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第二部

106話【十兵衛】星がただ綺麗で

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 上に、帰蝶が乗っている。
 身動きを取ろうと思えば取れる。彼女はさほど重くもないので、失礼ではあるがそのまま持ち上げることも可能だ。
 けれど、見おろしてくる必死で大真面目な表情に、その気はなくなってしまった。

 横になった彼女へ柄にもなく詰め寄ったのは、少しだけ嫌味を言ってやろうとしただけの、普段振り回されていることへの意趣返いしゅがえしのつもりだった。
 彼女の側仕えから外されたこと。本来いるべき“一番近く”の場所を奪われたこと。
 彼女がなぜ避けるのか、などわかりきっている。

 僕が彼女を望んでしまったからだ。

「私の望みを、聞いてくれますか?」
「あなたの言葉で教えてくれるなら」

 帰蝶は真剣な表情のまま頷き返した。

 望みは、ずっと、変わったことはない。
 彼女が成長して、僕が成長しても。
 彼女が誰かの妻になっても、彼女が意見を聞くのが僕じゃなくても、彼女が傾倒するのが怪しげな巫女でも、彼女が傍に置くのが誰でも。
 彼女と出会ってからこれまで、ずっと。

 見上げれば、星空は彼女の整った顔で半分欠けていた。
 これは本心だから、繕わなくてもいいから。思わず幼子の頃のように笑みが漏れた。

「ずっと小蝶と一緒にいたい」

 そう告げた瞬間、彼女の瞳の中の光が大きくなって、星のようにくるりと回った。
 嬉しい、と、読みやすい顔に出ている。
 やわらかな頬。このまま、手を滑らせて唇にでもうなじにでも触れたら、彼女はどんな顔をするのだろうか。
 男の胴の上に自分から乗っているくせに、こちらがはしたないと指摘するまで気が付かない。
 おそらく指摘すれば、顔を真っ赤にして転がりだすだろう。
 殴ってくるかもしれない。
 彼女は少し鈍いだけで、意識さえさせられれば急に初心な少女のような反応をするのだ。
 見てみたいけれど、今はそんな邪な考えを彼女に悟らせてはいけない。

 以前に、巫女の娘を問い詰めた際に言われた言葉がある。

「あなたはそんな人じゃなかった。こんな風に誰かを責めたり、脅したり……どうして変わってしまったの?本来のあなたは、優しくて女性にも丁寧で、正義感に溢れた人だったはず」

 あの娘が占いで何を見たのかは知らないが、本来の僕がそうだったとしても、今の僕は違う。
 父母の復讐の為に、叔父とその子を殺した。
 帰蝶に害をなす者を見つければ、容赦なく斬り殺した。
 帰蝶を快く思わない者がいれば、信長に告げて謀殺した。
 男でも、女であっても、だ。

 人と違う道を進むのなら、それなりの犠牲が必要だ。
 彼女がそれを払う必要はない。その綺麗な手を汚す必要はない。
 僕の答えに安心したように涙を溜めたその顔は、満点の星空よりも瞬いて綺麗だった。

「私の隣には信長様がいるわよ?」

 信長あれはまだ使えるから、しばらくはそこにいて構わないよ。

「だったら、いいかげん仲良くしてよね」

 するよ。

 彼は、なぜか僕を信用している。どれだけ刃を向けても、嫌味を言っても。
 どうやら、帰蝶の身内には甘いらしい。
 それなら、利用できるうちは利用する。
 帰蝶の望みが叶って不要になったら、その後であの男は僕が殺す。君に悟られないように殺すことくらい、できる。

 君が望むのなら、僕は望む答えをいくつだって持っている。
 僕の望みは、幼い頃から変わらない。

 君とずっとともにいる。
 たとえそのためにどれだけ屍を積むことになろうとも。
 君の隣にいるために。
 君が見る先をともに見るために。

「……っ、?」

 突然、目の奥が熱くなり、彼女の顔が見れなくなった。
 これまでも時折、頭の中になにかの絵が切りこまれるように浮かぶことがある。
 チリリと瞼の裏に残る熱とともに映ったのは、燃えてるのは明智城だろうか。それとも他の、殺した者達の情念の炎だろうか。

 静かになった視線を横に移せば、帰蝶は空を見上げて笑っていた。
 眠る前の戯言たわごとのように、無防備に晒された手を取ってみる。

 夫婦めおとでも情人でもないのだから、手を取ることくらい許されるはずだ。
 指に込められた熱に気付かないのか、彼女は瞬く星と同じように笑った。
 僕も鏡のように笑みを返す。


 君が見る先を見るために。
 この手が汚れる、どんなことをしてでも。




*******

 切りこまれた絵をバラバラと舞わせながら、炎の中で男は笑う。
 驚くほど鮮明に描かれた絵は、四辺を焦がしながら舞い、散っていく。

「それで、後悔はしないのか?」

 しない。

「その先で、誰が死ぬことになっても?」

 うるさいな。
 ぜったいにしないと言ってるだろ。

「彼女が、死ぬとしても?」


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