上 下
76 / 134
第二部

67話 どうか、君をまもらせて

しおりを挟む
 一粒を許してしまったら、あとはもう雪崩れるように。涙は蛇口を捻ったみたいに出てきて頬に流れた。
 喉の奥から、我慢しすぎて潰れた声が出る。

「う、うぇ……え……っ」

 私から変な音が出たせいか、あまりにも汚い泣き顔にか、驚いたように十兵衛の手が離れる。
 こんな子供みたいに泣くなんて、と我慢しようとすすりあげたら鼻奥が痛くなって余計に涙が出た。
 怖くて顔が見れないけど、彼もきっと呆れてるに違いない。

「わたしだからって、なによ……っ、十兵衛だって、わかんないこと、するのに……みんな、みんな勝手ばっかり……っ」

 反論したかっただけなのに、子供っぽい泣き言しか出てこなかった。
 溢れる涙を、頬に触れたものからぐしぐし袖で拭う。
 我慢しようとしゃくりあげたせいで、顔も鼻も真っ赤になってるに違いない。

「き、帰蝶……あの、」
「わ、わたしだって、みんなをまもりたくて………未来を変えたくて、いろいろやったのに……っなにやっても、うまくいかないし……っ、空回り、ばっかりで、どうしたらいいか……わ、わからないのに」

 涙も嗚咽も、止まらない。
 止めようとすると息ができなくて、体の色んな箇所が苦しくなって、吐いた息と一緒に結局ぜんぶ零してしまう。

 恥ずかしくて悔しくて、もう二度と、十兵衛の顔も誰の顔も見れないかもしれない。

 私って今いくつなんだろう。
 日奈さんが言うように外見年齢が16、7歳で止まるのなら、精神の成長も止まっているのだろうか。

 自分が今、何歳なのかもわからない。
 今が西暦何年なのか、このあとどうなってしまうのかも、ぜんぶ、なにもわからなくて、怖い。

 体の成長と精神の成長がちぐはぐなのに周りはどんどん進んでしまって、怖い。

「信秀様も死んじゃって、じいやさんも、か、勝手に死んじゃうし……なのに、信長さまは、傷ついてるはずなのに、ケロっとしてるし……」

 信長や十兵衛や兄上や、みんなは大人になったのに、私だけこどものまま。
 異世界みらいから来たときのまま。

 黙ったままの顔を見られないまま、代わりに閉じたまぶたに、最期に笑ったおじいちゃんの顔が浮かぶ。

「……私が、殺したようなものなのに」

 ぽろ、と出てきた大きな粒をそのまま膝の上にこぼして、ぐずぐずと鼻をすすった。

 どうしたらよかったの、どうしたらみんなよろこんでくれたの。
 夢の中で何度も手を伸ばしても、誰も掴んでくれなかった。
 誰かの言う通りにしたらいいなら、そうしたかった。

「私が、いけなかったのかなぁ?変なことばっか、して……がんばった、つもりなのに……正解、わかんないよぉ……十兵衛と信長様は、何度言ってもケンカばっかするし、仲良くしてくれないし、日奈さんは歴史を変えるなって、無茶なこと言うし、兄上と父上は勝手に戦争するし……!」

 なんだか腹が立ってきた。
 おもちゃ屋さんで暴れる子供みたいに、大の字になりたい。
 もういっぱいいっぱいだよ。
 やること全部裏目に出るし、誰も幸せにできないし。

 十兵衛のこと、彦太郎を救った気になって、まもるために突き放して手を離したけど、ただ傷つけただけだったんだね。

 私の手は最初から、何も掴めていないんだ。

 無力感に、息ができない。
 助けて、と手を伸ばした。誰も掴んでくれないのに。

「……こわいよ、みんないなくなっちゃうなんて……私、まだ十兵衛と一緒にいたいよ……護衛じゃなくてもなんでもいいから、そばにいて欲しいよ!」

 涙で濡れて冷えてしまった指先は、やはりそのまま宙を掻いた。

 代わりに、倒れそうになる背に固い感触が触れる。
 なにごとかわからなくて目を開けると、瞼をこすりまくったせいで歪む視界に十兵衛はいなくて、というか、私をその胸の中に抱き込んでいた。
 知覚した瞬間、心臓が戻って来たように大きく跳ねた。

「な、なんで抱きしめるの?」

 信長はスキンシップ過多めなので慣れていたが、堅物の十兵衛にされるのは、はじめてだ。
 私から抱き着いたことはあるけど。その度に怒った彼に引きはがされてた。

 彼自身慣れないことをしているせいか、背中をぎゅっと強く引き寄せられ、防具が当たって、ちょっと痛い。力加減がヘタすぎる。苦しい。押し付けられた心臓が、ドッドッと盛大な音をたてる。

「……君って案外、普通の女の子なんだね」
「どういう意味よ?魔法でも使えると思ってたの?」

 残念ながら、何度も確かめたがこの世界には魔法はない。
 ステータス表示もないし、そもそもながら私は攻略キャラクターでもヒロインでもなんでもないのだ。
 あっても魔力ゼロの可能性が高い。

「まほう……は、よくわからないけど、そういうところで、勘違いしていたのかもしれない」
「私は見てのとおり、普通の脳筋女よ。あなたはぜんっぜん、普通じゃなかったけどね」

 織田信長としょーもないことでケンカするし、美少女ヒロインには見向きもしないし、自分の実家は燃やすし。ついでにどらやきを焼いてあげると喜ぶなんて、未来のネコ型ロボットかっていう。
 こんな明智光秀がいるなんて思わなかった。

 背中をぽんぽんとあやすように優しく叩かれて、強制的に落ち着かされて、息は随分整ってきた。
 くやしいので鼻水を十兵衛の裾で拭いてやる。
 これは完全に、駄々をこねた赤ちゃんか、暴れる獣の対処法だ。布とかで視界を覆ってやるといいらしい。

「帰蝶様」
「……なんでしょうか」

 また敬語を使われて、ちょっとだけむすっとしながら答えてしまった。
 こういうところが、いつまでも子供だって笑われるところ。
 たぶん私、倫理観は令和、精神は9歳で止まっているんだと思う。

 十兵衛は私の背に両腕を回したまま、あやすのをやめてその手に力を入れた。
 もう痛くはない。苦しくもない。
 包まれる感触と、聞こえる互いの心臓の音が、私の頭を冷やしてくれる。

 ふう、と息を吐くと、代わりに十兵衛が大きく息を吸った。

「私に、もう一度、貴女を護ることをお許しください」

 心音に交じって、決意をはらんだその声は、耳元よりももっと近くで聞こえた気がした。
 それは、いつもみたいに反射で答えてはいけない気がして、考えた。

 正解は、日奈さんに聞いちゃだめだ。
 私はいつのまにか、自分で考えて行動することを忘れていた。
 ずっと見ていてくれた幼馴染に怒られるくらいに。

「……許さなかったら、どうなるの?」
「主君の妻に手を出した罪で、信長様に斬り殺されますね。護衛なら、火の粉から貴女を護っていることにします」

 そう、あっさりと言われて、笑ってしまった。

「ずるいじゃん」

 長い腕。広い肩。背に回された力は強い。
 たぶん、私が今まで会った誰よりも。私を護るために、強くなってくれた腕。

 いつの間にか、私より何センチも背が高くなっていた。
 以前に縋って抱きついた時は、私が回した腕で事足りた小さな彦太郎。

 ずっと、見えない未来まえばっかり見ようとして、気付かなかったんだ。
 ちゃんと隣を見ていたら、いつだって彼はいてくれていたのに。

 後ろにいたと思っていた幼馴染は、もう、私が護ってあげなきゃって思わなくても大丈夫になっていたんだ。
 逞しくなった肩に、そっと首を預けるように乗せる。男の子って、いいなあ。


「許します。明智十兵衛光秀、私をずっと、その手で護ってください」


 祝福か断罪か、火の粉が風に乗って大きく舞った。
 十兵衛の背の向こうに、ぞっとするほど華美な空が見えて、怖くなってその肩に顔を埋めた。目を閉じて、息を吸う。



 あのね、

 このひとがまもってくれるから、もうこわくないよ。

 そう、私の中のちいさな小蝶に教えてあげた。
 泣いていたちいさなこどもは、少しだけ安心したように、もう一粒涙をこぼした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断罪イベント返しなんぞされてたまるか。私は普通に生きたいんだ邪魔するな!!

ファンタジー
「ミレイユ・ギルマン!」 ミレヴン国立宮廷学校卒業記念の夜会にて、突如叫んだのは第一王子であるセルジオ・ライナルディ。 「お前のような性悪な女を王妃には出来ない! よって今日ここで私は公爵令嬢ミレイユ・ギルマンとの婚約を破棄し、男爵令嬢アンナ・ラブレと婚姻する!!」 そう宣言されたミレイユ・ギルマンは冷静に「さようでございますか。ですが、『性悪な』というのはどういうことでしょうか?」と返す。それに反論するセルジオ。彼に肩を抱かれている渦中の男爵令嬢アンナ・ラブレは思った。 (やっべえ。これ前世の投稿サイトで何万回も見た展開だ!)と。 ※pixiv、カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。

悪役令嬢の慟哭

浜柔
ファンタジー
 前世の記憶を取り戻した侯爵令嬢エカテリーナ・ハイデルフトは自分の住む世界が乙女ゲームそっくりの世界であり、自らはそのゲームで悪役の位置づけになっている事に気付くが、時既に遅く、死の運命には逆らえなかった。  だが、死して尚彷徨うエカテリーナの復讐はこれから始まる。 ※ここまでのあらすじは序章の内容に当たります。 ※乙女ゲームのバッドエンド後の話になりますので、ゲーム内容については殆ど作中に出てきません。 「悪役令嬢の追憶」及び「悪役令嬢の徘徊」を若干の手直しをして統合しています。 「追憶」「徘徊」「慟哭」はそれぞれ雰囲気が異なります。

ざまぁされるための努力とかしたくない

こうやさい
ファンタジー
 ある日あたしは自分が乙女ゲームの悪役令嬢に転生している事に気付いた。  けどなんか環境違いすぎるんだけど?  例のごとく深く考えないで下さい。ゲーム転生系で前世の記憶が戻った理由自体が強制力とかってあんまなくね? って思いつきから書いただけなので。けど知らないだけであるんだろうな。  作中で「身近な物で代用できますよってその身近がすでにないじゃん的な~」とありますが『俺の知識チートが始まらない』の方が書いたのは後です。これから連想して書きました。  ただいま諸事情で出すべきか否か微妙なので棚上げしてたのとか自サイトの方に上げるべきかどうか悩んでたのとか大昔のとかを放出中です。見直しもあまり出来ないのでいつも以上に誤字脱字等も多いです。ご了承下さい。  恐らく後で消す私信。電話機は通販なのでまだ来てないけどAndroidのBlackBerry買いました、中古の。  中古でもノーパソ買えるだけの値段するやんと思っただろうけど、ノーパソの場合は妥協しての機種だけど、BlackBerryは使ってみたかった機種なので(後で「こんなの使えない」とぶん投げる可能性はあるにしろ)。それに電話機は壊れなくても後二年も経たないうちに強制的に買い換え決まってたので、最低限の覚悟はしてたわけで……もうちょっと壊れるのが遅かったらそれに手をつけてた可能性はあるけど。それにタブレットの調子も最近悪いのでガラケー買ってそっちも別に買い換える可能性を考えると、妥協ノーパソより有意義かなと。妥協して惰性で使い続けるの苦痛だからね。  ……ちなみにパソの調子ですが……なんか無意識に「もう嫌だ」とエンドレスでつぶやいてたらしいくらいの速度です。これだって10動くっていわれてるの買ってハードディスクとか取り替えてもらったりしたんだけどなぁ。

悪役令嬢の独壇場

あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。 彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。 自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。 正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。 ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。 そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。 あら?これは、何かがおかしいですね。

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

乙女ゲームの悪役令嬢に転生したけど何もしなかったらヒロインがイジメを自演し始めたのでお望み通りにしてあげました。魔法で(°∀°)

ラララキヲ
ファンタジー
 乙女ゲームのラスボスになって死ぬ悪役令嬢に転生したけれど、中身が転生者な時点で既に乙女ゲームは破綻していると思うの。だからわたくしはわたくしのままに生きるわ。  ……それなのにヒロインさんがイジメを自演し始めた。ゲームのストーリーを展開したいと言う事はヒロインさんはわたくしが死ぬ事をお望みね?なら、わたくしも戦いますわ。  でも、わたくしも暇じゃないので魔法でね。 ヒロイン「私はホラー映画の主人公か?!」  『見えない何か』に襲われるヒロインは──── ※作中『イジメ』という表現が出てきますがこの作品はイジメを肯定するものではありません※ ※作中、『イジメ』は、していません。生死をかけた戦いです※ ◇テンプレ乙女ゲーム舞台転生。 ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇なろうにも上げてます。

このやってられない世界で

みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。 悪役令嬢・キーラになったらしいけど、 そのフラグは初っ端に折れてしまった。 主人公のヒロインをそっちのけの、 よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、 王子様に捕まってしまったキーラは 楽しく生き残ることができるのか。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

処理中です...