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chap1.押し付けられた恋心

2.不本意な切り取り線

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 フィズ・クールは、冷たい感触に意識を引きずられるようにして目を覚ました。

 硬いベッドに体を横たえたまま、首だけを動かして辺りを見渡す。

 フィズがいるのは、サイドテーブル以外に家具らしいものは見当たらない、狭い部屋だった。

 フィズの顔ほどの大きさの小さな窓からは、夕日が差し込んでいる。そこには鉄格子がはめられていた。

 ついさっきまで、友達の竜の背に乗って空を飛んでいたはずなのに、地上から急に、大砲のような勢いで水が飛んできて、撃ち落とされてしまった。そして、目が覚めたら知らない部屋に寝かされている。

 それだけでも恐ろしいのに、窓には鉄格子ときた。

 まるで牢獄だ。

 恐ろしくて、布団をかぶって身を縮めてしまうのも仕方がないだろう。

「ルイ……? ……ルイ? どこ?」

 自分にしか聞こえそうにない小さな声で、友達の竜を呼ぶ。

 すると、鉄格子の間をすり抜けて、手のひらほどの大きさの竜が、フィズのもとへ飛んでくる。ルイだ。
 空を飛んでいた時に貫かれた両翼の傷は、すっかり治っている。竜の治癒力は、他種族のそれをはるかに上回ると聞いていたが、貫かれた両翼が跡形もなく治るほどだったとは驚きだった。

 ルイの無事な姿を見て、少しほっとしたフィズは、かぶっていた布団を下ろした。

「ルイ……よかった……」
「フィズも……もう大丈夫?」
「うん。私はなんともない! それより……ずいぶん小さくなっちゃったね……」
「大きいままだとこの部屋に入れないよ」

 さっきまで、フィズを乗せて飛んでいたルイは、今はまるで猫のように、布団の上でフィズを見上げていた。

 ルイは金竜だ。竜としての言語も持ちながら、他種族の言語も使うことができる上に、体の大きさも自在に変えることができる。

 小さな体でフィズを見上げるルイは、フィズと同じように安堵してはいないようだ。むしろ、怖くなるくらい緊張した面持ちで言った。

「……そんなことより、やっちゃったね。フィズ」
「…………やっちゃった? ……どういう意味?」
「まずいよって意味」
「……まずいって何が?」
「まずいところに落ちちゃった」
「ま、まずいところって……??」

 震える声でたずねながらも、フィズには、なんとなくここがどこなのか検討がついてきた。

 金竜が「まずいところ」と言う場所など、世界にいくつもあるとは思えない。強靭な肉体を持つ竜は、たとえ砂漠の真ん中に落ちたとしても、生きていくことに困難を感じることはないだろう。

 フィズは、今予想しているあの国に落ちるくらいなら、草一本生えない、誰もいない砂漠の方がましだと思った。雷魔族に支配されていたグラス国を敵視し、王家に金竜が飼われているというだけで、金竜のことすら疎ましい存在とする、あの国よりは。

「分かるでしょ?」
「そんなことより、ここからでる方法を」
「キラフィリュイザ王国」
「ああ……」

 話題を変えようとしたフィズの言葉を遮り、聞きたくない国の名前をルイは平然と告げてくる。こういうところがルイの冷たいところだ。彼は怖くはないのだろうか。

「なんでこんな所に落ちちゃったの……?」
「撃ち落とされたんだよ」
「誰に……」
「さあ?」
「……」

 フィズは、首を傾げるルイを羨ましく思ってしまいそうだった。わからない方が幸せなこともある。

 空を飛ぶ竜を撃ち落とす、そんなことは並大抵の力ではできない。というより、まず無理だ。昔、水魔族の力を譲り受け、魔法を操るようになったキラフィリュイザの王族以外には。

「起きたのか」

 唐突に、フィズのものでもルイのものでもない声がした。ルイは布団の中にさっと隠れる。

 今は小さなルイとは違い、隠れるところのないフィズが振り向くと、石のドアを開けて、一人の男が立っていた。

 しわ一つない真っ白な白衣を着て、それと同じ色の髪を後ろでまとめている。老化で髪が白くなるにはあまりに若い。その睨みつけるような視線に、つい腰が引けそうだとた。

「あ、あ、あなた……は……?」
「俺はリーイック。医術士だ」
「医術士……」

 病気や怪我を治療する者だ。彼がフィズを治療してくれたらしい。

 リーイックと名乗った彼は、ベッドのわきにあったサイドテーブルに、白衣から取り出した小瓶を並べている。彼が医術士なら、あれは薬の瓶だろう。

「お前が気を失っていた三日間、面倒をみていた」
「あ、ありがとうございます……こ、ここは……?」

 問いかける声は震えていた。返ってくるであろう嫌な答えを予想できるからだ。

 まだ希望がなくなったわけではない。

 敵対する国に墜落してしまったようだが、例えばここが国境近くの村で、リーイックが倒れていたフィズを助けてくれた親切な人だったら、お礼を言って、自分の正体がバレる前に、考えられるすべての手段を使って逃げだせばいい。

 それなのに、リーイックは最悪な答えを無表情で告げてきた。

「ここはキラフィリュイザの城だ」
「……し……ろ……」

 一気に恐怖が胸の中に広がる。

 震え上がるフィズに、リーイックは薬包紙に包まれた薬を差し出した。

「起きたなら飲め」
「……え……でも……」

 飲め、と言われて、素直に飲めるはずがない。キラフィリュイザ王のグラス嫌いを思えば、中身が何なのか、容易に想像できるからだ。

 フィズには、リーイックの持っている包みの中身が、一種族を滅ぼせる伝説の猛毒にしか見えなかった。

「あ……あの……け、結構です……あ、えと……お、お腹いっぱいで……」
「そんなはずはないだろう。三日も寝たままだったのに」
「え、いや……本当に、お腹いっぱいで……あ、た、食べてましたから……」
「……何をだ?」
「え? あ、あー……く、空気! 空気を食べてたんで!」
「……そうか」

 焦る頭から取り出した、まだ寝ぼけているかのかと思われそうな答えを聞いて、リーイックは半眼で肩をおろす。

「安心しろ、フィズ・クール。これは食後に飲む薬だ。空気を食べた後ならちょうどいい。さっさと飲め」
「え? む、無理…………え? な、なんで……私の名前を……」
「それに書いてあった」

 彼は、サイドテーブルにおいてあったペンダントを指差した。出かける際に、グラス国王陛下からいただいたものだった。

「随分と挑戦的な身分証を下げているから、よほどの馬鹿か命知らずのどちらかだろうと思っていたが、こんな臆病な奴だったとは。期待はずれだ」
「ちょ、挑戦的?」
「雷魔族への敬意を示すペンダントだ。それを見れば、すぐにお前がグラスの者だと分かる」
「は……?」

 慌ててペンダントを手に取ってみる。確かに銀でできた蛇にはフィズの名前が彫られている。グラス国王に渡された時は気づかなかった。気づいていればその場で返していただろう。何しろ自分はグラス国の人間ではないし、雷魔族を敬ったことなど、一度もない。

 そのことをリーイックに伝えると、彼は不愉快そうに眉をひそめ、ため息をついた。

「ほ、本当です! 私は……」
「仮に本当だとしたら、お前、よほどの間抜けだな」
「え?」
「お前に渡されたペンダントは、グラス国と敵対し、いがみ合う国で、『私はグラス国の人間です』と叫んでいるようなものだ」
「私は」
「婉曲に死刑を命じられたようだな。さしずめそのペンダントは首の切取線か」
「そんな……」

 今朝まで並んで歩きながら談笑していた相手に、突然死刑を命じられるなんて、訳がわからない。何か国王の気に障ることをしただろうかと記憶をたどってみても、思い当たることは何もない。

 直接「死刑だ」と言ってくれれば、理由も聞けただろうし、それについて弁明の機会だってあっただろうに、これでは刑を受け入れるしかないではないか。

「とにかくそれを飲め」

 なおも薬を渡してくるリーイックから、それは受け取らずに、不安で潤んできた目線を送った。

「あ、あの……」
「何だ?」
「あの……に、逃がしてくれませんか?」

 いい返事など期待できないが、言わずにはいられなかった。訳の分からないうちに殺されるのは嫌だ。
 だが、笑い飛ばされるだろうと思っていた頼みごとに返ってきたのは、意外な答えだった。

「ああ、いいぞ」
「え?」

 想像できなかった返事を聞いて、フィズの心は明るくなっていく。

「ほ、本当に……いいんですか?」
「これを飲んだらな」
「はい!」

 奪い取るようにリーイックから包みを取って、一気にのどに流し込んだ。粗い粒の苦い粉薬にせき込んでいたら、彼はコップ一杯の水を渡してくれる。

「どうだ? 具合は」
「はい! 大丈夫です! 飲みました! 逃がしてください!」
「……それだけか?」
「え?」
「変わったことはないか?」
「え? あ……なんだか口の中に苦いのが残っていますが……問題ないです!」
「……本当か? 何か……こう、胸が熱くなるような感じがあるとか」
「え? ……いいえ」
「何かを好きになるような感じがあるとか」
「な、何を言ってるんですか?」
「何ともないのか?」
「はい!」
「……そうか」

 リーイックは顎に手を当てて何か考え込むようにうつむいてしまう。
 そんな彼を見ていると、先ほど飲んだ薬のことが心配になってくる。そういえば、これが何の薬なのか、聞いていない。

「あの、これ、なんの薬ですか?」
「ん? ああ、そうだな……いろいろなことに効く薬だ」
「いろいろ?」

 リーイックは顔をそむけたまま、サイドテーブルの下からランプを取り出す。

 もう日が沈むらしい。薄暗くなった部屋をランプの灯が照らした。

「少なくとも死にはしない」
「え? え?」
「じゃあな」

 不穏な言葉を残して、リーイックはきびすを返し、部屋から出て行こうとする。

 冗談じゃない。彼は大切なことを忘れている。逃がしてくれると、そう約束したのに。
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