ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

24話 再生

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◇◇◇


 それからまた、瑠香とは会えない日が始まる。

 といっても今度のそれは、漣が避けられているからではなく、単純に、瑠香が彼女のアトリエに籠もりきっているからだ。これまでは他の住人のサポートに徹していた彼女だが、今は創作に集中しているのか、倉庫に物資を取りに下りる以外はほとんど廊下に顔を出さない。

「でもまぁ、正直ほっとしましたよ」

 そう、談話室でしみじみ呟くのは〝静寂〟のギフトを持つ中井。彼は、午前中はよくこの談話室でコーヒーを啜りながら、次に作る作品の構想を練っている。ここの窓から、四季折々変化する中庭を眺めていると、次に作るべき作品のイメージが降りてくるのだそうだ。

「彼女は、もうずっと彫刻刀を手に取ることを恐れていました。確かに、麻美ちゃんの件は気の毒だった。でもそれは、あの子が気に病むことでもなかったんです」

「俺も、そう思います」

 やがて中井は「ああ降りてきた」と笑いながら席を立つ。これから彼もアトリエに戻り、作品作りを再開するようだ。そんな中井の服や手には、洗ってもなお落としきれない陶土の色が染みついている。それはきっと、彼の人生や魂とは不可分の色彩なのだろう。いずれ彼の肖像を描くことがあれば、彼が愛する天草陶土の白灰色は欠かせないな、と漣は思う。

 と、そんな中井と入れ替わるように、今度は当の瑠香が談話室にやってくる。が、今回は一人ではなく、隣に見慣れた連れがいた。その連れは、漣の顔を見るなりあからさまに嫌そうな顔をする。

「げ、何でお前が」

「何でって、共有エリアですし、ここ」

 以前は黙って我慢していたが、最近は、これも一つのコミュニケーションのかたちだと割り切り、できるだけ言い返すようにしている。それで喧嘩に発展することもあるが、三原自身、あまり漣を言い負かすことにこだわっていないのか、大概は二往復ほどのリレーで終わる。

「わかったわかった。でも、たった今からここは男子禁制だ。出てけ出てけ」

 言いながら三原は、しっしっと漣を手で払う。と、今度は瑠香が「んもー」と三原に苦言を入れた。

「桜ちゃん。ここはみんなの場所だけん、差別はいかんよ」

 すると三原は、むくれながらも「……あいよ」と素直に頷く。何だか猛犬とその飼い主みたいだな、と、口には出さずに思っていると、そんな漣を三原はキッと睨みつけ「お前、今めちゃくちゃ失礼な喩えを思いついたろ」と歯を剥いて唸った。さすがは猛犬、勘がいい。

 その三原は、なぜか大きなバケツを抱えている。中身は、彼女が専門とする彫刻で余らせたらしい木片。形も大きさも、何なら材木の種類すらまちまちなそれらの木片は、大きなもので漣の二の腕ほど。小さなものだと、それこそ小指ほどの大きさしかない。

 普通に考えるなら、ただのゴミだろう。ところが三原は、そのバケツをテーブルに置くと、プレゼント、とばかりに瑠香の前にずずっと押しやる。

「はい、これ。あんたがちーっとも引き取ってくれへんから、すっかり溜まってもうたわ」

「あはは……ごめんねぇ、でももう大丈夫だけん、溜まったらまたちょうだいねぇ」

「うん」

 おそらくは九州弁と、それから関西弁とで交わされる会話は何だか不思議な響きだ。テレビの漫才で耳にする関西弁とも違う、ネイティブらしいこなれた響きを微笑ましく感じていると、またしても三原にきつく睨まれた。

「おい、見世物じゃねぇぞ」

「あ……すみません」

 慌てて謝りながら、内心で漣はヘコんでいる。相変わらず俺には方言を使ってくれないんだな……

「あー、これけやきな。んで、こっちのデカいのがひのき。あと、底の方にかつらも入れとるから後で確認して」

「わー、助かる!」

「欅は特に硬いよってな、削る時はほんま気いつけや。デカいならもう少し切り分けよか」

「よかよか。うちにも電ノコあるし。ありがとね」

 そして瑠香は、にへら、と嬉しそうに頬を緩める。その頬に、もう涙の名残はない。溜め込んでいた涙を吐き出して、それで彼女が楽になれたのなら、自分がここに来た意味もあったのかもしれない、と漣は思う。

 そんな漣の視線に気づいた瑠香が、ああ、と顔を上げ、やんわりと笑む。

「これね、桜ちゃんが彫刻で切り出した木片。どれもいい素材だし小さく切り出されてるしで、素材としてすごく使いやすいんだ」

 確かに、瑠香の作品はどれも手のひらサイズの工芸品で、最初からある程度小さく切り出されている方が、材料としては使いやすいのだろう。

「ゴミの再利用っすか。エコっすね」

「エコ……うーん、単に貧乏性が抜けないだけかも。あたし、昔からこういう廃材でハンドメイドしてたから、その頃の癖がどーしても抜けないんだよね」

「瑠香はな、昔、めちゃくちゃ有名なアイドルだったんだぜ?」

「えっ、そうだったんすか!?」

 すると瑠香は、「言わんでて言うたっちゃろ!」と、割と本気で腹を立てる。その怒気を察したらしい三原は「あ、ごめん」と、こちらも本気で焦りながら、「でも凄いやんか、アイドルやで」と、フォローにならないフォローを入れる。

「いや、アイドルちゅうても地下よ地下。ハンドメイドも、そっちじゃ食うていけんけん、仕方なく始めたとやし」

「で……でも凄いやんか! 地下でもアイドルはアイドルやん!」

 相変わらず三原のフォローはフォローになっていない。ただ、おかげでまた一つ、瑠香について知ることができた。瑠香の表情は、もはや修復不可能なレベルで曇っているが……何にせよ、瑠香の前ではアイドルの件に触れずにおこう、と漣は固く誓う。誰しも黒歴史には触れてほしくないものだ。瑠香にとっては、アイドル時代の自分がそうなのだろう。

「さて……と。長いこと休んでたから、いっぱい彫らなきゃね。フリマも近いし」

「フリマ?」

 すると瑠香は、うん、と勢いよく頷く。どこか空元気じみているとは、気付いていても突っ込まない。

「中の人達同士で作品をやりとりできる唯一のイベント。基本的にあたしたち、作品はぜんぶ協会に回収されちゃうじゃない? ただ、それじゃ作る側も張り合いがないってことで、フリマに出した分だけは住んでる人達に譲っていいことになってんの」

「えっ……いいんすか、その、他人に作品を譲ると……」

「あ、もちろん、事前に鑑賞レベルを設定してもらったり、それに応じた頒布の仕方をしなきゃなんだけどね」

 なるほど、ルールが設定されているなら確かに安心だ。それに……組織のルールによって知人を喪った瑠香も、フリマのルールについて特に思うところはなさそうだ。

「へぇ、だったら安心っすね」

 すると、それまで奇跡的に大人しくやりとりを聞いていた三原が、やはりというか、憎まれ口を挟んでくる。

「どっちにせよお前には関係ねぇよ。鑑賞レベル5、しかも、見たら死ぬ絵なんて誰が引き取るんだっつ――」

「じゃあ、僕に譲ってください」

 瞬間、三人三様の「は?」が奇妙なハーモニーを作る。が、今の漣は響きの面白さより何より、かけられた声の正体に意識を奪われていた。この、聞く人を安心させる柔らかなテノールは――

 振り返る。

 談話室の入り口に立っていたのは、案の定、ここ一か月すっかり施設を空けていた嶋野だった。
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