かつて愛した人と同じ名を持つアイツ

路地裏乃猫

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“タクミ”との出会い

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 初めてその男に声をかけられた時、正直に言えば早川蒼(そう)は面食らった。
 ただでさえ時刻は夜の十二時を超え、しかも場所は、悲鳴を上げても誰も助けに来ないだろう人けのない住宅街の片隅である。そんな、いかにも物騒な時間と場所で、しかも金髪タトゥーの見るからに不審者めいた長身の男にいきなり呼び止められるなら、いくら蒼が社会人二年目のいい歳こいた成人男子だとしても、驚き、そして身構えざるをえない。
 事実、蒼は、多くの良識ある一般人がそうするようにさりげなく不審者から距離を取り、さらに半身を取って身構えた。ひったくり犯であることも想定し、盗まれないための用心にと懐にビジネス鞄を抱きしめる。
 そうして警戒心を顕わにする蒼に、不審者はしかし、意外な行動に出た。
「ずっと憧れてしました。どうか付き合ってください!」
 そして不審者は深々と腰を折る。恰好が恰好でもなければ、初々しい新社会人のそれとも取れる、じつに見事な一礼であった。
 そんな見事な礼は、だが、もはや蒼の目には入っていなかった。
 付き合って下さい……だと?
 はじめ、タチの悪い冗談かと蒼は思った。当たり前だ。ここが新宿二丁目ならともかく、生憎ここは、都心から私鉄で二十分ほど下った場所にあるごく普通の住宅街である。そんな場所で、何が悲しくて同性の、しかも、こんなパンクな人間に愛の告白を捧げられなければならないのか。いくら蒼が隠れゲイだとしても、だ。
 ひょっとして、女と見間違えたのか――その可能性も、この時、蒼が会社帰りで、男性用のスーツを身につけていたことから考えてまずありえない。確かに蒼は、一般的な成人男子に較べるとやや小柄ではあるけれども、それでもスーツ姿を女と見間違えられるほどには低くない。
「俺、そこのコンビニに勤める店員です。いつも店で見かけるあなたのことが、ずっと、ずっと気になって仕方なかったんです。はい」
 その言葉に、ようやく蒼は相手の正体に思い至る。
 独り暮らしの蒼は、最寄駅からアパートへ帰る途中にあるコンビニに毎晩と言っていいほど立ち寄ることにしている。晩飯の調達のためもあるが、上司に奢られて帰った夜でも、ちょっとした日用品や軽食を買いにふらり立ち寄ることもある。
 その行きつけのコンビニに、一人、ひときわ目立つ風貌の店員がいた。
 ブリーチした金髪に見上げるほどの長身。しかもその顔は、日本人にしてはやけに彫りが深く、カラコンと思しき薄灰色の瞳とも相俟って何ともエキゾチックな印象を与えた。
 高い鼻筋。綺麗な二重瞼に囲まれた大粒の瞳と、やや厚ぼったい唇。
 よく見るとなかなか精悍な顔立ちをしていて、こんな、いかにもチャラ男然とした髪色でもなければ普通の美男子として通っただろう。とはいえ美意識というのは人それぞれで、この恰好が彼の美意識に従った結果というのなら、蒼としては何の文句も言えない。
 その、蒼とは相容れない美意識を持つ彼が、今夜はその美意識にさらに磨きをかけ――具体的には金髪をハリネズミよろしくワックスで立て、巨大なハーケンクロイツをプリントしたTシャツ(ここがドイツなら間違いなくネオナチと見做され逮捕されている)、鋲だらけの革パンツとブーツで完全武装し、さらに顔には、マリリン・マンソンを意識したらしいゾンビメイクを施している――、夜道の真ん中で愛の告白を敢行しているのである。
 当然のように戸惑う蒼に構わず、なおも不審者は思いの丈をぶつけてきた。
 店で初めて目にした時からずっと気になっていたこと。蒼が立ち寄るたび、その姿を目で追い続けてきたこと。その想いは日に日に増し、とうとう胸に秘めていられないほどに募ってしまったこと……
「特に、その寂しげな眼差しが見ていて切ないというか……厚かましい話ですけど、でも、俺で良ければ、あなたの傍にいさせてください」
 本当に厚かましい話だ――
 蒼は呆れた。第一、名前も知らない人間を捕まえて、いきなり寂しげも何もないものである。相手が相手だから、さすがに蒼も怖くて文句を言えないものの、それでも、相手の不躾な言葉を不快に思わずにいられないのも事実で。
 ただ――男の洞察それ自体は、決して否定できるものではなかった。
 先立つこと約一か月前、蒼は誰よりも愛した人をバージンロードに見送った。
 花嫁とともに新しい人生へと進む広い背中を見送りながら、蒼は、もう二度とこんな想いはしない、まして恋は絶対にしないと自分に誓いを立てた。
 そうして、恋しい人のいない日々を歩みはじめた矢先だったから、傍目には、寂しい人という印象を与えたとしても別に驚くことではなかっただろう。
 ただ、これが普通の人間なら、たとえ思っても決して口にはしなかったはずだ。
 よっぽど常識がなっていないのか。
 それとも、単にバカなのか。
 そんなことをつらつら考えながら男を見上げていると、やがて男は、何かを思い出したように「あっ」と叫び、手に提げていた小さな紙袋を無理やり蒼の手に押しつけてきた。
「なな、何なんですか!?」
「いいから、見てください」
「はァ?」
 何なんだよ一体――
 いよいよ不信感を募らせつつ、それでも、ここは男の言葉に従った方がいいと判断し紙袋の中を覗く。まさか鋲付きの首輪だとか、そんな物騒なものが入っているのでは――そう密かに身構えつつそっと紙袋を開くと、入っていたのは何のことはない、一枚のCDケースだった。
「これ、前に俺らのバンドが作ったCDなんす。まぁ、これ一枚出したきりですぐ解散しちゃったんすけど、でも、良かったら聴いてもらいたいなと思って持ってきました」
「……はぁ」
 なるほど。どうやら彼の奇抜すぎるファッションセンスは、彼がバンドマンだという所から来ているらしい。が、音楽といえば、せいぜい流行りのJ-POPを押さえる程度の興味しか持たない蒼にとって、インディーズの、まして、すでに解散したパンクバンドのCDは、いくら押し付けられたところでゴミでしかなかった。念のためCDを手に取ってみるが、ポップとは程遠い毒々しいスタイルで身を固めたバンドメンバーが、カメラ目線で悦入度MAXのポーズをキメたジャケットに、結局、余計に男への嫌悪感が増したばかりだった。
 もう、早く家に帰りたい……
 泣きたいような気分でケースを裏返した蒼は、裏面のジャケットに書かれたメンバーの名前の一つにふと目を止めた。

  Vocal & keyboard:TAKUMI

「……タクミ?」
「あ、はいっ!」
 唐突に、目の前の男が気持ちの良い返事をよこす。どうやらこの不審者が、ボーカル兼キーボードの『タクミ』らしい。
 蒼の脳裏を、ふと、ある企みがよぎったのはこの時だ。
「君……タクミって言うの?」
「そうっす! 海を拓くと書いて拓海っす。案外キラキラしてなくてすみません!」
「……そう」
 さすがに漢字は違うらしい。が、音さえ同じなら、この際どうでも……
「一応確認するけど……君さ、ゲイなの?」
 すると拓海は、ゾンビな顔をうーん、と傾げて、
「女の子も好きになったことがあるから、どっちかというとバイっすかね。――あ、でも今は、お兄さん一筋っすよ!」
「そう……じゃあさ、」
 そっと拓海に歩み寄ると、蒼は、伸び上がるように相手の唇を啄んだ。
「……えっ」
「男同士の行為も、もちろんOKだよね?」
 面食らったように固まる拓海の鼻先で、誘う視線で見上げつつ蒼は囁く。
「……まぁ、未経験でも僕が指南するけど?」
「じゃ……じゃあ、お兄さんも、その……」
 答えの代わりに、蒼はふたたび拓海の唇に口づける。二度目のそれは、伸び上がった踵を下ろしかけたところを抱き寄せられ、そのまま融け合うように深くなった。
 貪るように男の舌先を求めながら、心の中で蒼はほくそ笑む。
 そうか。この手があったか――
「……タクミ」
 瞼を閉じると、蒼は、愛する人の名をそっと呼んだ。
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