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19 ブレーキ不可のスピード
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朝食を終えると、ウェリナは同じ敷地内にある別棟へと消えてしまう。
普段ウェリナは、日中はその別棟で執務を行なうらしい。華やかな本邸に比べて無骨に見える石造りの三階建ては、傍目には牢獄か何かに見える。
その狭い入り口を、ウェリナの部下と思しき男たちがひっきりなしに出入りするが、制服だったり私服姿だったりと、いまいち服装に統一感がない。ただ、なぜか目つきや顔つきはどれも似通っていて、その鋭い顔つきに、俺は、むかしバイト帰りに職質をかけてきた刑事のおっさんを思い出す。これは勘だが、おそらく似たような仕事をウェリナは任されているのだろう。事件の捜査だとか治安維持だとか、とにかくそういう。
ウェリナの仕事についてはこのへんにして。
さて、俺はというと、この日はウェリナの屋敷を散策して過ごすことにした。どのみちしばらく世話になる場所だ。間取りを把握しておいて損はないだろうし、暇つぶしの一つや二つは見つけておきたい。幸い、ウェリナの屋敷は広大で、一日中歩き回っても飽きがこなかった。ホテルかと見紛うほど膨大な部屋数に、明らかに大家族用と思しき食堂、応接室、それに図書室。遊技室、なんてものもあった。気の置けない相手が屋敷を訪れた際は、そこでチェスやビリヤードを嗜みつつ接待するのだそう。確かに、遊びを交えた方が話ってのは弾むもんな。俺もよく、友人宅で格ゲーしながら学校だとかバイト先の愚痴を吐いたもんだ。
そうした部屋を繋ぐ長い廊下にも、来客を飽きさせない工夫が施されていた。窓から見える庭の緑と、随所に飾られた美術品の数々。美術品は、総じて油絵や彫刻が多く、系統としてはやはり西洋美術に近い。美的センスも元の世界のそれに近く、難しいことを考えずにすんなり鑑賞できたのは良かった。
探索と並行して、俺は、屋敷に勤める使用人の顔と名前をできるだけ頭に叩き込んだ。これまでの宮殿ぐらしで、そうした細かな努力がどれほど自分を助けてくれるかを俺は痛いほど学習していた。俺もバイトで経験があるが、上に名前を覚えてもらうのは思いのほかモチベが上がるもんだ。見られている、という緊張感にも繋がる。
それでも、俺の記憶力には限界があるので、二十人を超えたあたりで顔と名前が一致しなくなる。明日はメモ帳を用意して、それぞれの名前と特徴、あと、ちょっとした情報を書き添えながら覚えていこう。
そんなことを意識しながら歩いていると、これが結構疲れる。そんな時は、廊下の椅子やソファに気儘に腰を下ろす。すると、そこには大概いい感じの窓があって、ひとときの目の保養になる。
そして……そんな心づくしの設えに、俺はきまってウェリナを感じた。
嫌味で強引。正直言って、今もクソ野郎だとは思う。……なのに、そんな強気な態度の中に垣間見える脆さと優しさが、この、寄り添うような屋敷の空気にぴったりと重なるのだった。
……熱い。
あいつに握りしめられてから、右手の甲がやけに熱い。それを、できるだけ意識から除外していたのに、こうしてふと息をつくと、その隙をかいくぐるように感覚が、記憶が滑り込んでくる。
――これからたくさんのことを思い出してもらわなきゃいけない。わかるだろ、アル?
わからない。……いや違う、わかりたくないんだ俺は。
そう、本音を言えば、奴の望みや真意に気づいている。でも、それを認めてしまうのは、どこか後戻りのできない一方通行路に侵入してしまう怖さがある。……いや、これがただの一方通行路ならまだいい。自分の意志でブレーキをかけられるから。
でもそれが、ブレーキ不可のジェットコースターだったら?
普段ウェリナは、日中はその別棟で執務を行なうらしい。華やかな本邸に比べて無骨に見える石造りの三階建ては、傍目には牢獄か何かに見える。
その狭い入り口を、ウェリナの部下と思しき男たちがひっきりなしに出入りするが、制服だったり私服姿だったりと、いまいち服装に統一感がない。ただ、なぜか目つきや顔つきはどれも似通っていて、その鋭い顔つきに、俺は、むかしバイト帰りに職質をかけてきた刑事のおっさんを思い出す。これは勘だが、おそらく似たような仕事をウェリナは任されているのだろう。事件の捜査だとか治安維持だとか、とにかくそういう。
ウェリナの仕事についてはこのへんにして。
さて、俺はというと、この日はウェリナの屋敷を散策して過ごすことにした。どのみちしばらく世話になる場所だ。間取りを把握しておいて損はないだろうし、暇つぶしの一つや二つは見つけておきたい。幸い、ウェリナの屋敷は広大で、一日中歩き回っても飽きがこなかった。ホテルかと見紛うほど膨大な部屋数に、明らかに大家族用と思しき食堂、応接室、それに図書室。遊技室、なんてものもあった。気の置けない相手が屋敷を訪れた際は、そこでチェスやビリヤードを嗜みつつ接待するのだそう。確かに、遊びを交えた方が話ってのは弾むもんな。俺もよく、友人宅で格ゲーしながら学校だとかバイト先の愚痴を吐いたもんだ。
そうした部屋を繋ぐ長い廊下にも、来客を飽きさせない工夫が施されていた。窓から見える庭の緑と、随所に飾られた美術品の数々。美術品は、総じて油絵や彫刻が多く、系統としてはやはり西洋美術に近い。美的センスも元の世界のそれに近く、難しいことを考えずにすんなり鑑賞できたのは良かった。
探索と並行して、俺は、屋敷に勤める使用人の顔と名前をできるだけ頭に叩き込んだ。これまでの宮殿ぐらしで、そうした細かな努力がどれほど自分を助けてくれるかを俺は痛いほど学習していた。俺もバイトで経験があるが、上に名前を覚えてもらうのは思いのほかモチベが上がるもんだ。見られている、という緊張感にも繋がる。
それでも、俺の記憶力には限界があるので、二十人を超えたあたりで顔と名前が一致しなくなる。明日はメモ帳を用意して、それぞれの名前と特徴、あと、ちょっとした情報を書き添えながら覚えていこう。
そんなことを意識しながら歩いていると、これが結構疲れる。そんな時は、廊下の椅子やソファに気儘に腰を下ろす。すると、そこには大概いい感じの窓があって、ひとときの目の保養になる。
そして……そんな心づくしの設えに、俺はきまってウェリナを感じた。
嫌味で強引。正直言って、今もクソ野郎だとは思う。……なのに、そんな強気な態度の中に垣間見える脆さと優しさが、この、寄り添うような屋敷の空気にぴったりと重なるのだった。
……熱い。
あいつに握りしめられてから、右手の甲がやけに熱い。それを、できるだけ意識から除外していたのに、こうしてふと息をつくと、その隙をかいくぐるように感覚が、記憶が滑り込んでくる。
――これからたくさんのことを思い出してもらわなきゃいけない。わかるだろ、アル?
わからない。……いや違う、わかりたくないんだ俺は。
そう、本音を言えば、奴の望みや真意に気づいている。でも、それを認めてしまうのは、どこか後戻りのできない一方通行路に侵入してしまう怖さがある。……いや、これがただの一方通行路ならまだいい。自分の意志でブレーキをかけられるから。
でもそれが、ブレーキ不可のジェットコースターだったら?
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