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chap1.押し付けられた恋心

8.不要な許可

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「ん……」

 フィズが目を開けると、見知らぬ白い天井が見えた。

 起き上がると、体がずいぶん軽くなっていることに気づいた。朝の重たい疲労感が嘘のようだ。
 周りを見渡すと、そこは、いくつもベッドが並んだ部屋で、その一つにフィズは寝かされていたようだ。
 フィズに背を向けて、いくつもの薬品瓶を片づけている人がいる。後ろを向いていても、着ている白衣と白い髪ですぐに分かった。リーイックだ。

「リーイックさん」

 呼びかけると、彼はすぐに振り向いてくれた。

「起きたか」

 リーイックが、水差しから水をくんで渡してくれる。
 冷たい水を喉に流し込むと、寝起きの体がすっきりした。

「……私は、どうしたんですか?」
「熱中症だな」
「え?」
「体力のないときにあんな暑い中を歩くからだ」
「熱中症……」
「しばらく休んでいろ」
「はい……」
「体の調子はどうだ?」
「え? あ、だ、だいぶ楽です」
「そうか……」

 額に手を当てられ、熱を測られると、この国にきて初めて、自分を心配してもらえたようで嬉しかった。

「あまり無茶をするなよ。俺の仕事が増える」
「はい……」

 仕事が増えることが嫌なのか、フィズを心配してくれているのか分からなかったが、後者にしておいた。素っ気ない態度だが、あの怖いシグダードより、彼の方がずっと話しやすい。

「あの……ぎ」
「フィぃぃぃぃぃぃズぅぅぅぅぅぅぅっっ!!」

 天井をぶち抜いてしまいそうな悲鳴じみた声をあげて、ルイが部屋に飛び込んでくる。途中、リーイックを思いっきり弾き飛ばしているが、ルイは全く気にとめていない。フィズの顔を両翼で抱きしめてくる。

「よかったよぉぉぉっっ!! 無事で!! 倒れたって聞いて心配したよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」
「ル、ルイ……落ち着いて……」

 よほど心配していたらしいルイは、しばらくフィズから離れそうになかった。フィズにへばりついたまま、頬に顔をすり付けてくる。

「怪我してない? 大丈夫?」
「うん。大丈夫みたい」

 フィズがそう答えても、ルイは安心していないようだ。

 すると、ルイにぶつかられたリーイックが、ルイを睨みつけながら振り向いた。

「何が、怪我してない? だ。そいつは銀竜を目の前にして、陛下の腕の中で寝ていたんだ。怪我をしたのは陛下の方だ」
「え? あ、へ、陛下が怪我を?」

 フィズが聞くと、リーイックは頷いて答えた。

「兵達が駆けつけたときは満身創痍の状態だったらしい。今は寝所で休んでいる」

 どうやら気を失う前に見た赤い血は、シグダードのものだったようだ。フィズの体には傷一つない。銀竜に襲われたのに、全くの無傷だなんて奇跡に近い。

 「離れるな」と言って自分を後ろにかばったシグダードの姿が思い出された。彼は無事なのだろうか。

「だ、大丈夫なんですか?」
「しばらくは動けないだろうな」
「そんな……」

 まさか、そんな状態になってまで自分を守ってくれたのだろうか。なぜだろう。愛しているからだろうか。ますます分からなくなってしまう。会ったばかりなのに、なぜそこまで想えるのだろう。

 けれど、ルイは、何やらむくれた様子で言った。

「フィズは気にしなくていいよ。王様が勝手にやったんだから!」
「ルイ……そんなわけにはいかないよ……だって、陛下は私のことが……す、好きだからしてくれたわけで……」
「いいの! 変な薬飲んでそうなってるだけなんだから!!」
「え? く、薬?」
「リーイックがやったー」

 ルイは、まるで告げ口をするように、口元に羽を当てて、もう片方の羽でリーイックを指す。

 リーイックが面倒くさそうに「よけいなことを言うな」とルイを睨んでいる様子を見ると、ルイの言っていることは本当なのだろう。

「薬ってなんですか? リーイックさん」
「さあな」
「お、教えてください! お願いします!」

 あまり効果があるとは思えない懇願の言葉だったが、意外にも簡単にリーイックはおれてくれた。

 彼は、大きなため息をつくと、シグダードが薬を飲んだことを話してくれる。

 それを聞いたフィズは焦った。リーイックがシグダードに、フィズを愛する薬を飲ませていたなんて、全く知らなかった。

「そんな……困ります! 陛下を元に戻してください!」
「いいのか?」
「え?」
「陛下が元に戻れば、お前は拷問されて死ぬだけだ」
「あ、だ、だってそれは、私がグラスの人間だと思われているからで……は、話せば分かってくれます!」
「無理な話だな。大人しく妻になっていろ。悪い話じゃないだろう」
「でも……陛下だって、そんな風に人を好きになるのは嫌だろうし……わ、私のために怪我までして……そんなの……操られてるみたいでかわいそうです!!」

 フィズが叫ぶと、ルイが横でフィズに同調してくれる。

「そーだそーだ、王様を元に戻せー」

 しかし、リーイックはこめかみに手を当てながら目をそらすばかりで、聞いてくれない。

「……リーイックさん、どうしてもダメですか?」
「そうは言っていない。戻してやってもいい」
「え? いいんですか?」

 またリーイックは、意外にも簡単に折れる。
 ルイも「なんだよ。気前いいじゃん。意外ー」と言って、驚いていたが、リーイックは、平然と言った。

「薬を飲ませることは頼まれた。だからそうした。その後のことまでは保証していない」
「あ……そ、そうなんですか……」

 なんだか詐欺みたいな理屈に少し怖くなってしまうが、シグダードを元に戻してもらえるなら気にしないことにしよう。

 リーイックは、ため息をついて続けた。

「だが、しばらく時間がかかる。元に戻す薬ができるまでは我慢しろ」
「う……わ、分かりました……」
「それと、死ぬ準備もしておけ」
「嫌です!」
「ワガママがすぎるぞ。陛下を戻さず妻になるか、戻して死ぬか、二つに一つだ」
「何でこの国の人って無茶な選択ばっかりせまるんですか!! 何とかしてください!!」
「なぜお前は俺にはそんなに強気なんだ?」
「え? は、話をそらさないでください!」
「だったら今逃げたらどうだ? 今、陛下は動けない。ルイがいれば逃げられるだろう?」

 リーイックがルイを指さすが、ルイは首を横に振って口をとがらせる。

「無理だよー。ボク、王様に撃ち落とされたせいで、回復するまではフィズを乗せて飛んだりできないもん」
「なら諦めろ」

 リーイックはあっさりそう言うが、そんなに簡単に諦められるはずがない。

「嫌です! なんとかしてください!」
「他人に頼りすぎだ」
「いいんです! なんとかしてください!」

 フィズが言うと、ルイも「そーだ、なんとかしろー」と言ってくれて、二人がかりで延々「なんとかしろ」を繰り返した。

 リーイックは、しぶしぶといった様子で口を開く。

「分かった。ルイが回復したら陛下を元に戻す。そのときにしばらく眠っているように細工する。それなら逃げられるだろう? ルイ」
「やったー!! 物わかりいいじゃん!!」
「二人して騒がれたのではたまらん」

 それを聞いて、フィズもお礼を言った。

「ありがとうございます! リーイックさん!」
「礼はいらん。いいからしばらく寝ていろ」

 そう言って、リーイックは適当にフィズに布団を掛け、部屋から出ていこうとする。

 フィズは、慌てて彼を止めた。

「待ってください!」
「今度はなんだ?」
「あの……お腹すいてて……」
「分かった。何か運ばせる」

 面倒くさそうだが、リーイックはフィズの呼びかけにちゃんと答えてくれて、要求にも応じてくれる。そんな彼には、いつもホッとさせられてしまう。
 さっき聞かれた「なぜ俺には強気なんだ?」という問いの答えは、「こういうところが落ち着くから」だろう。

 薬のことも、迷惑きわまりないが、リーイックがそうしなければ、フィズは今頃、ベッドの上ではなく棺桶の中にいたかもしれない。

 リーイックは振り向いて、ルイを呼んだ。

「ルイ、来い。少し話がある」
「えー、やだー。フィズといる!」

 ルイはフィズにくっついて離れようとしなかったが、リーイックに「大事な話だ」と言われ、しぶしぶ彼と一緒に出て行った。







 一人広い部屋に残されて、フィズは手持ち無沙汰になっていた。
 ルイもなかなか帰ってこない。暇つぶしに布団をいじっていると、キイ、と扉がきしむ音がした。

「リーイックさん? おかえりなさい」

 やっと彼が帰ってきてくれたと思って振り向くが、そこに立っていたのはシグダードだった。
 ひどい怪我だと聞いていたのに、シグダードは平然とした様子で立っている。

 フィズは、安心すると同時に怖かった。

 シグダードが無事な姿で立っていることは率直に嬉しい。自分を守るために大けがをして動けなくなったとあっては、申し訳なくて、なんと言って謝っていいか分からない。

 しかし、元気な姿で立っていられると、今度は足手まといになったことを怒られるのではないかと不安になってくる。

 そして案の定、シグダードは明らかに不愉快そうな顔で近づいてきた。

「リーイックを待っていたのか?」
「え? あ、あの……」
「なぜあの男を待っているんだ?」
「あ、その……」

 フィズが口ごもっていると、ますますシグダードは顔をしかめる。
 フィズは、恐る恐るこたえた。

「しょ、食事を頼んだので……」
「食事……そうか……」

 「食事」の一言に、なぜか安心した様子のシグダードが、気まずげに目をそらす。そしてそのまま何を言うわけでもなく、何をするわけでもなく、外を眺めている。

 一体何をしに来たのだろう。何か用事があるのだろうか。

 不思議に思っていると、怒鳴り声とともに、誰かが慌ただしく部屋に駆け込んできた。

「シグ! こんなとこにいやがったか!!」

 シグダードを怒鳴りつけて駆け寄ってくるのは、黒の短髪の三十代半ばほどのがっしりした騎士だ。
 彼は何やら苛立った様子で、シグダードの肩を掴んでいた。

「シグ! お前なあ! 勝手にいなくなるんじゃねえよ!」

 「シグ」だなんて、王に向かってずいぶん馴れ馴れしい呼び方をする男だと思った。

 けれどシグダードは、そんな彼を不敬罪に問うことはせずに、鬱陶しそうな目線を送り、肩におかれた手を振り払う。

「バル、もう来たのか」
「来たのか、じゃねえ! お前が勝手にいなくなるたびに俺は元老のジジイ共にちくちく言われんだ! おとなしく寝てろ!」
「知らん。帰れ」
「お前な! 病人だろ!」
「──っっ!!」

 もみ合っていたシグダードが急にうずくまる。ひどく苦しそうな顔で、額には脂汗を浮かべていた。

「そらみろ。そんな体でうろつくからだ。バーカ」

 バルと呼ばれた男は、とても国王にむかって使う言葉とは思えないことを言いながら、シグダードの体を持ち上げる。

 無礼極まりない行為にも、シグダードは何も言わない。いや、言えないのだろう。よほどの重傷なのか、フィズの隣のベッドにおろされても、全身で苦しそうに息をしていた。

「ほら、少し楽にしてろ」

 バルジッカが、王のまとっていた外衣を脱がせる。よけいなものを着ていない方が、体の負担にならないと判断したようだ。
 薄着になったことで、シグダードの体に巻かれた包帯が露わになる。

 それを見て、フィズもシグダードが心配になってきた。

 なにしろ、体のほとんどを包帯が覆い、所々血がにじんでいるのだから。ここまでくる間に傷口が開いたのかもしれない。

 こんな怪我をしながらも、自分を守らせてしまったようで、胸が痛かった。

 男は、フィズに振り向いた。

「お前、フィズだな? 俺はバルジッカ・ロイドハント。こいつの近衛兵だ。こいつ、しばらくここに寝かせてやってくれ」
「あ……はい……」

 フィズは、なぜ自分に許可など求めるのか分からなかったが、断る理由もないので頷いた。
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