ギフテッド

路地裏乃猫

文字の大きさ
上 下
68 / 68
エピローグ

アーティストたち

しおりを挟む
 高階から、渡良瀬が入院中の病院で亡くなったと報せが届いたとき、例によって嶋野は、明らかに強がりだとわかるぎこちない笑みを浮かべた。

「まぁ、そろそろだとは思っていましたが……」

 メール用のアプリを閉じると、嶋野は、目の前のハンバーガーにかぶりつく。今日は東京駅周辺を回る計画で、午前中は有楽町の東京国際フォーラムで開催中のアートフェアを巡ってきた。午後からは銀座方面を回る予定だが、その前にまずはエネルギー補給を、ということで、フォーラム内のハンバーガー専門店で早めのランチを摂っていた。

 高階からのメールが届いたのはそんな時だった。

 三十秒ほどかけて、嶋野は口のものをじっくり咀嚼すると、オレンジジュースと一緒に喉に流し込み、ふう、と溜息をつく。

「すぐに呑み込めるものを、長く咀嚼するのは相変わらず慣れません」

「駄目ですよ」

 ぼやく嶋野に釘を刺すと、漣は手元のハンバーガーにかぶりつく。フレッシュでボリューミーな野菜と、肉汁たっぷりの分厚いパテが、いかにも専門店のそれらしい食べ応えだ。口の中にじわりと広がるビーフの風味と、野菜のシャキシャキとした歯触りがたまらない。

「言ったでしょ。俺と一緒に飯食う時は、しっかり噛んで呑み込むって。……ていうか大丈夫なんすかね。もうすぐ俺の研修期間が終わるってのに、これじゃ一人で食事なんかさせられませんよ」

「それはこっちの台詞ですよ。この前だって君、急な予定の変更をオペレーターに連絡しそびれて、危うく死にかけたじゃないですか。あと、君はあくまで研修を受ける側です。そこは履き違えないように」

「アートに関しては、でしょ。飯に関しては、むしろこっちが教える側なんで」

 すると嶋野は、むぅ、と白い頬をむくれさせる。出会った当初はスマートで包容力のある大人という印象が強かった嶋野だが、長く付き合えば付き合うほど狭量だったり子供っぽかったりと意外な一面に気づかされる。ただ、それを不快だと感じることはなく、むしろ、そんな一面が覗くたびに漣は海岸で綺麗な貝殻を見つけたような気分になる。それを拾って、誰も知らない心の小瓶に集めるのが漣のひそやかな楽しみだ。

 二口目も嶋野はゆっくり咀嚼すると、今度はお冷と一緒に呑み込み、呟く。
 
「結局……組織の現状については何一つ語られずじまいでしたね」

「そ……っすね」

 半年前の逮捕劇の後、渡良瀬とその部下には当局による粘り強い取り調べが行なわれた。渡良瀬に限れば、あの後すぐに癌の治療のため入院となったが、その病室にも捜査員たちは足繁く通い、聴取を行なった。……にもかかわらず、彼らの口からは何一つ有益な情報は得られなかった。何かしらのギフトの影響か、単に、組織への強い忠誠のためかはわからない。ただ、少なくとも渡良瀬に限れば、最期まで口を割ることなく見事に逃げおおせたわけだ。

「でも……こうやってキュレーターを続けていたら、いつか必ず、会えると思うんで」

 無論、それは瑠香のことで、嶋野もその点はわかっているのか、あえて混ぜ返すことはしない。代わりにポテトを一本つまんで口に放り込むと、「そうですね」と小さく呟く。

「ただ、残念ながらそれは、あなたの望む形での再会にはなりえないでしょう。むしろ……あなたにとっては辛い再会になるかもしれません」

「わかってます。それでも……一応、けじめなんで。俺なりの」

 すると嶋野は、何が可笑しいのかふふ、と笑う。ただ、その目元はどこか寂しげだ。

「相変わらず律儀ですね、君は」

 そしてまた一口、ハンバーガーにかぶりつく。それをまた時間をかけてゆっくり咀嚼、嚥下すると、口元についたケチャップをナプキンで軽く拭う。

「最近……料理の味が、少しずつわかるようになってきました」

「え、まじすか?」

 それは素直に嬉しい。つい声を弾ませる漣に、嶋野は、今度はふわりと優しく笑む。

「君のおかげです。君と出会えて、僕の世界はまた少し広くなった」

「えっ? あ……」

 何だろう、ものすごく照れくさい。何となしに視線をコンコースへと移した漣は、植栽の脇にあるベンチに腰を下ろす青年に目を留める。年齢は漣と同じか、少し年下ぐらいだろうか。その彼は、膝に置いたスケッチブックの上で何やら忙しく鉛筆を動かしている。どうやら近くのベンチやカフェでくつろぐ客や、目の前を通り過ぎる通行人をスケッチしているらしい。その横顔はどこまでも真剣で、なのに、どこか楽しげだ。

 ぱちっ、とサインペンのキャップを外す音がして、見ると、嶋野がメモ帳にスケッチを始めている。モデルは、あのデッサン中の青年のようだ。対抗意識に火をつけられたのだろうか。ただ、その横顔はあくまでもエンジョイ勢のそれだ。

 ――独りじゃないよ。

 耳の奥で、聞き覚えのある声が囁く。ああ、そうだ。彼女は独りじゃない。あの青年の中にも、そして嶋野の中にも不破光代はいる。アートを通じて生きる喜びを得る全てのアーティストの中に彼女はいる。――逆に言えば、彼女を宿す限りそれは何人なんぴとであれアーティストに違いないのだ。

 もちろん、そう、漣自身も。

 傍らのカーテンウォールに目を向ける。そのガラス壁に、元医学生であり、重い罪を負った咎人であり、そして、不破光代を宿す一人のアーティストが映っている。

 自分が、海江田漣が、映っている。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

ハッピークリスマス !  

設樂理沙
青春
中学生の頃からずっと一緒だったよね。大切に思っていた人との楽しい日々が この先もずっと続いていけぱいいのに……。 ――――――――――――――――――――――― |松村絢《まつむらあや》 ---大企業勤務 25歳 |堂本海(どうもとかい)  ---商社勤務 25歳 (留年してしまい就職は一年遅れ) 中学の同級生 |渡部佳代子《わたなべかよこ》----絢と海との共通の友達 25歳 |石橋祐二《いしばしゆうじ》---絢の会社での先輩 30歳 |大隈可南子《おおくまかなこ》----海の同期 24歳 海LOVE?     ――― 2024.12.1 再々公開 ―――― 💍 イラストはOBAKERON様 有償画像

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

処理中です...