ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

25話 北海道土産といえばシャケの木彫りですよね

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「嶋野さん!?」

 すると嶋野は、やんわりと漣に笑み返してくる。

「ええ、お久しぶりです」

 その穏やかな笑みに、漣はぎゅっと胸が締めつけられる。思えば、嶋野とは初日に会ったきり一度も顔を合わせていない。あれから、はや一か月。その間、ここで多くのギフテッドと出会い、交流を深めたが、こうして嶋野と再会すると、やはり〝特別〟なんだなと思い知らされる。

 漣の全てを――人間としての苦しみを、アーティストとしての葛藤を受け止めてくれた人。

 そんな嶋野との再会は……他の住人には悪いが、やはり格別だ。

 そんな感慨はしかし、嶋野が抱える奇妙な彫刻を目にした瞬間あっさり吹っ飛んでしまう。それは、巨大なシャケの木彫り人形だった。そういえば、ここしばらくは北海道で新たなギフテッドの捜索を行なっていると、高階が話していた――北海道? ということは、あれはその土産か? だとしたら……普通は熊じゃないのか? 

 いや、よく見ると熊もいる。なぜかシャケに食われている。

「え、どうしてシャケの方が熊に齧りついてんすか」

「ああ、これですか。可愛いですよね。空港でつい一目惚れしてしまって。……言われてみれば、確かにあべこべですね。どうりで道中、周囲の視線を感じたわけです。珍しかったんでしょう」

「珍しい……」

 確かに、珍しい絵面ではあっただろう。絶世のイケメンが、そんな面白い木彫りの人形を後生大事に抱えていたら、嫌でも目立つだろうと漣は思う。

「もしかして、その木彫りの作家もギフテッドーー」

「いえ。これはただの趣味です」

 いや、何だそりゃ。

「でも可愛いでしょう。それに技術も高い。見てください、この、木目を生かしたカッティングを。木彫りの場合、何をおいても重要なのは木目の方向も含めた素材の把握ですが、この作品は――」

「その前に、さっきの話を詰めさせてください」

 平手を突き出し、失礼を承知で嶋野の蘊蓄を遮る。ここで彼を乗せたら、向こう五分、いや十分はこの話題で場を支配される。

「さっきの話?」

「俺の絵を引き取りたい、とのことですが」

 常人が見れば命を落とす絵。ギフテッドが集うこの施設においてさえ、ごく一部の人間にしか鑑賞が許されない絵を。

「ああ、そうでした。ええ……そのままの意味です。つまり、君の絵が欲しい、所有したい。僕のアトリエに飾って、誰にも邪魔されず一人静かに眺めていたい」

「えっ……ちょ、ちょっと待ってください!」

 唐突に、しかも立て続けにものすごい言葉を羅列され、漣は焦る。そういえば、こんなに焦ったのはいつぶりだろうと記憶を探ると、先日の瑠香とのあれこれが脳内にポップする。……いや、あれと並べるのはさすがに。辛うじて一線を超えずに済んだとはいえ、漣にとっても、それに瑠香にとってもあれは特別な時間だったはずで。

 ただ、それはそれとして嶋野の言葉は嬉しい。

 あの嶋野に、欲しいと言われた。漣の魂の欠片。噴き出す血潮の残滓を。それは、瑠香に慰めを求められた時とは違う感慨を漣に与えた。男として、海江田漣としてではなく、一個の表現者として求められている。

 そういう求められ方にこそ、充足を、生の実感を噛み締める自分は……つくづく人でなしだ。

「すんません。いろいろとその、感情が追いつかなくて……えっ、ていうか大丈夫なんすか。危なくないすか。審美眼低い人が見たら死ぬんすよ。そんなの、個人で……?」

「もちろん、協会に登録はしますよ。そもそも、他のギフテッドの作品を個人で所有する場合、まず協会に申請し、許可を得なければなりません。加えて、審美眼レベルに照らした審査も行なわれる。ただ……まぁ、僕の場合は大丈夫でしょう。君の作品をアーカイブ化する作業でも責任者に任じられたぐらいですから」

 と、なぜか今度は、嶋野は悲しそうに目を伏せる。

「過去作の件は……本当に残念でした」

「……あ」

 嶋野の言う過去作とは、漣が街で描いた落書きのことだろう。多くの人を死に追いやった。

 高階の話では、回収は不可能とのことで破壊措置が取られたらしい。その結果に異存はない。漣が高階の立場でも、やはり同じ判断を下していたと思うからだ。常識的に考えて、目にしただけで人の命を吸い取ってしまう絵を、そういつまでも野晒しにするわけにもいかないだろう。

 それでも、辛くなかったかといえばやはり嘘になる。

 外の世界との繋がりを断たれ、さらに作品まで破壊されると、いよいよ漣は世界から拒絶された心地がした。自分のような人間は、この世界に存在してはならない。それは、自らが犯した罪とともに痛いほど身に染みている――それでも。

 そんな漣の痛みを慰めたのは、またしても嶋野だった。

 あの後、漣は嶋野が撮影した落書きの確認を求められた。未収録の作品はないか。そして……クオリティに問題はないか。結果は、いずれも問題なし。むしろごく初期の、全く人目につかない場所でおっかなびっくり落書きを始めた頃の小さな落書きまで網羅されていたことに漣は驚かされた。データも、2Dだけでなく3Dデータとしても保存され、色彩の再現にも強いこだわりが感じられた。

 ――僕個人としては、この仕事が一番つらく、苦しいですね。

 そう言い切る嶋野の、痛みを堪えるかのような表情を漣は今も覚えている。実際、アートを愛する彼にとって、作品の破壊は何よりも辛い作業だったろう。それを前提としたアーカイブ化の作業も、楽しいものでは決してなかったはずだ。

 それでもこの人は、心を込めてその務めを果たしてくれた。

「いいんです。むしろ俺、嶋野さんに記録してもらって、よかったです」

「そう言ってもらえると、苦労した甲斐もありますね」

 そして、少し寂しそうに微笑む嶋野に、ああ、やっぱり好きだなこの人、と改めて漣は思う。性愛だとか友愛だとか、そんなカテゴライズがどうでもよくなるぐらい、ただ純粋に、好きだ、と思う。

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