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やるべきこと
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翌朝。起きてみると身体がひどくだるかった。体温計で熱を測ると三七度五分。薬で抑えれば何とか仕事に行けなくもないが、決して油断はできない体調だ。
「ったく、あんな所で寝るから……」
テーブルの向こうで、拓海がいたずらの過ぎた子供に言い聞かすようにぼやく。
「ごめ、っ、げほっ、げほげほっ、」
喉の奥がいがらんで、何かを喋るとすぐに咳が出てしまう。仕方なく、「ごめん」と目顔で伝えると、拓海はむぅと怖い顔で押し黙った。
何だか気まずくなって、蒼は手元の粥――もちろん手作りではなく、拓海が急ぎコンビニから買ってきたインスタントだ――に目を落とす。
昨夜、ソファに横になったまま物思いにふけっていた蒼は、そのまま、ついうっかり眠りこけてしまった。深夜、帰宅した拓海に起こされた時には、全身という全身が部屋の冷気に体温を奪われ、恐ろしく凍えきっていた。
その後、拓海が急ぎ風呂を沸かしてくれて、どうにか身体を温めたものの、努力も空しくこの体たらくというわけである。
「とにかく、午前中に一度病院で診てもらった方がいいって。会社は午後からってことにしてさ。ただの風邪じゃない可能性もあるし」
「い、いいよ。この程度の風邪なら市販薬でも……げほっ、ごほっ!」
「駄目だ!」
蒼の言葉に、拓海は椅子を蹴って立ち上がると、テーブルを回り込み、蒼の肩を掴んで強引に振り向かせた。
聞き分けのない恋人を、拓海はいつになく強い双眸で見下ろす。こうして真面目な顔をすれば驚くほどいい男なのにな、と、熱で霞みかけた意識で蒼はぼんやりと思った。
「とにかく、それ食べたらすぐ病院行く。俺も一緒に行ってやるから。な?」
「え? でも拓海、今日は仕事じゃ……」
「ばーか。病気の恋人ほっといて仕事になんか行けるか。大丈夫、店長に事情話して、仕事は午後からってことにしてもらうから」
異論は許さない。そんな眼差しに射すくめられると、蒼は黙って頷くほかなかった。
とりあえず無理やり粥を流し込むと、蒼はスゥエットのまま、半ば拓海に連行されるかたちで近所の病院へと向かった。
長身の拓海に腕を取られて歩いていると、小柄な蒼は、まるで大柄な米兵に囚われた宇宙人のような絵面になってしまう。そんな二人を、登校中の小学生が指を差して笑うから、その恥ずかしさたるや顔が爆発するかと思われるほどだった。中には、「でこぼこホモ」となかなか的を射たコピーを口にするガキもいて、蒼は病気を通り越していっそこのまま死にたいと少し本気で思った。
「あの……一人で歩けるから、だから、せめて手離して」
「離さない」
「いや、逃げないし……っていうか逃げる体力自体ないし」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題なんだよ」
「気持ちの問題」
「……あ、そう」
「ひょっとしてさ」
「ん?」
「昨日は、俺のこと待っててソファで寝てたの?」
「そ……それは……」
正直に言えば、何故あの場で寝てしまったのかは蒼自身にもよくわからない。ただ昨夜は、いつになく気分がささくれていて、着替えすら済ます気が起こらなかったことは確かだ。
正直、琢己にはもう会わない方がいいと思うし、何より会いたくない。
にもかかわらず会ってしまうのは、ほとんど狂っていると言っても良かった。あるいは精神病の一種かもしれないが、詳しいことは蒼にもよくわからない。
「ごめんな」
「え?」
「俺が、最近毎晩家を空けてるから、だから寂しかったんだろ? ほんと、ごめん」
「……」
違う。そうじゃない。
本当は拓海のことを裏切っていて――これは、だからその罰なのだ。
「ごめん、やっぱ離して」
「は? だから言ったろ、離さないって、」
「いいから離せよッッ!」
ほとんど絶叫に近い声で怒鳴る。案の定、喉がいがらんで咳が止まらなくなったが、それでも蒼は拓海を睨み続けた。
「……わかったよ」
渋々、という顔で拓海は手を離す。その、どこか寂しげな表情が蒼の心には痛かった。
「でも、きつくなったらすぐに言えな?」
咳を堪えながら、無言で蒼は頷く。その優しい声色に、咳のせいではない涙が溢れそうになり、蒼は堪らなくなる。
「ほんと、無理すんなよ? 蒼の場合、すぐに無理してこじらせるから……去年もそうだったろ?」
「……うん」
昨年の冬、やはり風邪をこじらせた蒼は、しかし、すぐには病院に行かず、市販薬を飲んでそのまま会社に出かけてしまった。
ところが夕方になり急激に症状が悪化。結局、会社で倒れてしまい、救急車まで呼ぶ騒ぎとなった。
この時、たまたま保険証を家に置いており、それを搬送先の病院に急ぎ持ってきてくれたのが拓海だった。だから拓海に無理をするなと言われると、前科を持つ蒼としては素直に頷かざるをえない。
そういえばあの時も、拓海は店を早退してまで蒼を見舞ってくれたのだ。
ようやく行きつけの内科医院に到着する。受付で保険証を出し、待合室のソファで拓海と並んで待っていると、ふと拓海が何かを思いつめたように切り出した。
「最近さ、何か心配事でもあるの?」
「……えっ?」
「いや。でも近頃、蒼ってばずっと顔色悪いし、それに、何かすげぇ辛そうにしてるから」
その言葉に、蒼は思わず息を呑む。
てっきり気付かれていないものと思っていた。そもそも拓海は、どちらかといえば勘が鈍く、だから今回のことも蒼が打ち明けないかぎり永久に気付くことはないだろうと――
だから琢己と会っているのか?
どうせ、拓海にはバレないと高を括っているから?
「そ……そんなこと、ない……」
厭な汗がつるり背中を流れて、その不愉快さに蒼は堪らなくなる。
一体、自分の真意はどこにあるのだろう。ダミーにすぎない拓海が自分の手のひらで愚弄されるのを、陰で楽しんでいるに過ぎないのだろうか。だとすれば、これほど悍ましい人間も他にいるまい……
「蒼」
「え?」
顔を上げる。目の前に、じっと蒼の顔を覗き込む拓海の顔が迫っていた。
「呼ばれてる。ほら、行こ」
「あ……うん」
手を引かれ、立ち上がる。その、蒼の手を握りしめる拓海のしなやかな指先が、意外と強い握力が、蒼にはどうしようもなく愛おしく、そして遠く感じられた。
――別れなければ。
ふと蒼は、そう、強く思った。
全てを打ち明けて、罪を償って別れよう。そして、もう二度と恋はしないと誓おう。それが、拓海に対する唯一の償いになるのなら……
が、だとすれば、その前にどうしても蒼にはやるべきことがあった。
「ったく、あんな所で寝るから……」
テーブルの向こうで、拓海がいたずらの過ぎた子供に言い聞かすようにぼやく。
「ごめ、っ、げほっ、げほげほっ、」
喉の奥がいがらんで、何かを喋るとすぐに咳が出てしまう。仕方なく、「ごめん」と目顔で伝えると、拓海はむぅと怖い顔で押し黙った。
何だか気まずくなって、蒼は手元の粥――もちろん手作りではなく、拓海が急ぎコンビニから買ってきたインスタントだ――に目を落とす。
昨夜、ソファに横になったまま物思いにふけっていた蒼は、そのまま、ついうっかり眠りこけてしまった。深夜、帰宅した拓海に起こされた時には、全身という全身が部屋の冷気に体温を奪われ、恐ろしく凍えきっていた。
その後、拓海が急ぎ風呂を沸かしてくれて、どうにか身体を温めたものの、努力も空しくこの体たらくというわけである。
「とにかく、午前中に一度病院で診てもらった方がいいって。会社は午後からってことにしてさ。ただの風邪じゃない可能性もあるし」
「い、いいよ。この程度の風邪なら市販薬でも……げほっ、ごほっ!」
「駄目だ!」
蒼の言葉に、拓海は椅子を蹴って立ち上がると、テーブルを回り込み、蒼の肩を掴んで強引に振り向かせた。
聞き分けのない恋人を、拓海はいつになく強い双眸で見下ろす。こうして真面目な顔をすれば驚くほどいい男なのにな、と、熱で霞みかけた意識で蒼はぼんやりと思った。
「とにかく、それ食べたらすぐ病院行く。俺も一緒に行ってやるから。な?」
「え? でも拓海、今日は仕事じゃ……」
「ばーか。病気の恋人ほっといて仕事になんか行けるか。大丈夫、店長に事情話して、仕事は午後からってことにしてもらうから」
異論は許さない。そんな眼差しに射すくめられると、蒼は黙って頷くほかなかった。
とりあえず無理やり粥を流し込むと、蒼はスゥエットのまま、半ば拓海に連行されるかたちで近所の病院へと向かった。
長身の拓海に腕を取られて歩いていると、小柄な蒼は、まるで大柄な米兵に囚われた宇宙人のような絵面になってしまう。そんな二人を、登校中の小学生が指を差して笑うから、その恥ずかしさたるや顔が爆発するかと思われるほどだった。中には、「でこぼこホモ」となかなか的を射たコピーを口にするガキもいて、蒼は病気を通り越していっそこのまま死にたいと少し本気で思った。
「あの……一人で歩けるから、だから、せめて手離して」
「離さない」
「いや、逃げないし……っていうか逃げる体力自体ないし」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題なんだよ」
「気持ちの問題」
「……あ、そう」
「ひょっとしてさ」
「ん?」
「昨日は、俺のこと待っててソファで寝てたの?」
「そ……それは……」
正直に言えば、何故あの場で寝てしまったのかは蒼自身にもよくわからない。ただ昨夜は、いつになく気分がささくれていて、着替えすら済ます気が起こらなかったことは確かだ。
正直、琢己にはもう会わない方がいいと思うし、何より会いたくない。
にもかかわらず会ってしまうのは、ほとんど狂っていると言っても良かった。あるいは精神病の一種かもしれないが、詳しいことは蒼にもよくわからない。
「ごめんな」
「え?」
「俺が、最近毎晩家を空けてるから、だから寂しかったんだろ? ほんと、ごめん」
「……」
違う。そうじゃない。
本当は拓海のことを裏切っていて――これは、だからその罰なのだ。
「ごめん、やっぱ離して」
「は? だから言ったろ、離さないって、」
「いいから離せよッッ!」
ほとんど絶叫に近い声で怒鳴る。案の定、喉がいがらんで咳が止まらなくなったが、それでも蒼は拓海を睨み続けた。
「……わかったよ」
渋々、という顔で拓海は手を離す。その、どこか寂しげな表情が蒼の心には痛かった。
「でも、きつくなったらすぐに言えな?」
咳を堪えながら、無言で蒼は頷く。その優しい声色に、咳のせいではない涙が溢れそうになり、蒼は堪らなくなる。
「ほんと、無理すんなよ? 蒼の場合、すぐに無理してこじらせるから……去年もそうだったろ?」
「……うん」
昨年の冬、やはり風邪をこじらせた蒼は、しかし、すぐには病院に行かず、市販薬を飲んでそのまま会社に出かけてしまった。
ところが夕方になり急激に症状が悪化。結局、会社で倒れてしまい、救急車まで呼ぶ騒ぎとなった。
この時、たまたま保険証を家に置いており、それを搬送先の病院に急ぎ持ってきてくれたのが拓海だった。だから拓海に無理をするなと言われると、前科を持つ蒼としては素直に頷かざるをえない。
そういえばあの時も、拓海は店を早退してまで蒼を見舞ってくれたのだ。
ようやく行きつけの内科医院に到着する。受付で保険証を出し、待合室のソファで拓海と並んで待っていると、ふと拓海が何かを思いつめたように切り出した。
「最近さ、何か心配事でもあるの?」
「……えっ?」
「いや。でも近頃、蒼ってばずっと顔色悪いし、それに、何かすげぇ辛そうにしてるから」
その言葉に、蒼は思わず息を呑む。
てっきり気付かれていないものと思っていた。そもそも拓海は、どちらかといえば勘が鈍く、だから今回のことも蒼が打ち明けないかぎり永久に気付くことはないだろうと――
だから琢己と会っているのか?
どうせ、拓海にはバレないと高を括っているから?
「そ……そんなこと、ない……」
厭な汗がつるり背中を流れて、その不愉快さに蒼は堪らなくなる。
一体、自分の真意はどこにあるのだろう。ダミーにすぎない拓海が自分の手のひらで愚弄されるのを、陰で楽しんでいるに過ぎないのだろうか。だとすれば、これほど悍ましい人間も他にいるまい……
「蒼」
「え?」
顔を上げる。目の前に、じっと蒼の顔を覗き込む拓海の顔が迫っていた。
「呼ばれてる。ほら、行こ」
「あ……うん」
手を引かれ、立ち上がる。その、蒼の手を握りしめる拓海のしなやかな指先が、意外と強い握力が、蒼にはどうしようもなく愛おしく、そして遠く感じられた。
――別れなければ。
ふと蒼は、そう、強く思った。
全てを打ち明けて、罪を償って別れよう。そして、もう二度と恋はしないと誓おう。それが、拓海に対する唯一の償いになるのなら……
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