ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

28話 ショー・ザ・フラッグ①

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「おそらく……渡良瀬さんの仕業でしょうね」

 そう凪が報告を入れると、高階は肩で大きな溜息をついた。こめかみに片手を添え、頭が痛いわと言いたげに形の良い眉を寄せる。

「続けて」

「ええ。警察の話では、外国の工作員に動きは見られなかったと。また、特定の過激派組織や反社会的勢力、カルトが動いた痕跡もない。……何より今回、対象者の周囲に、明らかに記憶を改竄されたと思しき人間が散見されました」

「マキの〝想い出〟ね」

「確かなことは何も。ただ……可能性としては」

 今回、名古屋に続いて訪れた北海道で、凪は、あと一歩のところで新しいギフテッドを取り逃がした。今にして思えば、名古屋の騒動をキャッチした――させられた時から、今回の失態は約束されていたのかもしれない。

 だが、何よりも凪を動揺させたのは、今回、渡良瀬が、本気度の高い偽装工作を仕掛けてきたことだった。

 いつまでも蝙蝠こうもり野郎ではいられない。

 いい加減、旗色を見せろショー・ザ・フラッグ、ということか。

「あなたがそう断言するのなら、そうなのでしょう。……信じても?」

「ええ」

 すると高階は、訝しげに凪を見据える。

 そう、凪に旗色を迫るのは、何も渡良瀬に限らない。

 これまで高階は、渡良瀬の意図を掴む情報源の一つとして凪を手元に置いてきた。あるいは、渡良瀬をコントロールする餌として。そんな蝙蝠野郎に追わせた〝眠り〟のギフトが、たまさか〝死〟のギフトに進化した時は、彼女も胃の痛む思いだったろう。もし凪が渡良瀬のために海江田を奪取したなら、それは国、いや世界にとって大きな脅威となる。

 実を言えば、当初は凪もそのつもりでいた。

 このギフトの主は、アートのためなら他人の命をいくらでも犠牲にできてしまう――そういう人間だと凪は踏んだ。当時、ネット世界はすでにギフテッドの噂で持ち切りだった。通常はすぐさま当局に対応させるこの手の噂をあえて放置したのは、まだ見ぬギフテッドの反応を伺うため。そして……彼は描き続けた。人命よりも表現を選んだのだ。それほどのエゴイストなら、事情はどうあれ描き続けてくれる。結果、人類の大半を死に追いやるとしても――そう、信じて疑わなかった。

 だが。

 あの日、凪の前に現れたのは、エゴイストと呼ぶにはあまりにも脆く、頼りない子供だった。彼はただ、父親の抑圧から逃れるために必死に我を張っていたにすぎない。絵を描き続けなければ自我が死んでしまう。戦場の子供が、自らも銃を取らなければ殺される。だから銃を取り、敵を撃ったのと同じように、無我夢中でカラースプレーを握りしめていたにすぎない。

 だから例えば、その抑圧から解放されたとき、海江田が、以前と同じ選択を取る保証はどこにもなかった。安全が保障された世界で、好きこのんで銃を取りたがる子供はいない。それでもなお銃を取りたがる戦闘狂ジャンキーは、いるにはいる。が、海江田の狂気は、あの時点ではそこまで育ちきってはいなかった。

 あれだけのことをしでかして、なお彼は正気に片足を残していた。揺れて、迷っていた。

 結果、海江田を渡良瀬に引き渡すことは断念せざるをえなかった。その選択は正しかったと凪は思う。今も海江田が絵筆を取っていられるのは、ここでなら誰も傷つけずに創作ができるからだ。だからこそ、その前提から外れた世界に海江田を引きずり込もうと思うなら、さらなる狂気を彼の中に育む必要がある。

 その意味では、彼をキュレーターに誘ったことは間違いだった。むしろ、もう描き続ける以外に贖罪の道はないのだと彼を追い込むべきだった。なのに……

「信じてください。昔はともかく、今の僕はあの人とは何もない」

「そう。だといいのだけど」

 小さく溜息をつくと、高階は視線を凪の目から胸元へと移す。

「ところで、さっきから気になっていたのだけど、何なの、それ」

「……えっ」

 つられるように目を落とした凪は、そういえば、シャケの木彫りを抱えたままだったなと今更のように思い出す。

「あ……これですか。ええ、空港で一目惚れして買ってきたんです。見てください、この、アイヌ文化の伝統が色濃く反映された力強い彫刻を。そもそも熊の木彫りとは、大正時代、スイス土産から着想を得た徳川義親氏が、北海道の農民たちの副業にと広めたものですが、その技術的な土台となったのは、やはりアイヌの――」

「待って」

 咄嗟に、高階が広げた両手を突き出す。突進する猛獣を引き留めでもするように。そういえばなぜ、皆、凪がアートについて語り出すと必死に引き留めにかかるのか。

「その手の蘊蓄は、彫刻専門の子にでも披露してあげなさい。いたでしょ、うちにも一人。ほら、いつも廊下で丸太を切ってる彼女」

「ああ、三原さんですね……いや、彼女はちょっと」
 
「何? 苦手なの?」

 手を下ろし、ゆるりと組み直しながら問う高階に、凪は「いえ」と苦笑する。

「嫌われてるんですよ、僕」

「あら、それだけ恵まれた外見で、女性に嫌われるなんてことがあるのね。何をやらかしたの?」

 何を――その問いに、凪は曖昧な笑みで「何でしょうね」と相槌を打つ。それは、あなたが訊いちゃいけないことでしょう。



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