「ねーよ。何マジになってんだ。お前」

 彼は急に、普段通りの顔になって、シグダードから離れた。

 解放されて安心するとともに、胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。決して愛情ではない何かが。

「バル……もう二度とこういうことをするな」
「お前が頼んだんだろ。俺だってやだよ。お前となんて」
「バル! さすがに今度は……」
「俺には恋人がいるんだよ。お前は、フィズのことは後にして、先に怪我を治せ。じゃあな」

 言いたいことを言い終わると、バルジッカは、シグダードの抗議も聞かず、さっさと出て行ってしまった。

 追いかけていって殴り倒してやりたい。悪ふざけがすぎる。
 なぜあんな男に、どうすればいいなどと相談してしまったのだろう。そんなことをするくらいに、フィズに溺れているなんて。

 人生の伴侶など必要ないし、むしろ邪魔だと思っていたのに、いつからだろう。フィズを側に置きたいと思ったのは。

「確か……リーイックに……栄養剤をもらった……後……?」
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