ギフテッド

路地裏乃猫

文字の大きさ
上 下
42 / 68
2章

30話 信頼のバランス①

しおりを挟む
 嶋野の部屋は、瑠香も一時期暮らした監視用の部屋と同じ十九階にあった。

 下のフロアに比べると、別世界なほどに殺風景な廊下を歩きながら、このドアの向こうに今も誰かが監禁されているのかな、と、嫌な想像を漣は働かせる。ただ、自分の手で瑠香を押し込んだ嶋野にしてみれば、嫌な想像、どころではなかっただろう。扉を横目に廊下を行き交いながら、あるいは罪悪感を抱いたのかもしれないし、ルールだからと割り切っていたのかもしれない。

 昼間、瑠香たちに話を聞いたあとで、漣はむしょうに嶋野と話がしたくなった。

 別に謝罪をしろと言うつもりはない。それは、嶋野としても仕方のない成り行きだっただろうから。だからこそ、その仕方のない成り行きに縛られ、奪えば死ぬとわかる相手から瑠香のギフトを奪ったことをどう思っているのか、嶋野本人の口から聞きたかった。その上で、もし罪悪感に苦しんでいるのなら――

 いや、違うな。

 そう漣は自嘲する。本当に知りたいのはそこじゃない。瑠香には悪いが……

 三原によると、渡良瀬という人物は、四年ほど前まで藝術協会日本支部の長を務めていた男だそうだ。要するに、高階の前任者である。ところが四年前、上層部を中心に派閥争いが起き、負けた渡良瀬は協会から姿を消す。……そう、消したのだ。本来、一度入所したら死ぬまで行動を管理されるはずのギフテッドが。もちろん、腕の神経を殺せばいつでも出ることはできる。ただ、三原によると、渡良瀬がそうした手術を受けたという話は一度も聞かなかったそうだ。

 これは三原の想像だが、渡良瀬は、何かしらのイレギュラーな方法で協会を抜けたのではないか、とのことだ。

 実は渡良瀬は、以前から協会本部――ニューヨークの――と対立していたらしい。詳しい理由は三原にはわからなかったが、ただ、ギフテッドの在り方をめぐる対立ではあったようだ。

 その渡良瀬が、抜けるときも大人しく本部の方針に従ったとは思えない。つまり……三原の想像が正しければ、渡良瀬という男はギフトを保持したまま協会を飛び出した、ということになる。しかも消えたのは、渡良瀬一人ではなかった。当時、彼の手足として働いていた数人のギフテッドも同時期に姿を消す。そんな中、渡良瀬と親子のように親しくしていた嶋野だけは、なぜか協会に居残ることを選んだ。三原の嶋野に対する忌避感は、単純に、瑠香のことがあったからだけではない。三原は疑っているのだ。嶋野は、渡良瀬が協会の動向を探るためにあえて残したスパイではないか、と。

 やがて廊下の奥に、嶋野、とプレートを掲げたドアが現れる。さっそくドアホンのスイッチに手を伸ばし、ふと漣は、その指先を止める。

 もし、三原の推理が事実なら、あの人が漣に良くしてくれたのも、その、渡良瀬とかいう男の意向である可能性もあるのだ。確かに、希少性も危険性も桁違いに高いギフトだ。その持ち主の情報は、スパイとしては何を措いても探りたいところだろう。……では、これまでの漣に対する嶋野の言動は全て演技だったのか、と問われると、わからない。単に思考を拒否しているだけかもしれないが。

「あー……もう」

 会う前からこんなに疲れるなんて。今日はこのまま帰ってしまおうか。でも……明日にはまたどこかに飛んでいるかもしれない人だ。直接会って話すなら、在宅中だとわかる今しかない。そう自分を鼓舞し、えい、とスイッチを押す。沈黙。ああこれは不在ですねとがっかり半分、安堵半分で踵を返しかけたその時、スピーカーから聞き覚えのある声が返ってきた。

『おや、海江田くんですか。どうしました?』

「えっ……あ、ええと……いえ、」

『待ってください。すぐに行きます』

 ブツッと通話の切れる音がし、辞去のタイミングを失った漣は居たたまれない気持ちでその場に立ち尽くす。そんな漣の耳に届く、ドア越しに近づく足音。やがて目の前のドアが勢いよく開け放たれ、戸口に素っ裸の男が現れる。素っ裸の――

「ちょっ、何でェェェ!?」

「どうしました?」

 怪訝そうに、嶋野は人形のように小さな頭を軽く傾げる。その嶋野は、辛うじてボクサーパンツを身に着ける以外は、文字通り生まれたままの一糸まとわぬ姿で、白磁のような肌に、そこだけ色づく濃い桃色の乳首が恐ろしく卑猥だ。……いや、相手は同性だろうが。なのに、何だって俺はこんなに慌てて。

「えっ、ええと……ナニ中……だったんすか」

 まさか、恋人を連れ込んでそういう……?

 ところが嶋野は、相変わらず怪訝な顔のまま「いえ、普通に入浴中だったんですが」と答える。確かに、よく見ると髪も肌もびしょ濡れだ。そうでなくとも……普通はそっちを連想するものだろう。

「ん? ……海江田くん、ひょっとして飲んでます?」

「えっ? ……飲む?」

「ええ。顔が赤いようなので。……へぇ、海江田くんは飲むと赤くなるタイプなんですね。僕は、いくら飲んでも酔えないし赤くもならないので、正直ちょっとうらやましいです」

「いえ……つーか服着てくださいっっ!」

 我ながら意味不明な返しだなと自覚しつつ、力強く苦言する。そう、それだ。とにかく服を着ろ。客を迎えるのに裸って何だよいい歳こいた大人が――って、そういえばこの人の年齢知らないな。いや、年齢だけじゃない。出身はどこだとか、好きな食べ物は何だとか、どんなタイプが好みだとか。

 渡良瀬ついて問いただすよりも先に、聞くべきことがあるんじゃないか、もっと。

「服? ……ああ、確かに。こんな格好で来客を出迎えるのはマナーに反していますね。――わかりました。では、先に食堂で待っていてください。五分ほどで向かいます」

「えっ? ……食堂すか?」

 不本意にも声に落胆が滲む。部屋には……上げてもらえないのか。

「ええ。何なら君の部屋でも……どうしました?」

「あ、いえ……ええと……」

 中を覗きたい気持ちが先走り、つい嶋野の肩越しに奥をチラ見してしまう。と、さすがに意図を察したのだろう、嶋野は「ああ、すみません」と苦笑する。

「僕の部屋は、その……今の君に見られるとまずいものばかりなので」

「今の……俺?」

「ええ。まだゼロでしたよね、君の審美眼」

「えっ? ……あ、ああ、なるほど」

 おそらく嶋野は、例のフリマで他のギフテッドから作品を集めまくっているのだろう。いかにも嶋野らしいと納得しつつ、言いようのないもやつきも漣は覚える。

「じゃあ次のテストで、俺、絶対5を取りますんで、そしたら見せてください」

「次……? いやいや、さすがに初回で5は無理ですよ」

「は? 医学部ストレート合格を舐めないでくださいよ」

「ああ……そういえば、君、秀才だったんですよね。……ひょっとして今、怒ってますか?」

「おこってませんけど!!!!」

 いや怒っとるがなと脳内で自分に突っ込むと、漣は、ふう、と一つ溜息をつく。そもそも自分は、なぜ、そして、何に腹を立てているんだ。

「じゃあ……食堂で待ってますんで」

 言い残すと、漣は一人でエレベーターに向かう。まだ話らしい話は何も交わしていないのに、すでに絵を一枚描き終えたみたいに頭が疲れている。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

黒蜜先生のヤバい秘密

月狂 紫乃/月狂 四郎
ライト文芸
 高校生の須藤語(すとう かたる)がいるクラスで、新任の教師が担当に就いた。新しい担任の名前は黒蜜凛(くろみつ りん)。アイドル並みの美貌を持つ彼女は、あっという間にクラスの人気者となる。  須藤はそんな黒蜜先生に小説を書いていることがバレてしまう。リアルの世界でファン第1号となった黒蜜先生。須藤は先生でありファンでもある彼女と、小説を介して良い関係を築きつつあった。  だが、その裏側で黒蜜先生の人気をよく思わない女子たちが、陰湿な嫌がらせをやりはじめる。解決策を模索する過程で、須藤は黒蜜先生のヤバい過去を知ることになる……。

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

パラダイス・ロスト

真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。 ※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

ハッピークリスマス !  

設樂理沙
青春
中学生の頃からずっと一緒だったよね。大切に思っていた人との楽しい日々が この先もずっと続いていけぱいいのに……。 ――――――――――――――――――――――― |松村絢《まつむらあや》 ---大企業勤務 25歳 |堂本海(どうもとかい)  ---商社勤務 25歳 (留年してしまい就職は一年遅れ) 中学の同級生 |渡部佳代子《わたなべかよこ》----絢と海との共通の友達 25歳 |石橋祐二《いしばしゆうじ》---絢の会社での先輩 30歳 |大隈可南子《おおくまかなこ》----海の同期 24歳 海LOVE?     ――― 2024.12.1 再々公開 ―――― 💍 イラストはOBAKERON様 有償画像

処理中です...