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第二部

94話 兄上に伝えて2(長生きしてねって)

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 戦国時代の一騎打ちといえば、川中島での武田信玄と上杉謙信の戦いが有名。
 しかしあれは、日奈の知識によると、実際にあったのかは諸説わかれると言われているらしい。
 一騎打ちで勝敗を決するなんて、私達現代人の感覚からするとロマンの塊だが、実際に行うには面倒ごとが多いのだ。

 私はとにかくかっこいいからやりたい!と言って信長と十兵衛に了承をもらった。
 一騎打ちなら兵力を無駄に減らさなくていいし、小細工だけじゃなくて織田信長が強いから勝ったんだぞってことをアピールできると思ったのだ。
 そう、はじめは、実力的に充分な信長に、兄上と戦ってもらおうと思っていた。
 けど、

「美濃が欲しいのは蝶だろ。じゃあ、お前が戦わなきゃ意味ないだろ」

 と張本人に一蹴されてしまった。
 私は「美濃が欲しい」と言った覚えはないのだが。

 でもまあ、天下統一したいのは本心だから、間違ってはいないのだけど。
 それに、かつて私は言ったのだ。
 「いつか美濃に帰ってくると」と。

 「父と兄が戦うことになったなら、美濃は私がもらう」と。




 ガキンッ、と金属の折れた音がして、兄上が片膝を地面についた。
 その隙を逃さず、一気に距離をつめてその体を蹴り倒し、上からみぞおち狙って刀を突き立てる。
 ついさっき真剣は飛ばされてしまったので、刀と言ったのは自分で持っていた鞘だ。殺傷能力は低くても固いから、こんなものお腹に当てられたらすごく痛いと思う。

 兄はそのまま、地面で動かなくなった。

「……っ、わ、私の、……勝ちね!!」

 力なく横たわった兄を見下ろし、息も絶え絶え叫ぶ。
 呼吸が荒くなりすぎた。
 唾を一回だけ飲み込む。絶えず動き回っていたから、鉄の味がした。

 先日の信長との一騎打ちで、鞘を使うだけでなく足も使うといいと学んだので、私は迷いなく足を出した。それだけでなく、なんなら落ちてる石も砂も投げた。
 卑怯極まりない戦い方は、小さい頃からの十八番おはこだ。
 兄上を慕う斎藤兵達からは「卑怯!」「それでも妹か!」と野次が飛んだが気にしない。
 勝ちは、勝ちだ。

「はは、はー……相っ変わらず、戦い方が卑怯だな。誰に似たんだ」

 兄上が、ぼんやりと空を見上げながら漏らす。
 土埃で汚れていた空が、ようやく晴れてきた。

「父上でしょうね」

 私も笑ってその場に膝を折る。
 ぺたん、とお尻をつけて。明日は筋肉痛で起き上がれないかもしれない。

みな、見たか!織田信長様が正室、帰蝶様が勝った!美濃はこれより織田の、帰蝶様のものとなる!!」

 大きく息をする背中の向こうで、誰かがよく通る声で叫んだ。
 それに続いて、わあ、と織田兵からの喝采かっさいがあがり、遅れて斎藤兵の声も上がる。
 それには困惑や喜びや悲しみや、私には考えられないくらいたくさんのものが混じっていた。

「帰蝶様、大丈夫ですか!」

 十兵衛と秀吉くんが、一騎打ちを見守っていた時の顔のまま駆け寄って来た。
 大丈夫なことを示したいが膝が笑って立てない。
 それにしてもよく心配性な十兵衛がこの勝負を許してくれたな。兄上が私を傷つけることはないって信じてたからかな。
 平気だよ、と掠れた声を出すと、二人がかりで起こしてくれた。
 一方兄上はまだ、地面で大の字になっている。
 さすがに負けた側だから、側近のみなさんも心配でしょうけど近寄って来れないよね。


 “真剣勝負”の最中、兄上は、ずっと、首を差し出すように戦っていた。

 その手加減があったから、私は今回勝てたのだ。でなきゃ、精神的に折れかけていたとしても、まだまだ全盛期の兄に勝てるわけがない。

 織田軍にしてみればこの一騎打ちは本当にただの余興で、私が勝とうと負けようと利益はさほどないって状態だった。
 兄上は「勝った方が利にはなるけど負けたっていい」くらいの考えだったのか。よっぽど、私をお嫁さんまた人質にするのが嫌だったのか。

 私は、本当にみんなに助けられてるんだな。

 みんなのサポートがなければ、こんなに我儘を通せなかった。
 ここまで来られなかった。

 私達の本拠地・清州城は今、女子鉄砲隊を中心に、徳川のみなさんに守ってもらっている。美濃を攻めている間に、他のところから攻められたら困るから。織田はまだまだ敵だらけなのだ。
 無茶なお願いに、家康くんは女の子がいっぱいだと喜んで守りに入ってくれた。どうしてあんな子に育っちゃったのかしら。

 一夜城と大砲は、運べるサイズのパーツをある程度組み立ててから運んで、現地で仕上げた。
 秀吉くんの案と、彼の人脈で運搬する人や組み立てる人を大勢連れてきてもらってできたことだ。
 完成サイズだと運べない、運ぶのに時間がかかるものでも、ちいさな力をたくさん借りれば、できる。
 たくさんの人の力を借りた。

 私は所詮、パーツだ。
 この世界を動かすパーツ。
 今日の勝利も、ただパーツとして動いて得られただけ。

 一番目立っておいしい役をもらっただけで、偉そうにしてはいけない。
 だけどちょっとだけ、もう一つだけ我儘を言いたい。

「兄上、あのね」

 助け起こしてもらった手を離れて、私はまた地面に膝をついた。
 同様に半身を起こした兄の傍らに座り、その首へ腕を回す。
 後ろから、ぴっしりと正装をした私の夫が歩いてきているのを見た。

「私、信長様と80歳まで生きることにしました。だから、兄上にも協力してほしい。そして兄上にも、80歳まで生きてほしいです」

 兄は私の腕の中で、傷が痛むのか微かに身じろいだ。
 驚く息遣いが耳元に当たる。

「そんなこと……約束なんて、できるわけねえだろ……」
「いいえ」

 否定をしてから、私は立ち上がる。
 一騎打ち用に広く開けてもらった戦場は、昔に、何度か来たことがある。
 孫四郎兄上と一騎打ちごっこをした。喜平次兄上をボッコボコにして父上に怒られた。
 今はそこに、嘆く兵と、歓喜する兵と、たくさんの者たちがひしめいて私達を囲んでいる。
 みんな、この地の未来を心配しているのだ。
 先がわからないのは、怖いよね。

 目が合った信長は、大きく頷いた。
 この地のすべての人に聞こえるように、私も声と胸を張る。

「これで美濃は私のものです。斎藤義龍、あなたの命も。私のもの。さきほどの頼み、問答無用で聞いてもらいますよ!」

 兄は私の言葉を聞いたあと、一瞬目を見開いたけれど、その後にニッとあの父似の笑みを向けた。
 そして、傷が痛いだろうにゆっくりとその場に手をつき、頭を下げた。

「うえっ!?」

 深く下げられた当主の頭に、斎藤のみなさんの嘆きが間近で聞こえるようだ。
 慌てて私は、なにをしているのか両手をぶんぶんと振った。兄から見えていないだろうに。

「あああ兄上、そんなことやめてください!頭をあげて……」
「かまわないさ。これから義弟の配下になるんだぞ。妹に頭くらい下げられなくてどうする」

 間抜けに慌てふためく私の姿と反対に、その声からは、惨めさも屈辱も感じられなかった。
 ベコベコに折れた兄上は嫌だけど、私に甘くて、頭を下げてるのになぜか偉そうで。こんな兄上は、負けても折れても好きだな、あと顔がいいんだよな、とちょっと悔しく思う。


 かくして、私達は美濃を手に入れた。
 歴史的にどうなるかは知らないけれど、のちに「稲葉山城無血開城」とでも残しておいてほしいものだ。
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