IDLE OR DIE

路地裏乃猫

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 開けば車一台がやっと通れるぐらいの小さな鉄柵の門は、古い鎖と南京錠とでがっちりロックされている。その門を力業で乗り越えたあやめは、続くひびきが乗り越えた鉄柵を降りるのを手伝いながら、半ば呆れがちに問う。
「よくもまぁ見つけましたね、こんな入り口」
 するとひびきは、どこか自嘲気味に笑う。
「ここには昔、来たことがあるから」
 その答えに、あやめはしまったとなる。そういえばここは、あの悲惨な襲撃事件の現場じゃないか。
「あ・・・そうでしたね、すみませ、」
「しっ!」
 あやめの謝罪をひびきは強引に封じると、今度はあやめの腕を取り、近くの、元はケータリングのショップだったらしい建物の影に引き込んだ。時をほぼ同じくして聞こえてくる複数の足音。物陰からそっと覗くと、盾を抱えた重装備の機動隊員が隊列を組んでどこかに走ってゆく。
「見つかったら間違いなく逮捕されるわ」
 耳元で囁くひびきに、でしょうね、とあやめは相槌を打つ。よしんば逮捕は免れても補導ぐらいはされるだろう。こんな夜更けに人気のない廃遊園地をうろつく高校生なんて、彼らにしてみれば、むしろ捕まえてくれと言っているようなものだ。
 隊列はなかなか途切れない。一体どれだけの人員が、こんな廃墟に投入されているのか。
「あの・・・本当なんですか。きららがその、拉致、されたって」
 ひびきの耳元で、極力ボリュームを下げて問えば、ひびきは何故か面食らった顔であやめを見上げる。
「あなた・・・本当に何も知らずに私たちを尾行してきたの?」
「えっ? ええ・・・午後の授業にきららがいなくて、で、放課後やけに生徒会役員がバタバタしてたんで、まさかと思って」
「なるほどね・・・ヤクザ共があなたを重宝した理由が、改めてわかった気がするわ」
 これは、褒められたのか貶されたのか。しかし、今はそんなことよりきららの状況だ。
「それで、きららは結局、拉致されたんですか」
 するとひびきは、それまでの嗤笑を止め、ふ、と真面目な顔をする。
「正直、拉致か否かは現時点ではちょっと」
「は?」
「私はただ、朝倉さんの反応が学校の敷地を離れたので、急遽役員を動員して行き先を探知、尾行させただけ」
「反応って・・・ひょっとして、探知機か何かを?」
「彼女に限らないわ。学園は生徒の行動を監視するために、学生証と支給のモバイルに発信器を仕込んでいる。私の代で、そのデータを生徒会でも共有できるよう学園に働きかけたの」
「こわっ」
 つい素直な感想が漏れる。いくら箱入り娘を多数預かるお嬢様学校でも、発信器まで使って生徒のプライベートを暴くのはちょっと。
「反応の移動速度を鑑みるに、徒歩や自転車の類じゃなかった。それで、車を持つ何者かに拉致されたのだと判断した・・・それだけの話。ただ・・・すでに連中と繋がっていた朝倉さんが、自らの意志で仲間の車に乗り込んだ可能性もある。だから、厳密には拉致かどうかは・・・」
 なるほど。何にせよ、きららが連れ去られた点に変わりはないらしい。きららが強引に拉致されたのか、あるいは自分の意志で従ったかの違いはあるにせよ。
 やがて警官の列が途切れて、周囲はふたたび静寂に包まれるー-かと思いきや、リズミカルな重低音は今なお途切れることなく続いている。てっきり警官たちの足音だとばかり思い込んでいたのが。
「これ・・・何の音ですかね」
「ライブよ」
「え?」
 さっと物陰から飛び出すと、早くもひびきは歩き出す。てっきり箱入りのお嬢様だと思っていたのに、実際、下手なヤクザなんかよりよっぽど度胸がある。
「あっちから聞こえてくるみたい」
 そしてひびきは、ふと顔を上げる。視線の先にはジェットコースターの乗り場。ただ、閉園から年単位で放置されたと思しき建屋は見るからに朽ち果て、なまじポップな外装や、描かれた動物たちが余計に物悲しさを醸し出している。
 そんな建屋越しに広がる空が、なぜか昼間のように明るく輝いている。このリズミカルな重低音も、どうやら同じ方向から聞こえてくるらしい。
 まさか、本当にライブが・・・
「行きましょう」
「えっ? は、はい」
 駆け出したひびきに、慌ててあやめも従う。当たり前だが園内の街灯は軒並み死んでいて、しかも今夜は新月。にもかかわらず周囲は思いのほか明るく、走るのに不都合はない。
「あの、そろそろ聞いちゃってもいいですか」
「何を?」
「え、ええと・・・そもそも、どうして副会長に置いてけぼりにされちゃったんです? 何というか・・・避難のためって感じでもなさそうでしたし」
 尾行していた車が不意に路肩に留まり、その車道側のドアからひびきが飛び出してきたときは正直驚いた。あれは多分、無理やり蹴り出されたのだと思う。ただ、同乗していたのは副会長のはずで、あの女がそんな無礼を働くだろうかという疑問は残る。あの、ひびきを女神のように崇める女が。
「・・・?」
 不意にひびきが足を緩め、つられるようにあやめも足を止める。
 振り返ると、数歩前で立ち止まったままのひびきは、何故かじっと夜空を見上げている。その視線を追って顔を上げたあやめは、今更のように足元の明かりに困らない理由を知った。
 濃紺の天蓋に燦然と煌めく、無数の星屑たち。
「要するに私も、星屑きららの娘だったということよ」
「えっ?」
「カリスマの濫用と、その結果としての自滅。・・・母と同じ失敗を、私もまた犯した。それだけの話」
 そしてひびきは、空を見上げたまま、ふ、と自嘲気味に笑う。
 失敗。それは、星屑きらら襲撃事件のことを指しているのだろうか。彼女と同じ失敗。カリスマの濫用。それが、星屑きららの娘の言葉だとすれば、あまりにも惨めで、悲しい。
「し・・・失敗だなんて! 悪いのは完全に相手側でしょ!? ただのファンとしての弁えを忘れて、あんなこと、」
「でも、ああいう人間は存在しうるし、現に実在した」
「それは・・・って、まさか、だからアイドル文化そのものを滅ぼそうとしてんの!? 父親と一緒に!?」
「さすが四辻さんは理解が早くて助かるわ。私、頭の良い子は好きよ」
 そしてひびきは、ようやくあやめに目を戻す。その、静かに刺し貫くような瞳に、不覚にもあやめはどきるとなる。確かに・・・宵野ひびきには他人の心を鷲掴みにする何かがある。これが無意識的なものなら、本人に災いをもたらすこともあるのかもしれない。
「事件を機に父は考えた。アイドル産業とは、そうしたカリスマにまつわる人間の本能を商業利用した社会悪だと。もちろん、他の分野でもそうした要素は一部見られるけど、当時のアイドル産業は純粋に、カリスマによる搾取のためだけに存在した。例えば他の芸能やスポーツは、芸の練度や試合中のパフォーマンスで魅せるでしょう。・・・翻って、アイドルはどう? 本当にパフォーマンスで魅せていたの? いいえ、あれはカリスマによって〝このアイドルを推したい〟と思い込ませていただけ」
「それは・・・さすがに極論というか。そもそも何だってアイドルのパフォーマンスは質が低い前提なんですか」
「低いでしょ実際。オペラなどに比べたら」
「そりゃ・・・あれですよ。好みの差ってやつです」
 とはいえ、ひびきの言わんとするところも一部理解はできるのだ。カリスマによって支持を集め、応援というかたちで金銭を集めることで成り立つ商売。いや、この際お金は問題じゃない。そのお金でもってアイドルに尽くした、とファンに思い込ませることが危険なのだ。
 尽くしたら、やはり尽くした分だけの何かが欲しい。あやめは悲しいかな、推しのライブに参加したことはない。ファンになった頃にはもう、推しのグループは軒並み解散させられていたからだ。が、それでも、もし推しのライブに参加していたなら、やはり何かしらの見返りを欲していただろうと思う。たとえそれが、気紛れでフロアに投げられた一瞥であっても。
 だから。
 その感情が反転した際に起こりうる悲劇も、また容易に想像できるのだ。
「だとしても・・・辛くはないんですか。だって、昔はお母様もそんなアイドルの一人だったんですよね? それを否定するってことは・・・」
 今度は、返事はなかった。さすがに怒らせたのかと思い、そっと反応を伺ったあやめは次の瞬間、思わず瞠目する。
 泣いていた。あの鉄仮面のようだった女が、一つだけ覗く瞳からぼろぼろと大粒の涙をこぼしていた。
「えっ・・・か、会長?」
「ご、ごめんなさい。でも・・・っ」
 スカートのポケットからハンカチを取り出し、爛れた目元に押し当てると、ひびきはなおもしゃくり上げながら続ける。
「それでも・・・っ、止まるわけにはいかなかった。私は、っ、臆病だから、ずっと、ずっと怖かった。父に見捨てられて、独りになったら私、もう、耐えられない。だから」
 えぐっえぐっと肩を震わせ、それでも真摯に言葉を紡ぐひびき。そんなひびきを見つめながら、あやめは、こんなに小柄な人だったのかと今更のように驚いていた。普段はもっと大きく見えた。壇上で演説をぶつ彼女。生徒会室にあやめを呼び出し、冷酷な命令を下す彼女。・・・その全ては、あるいは彼女が必死に張り続けた虚勢だったのかも。
「・・・独りじゃ、ないですよ」
「えっ・・・?」
 ハンカチから顔を上げるひびきに、あやめは柔らかく笑いかける。こんな女に、まさか自分がこんな笑みを向ける日が来るとは思っていなかった。
「あいつがいます。朝倉きららが。あいつは、絶対にあなたを独りにしない。そういうアイドルなんです、あいつは」
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