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疾風
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よりにもよって、こんな目に遭遇する日が来るなんて……
得体の知れない男たちの、無駄に屈強な筋肉に挟まれつつ車の後部座席に揺られながら、雪也は自分の運命の数奇さを呪わずにはいられなかった。
天下の公道のど真ん中で車を降ろされ、彼らの車へと拉致された雪也は、今は直生とともに彼らの車に揺られ、まるで愉快ではないドライブを強いられていた。
直生は別の車の後部座席に、雪也と同様、やはり男たちに両脇を固められるかたちで乗せられている。逃亡防止のつもりだろうが、先程のノロノロ運転が嘘のように、今は九十キロ近くのスピードで飛ばすこの車から、アクション俳優さながらに十歳の子供が飛び降りるわけがない。
それにしても、と雪也は思う。一体、この車はどこに向かっているのだろう……
方角的には、この町に唯一ある港に向かっているらしい。まさか船で外国に連れ出すつもりか? しかし、それはいくら何でも無謀というものだ。そもそもこの町の港は、いわゆる貿易港ではなく、せいぜい民間の定期便がちらほらと出入りする程度で、しかも、そのほとんどは国内航路の船だ。そんな港から、民間の船を装った工作船で国外に逃亡を図ったところで、海上保安庁に拿捕されるのがオチだ――
いや待て、と雪也は思い直す。そういえば最近、港に国際クルーズ船用の埠頭が完成したというニュースを聞いたことが……
まさか、その船に?
そうこうするうち、やがて車は雪也も良く知る町の港に到着する。そして案の定、その埠頭には、ホテルかと見まがうほどの巨大クルーズ船が堂々と横づけされていた。
埠頭は、今まさに乗船手続の最中なのだろう、多くの人やバスでごったがえしている。どうやら男たちは、この混雑に乗じて直生たちを船に連れ込むつもりらしい。
国際法によれば、国際航路を行く船の船内は、旗国主義といい、船が掲揚する国旗の領土としてみなされることになっている。つまり、船に乗せさえすればそこは彼らの国となり、日本の警察も容易には踏み込むことができなくなる。
逆に言えばそれは、船に連れ込まれた時点で雪也たちの命運が尽きることを意味した。
「あ、あなた方は、直生くんをどうするつもりなんですか」
どうせ答えてはくれないだろうと思い、右隣の男に尋ねる。と、
「日本ハ、ナオ、イラナイネ。ワタシタチノ国、ナオ、イル。トテモ、イル」
「い、要るって……直生くんは物じゃないんですよ! 要るとか要らないとか、そんな理由で外国に拉致するなんて、そんなことが人道上許されると思っているんですか!?」
ハハハハハ。
乾いた笑いが運転席から響く。笑いはすぐに他の男たちにも伝播して、やがて車内全体が耳を覆いたくなるほどの汚らしい笑声に覆われた。
「人道関係ナイネ。必要ナラ手ニ入レル。ソレダケ」
「……」
雪也はぎゅっと下唇を噛みしめる。どうやら言葉の壁以前に、彼らとの間には決定的な意見の相違が立ち塞がっているらしい。
車は観光客でにぎわう埠頭を横目に、人けの少ない倉庫街のエリアへと進んでいった。
おそらく、この倉庫街のどこかで直生たちを観光客に偽装させ、その上で船に送り込むつもりでいるのだろう。確かに、この辺りは観光用の埠頭とは違って照明も少なく、ヘッドライトが切り取る丸い空間以外は暗幕のような闇に閉ざされているから、悪人が悪事を働くにはうってつけの舞台設定と言えるだろう。
やがて車は、とある古倉庫の前で止まる。男たちにどつかれながら車を降りると、同じく倉庫の前で止まった別の車から、直生が、その小さな身体を男に抱きかかえられながら降りてきた。
男の腕の中で、直生は目を閉じたままぐったりとしている。まさか、あんな見も知らない男たちと一緒に乗る車で居眠りというのは考えられない。
まさか、妙な薬を打たれて……? いや、相手は直生をモノ扱いして憚らない連中だ。その程度のことは平気でするだろう。
「直生くん!」
これ以上、直生を好きにさせるわけにはいかない。そう決意し、雪也が彼のもとに駆け寄ろうとしたその時、突然、背後から強い力で蹴りつけられ、雪也は固いコンクリートの地面に叩きつけられた。
ぐっ、と思わず呻いたところへ、さらに横腹に重い一発を食らう。あくまでも容赦のない彼らのやりように、雪也はふと、連中の本当の思惑を見た気がした。
片付けるつもりなのだ。雪也を。この場で。
間違いない。そもそも連中にとって必要なのは直生一人であって、雪也は、直生を拉致する過程でたまたまついてきた瘤のようなものでしかない。少なくとも、雪也が連中の立場ならばそうするだろう。
殺されるのか? ここで?
雪也の脳裏を、ふと、彼の――駆の姿がよぎる。このまま、永遠に別れてしまうのだろうか。何も、何一つ分かり合えないままで……
いや、この際そんなことはどうでもいい。悔しいのは、伝えるべき言葉を何一つ伝えきれずに終わってしまうことだ。本当はこんなにも愛しているのに。分かり合いたいと願っているのに――その気持ちを、一パーセントも伝えきれずに。
「……駆」
口の中に、じわり血の味が広がる。その無機質な味わいが、雪也の心をいっそう惨めなものにした。
こんな寂しい場所で、こんな残酷な連中に囲まれながら僕は死ぬのか。
ただ一人、愛する人に、愛しているとも告げられないまま……
「ぎゅへっ!」
頭上で、潰れた蛙を思わせる悲鳴が聞こえて雪也は視軸を空に向ける。つい先程まで目の前に立っていたはずの男の姿はすでにそこになく、代わりに、腹立たしいほどきれいな星空が倉庫街の屋根の上に広がっていた。
「え……?」
続いて、どこかでやはり醜い悲鳴が散発し、かと思えば、何かが潰れ、折れる鈍い音が合唱のように響き合う。
一体、何が起こっている……?
おそるおそる、雪也は身を起こす。――瞬間、目の前に広がる意外な光景に、雪也はしばし呆然となった。
倒れていた。男たちが。ヘッドライトが照らす楕円形の空間に、まるで壊れた人形のように四肢を不自然な方向に投げ出し、折り重なるようにして倒れていたのだ。
「……何が」
その時、タタタタ……と軽快な機械音が背後で聞こえ、見ると、生き残った男の一人が腰だめに構えた自動小銃を闇に向けてぶっ放しているところだった。まさか小銃まで、と雪也が怯えるというよりは呆れたその時、小銃が狙う闇の奥で何かが動き、次の瞬間、それは人の形となって光の中に飛び出してきた。
と同時に小銃の男は、影が放った鮮やかな飛び蹴りによって小銃もろとも吹っ飛ばされ、背後の倉庫に勢いよく叩きつけられた。
そして、それきりぴくりとも動かなくなった。
が、雪也はこの時、すでに小銃の男には目もくれていなかった。現れた影の意外な正体に、その目を釘付けにされていたからだ。
シンプルなデザインの黒づくめの上下に、いかにも野戦用といったジャングルブーツ。たまたま近くを通りかかって助けに入ったのではない。純粋に、今の戦闘のためにそれらの装備を用意し、そして助けに来たにちがいない。
だとしても。
どうして、ここに駆が。
「雪也」
その声が、聞き慣れた声で雪也の名を呼ぶ。声も、その調子も、駆が雪也の名を呼ぶときのそれで間違いない。しかし、だとしても、なぜ……?
ふと意識が遠のくのを感じて、雪也はコンクリートの地面に倒れ込む。堅い地面に叩きつけられると身構えた刹那、ふっとやわらかな力に抱き止められ、見ると、駆の黒く大きな双眸が雪也の顔を間近に覗き込んでいた。
その唇が、悔しそうに何かを呟く。
それが、「また、助けられなかった」と口にしているのだと気づいたその時には、雪也の意識は早くも深い闇の底へと降下をはじめていた。
得体の知れない男たちの、無駄に屈強な筋肉に挟まれつつ車の後部座席に揺られながら、雪也は自分の運命の数奇さを呪わずにはいられなかった。
天下の公道のど真ん中で車を降ろされ、彼らの車へと拉致された雪也は、今は直生とともに彼らの車に揺られ、まるで愉快ではないドライブを強いられていた。
直生は別の車の後部座席に、雪也と同様、やはり男たちに両脇を固められるかたちで乗せられている。逃亡防止のつもりだろうが、先程のノロノロ運転が嘘のように、今は九十キロ近くのスピードで飛ばすこの車から、アクション俳優さながらに十歳の子供が飛び降りるわけがない。
それにしても、と雪也は思う。一体、この車はどこに向かっているのだろう……
方角的には、この町に唯一ある港に向かっているらしい。まさか船で外国に連れ出すつもりか? しかし、それはいくら何でも無謀というものだ。そもそもこの町の港は、いわゆる貿易港ではなく、せいぜい民間の定期便がちらほらと出入りする程度で、しかも、そのほとんどは国内航路の船だ。そんな港から、民間の船を装った工作船で国外に逃亡を図ったところで、海上保安庁に拿捕されるのがオチだ――
いや待て、と雪也は思い直す。そういえば最近、港に国際クルーズ船用の埠頭が完成したというニュースを聞いたことが……
まさか、その船に?
そうこうするうち、やがて車は雪也も良く知る町の港に到着する。そして案の定、その埠頭には、ホテルかと見まがうほどの巨大クルーズ船が堂々と横づけされていた。
埠頭は、今まさに乗船手続の最中なのだろう、多くの人やバスでごったがえしている。どうやら男たちは、この混雑に乗じて直生たちを船に連れ込むつもりらしい。
国際法によれば、国際航路を行く船の船内は、旗国主義といい、船が掲揚する国旗の領土としてみなされることになっている。つまり、船に乗せさえすればそこは彼らの国となり、日本の警察も容易には踏み込むことができなくなる。
逆に言えばそれは、船に連れ込まれた時点で雪也たちの命運が尽きることを意味した。
「あ、あなた方は、直生くんをどうするつもりなんですか」
どうせ答えてはくれないだろうと思い、右隣の男に尋ねる。と、
「日本ハ、ナオ、イラナイネ。ワタシタチノ国、ナオ、イル。トテモ、イル」
「い、要るって……直生くんは物じゃないんですよ! 要るとか要らないとか、そんな理由で外国に拉致するなんて、そんなことが人道上許されると思っているんですか!?」
ハハハハハ。
乾いた笑いが運転席から響く。笑いはすぐに他の男たちにも伝播して、やがて車内全体が耳を覆いたくなるほどの汚らしい笑声に覆われた。
「人道関係ナイネ。必要ナラ手ニ入レル。ソレダケ」
「……」
雪也はぎゅっと下唇を噛みしめる。どうやら言葉の壁以前に、彼らとの間には決定的な意見の相違が立ち塞がっているらしい。
車は観光客でにぎわう埠頭を横目に、人けの少ない倉庫街のエリアへと進んでいった。
おそらく、この倉庫街のどこかで直生たちを観光客に偽装させ、その上で船に送り込むつもりでいるのだろう。確かに、この辺りは観光用の埠頭とは違って照明も少なく、ヘッドライトが切り取る丸い空間以外は暗幕のような闇に閉ざされているから、悪人が悪事を働くにはうってつけの舞台設定と言えるだろう。
やがて車は、とある古倉庫の前で止まる。男たちにどつかれながら車を降りると、同じく倉庫の前で止まった別の車から、直生が、その小さな身体を男に抱きかかえられながら降りてきた。
男の腕の中で、直生は目を閉じたままぐったりとしている。まさか、あんな見も知らない男たちと一緒に乗る車で居眠りというのは考えられない。
まさか、妙な薬を打たれて……? いや、相手は直生をモノ扱いして憚らない連中だ。その程度のことは平気でするだろう。
「直生くん!」
これ以上、直生を好きにさせるわけにはいかない。そう決意し、雪也が彼のもとに駆け寄ろうとしたその時、突然、背後から強い力で蹴りつけられ、雪也は固いコンクリートの地面に叩きつけられた。
ぐっ、と思わず呻いたところへ、さらに横腹に重い一発を食らう。あくまでも容赦のない彼らのやりように、雪也はふと、連中の本当の思惑を見た気がした。
片付けるつもりなのだ。雪也を。この場で。
間違いない。そもそも連中にとって必要なのは直生一人であって、雪也は、直生を拉致する過程でたまたまついてきた瘤のようなものでしかない。少なくとも、雪也が連中の立場ならばそうするだろう。
殺されるのか? ここで?
雪也の脳裏を、ふと、彼の――駆の姿がよぎる。このまま、永遠に別れてしまうのだろうか。何も、何一つ分かり合えないままで……
いや、この際そんなことはどうでもいい。悔しいのは、伝えるべき言葉を何一つ伝えきれずに終わってしまうことだ。本当はこんなにも愛しているのに。分かり合いたいと願っているのに――その気持ちを、一パーセントも伝えきれずに。
「……駆」
口の中に、じわり血の味が広がる。その無機質な味わいが、雪也の心をいっそう惨めなものにした。
こんな寂しい場所で、こんな残酷な連中に囲まれながら僕は死ぬのか。
ただ一人、愛する人に、愛しているとも告げられないまま……
「ぎゅへっ!」
頭上で、潰れた蛙を思わせる悲鳴が聞こえて雪也は視軸を空に向ける。つい先程まで目の前に立っていたはずの男の姿はすでにそこになく、代わりに、腹立たしいほどきれいな星空が倉庫街の屋根の上に広がっていた。
「え……?」
続いて、どこかでやはり醜い悲鳴が散発し、かと思えば、何かが潰れ、折れる鈍い音が合唱のように響き合う。
一体、何が起こっている……?
おそるおそる、雪也は身を起こす。――瞬間、目の前に広がる意外な光景に、雪也はしばし呆然となった。
倒れていた。男たちが。ヘッドライトが照らす楕円形の空間に、まるで壊れた人形のように四肢を不自然な方向に投げ出し、折り重なるようにして倒れていたのだ。
「……何が」
その時、タタタタ……と軽快な機械音が背後で聞こえ、見ると、生き残った男の一人が腰だめに構えた自動小銃を闇に向けてぶっ放しているところだった。まさか小銃まで、と雪也が怯えるというよりは呆れたその時、小銃が狙う闇の奥で何かが動き、次の瞬間、それは人の形となって光の中に飛び出してきた。
と同時に小銃の男は、影が放った鮮やかな飛び蹴りによって小銃もろとも吹っ飛ばされ、背後の倉庫に勢いよく叩きつけられた。
そして、それきりぴくりとも動かなくなった。
が、雪也はこの時、すでに小銃の男には目もくれていなかった。現れた影の意外な正体に、その目を釘付けにされていたからだ。
シンプルなデザインの黒づくめの上下に、いかにも野戦用といったジャングルブーツ。たまたま近くを通りかかって助けに入ったのではない。純粋に、今の戦闘のためにそれらの装備を用意し、そして助けに来たにちがいない。
だとしても。
どうして、ここに駆が。
「雪也」
その声が、聞き慣れた声で雪也の名を呼ぶ。声も、その調子も、駆が雪也の名を呼ぶときのそれで間違いない。しかし、だとしても、なぜ……?
ふと意識が遠のくのを感じて、雪也はコンクリートの地面に倒れ込む。堅い地面に叩きつけられると身構えた刹那、ふっとやわらかな力に抱き止められ、見ると、駆の黒く大きな双眸が雪也の顔を間近に覗き込んでいた。
その唇が、悔しそうに何かを呟く。
それが、「また、助けられなかった」と口にしているのだと気づいたその時には、雪也の意識は早くも深い闇の底へと降下をはじめていた。
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