マムシの娘になりまして~悪役令嬢帰蝶は本能寺の変を回避したい~

犬井ぬい

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第二部

77話 桶狭間の戦いにて3

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※暴力表現があります。


 いやいやいやいや、めちゃめちゃ痛いわ!!

 女のことなんだと思ってるの?
 私が叫ぶかどうか試したかっただけ?
 外に仲間がいるかどうか、とか?

 だとしても普通、初対面の女性の指折る!?
 女だって同じ人間だわ!

 夕凪が後ろでクナイを抜くのより速く、日奈さんが悲鳴を上げるよりはやく、

 私は残ったこぶしを強く握り、目の前のクソジジイの顔に思いっきりめり込ませていた。

「へぼぅっ!?」
「いったあああ~~~~!!」

 グローブやナックル(ないけど)をつけていなかった私の拳は耐えきれず、皮膚がやぶれて血が出た。
 憎き今川義元本体とその折られた歯が、地面に盛大に落ちる。

「貴様!」
「ひえええおねえさま!」

 私に刃を向ける義元の側近たち。
 私に縋りつくかわいい夕凪。
 ドン引きの日奈さん。

「大丈夫よ、おゆうちゃん。だからまだ手出ししないでね」
「うぅ……でも、お手が……」
「そうだったわ」

 左手の薬指は反対側に折れたまま、右手は甲がズタズタ。
 こんな姫いるわけないとは思うけど、名乗るか。もう正体バレしちゃったし。

「義元様、いかにも私は美濃のマムシの娘、帰蝶です。手当、してくれます?痛くてしょうがないんですの」
「は……へ……」
「手当、してくれます?」

 生来の、泣く子も黙る悪女顔を向けて凄んでだら、さっきまで強気な口調になっていた義元は、口から血を垂らして唖然としていた。

 反撃にあうとは思わなかったのだろう。

 覚悟のできた忍びや武家の娘なら、骨を折られても反撃なんて馬鹿なマネはしなかっただろう。
 覚悟のない巫女やただの侍女ならば、ただ痛みと恐怖に泣き喚いただろう。

 でも、私はどっちでもない。
 なんせ、近隣諸国から「美濃のゴリラ」と恐れられる珍しい女ですからね。

「わ、わかった……すまなかったな。手荒な真似をした」
「まったくですわ。もし指を二本折られていたら、歯を二本折っていました」
「怖……」

 最後のつぶやきは、どこから聞こえたものだったか。


 衛生兵らしき今川の兵に手当てをしてもらい、折れた指は添え木でなんとか安定した。
 痛み止めがないのでまだ痛い。絶えず痛い。ぜったいゆるさん。
 すっぱり折られたからちゃんとくっつくとは思うけど、しばらく刀が握れないのが悲しい。

「ありがとうございます。これで冷静にお話ができますわ」
「噂には聞いていたが、まさかここまで乱暴な女だったとはな……見た目はこんなに美しいのに」
「どんな噂か存じませんが、ともかく、私は織田信長の正室の帰蝶です。隣にいるのが先見の巫女。後ろは私付きの侍女です。女三人ではるばる来たんですから、もう手荒な真似はしないでくださいね」

 お互い手当を受けたので、義元の口端からはもう血は流れていない。
 今にして思えば、頭にきたからといって成人男性の健康な歯を折ったのはやりすぎだったかもしれない。
 夕凪と日奈さんには、帰ってもみんなに内緒にしておいてもらおう。

 殴られた瞬間こそ驚いて物も言えなくなっていたが、義元はさすが大国?今川の総大将。
 もうすっかり武将の顔になり冷静さを取り戻していた。
 口調も、キャバクラ通いオヤジのものではない。あれは、私達から本心を聞き出すために偽っていたのだろう。

 義元は姿勢を正して座りなおし、私達を鋭い目で睨む。

「ここへ、何しに来た?」
「最初にお伝えしたとおりです。先見の巫女を連れてきただけ。巫女が、急に義元様のところへ行くって言うんですもの。わたくしだって、沈む船には乗っていたくありませんわ」
「巫女をかたったのは?」
「だって、信長の正室だと知れたら殺されると思いまして……。実際、指は折られましたしね?最初から正室だと名乗っていたら、わたくしどうなっていたのかしら?」

 ふう、とため息を軽く吐きながら。
 私の悪女演技は相変わらず悪役令嬢物の漫画知識だが、この世界では案外通じるのだ。

「織田信長を、夫を見限ったか」
「私は、天下を取るものの横に居たいだけです」

 ここまで言うと、義元は目に嘘がないかどうか探っているように視線をあわせた。

 戦国時代は、情報が大事だ。
 そしてスマホやネットといった伝達手段がない以上、情報ってのはほとんど、“人”の口からしか得られない。
 得た情報に、その人の口に嘘があるかどうかを、トップは見定めなければいけないのだ。その目で。

「まあ、筋は通るか。本物の巫女、何か占ってみよ。当たれば今川で囲ってやってもいい」

 日奈さんはずっと不安そうに俯いていたけれど、義元の声に顔をあげる。
 目の前で人が骨や歯を折りあってたら、怖いよね。怯えさせてごめんなさい。

「……雨は、もっと強くなります。視界が悪くなりますから、足元に気をつけてください。今攻めている砦は、夜には落ちます」

 けれど声は、しっかりしていた。

 夜には、とは言ったけど、日奈さんの歴史知識でそう学んでいただけで、実際にはズレることもある。これは危険な賭けだ。
 夜まで砦が落ちなかったら、殺されるかもしれない。

 いったいいつまで、ここで足止めをしなければいけないんだろう。
 私と夕凪はともかく、普通の女子高生の精神で、日付がかわるくらいまでもつだろうか。


「雨は強くなりますから、お気をつけて」


 巫女がもう一度、誰に向けてかそう口にしたとき、外が一気に騒がしくなった。
 交戦している音だ。

「義元様!織田軍です!」
「なに……数は」
「百……いえ、もっと少ないかと」

 えっもう来ちゃった!?想定より早い。
 というか早すぎる。
 合図くらいしてよ、私達が逃げる時間がない。

「帰蝶様、ちょっと早いけどたぶん史実通りになってる。逃げよう」
「それならよかった!夕凪、合図を」
「あい」

 日奈さんが私にもたれるように声をあげた。夕凪が合図を出す。
 織田軍が来てるなら、大将がここにいると知らせられる。

 信長はすぐ来てくれる。
 十兵衛も。

 私達は逃げるが勝ちだ。

「はああ~やっぱり、蝮の娘は蝮か……平然と毒を食らわせおる。おい、この女たちを捕まえとけ」
「ぎゃーーー!」

 迫る織田軍に焦っていた義元は、それでも的確に指示を出す。
 部下たちは揃って、逃げようとする私達に手を伸ばしてくる。「殺せ」という命令ではないから、刀や槍が飛んで来ないのはよかったけど。

 手から逃れながら天幕の隙間へ日奈さんを押し出そうとしたところへ、外から馬のいななきが聞こえて来た。

 天幕を裂くようにして、大きな風が吹く。
 と思ったら、弾丸だった。

 天幕を裂くどころか全部なぎ倒す勢いで、一騎、鉄砲玉みたいに何かが飛び込んで来た。
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