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最終章 負け猫に祝福を、姫に青春の日々を

悪魔と交わす青春契約

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 昔話を終えると、姫宮は「その後、猫村くんはどうなったんですか?」と顔を歪めて尋ねた。

「俺は不登校になった。卒業まで一度も教室には行っていない」

「どうしてですか? 今度は猫村くんがイジメの標的になったのですか?」

「違う。俺が二度と青春をしないためだ」

 俺は犬井を裏切り、彼の青春をぶっ壊した。そんな俺に青春を楽しむ資格なんてない。だから中学は登校することをあきらめ、高校では友達を作らないと決めたんだ。

 姫宮は左右に首を振った。絹糸のように細い髪が頼りなく揺れる。

「わかりません。青春を楽しむ権利は平等にあるはずです」

「それを放棄する権利だって平等だ。何もおかしいことはない」

 お願いだ、姫宮。

 君の殺人的な推理力で、俺にトドメを刺さないでくれ。

「百歩譲って、不登校や友達を作らない理由はわかりました。ですが、あなたが青春お悩み相談室をやる理由にはなりません」

「姫宮。やめろ」

 ふと脅迫メールの一文が脳裏に浮かぶ。

『青春の敗者を救うことが贖罪になるとでも思っているのか?』

 姫宮。やめてくれ。

 俺の秘密を暴くんじゃない。

「青春お悩み相談室は『青春をする資格がない』という行動指針から外れています。青春を忌み嫌うくせに、どうして青春に関わろうとするのですか?」

「もういい。その先は言うな」

「猫村くんが救いたいのは相談者ではなくて……本当は、自分自身なのではないですか?」

 姫宮の言葉が俺の胸を叩き、心臓を粉々にした。過去の思い出をきらきらと反射させながら、血の海に飲まれていった。

 ぽっかりと空いた胸の穴をハリボテで埋めたのに。醜いものを見なくてもいいように、本音と思い出を閉じ込めたのに。

 青春と謎を喰らい尽くす誰かさんのせいでめちゃくちゃになってしまった。

「親友の代わりに誰かの青春を救って、それが何になるんですか? 罪滅ぼしのつもりですか? そんなことしたって犬井さんは喜びません」

 ずっと隣にいたのに、俺は知らなかった。

 姫宮の眼差しが、こんなにも残酷でまぶしいだなんて。

「猫村くん。あなたのしていることは、ただの自己満足です」

「……もうとっくに気づいているんだ。俺のやっていることはエゴだって」

 犬井の心の傷が癒えることは一生ない。

 俺はただ、贖罪しているという証が欲しかっただけ。

「なぁ。俺はどうすればよかった? 犬井も自分も救うには、何をすべきだった?」

 青春をようやく理解し始めた姫宮に聞いてもわかるわけがない。

 それでも俺は、胸に溜まった痛みを吐き出さないといけなかった。

「最後に犬井に会ったとき、あいつ『俺は大丈夫』って言ったんだ。そのときの顔は、今でも鮮明に覚えている」

 信じられるか?

 目の前に裏切り者の俺がいるのに……あいつ、涙も出さずに笑ったんだぜ?

「あの笑顔を見て、俺は思ったんだ。犬井の力になれないのなら、せめて俺も青春というレールから降りて、死んだふりした負け猫になるんだってな」

 明るい未来なんていらない。犯した罪を大事に抱えて生きていく。そう決めたんだ。

「そのはずなのに、どうしてなんだ……未だに青春と関わろうとしている自分がいるんだ……」

 君と学園生活を過ごす中で、愚かにも考えてしまったんだ。

 いつか、こんな俺にも赦される日が来るといいなって。

「俺、弱いから。本当は一人で生きるのが辛いから。青春する資格なんてないくせに、猫の仮面を被って、自分を赦そうと必死にもがいたんだ……でも、結局は何も変わらなくて。最近、ようやくわかったよ。姫宮の言うとおり、俺のやっていたことは自己満足だ。赦される日なんて来ない。俺は一生負け猫だ」

 キャット先輩に変身しなければ、俺は生きることさえままならない。

 姫宮は涙目で謝罪した。

「……言い過ぎました。ごめんなさい。青春は、やはり私には難しくて理解できません」

 ですが、と姫宮。

「青春お悩み相談室は、あなたの苦しみを忘れさせる場所だったのではないですか? 客観的には自己満足のように見えても、その自己満足があなたを救うのなら意味がある……あなたの話を聞いて、そんなふうに思いました」

 姫宮の言葉が乾いた心に染みていく。

 その優しさが、とてもありがたかった。

「……ありがとう。君からそんな言葉を頂戴する日が来るとは思わなかったけど、懺悔ができて少し気が晴れたよ」

 青春相談に乗るはずが、自分が相談に乗ってもらうとは思わなかった。

 俺は席を立った。

 これで姫宮ともさよならだ――。

「誰が帰っていいなんて言ったんですか?」

 突然、強い力で前に引っ張られた。

 姫宮が俺のネクタイを掴んだことに遅れて気づく。

「げほっ、げほっ。な、何をするんだ」

「まだお悩み相談は終わっていません。未解決のままです」

「俺の悩みは解決した。結論は『青春をあきらめる』だ。だから、君もあきらめろ」

「それは解決ではありません。問題の放棄です」

 姫宮は目元を拭い、口角をいやらしく持ち上げた。

「私は青春がわかりません。なので、あなたの悩みを『私のやり方』で解決しようと思います。まぁ座ってください」

 姫宮は乱暴にネクタイを離した。

 優しかった姫宮は、もうここにはいない。

 今はもう散々見てきた悪魔の笑みを浮かべている。

「……解決なんて無理だ。俺は青春したくない。対して君は青春がしたい。ベクトルが反対じゃないか」

 席について、ネクタイを直しながら文句を言った。

「無理じゃありませんよ。猫村くん。これから私が提示する二つの選択肢から、マシなほうを選んでください」

 姫宮は俺の目の前で人差し指を立てた。

「一つ目の選択肢。青春お悩み相談室を閉鎖して、私にあなたの過去をバラされる。もちろん、全校生徒にです」

「は?」

 青春お悩み相談室を続行すれば犯人に、閉鎖すれば姫宮に、俺の過去をバラされる。八方ふさがりじゃないか。

 姫宮は次に中指を立てて、ピースサインを作った。

「二つ目の選択肢。青春お悩み相談室を続行し、私と手を組み、黒幕を成敗して、今まで通りの関係を続ける」

 目には目を。脅迫には脅迫を。

 姫宮は俺にどちらの地獄がマシか選べと迫っているのだ。

 そこまで考えて、はっとする。

「やられた……脅迫するネタを得るために、あんな迫真の演技をして俺の過去話を引き出したのか?」

 俺に優しくしたのも、全部演技だったのか。

 しかし、姫宮は「違います」と首を振った。

「演技ではありません。私の胸の痛みも、あなたを救いたい気持ちも、すべて本物です。ただ、私たち二人が救われるには、どうしても犯人を駆逐しないといけません。そのためには、あなたの過去を知る必要がありました。無理に過去の話をさせてごめんなさい」

 迂闊だった。会話術と演技を駆使して情報を奪うのは、彼女の得意技だったじゃないか。

「仮に黒幕を成敗したところで俺にメリットはない。青春お悩み相談室を君と続ければ、俺は青春してしまうんだから」

「私、気づいたんです。青春って人それぞれ形が違うことに」

「……それがどうかしたのか?」

「猫村くん。あなたは地獄で青春すればいい」

 俺には姫宮が言っている意味がわからなかった。

 でも、彼女が俺を必要としてくれていることだけは、その力強い目を見ればわかる。

「いいじゃないですか、自己満足で。救う意味さえも希薄な青春お悩み相談室を、自分のために続けましょうよ」

「姫宮。君は何言って……」

「あなたの犯した罪を一生忘れないために、青春お悩み相談室を続けましょうと言っているのです。地獄のような日々を送ることこそ、負け猫の青春に相応しい」

 俺が犬井を見殺しにしたことは一生忘れてはいけない。姫宮の意見は正しい。

 だけど、それじゃあ俺の時間は止まったままだ。

 教えてくれよ、姫宮。

「……俺のような負け猫は、赦しを乞うことさえできないのかな?」

「いいえ。私が赦しましょう」

 姫宮は小さな手を俺に差し伸べた。

「あなたの傷口は私がふさぐ。あなたの涙は私が拭う。どうしても死を望むのならば、二人で仲良く飛び降りましょう」

「姫宮。君は……俺の罪を背負うつもりか?」

「ええ。私の胸の痛みは青春の痛みです。そして、その痛みの原因はあなた……つまり私の青春は猫村くん、あなたそのものなんですよ。いつか私が青春を理解したとき、あなたが私の隣にいるはずです」

 姫宮は意地の悪い笑みを浮かべた。

 大嫌いだった悪魔の笑顔も、今では天使のように見える。

「私の青春の鍵はあなたです。絶対に手放しません。私をあなたのそばにいさせてください」

 屁理屈で青春の定義を導くのが姫宮らしくて、おもわず笑ってしまった。

 やっぱり姫宮はめちゃくちゃだ。

 でも、俺はそんな君が嫌いじゃない。

「さぁ選んでください。私に過去をバラされるか、それとも私と手を組んで悪党を裁く義賊になるか」

 目の前に差し出された手が、俺を待っている。

 姫宮。君がいてくれて本当によかった。

「どうせ一度は捨てた青春だ。今さら守りに入る必要はない。悪魔とだって契約してやる」

 俺は姫宮の手を握った。とても温かくて安心する。

 姫宮はふっと目を細めた。

「一緒に地獄へ堕ちましょう。いつか本当に赦されるその日まで」

 地獄へ堕ちましょう、か。

 不思議だ。君がいるだけで、なんだかほっとする。

 地獄がこんなにも優しい世界なら、死ぬときも安心だ。

「さて。では、ラスボスを倒す算段を立てましょうか。早く猫村くんとデート行きたいですし」

 姫宮は俺の手を離し、手帳を開いた。デートの約束、まだあきらめていなかったのかよ。

「ラスボスかどうかは知らないが、事情聴取が必要な人物は決まっている」

「ですね」

 姫宮は手帳を勢いよく閉じた。

「あのクソ女――菊池桃花の化けの皮を剥がしましょう」
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