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第1章 密室の切り裂きジャック
第3話 歌えない歌姫
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俺はすぐさま大輔と静香を第二音楽室に呼び出し、四人で演奏をする旨を伝えた。
さっきの綾とのやり取りを一から説明するのは面倒なので、綾が一度だけ試しにセッションしてくれるってことにしておいた。綾も察してくれたらしく、適当に話を合わせてくれた。
綾は俺たちの前で挨拶した。
「そういうわけで、今日はよろしく……って、静香ちゃん? 大輔くん?」
戸惑う綾。それもそのはず。静香と大輔は泣きそうな顔で綾を見つめている。まるで天使を拝んでいるかのような表情だ。
「「綾ちゃん。ボーカル引き受けてくれてありがとう……」」
大輔と静香の感謝の声が見事に重なる。
二人は瞳を潤ませながら綾の手を握った。大輔は文化祭に参加できないのが、静香はボーカルをやるハメになるのが、それぞれ嫌だったのだろう。
「あはは……まだやるとは言ってないけどね」
綾は困ったように笑った。
大輔も静香も綾の実力を知らない。綾の加入により、なんとか文化祭に参加できるくらいにしか思っていないはず。ここは綾の歌声を聞かせて、二人の度肝を抜いてやろう。
「綾は『ブラック・ラビッツ』ってバンド知ってる?」
尋ねると、綾は小さくうなずいた。
「ええ、よく聴くわ。男女混合バンドでしょ? 最近、武道館ライブも決まったわよね」
「そうそう! わかっているなら話は早い。よし、今から『ばいばい、ヒーロー』やろう。よろしくな」
「い、いきなり本番なの? 君からお願いしてきたくせに、人使い荒いわね……」
綾は辟易しつつ、マイクスタンドの前に立つ。俺たちもそれぞれ準備を終えて、大輔のカウントを待った。
『ばいばい、ヒーロー』は『ブラック・ラビッツ』の代表曲である。大切な人との別れを歌った曲で、悲しみの中にも希望が見えるような、切なくも前向きな歌詞が特徴だ。サビのキーが高く、綾の高音ボイスが活きる選曲のはず。
チッ、チッ、チッ、チッ。
演奏開始の合図が終わると同時に、ピックを弦に叩きつけた。次いで力強いドラムの音と、軽快なギターサウンドが室内を飛び跳ねる。
そこに加わるのは、俺が惚れた歌声だ。
「――――」
美しい歌声が吹き荒れると、空気が一変した。打ち鳴らすドラムの音が攻撃的になり、ギターストロークがよりいっそう強くなる。
視界の端に辛うじて映るメンバーを見る。大輔は首と腕を荒々しく振り、静香はギターを掻きむしっていた。対照的に、綾は静かに目を閉じて胸に手を当てている。その仕草は、爆発させる感情をサビまで取っておいているように思えた。
胸を叩く心音に身を任せ、ピックを弦に鋭く滑り込ませる。俺の作るベースラインを切り裂くように、静香のギターが弾ける。大輔のシンバルが生む砕けた音に、響き合う弦の音を乱反射させた。
三人の音と綾の歌声が複雑に絡み合っていき、絶対最強の音楽になる。
そして。
「――――」
ここにきて、歌声が爆ぜる。
きた。第一音楽室で聴いた、夕焼け色のファルセットだ。
サビに入った。綾の高い声が音楽室のしみったれた空気を焦がす。胸が熱い。息が喉につかえて上手く呼吸ができない。なんだこれ。体の制御が利かない。まるで自分の体じゃないみたいだ。
一度も合わせていないにもかかわらず、俺たちの奏でる音楽は抜群に噛み合っていた。互いの音が惹かれ合い、化学反応を起こして、最高の音楽となる。
この一体感は、俺たち四人でなければ生まれない……直感的にそう思った。
鼓膜にまとわりつくのは、残響するベース音。
演奏が終わった。俺はベースを無造作に床に置き、綾の隣に立った。綾もまた、何を語るわけでもなく俺と向き合った。
綾は炭酸の抜けたソーダ水のように気の抜けた顔をしていた。たぶん、鏡合わせのように彼女と向き合った俺も、同じようにアホ面を浮かべているのかもしれない。
何か言葉を探したけれど、心の中は見事にからっぽだった。演奏にすべてを注いで何も残っていない俺は、震える唇を噛みしめる。思いのほか唇がカサカサしていて、そこで俺は全身が渇いていることを実感した。
荒い呼吸が耳朶を打つ中、俺たちは弾けたようにハイタッチを交わした。手加減なしの、全力のハイタッチだ。光に濡れた汗が周囲に飛び散り、バチンという乾いた音が室内に響く。
しばらく呆けていると、綾がぽつりとつぶやいた。
「君たちのバンドはすごいわ……少し走り気味な部分があるけど、躍動感のある、力強いドラム。奏者の性格とは裏腹に、情熱的で荒々しいギター。一番すごいのはベース。地味なパートと思われがちなベースが、このバンドでは一番派手なのね。主張が激しいというか、攻めている感じがする。貴志くん。君、楽譜にない音まで入れているでしょ?」
「ああ。ゴーストノートを取り入れている」
「ごーすと……って何?」
「さっきの演奏だと、主にスコアの休符の部分をアレンジしているんだよ。弦をフレットに押さえ込まないでサムピングしている。音自体は地味で小さな音だけど、いいリズム……グルーヴっていうんだけど、それが生まれるんだ」
「そうなんだ……知らなかったけど、君たちってすごいのね」
息を弾ませながら、綾は俺たちを見回す。子どもが誕生日プレゼントを貰ったときみたいに、目を輝かせている。
綾は俺たちのバンドに興味を持ったはず。演奏後、いきなりハイタッチしてくるくらいだし、その後も褒めちぎってきた。間違いない。これは勧誘できる流れだ。
「綾。どうだ? もしよかったら、うちのボーカルになってくれないか?」
俺たち三人の期待のまなざしが綾に突き刺さる。
やや間があって、
「……ごめんなさい。それはできないの」
断る声は、いつもより小さくてか細かった。
「一応、理由を聞いてもいいか?」
「……私、歌いたくないの」
歌いたくない?
そんなはずはない。綾は言った。「私には歌しかない」と。そんな発言をするヤツが、歌いたくないなんて思うはずがない。
たった一曲という短い時間だったけど、俺たちは音楽を通じて一つになれた。言葉なんて必要ない。演奏した五分間はたしかに、音楽が言葉を超えて、俺たちを強く繋ぎ止めていた。あの一体感は、音楽と真剣に向き合う人間たちでないと生まれない。
だから、歌いたくないなんて嘘。本当は歌いたいはずだ。
では、どうして歌おうとしないのか?
もしかして……『歌いたいけど、歌えない理由がある』んじゃないのか?
考えていると、
「本当にごめんなさい……!」
綾は自分の鞄を乱暴に取り、走って音楽室を出ていった。
残された俺たちは、顔を見合わせた。大輔は商店街のくじ引きで十回連続ポケットティッシュが当たったみたいな残念な顔をしていて、静香は友を案ずる不安げな顔をしていた。
「ごめん、二人とも。なんか期待させて悪かったな」
謝ると、大輔が「気にすんなって」と、俺の背中をぽんと叩く。
「別に貴志のせいじゃねぇよ。それよりも、綾ちゃん大丈夫か? 辛そうな顔してたけど」
「だよなぁ……静香。綾とは仲いいだろ? フォロー頼めるか?」
「もちろんだよ。綾ちゃんは私に任せて、貴志くんはボーカル探してね」
「ああ、ありがとう……え? 俺がボーカル探すの? 一人で?」
大輔と静香は笑顔でうなずいた。この子たち、どうして俺一人に押しつけるの……我が軽音楽部の無駄な団結力を垣間見た瞬間である。
別にボーカル探しが嫌なわけじゃない。
ただ、綾を超えるボーカルには会えないと思う。さっきのセッションで、その予感は確信に変わった。綾は俺たちの音楽に必要不可欠だ。
だから、そう簡単に他のボーカルを探す気にはなれない。
「……とりあえず、帰るか」
俺たちは無言のまま、楽器を片付け始めた。
◆
翌日の昼休み、俺たち軽音楽部は第二音楽室にやってきた。放課後は曲の練習がしたいので、こうして昼休みに集まり、犯人捜しをすることになったのだ。
俺は黒板の前に立ち、白いチョークを手に持った。
「では、犯人捜索会議を始める。議長はこの俺、貴志です。よろしく」
会釈すると、静香と大輔の拍手が静かに響いた。二人は俺と向かい合って椅子に座っている。
「まず事件の全容を整理しよう。静香、説明を頼む」
静香は「はい」と元気よく返事をした。
「事件が発覚したのは、六限の体育が終わってからだね。グローブは刃物で切られた状態で茂みに捨てられていた。ちょうどうちの教室の真下にあったから、グローブは窓から投げ捨てられた可能性が高いと思う」
「第一発見者は誰だ? やっぱり静香か?」
静香は体育委員だ。体育の授業の前後は教室の鍵を持っていて、施錠と開錠を任されている。それ故に、授業後は早く教室の鍵を開けなければならない。遅れていくと、他の人を待たせてしまうからな。だから、静香は誰よりも先に教室に入り、第一発見者になったのだろう。
だが、俺の予想は違った。
「ううん。私は最後に教室に戻ったの」
「最後? 鍵はどうしたんだ?」
「美由ちゃんに預けて、先に戻ってもらったの。ほら、体育用具の片づけしなくちゃいけなくて。女子はグラウンドでバレーボールをやったんだけど、ネットやボールを片付けていたの。綾ちゃんが手伝ってくれたから、早めに終わったけど」
「なるほど。じゃあ、第一発見者は美由か」
静香はうなずき、説明を続けた。
「美由ちゃんね、窓際の自分の席に戻ったら、グローブがないことに気づいたんだって。隈なく探したけどなかったみたい。ただ、机のそばのカーテンが少しだけ開いていたのが気になって、窓の外を覗いてみたら、真下の茂みにグローブがあったらしいの。ちなみに窓は全部鍵がかかっていたって」
俺は頭を抱えた。
静香の話が全部本当だとすると、この事件はかなりやっかいだぞ。
「静香が教室を出たとき、グローブはたしかに切り刻まれていなかったか?」
「うん。特に変わった様子はなかったよ」
「つまり、授業中に犯行が行われた可能性が高いわけだが……それって、密室で犯行が行われたってことだよな?」
静香が「あ」と驚きの声を漏らし、口許に手を当てた。
「犯人はどうやって中に入ったんだろう……」
「うちの教室は校舎の三階だ。校舎の壁に足場があるわけでもないし、窓からの侵入は困難だろうな。そう考えると、教室のドアを開錠して侵入したという説が一番有力かもしれない」
「おい。ちょっと待て」
今まで黙っていた大輔が話に割って入る。
「貴志の言い方だと、静香を疑っているように聞こえるんだが。鍵を持っていたのは静香だし」
「あくまで現段階での可能性の話だ。俺も静香を本気で疑っているわけじゃない。静香。気を悪くしたらごめん」
「ううん、いいの。犯人を特定するためなら、疑われたって全然平気!」
静香は手を胸の辺りに持ってきて、ぐっと拳を握った。
犯人を捕まえると自分で言い出したくらいだ。静香が犯人とは考えにくいが、一応、今のところ容疑者の一人だな。
「大輔くん。心配してくれてありがとね」
「お、おう。当然だべな」
大輔、赤面。静香に感謝されてテンパっているのか、何故か語尾が秋田県民っぽい訛りになっている。こいつ、本当に静香に弱いなぁ……。
「静香。鍵についてもう少し聞きたいんだけど、教室の鍵は一つだけだよな? スペアキーとかあったりするのか?」
「ううん、ないよ。たぶんマスターキーはあるけど、それは生徒が借りられるものじゃない」
なるほど。後日、念のためにマスターキーの盗難があったかどうか、鍵を管理している先生に聞いてみるか。
「じゃあ、次は施錠したときのことを詳しく教えてくれないか」
「おっけー。最後に教室を出たのは私、美由ちゃん、綾ちゃんだよ。私が廊下で待ってて、美由ちゃんと綾ちゃんが中に残って着替えてたの。二人がそろって出てきて、その後で鍵をかけたよ」
「鍵はずっと静香が持っていたのか?」
「基本的にはずっと持ってたよ。最後に美由ちゃんに貸すまでは……あ!」
静香はぽんと手を打った。どうやら何か重要なことに気づいたらしい。
「どうかしたのか?」
「鍵、一回他の人に貸したの」
「貸した? 誰にだ?」
「里中さん。タオルを教室に忘れたから、鍵を貸してくれないかって言われて」
里中……飯田と付き合っている彼女か。鍵を借りただけでなく、教室まで行ったとなると、彼女も容疑者の一人だな。
そしてもう一人。最後に鍵を持っていた美由。動機は不明だが、やろうと思えば彼女も自分のグローブを捨てることはできたはず。一番に教室に入り、誰もいない教室でグローブをズタボロにして、窓から捨てるだけだからな。
仮に自作自演だとすれば、その動機はなんだ?
考えたくはないが……美由が静香に恨みを持っていて、静香に容疑をかけたくてやったのかもしれない。
いずれにせよ、まだ犯人の特定には至らない。
「とりあえず、状況は理解した。今日はこれくらいにして、明日の昼休みに里中と美由からも話を聞こうか」
「うん。貴志くん、がんばろうね!」
静香が目に闘志を燃やして俺を見る。あまり期待されても困るんだけどな。
助けを求めて大輔を見るが、「静香に心配してくれてありがとうって言われた……」とうわ言のようにつぶやいていた。未だにさっきの出来事が忘れられないらしい。頭の中お花畑か、こいつは……。
前途多難な状況に辟易していると、昼休み終了を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。
俺たちは音楽室を出て、教室に戻った。
さっきの綾とのやり取りを一から説明するのは面倒なので、綾が一度だけ試しにセッションしてくれるってことにしておいた。綾も察してくれたらしく、適当に話を合わせてくれた。
綾は俺たちの前で挨拶した。
「そういうわけで、今日はよろしく……って、静香ちゃん? 大輔くん?」
戸惑う綾。それもそのはず。静香と大輔は泣きそうな顔で綾を見つめている。まるで天使を拝んでいるかのような表情だ。
「「綾ちゃん。ボーカル引き受けてくれてありがとう……」」
大輔と静香の感謝の声が見事に重なる。
二人は瞳を潤ませながら綾の手を握った。大輔は文化祭に参加できないのが、静香はボーカルをやるハメになるのが、それぞれ嫌だったのだろう。
「あはは……まだやるとは言ってないけどね」
綾は困ったように笑った。
大輔も静香も綾の実力を知らない。綾の加入により、なんとか文化祭に参加できるくらいにしか思っていないはず。ここは綾の歌声を聞かせて、二人の度肝を抜いてやろう。
「綾は『ブラック・ラビッツ』ってバンド知ってる?」
尋ねると、綾は小さくうなずいた。
「ええ、よく聴くわ。男女混合バンドでしょ? 最近、武道館ライブも決まったわよね」
「そうそう! わかっているなら話は早い。よし、今から『ばいばい、ヒーロー』やろう。よろしくな」
「い、いきなり本番なの? 君からお願いしてきたくせに、人使い荒いわね……」
綾は辟易しつつ、マイクスタンドの前に立つ。俺たちもそれぞれ準備を終えて、大輔のカウントを待った。
『ばいばい、ヒーロー』は『ブラック・ラビッツ』の代表曲である。大切な人との別れを歌った曲で、悲しみの中にも希望が見えるような、切なくも前向きな歌詞が特徴だ。サビのキーが高く、綾の高音ボイスが活きる選曲のはず。
チッ、チッ、チッ、チッ。
演奏開始の合図が終わると同時に、ピックを弦に叩きつけた。次いで力強いドラムの音と、軽快なギターサウンドが室内を飛び跳ねる。
そこに加わるのは、俺が惚れた歌声だ。
「――――」
美しい歌声が吹き荒れると、空気が一変した。打ち鳴らすドラムの音が攻撃的になり、ギターストロークがよりいっそう強くなる。
視界の端に辛うじて映るメンバーを見る。大輔は首と腕を荒々しく振り、静香はギターを掻きむしっていた。対照的に、綾は静かに目を閉じて胸に手を当てている。その仕草は、爆発させる感情をサビまで取っておいているように思えた。
胸を叩く心音に身を任せ、ピックを弦に鋭く滑り込ませる。俺の作るベースラインを切り裂くように、静香のギターが弾ける。大輔のシンバルが生む砕けた音に、響き合う弦の音を乱反射させた。
三人の音と綾の歌声が複雑に絡み合っていき、絶対最強の音楽になる。
そして。
「――――」
ここにきて、歌声が爆ぜる。
きた。第一音楽室で聴いた、夕焼け色のファルセットだ。
サビに入った。綾の高い声が音楽室のしみったれた空気を焦がす。胸が熱い。息が喉につかえて上手く呼吸ができない。なんだこれ。体の制御が利かない。まるで自分の体じゃないみたいだ。
一度も合わせていないにもかかわらず、俺たちの奏でる音楽は抜群に噛み合っていた。互いの音が惹かれ合い、化学反応を起こして、最高の音楽となる。
この一体感は、俺たち四人でなければ生まれない……直感的にそう思った。
鼓膜にまとわりつくのは、残響するベース音。
演奏が終わった。俺はベースを無造作に床に置き、綾の隣に立った。綾もまた、何を語るわけでもなく俺と向き合った。
綾は炭酸の抜けたソーダ水のように気の抜けた顔をしていた。たぶん、鏡合わせのように彼女と向き合った俺も、同じようにアホ面を浮かべているのかもしれない。
何か言葉を探したけれど、心の中は見事にからっぽだった。演奏にすべてを注いで何も残っていない俺は、震える唇を噛みしめる。思いのほか唇がカサカサしていて、そこで俺は全身が渇いていることを実感した。
荒い呼吸が耳朶を打つ中、俺たちは弾けたようにハイタッチを交わした。手加減なしの、全力のハイタッチだ。光に濡れた汗が周囲に飛び散り、バチンという乾いた音が室内に響く。
しばらく呆けていると、綾がぽつりとつぶやいた。
「君たちのバンドはすごいわ……少し走り気味な部分があるけど、躍動感のある、力強いドラム。奏者の性格とは裏腹に、情熱的で荒々しいギター。一番すごいのはベース。地味なパートと思われがちなベースが、このバンドでは一番派手なのね。主張が激しいというか、攻めている感じがする。貴志くん。君、楽譜にない音まで入れているでしょ?」
「ああ。ゴーストノートを取り入れている」
「ごーすと……って何?」
「さっきの演奏だと、主にスコアの休符の部分をアレンジしているんだよ。弦をフレットに押さえ込まないでサムピングしている。音自体は地味で小さな音だけど、いいリズム……グルーヴっていうんだけど、それが生まれるんだ」
「そうなんだ……知らなかったけど、君たちってすごいのね」
息を弾ませながら、綾は俺たちを見回す。子どもが誕生日プレゼントを貰ったときみたいに、目を輝かせている。
綾は俺たちのバンドに興味を持ったはず。演奏後、いきなりハイタッチしてくるくらいだし、その後も褒めちぎってきた。間違いない。これは勧誘できる流れだ。
「綾。どうだ? もしよかったら、うちのボーカルになってくれないか?」
俺たち三人の期待のまなざしが綾に突き刺さる。
やや間があって、
「……ごめんなさい。それはできないの」
断る声は、いつもより小さくてか細かった。
「一応、理由を聞いてもいいか?」
「……私、歌いたくないの」
歌いたくない?
そんなはずはない。綾は言った。「私には歌しかない」と。そんな発言をするヤツが、歌いたくないなんて思うはずがない。
たった一曲という短い時間だったけど、俺たちは音楽を通じて一つになれた。言葉なんて必要ない。演奏した五分間はたしかに、音楽が言葉を超えて、俺たちを強く繋ぎ止めていた。あの一体感は、音楽と真剣に向き合う人間たちでないと生まれない。
だから、歌いたくないなんて嘘。本当は歌いたいはずだ。
では、どうして歌おうとしないのか?
もしかして……『歌いたいけど、歌えない理由がある』んじゃないのか?
考えていると、
「本当にごめんなさい……!」
綾は自分の鞄を乱暴に取り、走って音楽室を出ていった。
残された俺たちは、顔を見合わせた。大輔は商店街のくじ引きで十回連続ポケットティッシュが当たったみたいな残念な顔をしていて、静香は友を案ずる不安げな顔をしていた。
「ごめん、二人とも。なんか期待させて悪かったな」
謝ると、大輔が「気にすんなって」と、俺の背中をぽんと叩く。
「別に貴志のせいじゃねぇよ。それよりも、綾ちゃん大丈夫か? 辛そうな顔してたけど」
「だよなぁ……静香。綾とは仲いいだろ? フォロー頼めるか?」
「もちろんだよ。綾ちゃんは私に任せて、貴志くんはボーカル探してね」
「ああ、ありがとう……え? 俺がボーカル探すの? 一人で?」
大輔と静香は笑顔でうなずいた。この子たち、どうして俺一人に押しつけるの……我が軽音楽部の無駄な団結力を垣間見た瞬間である。
別にボーカル探しが嫌なわけじゃない。
ただ、綾を超えるボーカルには会えないと思う。さっきのセッションで、その予感は確信に変わった。綾は俺たちの音楽に必要不可欠だ。
だから、そう簡単に他のボーカルを探す気にはなれない。
「……とりあえず、帰るか」
俺たちは無言のまま、楽器を片付け始めた。
◆
翌日の昼休み、俺たち軽音楽部は第二音楽室にやってきた。放課後は曲の練習がしたいので、こうして昼休みに集まり、犯人捜しをすることになったのだ。
俺は黒板の前に立ち、白いチョークを手に持った。
「では、犯人捜索会議を始める。議長はこの俺、貴志です。よろしく」
会釈すると、静香と大輔の拍手が静かに響いた。二人は俺と向かい合って椅子に座っている。
「まず事件の全容を整理しよう。静香、説明を頼む」
静香は「はい」と元気よく返事をした。
「事件が発覚したのは、六限の体育が終わってからだね。グローブは刃物で切られた状態で茂みに捨てられていた。ちょうどうちの教室の真下にあったから、グローブは窓から投げ捨てられた可能性が高いと思う」
「第一発見者は誰だ? やっぱり静香か?」
静香は体育委員だ。体育の授業の前後は教室の鍵を持っていて、施錠と開錠を任されている。それ故に、授業後は早く教室の鍵を開けなければならない。遅れていくと、他の人を待たせてしまうからな。だから、静香は誰よりも先に教室に入り、第一発見者になったのだろう。
だが、俺の予想は違った。
「ううん。私は最後に教室に戻ったの」
「最後? 鍵はどうしたんだ?」
「美由ちゃんに預けて、先に戻ってもらったの。ほら、体育用具の片づけしなくちゃいけなくて。女子はグラウンドでバレーボールをやったんだけど、ネットやボールを片付けていたの。綾ちゃんが手伝ってくれたから、早めに終わったけど」
「なるほど。じゃあ、第一発見者は美由か」
静香はうなずき、説明を続けた。
「美由ちゃんね、窓際の自分の席に戻ったら、グローブがないことに気づいたんだって。隈なく探したけどなかったみたい。ただ、机のそばのカーテンが少しだけ開いていたのが気になって、窓の外を覗いてみたら、真下の茂みにグローブがあったらしいの。ちなみに窓は全部鍵がかかっていたって」
俺は頭を抱えた。
静香の話が全部本当だとすると、この事件はかなりやっかいだぞ。
「静香が教室を出たとき、グローブはたしかに切り刻まれていなかったか?」
「うん。特に変わった様子はなかったよ」
「つまり、授業中に犯行が行われた可能性が高いわけだが……それって、密室で犯行が行われたってことだよな?」
静香が「あ」と驚きの声を漏らし、口許に手を当てた。
「犯人はどうやって中に入ったんだろう……」
「うちの教室は校舎の三階だ。校舎の壁に足場があるわけでもないし、窓からの侵入は困難だろうな。そう考えると、教室のドアを開錠して侵入したという説が一番有力かもしれない」
「おい。ちょっと待て」
今まで黙っていた大輔が話に割って入る。
「貴志の言い方だと、静香を疑っているように聞こえるんだが。鍵を持っていたのは静香だし」
「あくまで現段階での可能性の話だ。俺も静香を本気で疑っているわけじゃない。静香。気を悪くしたらごめん」
「ううん、いいの。犯人を特定するためなら、疑われたって全然平気!」
静香は手を胸の辺りに持ってきて、ぐっと拳を握った。
犯人を捕まえると自分で言い出したくらいだ。静香が犯人とは考えにくいが、一応、今のところ容疑者の一人だな。
「大輔くん。心配してくれてありがとね」
「お、おう。当然だべな」
大輔、赤面。静香に感謝されてテンパっているのか、何故か語尾が秋田県民っぽい訛りになっている。こいつ、本当に静香に弱いなぁ……。
「静香。鍵についてもう少し聞きたいんだけど、教室の鍵は一つだけだよな? スペアキーとかあったりするのか?」
「ううん、ないよ。たぶんマスターキーはあるけど、それは生徒が借りられるものじゃない」
なるほど。後日、念のためにマスターキーの盗難があったかどうか、鍵を管理している先生に聞いてみるか。
「じゃあ、次は施錠したときのことを詳しく教えてくれないか」
「おっけー。最後に教室を出たのは私、美由ちゃん、綾ちゃんだよ。私が廊下で待ってて、美由ちゃんと綾ちゃんが中に残って着替えてたの。二人がそろって出てきて、その後で鍵をかけたよ」
「鍵はずっと静香が持っていたのか?」
「基本的にはずっと持ってたよ。最後に美由ちゃんに貸すまでは……あ!」
静香はぽんと手を打った。どうやら何か重要なことに気づいたらしい。
「どうかしたのか?」
「鍵、一回他の人に貸したの」
「貸した? 誰にだ?」
「里中さん。タオルを教室に忘れたから、鍵を貸してくれないかって言われて」
里中……飯田と付き合っている彼女か。鍵を借りただけでなく、教室まで行ったとなると、彼女も容疑者の一人だな。
そしてもう一人。最後に鍵を持っていた美由。動機は不明だが、やろうと思えば彼女も自分のグローブを捨てることはできたはず。一番に教室に入り、誰もいない教室でグローブをズタボロにして、窓から捨てるだけだからな。
仮に自作自演だとすれば、その動機はなんだ?
考えたくはないが……美由が静香に恨みを持っていて、静香に容疑をかけたくてやったのかもしれない。
いずれにせよ、まだ犯人の特定には至らない。
「とりあえず、状況は理解した。今日はこれくらいにして、明日の昼休みに里中と美由からも話を聞こうか」
「うん。貴志くん、がんばろうね!」
静香が目に闘志を燃やして俺を見る。あまり期待されても困るんだけどな。
助けを求めて大輔を見るが、「静香に心配してくれてありがとうって言われた……」とうわ言のようにつぶやいていた。未だにさっきの出来事が忘れられないらしい。頭の中お花畑か、こいつは……。
前途多難な状況に辟易していると、昼休み終了を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。
俺たちは音楽室を出て、教室に戻った。
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