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失せもの、探します

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 彼は、どうやら一人でここを訪れたらしかった。
 少なくとも母親が引率してきた様子はない。この店のことは母親に教わったのだろうが、それでも一人で来るあたり、いかにも年頃の男の子といった感がある。きっとクソババアだの何だのと生意気を言って引率を拒んだのだろう。
 どこかふてぶてしさを感じさせる口調。そのくせ視線は忙しなく泳いで、良くも悪くもこの年頃の少年らしいなぁと遠目に見守りながら思う。子供の万能感を引きずりながらも、自分が万能ではないことを認識できる程度には世界が広がり始める時期。そのアンバランスさがもたらす不安を無為に持て余すことしかできない難しいお年頃だ。
 そんな少年を、縁司くんはカウンター席に手招きする。招きに応じ、おずおずとスツールに腰を下ろす少年。首も腕も折れそうなぐらい細くて、その頼りなさが、彼の所在なさと相まって不思議な愛おしさを誘う。
「あの、それでスイッチは……」
「待て。その前にもう少しよく見せろ」
「え?」
 戸惑う少年。そんな少年をカウンター越しにじっと見下ろす縁司くん。そのまま一分ほどたっぷり少年を見据えた後で、ふむ、と縁司くんは小さく頷く。
「今の君にとって、それは悪縁だ。取り戻すべきじゃない」
「えっ? 悪……えん?」
「縁の質が悪いってことだ。友達にも、付き合うだけ損になる奴ってのがいるだろう。嘘で貶めてきたり、金を貸したのに返さなかったりする奴が。今のお前と、そのスイッチってやつを結ぶ縁がそれだ」
「は? えっ……いや、それは……」
 何か思い当たることがあるのか、ただでさえ落ち着きに欠ける少年はさらに目を泳がせる。そういえば、彼のお母さんも言っていた。ゲームにかまけて、それで成績が下がってしまったと。
「いや、でも、勉強ばかりじゃ息が詰まるし、気分転換のためにも、その、」
「そこは別に否定しない。ただ、何事も過ぎたるは及ばざるが如しってことだ」
 少年の言葉を、半ば遮るように返す縁司くん。ただ、口調はあくまでも穏やかで優しく、少年の未熟さを咎める刺々しさはない。
「気分転換もいい。ただ、限度が過ぎるとそれは停滞になる。立ち止まったぶん、得るはずだった成功や幸せから遠ざかってしまうんだ。そういう招かれざる結果をもたらしてしまう縁を、俺は、あえて悪縁と呼ぶことにしている。そして俺は、どれほど強く依頼者に請われようが、その手の縁は結び直さないことにしている」
「い……意味わかんねぇ……」
 確かに、いきなり縁がどうのと言われても、とくに今の若い子はピンと来ないだろう。
 ただ、少年の方も全く心当たりがないわけではなさそうだ。気まずそうに伏せられた目。本当は、今の自分がゲーム――自身の欲望とうまく付き合えていないことを、多少なりとも自覚しているのかもしれない。
「要するに、だ」
 なおも頑なに俯く少年に、言い聞かせるように縁司くんは続ける。
「これからは、まず自分の責任を十全に果たすこと。その上で時間や労力が余ったなら、ゲームでも何でも好きなことをすりゃいい。――こいつを俺に誓えるのなら、今すぐ縁を結び直してやる」
「……責任」
「ああ。君も、もう子供じゃないんだ。俺の言ってる意味はわかるな?」
 少年は、何か思うところがあったのだろう。考え込むように瞼を閉じる。
 おそらくこの子は、自分の問題を正しく理解している。ならば解決まではあと一歩だ。向き合い、その上で彼なりの答えを出す。そしてそれは、彼自身が行なわなくてはいけない。
 やがて瞼を上げると、それまでの不安げな顔をぎゅっと顔を引き締め、強い眼差しで縁司くんを見上げた。
「俺……ぶっちゃけ逃げてました。いくら勉強しても全然成績上がんなくて、でもゲームは、やればやっただけ成果が出て、何つーか、ほっとするんすよね。あ、努力ってちゃんと実るんだって。でも、勉強は……」
「成果が出ない?」
「はい。けど……やらなきゃ成績は下がるし、下がると余計にやる気がなくなって、んで、また下がって……でも、それじゃ、駄目……なんすよね。そこで逃げちゃ、駄目、なんだ」
 最後は彼自身に言い聞かすような少年の告白に、縁司くんはぱっと晴れやかに笑む。そんな縁司くんを見つめながら、不覚にも私は感心していた。
 彼にだけ視えるという〝縁〟。そこに良し悪しが存在するのか、そもそも縁自体実在するのか、それは彼にしかわからない。ともすれば彼が、少年の不摂生を諫めるためだけについた嘘の可能性だってある。……けれど、どちらにせよ彼が、少年の人生をより良き方向に導こうとしたことは事実なのだ。
「君の決意は伝わった。そういうことなら、その縁、結び直そう」
 そして縁司くんは、何やらぼそぼそと呟く。何かの呪文だろうかと思った矢先、聞き慣れないポップソングとともに少年が慌てて自分のポケットをまさぐる。やがて少年が取り出したのはスマホ。どうやら電話がかかってきたらしく、すぐにスマホを耳に当て、通話をはじめる。
 ほどなく少年は、目を丸くして叫ぶ。
「うそマジ!? ……うん、うん……えっ、データが? あ、うん……わかった。すぐ帰る」
 そして少年は通話を終えると、信じられない、という顔で縁司くんを見上げる。
「なんか……下取りに出してたやつが、買い取りできないって店から連絡が来たらしくて……つーか、ああいう中古ショップって、ハードを初期化してメモリを空にしないと下取りに出せないらしくて、でもオカン、そういうの全然知らないから……えっ、これって……」
 偶然なのか――そう言いたくなるのを必死に堪えているのが、途方に暮れた少年の横顔から伝わってくる。実のところ、私も少年に負けず劣らず面食らっていた。少年の話が本当なら、最初からスイッチは少年の元に戻る運命だった。縁司くんが呪文を唱えたそばから報せが届いたのはただの偶然。そう考えるのが妥当だ。
 でも私には、ただの偶然には思えなかった。
 縁司くんが呪文らしきものを唱えた瞬間、その身体が一瞬、淡く発光したのだ。あれは、どういう光だったのだろう。もし、縁司くんが何かしらの力を発動し、それが光として私の目に映っていたのなら。
「さぁ、ただ、少しでも俺に感謝してるなら、一杯ぐらい何か飲んでいってよ」
「えっ」
 そう声を漏らしたのは私だ。いや、報酬は貰わないって――ああ、でも、この場合はあくまで珈琲店としての売上だから問題はない……ないのか?
「……はぁ」
 少年は、なおも半信半疑のままスツールに座り直すと、店で一番苦い珈琲を、と、いかにもお年頃な注文を入れる。数分後、縁司くんが供したのはあのガツンと苦いマンデリンで、カップを口にするや少年は「うっ」と顔をしかめ、それでもブラックのまま、ちびり、ちびりと頑張って啜る。この年頃ならではの虚勢だよなぁ、と、私自身にもあった遠くて青い日々を思い出し、ちょっとだけ私は懐かしい気分になる。
 やがて、ようやくカップを空にすると、少年は手早く会計を済ませ、うきうきとドアに向かう。
「また来いよ。次はもうちょっと飲みやすいやつを出してやる」
「い、いいよ。さっきの、普通に美味かったし……」
 いや嘘だなと突っ込みたくなるほどあからさまな苦り顔で答えると、少年は今度こそドアを出ていった。
「さっきのあれ、やっぱり、縁司くんが……?」
 おそるおそる訊ねると、縁司くんは当たり前だろと言いたげにつんと顔を反らす。相変わらず嫌味な奴! でも、まぁ、ちょっとは見直した、かも……?
「さて、残るはあの人の縁だな」
 カップを下げ、手早くカウンターを拭きながら縁司くんが呟く。早くもその顔からは、さっきまでの人を食った笑みが失せている。
「……あの人?」
「母親の方だよ。縁自体はだいぶ弱まってるけど、失われちゃいない。……多分、まだ間に合うはずだ」
 
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