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路地裏乃猫

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待ってる

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 間もなく暦は八月を迎えようとしている。学校の暦で言えば、今はちょうど夏休みが始まったばかりの時期で、なるほど空港のロビーには、里帰りかそれとも旅行か、よそゆきの服に身を包む子供たちの姿がやけに目立つ。
  そんなわけで、普段なら平日の日中に直生がこんな場所をうろつけば、どうしてこんな場所に子供が、と奇異な目を向けられるものだが、今日に限っては、実に自然に風景の一部と化してしまっている。
  その直生は、今は自分の身体さえ入りそうな大きなトランクを引きずり、あの、いつぞや警察署で会った公安の男の背中を小走りで追っていた。が、トランクが重すぎるせいか、その足はややもすると遅れがちになり、そのたびに男を待たせる羽目になる。
 「曳いてあげようか?」
  ついに見かねた雪也が、そんな直生の背後から助け舟を出せば、
 「大丈夫です」
  と、頑なに拒む声が返ってくる。
 「僕だって、いつまでも先生に頼るわけにはいきませんから」
 「そ、それは……確かに、これからは頼れなくなるけど、でも、せめて手荷物検査場ぐらいまでは」
 「よせよ、雪也」
  そんな雪也のさらに背後から、今度は低く落ち着いた声が投げられる。
 「頼りたくないって言ってんだ。放っておけよ」
 「で、でも――」
  これが最後なんだ、と言いかけて雪也は口を噤む。最後だからと手を貸したがるのは、あくまで雪也のエゴでしかない。直生と離れたくない、ずっと自分のそばにいて欲しいという、執着心の表われでしかないのだ。――が、逆に直生の立場に立つなら、むしろ、最後だからこそ一人でも大丈夫だと雪也に示したいと、そう思うだろう。
  これから直生は、長い旅に出る。
  今から一か月ほど前、アメリカのとある資産家が、直生の引き取りをスクールに申し出てきた。一体どういう経緯で直生の窮状を知ったのかは知らないが、とにかく直生のような才能を、恵まれない環境ゆえに錆びつかせるのは勿体ないと引き取りを申し出たのだという。
  当初、その話に雪也は否定的だった。
  話を持ち込まれたのが、例の拉致未遂事件に遭遇して間もない頃だったから、ということもあった。
  あの事件を機に、雪也は、直生の才能をモノとして見なし、手に入れようと画策する勢力が確かに存在することを知った。今回話を寄せた資産家が、その手合いでないと一体誰が言いきれるのか。
  が、それ以上に雪也を突き動かしたのは、あの夜、直生を守れなかったことへの深い悔恨だった。
  あの時、もっと自分がしっかりしていれば――危険な存在を意識し用心していれば、あるいは、あのような目に直生を巻き込ませずに済んだのではないかと、そう、雪也は後悔を続けていた。その雪也にとって、直生を手放すことは、その責任を自ら放棄することと同義であった。まさにこれから、直生に対する償いの日々が始まるというその時に、なぜ、その直生を引き剥がされなくてはならないのか――と。
  そんな雪也の肩を、大きな手のひらがぽんと叩く。
 「だったらせめて、笑ってやれ。そんな泣きそうな顔してたら、あいつも心置きなく日本を離れられないだろ」
 「……うん」
  チェックカウンターで搭乗手続きを済ませ、続いてトランクを預けると、いよいよ雪也たちは手荷物検査場へと移った。
  ここは、空港へ見送りに訪れた客が、旅人との最後の挨拶を交わす別れの場所でもある。この日も、これから旅立つ乗客たちと、そんな彼らを見送る人々が、名残を惜しむように最後の言葉を交わす姿があちこちに見られた。
  そして、それは雪也たちにしても例外ではなく。
 「では、よろしくお願いします」
  雪也が頭を下げると、公安の男は「お任せください」と、彼にしては珍しく困ったような笑みを浮かべた。
 「あの時は、本当に申し訳ありませんでした。まさか我々も、連中があのような強引な手に出るとは予想だにしていなかったものですから」
  その言葉に、雪也は苦笑いだけで答える。確かに、納税者としてはもう少し彼らに確かな仕事を求めたかったところだ。
  もっとも、その後の隠蔽工作だけはさすがの一言で、その後、雪也たちがマスコミのカメラに追われることなく普通の市民生活を送ることができたのも、ひとえに彼らのおかげと言っていい。
  その彼が今回、警護も兼ねて直生に付き添い、アメリカに飛んでくれると聞いたときは、ほっとしたというよりは、今度こそ大丈夫なのだろうなという不安を雪也は抱いたのだが、もちろんそんなことは口が裂けても言わないし、言えない。
 「私では不安ですか?」
  その彼に、だしぬけに図星を突かれ、雪也は狼狽える。
 「い、いえ、そういうわけでは」
 「いいんですよ。確かに一度、我々は取り返しのつかない失態を犯していますからね。吾妻さんが不安に思われるのも無理はない」
 「……すみません」
  なぜか申し訳なくなって雪也が頭を下げる。と、
 「ところであれは、本当に吾妻さんの仕業ではないのですよね?」
 「えっ?」
  顔を上げる。男のいたずらっぽく見下ろす視線と鉢合い、慌てて雪也は目を逸らす。
 「ち、違います……あれは、そう、宇宙人です。宇宙人が来て……」
  公安の監視チームが現場に到着した時、すでに〝襲撃者〟の姿はそこになく、ヘッドライトの明かりの中、失神し無造作に転がされた工作員たちと、その傍らに眠りこける直生、そして、気を失い倒れる雪也の姿が残るばかりだった。この状況証拠のみを見れば、雪也が必死の抵抗を試みて彼らを返り討ちにしたとしか思えないだろう。
  が、むろん、事実はそうではなく――
 「あれ? 知らないんですか公安さん。この人、こう見えて空手も柔道も合気道もぜーんぶ黒帯なんですよ。それも全部マスタークラス」
 「駆っ!」
  すかさず横目で睨みつける。犯人はお前のくせにとぶちまけたくなるのを、辛うじて残った理性で雪也はぐっと堪えた。
  あの一件をきっかけに、二人の無言生活は終わりを告げたものの、だからといって駆が、大事な話をはぐらかせることをやめたわけではなかった。さすがに、あの場に助けに現れたことだけは認めたものの、なぜ、あの場所が分かったのかといった質問には、ついに答えてはくれなかった。
  ただ、時期が来れば話すとだけ言って――
  その〝時期〟がいつ訪れるのかも、雪也には全く分からないのだけど。
  ふと、視線に気づいて目を落とす。直生が、何かを言いたげにじっと雪也を見上げていた。
 「どうしたの、直生くん」
 「最後に、一つだけお願いしてもいいですか」
 「うん。なに?」
 「僕、大人になったら、タイムマシンを作ろうと思っています」
 「……へ?」
  タイムマシン? と雪也が問い直すと、直生は「はい」と大きく頷いた。
  むろん、顔は大真面目だ。
 「ええと……タイムマシンって、あの……映画や漫画に出てくる、あの機械のこと……だよね?」
 「はい」
 「そ、そっか。……で、この場合、お願いっていうのは……ひょっとして、一緒に過去に行って恐竜を見に行きましょう、とか、そういう感じのことかな?」
  すると今度は、直生はふるふるとかぶりを振って、
 「違います。お付き合いしてほしいんです」
 「え?」
 「僕、必ず帰ってきます。立派な大人になって――その時には先生、今度こそ、僕の気持ちを受け取ってくれますか」
 「……」
  そういえば、と雪也は思い出す。あれは――最初に直生が告白した時のことだったろうか。
  ――じゃあ、大人になって告白したらいいんですね。
  あの時、確かに直生はそう言った。
  あれは、では、大人になった直生が年老いた雪也に告白するのではなく、未来から戻った大人の直生が、今の雪也に告白するという意味だったのか。
  今更のように雪也は、直生のまっすぐな気持ちに胸を熱くする。
  本気なのだ。直生は。本気で雪也を好きでいてくれて、その気持ちを、未来への希望として大事にしてくれている……
  だが。
  現に今、雪也には駆という恋人がいて、その駆を、雪也は心から愛している。
  本当は、駆が雪也を愛してもなく、信頼すらしていないとしても、その気持ちは、決して揺らぐことはない。
  どうする。きっぱり断るべきか。
  それとも、どうせタイムマシンなど実現できないのだからと、調子ばかり良いだけの言葉で安っぽく請け合うか……
 「おい」
  ふと挟まれた声に、雪也は我に返る。
  振り返ると、駆が、これ以上無理なという顰めっ面で直生を見下ろしていた。
 「あんな目に遭って少しはしおらしくしてると思ったら、なに勝手に人の恋人口説いてんだ、このガキっ」
 「いいじゃないですか別に。それよりおじさん、未来から戻ってきたら、今度こそ本当に先生を取り返してみせますから」
 「ハハッ、その大事な先生が暴漢どもにやられてるって時に、バカみたいに眠りこけてた奴がよく言うぜ」
  ぐっ、と直生は唇を噛みしめる。よほど悔しかったのだろう、白い前歯の食い込む唇が、今にも破れて血が滲み出そうだ。
  が、あれはそもそも直生の責任ではなく――実際あの後、直生の身体からは、日本では使用が認められていない睡眠薬の成分が検出された――、強いて言えば、あの工作員どもが悪いのだ。駆にしても、その話を知っているはずなのだが、それでもこんな弄り方をするのは、もはや意地悪を通り越してサディストと言うほかない。
 「……今度こそ、助けますから」
 「えっ?」
 「今度は僕が先生を助けますから。だから……もし、僕が帰ってきたら……」
  そして直生は身を翻すと、男を追って検査場のゲートへと向かった。
  振り返る間際、そのベルトに下げたキーホルダーが空中で弧を描く。遊園地に行ったあの日、駆に子供と罵られるのを我慢してまで買った、あのマスコットのキーホルダーだ。
  瞬間、これまで直生と重ねた思い出が次々とよみがえり、雪也の胸を苦しくした。騒がしくて、でも、それ以上に楽しい日々だった。こんな時間がずっと続けばいいと、そう、本気で思えるほどの……
 「待ってるから!」
  気付くと、雪也はそう叫んでいた。
 「ちゃんと、戻ってくるって……信じてるから! だから、絶対――」
  それ以上は、もう、言葉を繋ぐことができなかった。涙で声が詰まって、声を上げることさえできなかった。
  その間も直生は、一人で手荷物の検査を終え、ゲートをくぐってゆく。その、すでに遠くなった背中に、雪也は絞り出すように呟いた。
 「……待ってるから」
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