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第二部

62話 稲葉山城牢獄にて2

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 できた、できた!
 できた!!

 私にもできた!
 修正できた。歴史通りにできた。

 斎藤義龍は弟を殺した。史実通りだ。
 少し時期が早い気もするけれど、これくらいは誤差だろう。

 大事な息子を二人も殺されたなら、斎藤道三も黙ってはいられない。
 仮に道三自身が大人しくしていたくても、周りがうるさく騒ぎ立てるはずだ。

 手紙を出したことで、帰蝶や巫女わたしは責められるだろうか。手紙は燃やすように書いたから、大丈夫だとは思うけれど。
 もし誰かに問い詰められたなら、帰蝶は「占いに従っただけ」だと言えばいい。
 私だって、こんなに上手くいくなんて、正直思ってなかった。

 弘治2年、長良川の戦い。
 戦が起きてしまえば、帰蝶には手出しできない。
 弟を殺してしまったのなら、もう帰蝶が何かしたところで修正はきかない。
 斎藤道三は死ぬ。

 私にだって、できるんだ。


 自分がもたらした、望んでいたはずの結果に怖くなって膝が笑い出した。
 それが、自分が誰かの命を奪ってしまったことへの恐怖だとは気づかないまま、日奈は震えに任せてその場に膝をついた。




 ********


 目の前を歩いていた日奈さんが、兄上の低い声を聞いて地面に倒れるように両膝を折る。
 その顔は色を失って、寒さだけの理由ではなく震えているように見えた。

 これは、彼女にとっても想定外なんだ。こんなことになるとは思わなかったって顔だもの。

「……兄上、どうしてそんな冗談を言うんですか?」
「冗談でこんなこと、するわけねえだろ。孫四郎も喜平次も、何故ここへ来たのか、親父が何を考えてるのか、口を割らなかった。だから殺した」
「なんですかそれ!話も聞かずに殺したんですか!?」

 兄上に掴みかかろうとしたのを、左右にいた側近のお兄さん方に目で制される。
 代わりに地面を踏みしめる足に力を入れた。私はまだ、立っていなければならない。

「全部、そこの巫女の言った通りだ。ここ数日、俺の周りを探ってる奴がいた。調べたら親父の手の者だった。そこへ親父の手の者あいつらが来た。理由を聞いても何も喋らねえ。なら、怪しい限りは、殺すしかないだろう」
「だからって!私に話もさせずに……」

 殺すなんて。

 ……違う。
 孫四郎達が何も話さなかったのは、私が手紙を書いたせいだ。私に疑いがかからないよう、何も言わなかったのだ。
 そしてそれは、義龍兄上もわかっている。頭の良い兄上なら、私と孫四郎達が来たタイミングが良すぎることに勘づいたはずだ。

 だから、だ。

「兄上は、私も疑ってますか……?」
「そうだ。お前はもともと……親父あいつに可愛がられてる。だが、巫女なんて使ってわざわざ俺に知らせに来たあたり、完全に親父側についたとは思えない。お前が夫の為に俺を探りに来るような機転の利く女じゃないのはわかってるからな。だから今日は見逃してやると言ってるんだ。これ以上怪しまれる前に、巫女を連れて帰れ」
「……わかりました、帰ります。でもその前に、孫四郎兄上に、喜平次兄上に会わせてください」
「もう片付けさせた」

 兄の、蛇に似た目は、弟を物のように扱うような冷酷さが出ていた。 
 見ていられなくて俯いてしまう。いびつな模様の地面を眺めながら、声をなんとか絞り出す。

「どうして父を……孫四郎や喜平次を……信じてあげられなかったのですか……」
「先に裏切ったのはあいつだろう!!」

 突然上げられた声は、空洞のようになっている牢の廊下によく響いた。
 大きな音がぐわんぐわんと何度も反響して、衝撃が全身にくる。

「美濃を任せると言いながら口出しはする、お前に国譲状なんてものまで書いて馬鹿にして、ここ数日は、こっちの身辺まで漁ってきやがる!俺を信じてないのは明らかじゃねえか……所詮は、庶子より正室の子お前たちの方が可愛いってことだろう!?」

 違う、そんなことない。
 父はちゃんと子供たち全員をかわいがっていた。
 たしかに、全員分け隔てなくとはいっていなかったとは、思う。私は特別かわいがられていたとも、思う。

 でも、兄弟で殺しあうほどに、拗れた関係ではなかったはずだ。

 胸の中で色んな感情が渦巻いて、その中でも「悲しい」がどんどん奥からせりあがってきた。
 両手の指を手のひらの中に入れて、静かに握る。

 泣くな。まだ、めそめそするのは早い。

「……お二人は最期に、なにか言いましたか」
「何も。だから殺したんだ」

 そうですか、と区切って、私は避けられないようノーモーションで兄上の鳩尾みぞおちに拳を入れた。
 身長差があるのでアッパーみたいな感じに。地面を踏みしめ、めり込んだ拳を渾身の力で振り上げる。
 戦ではないので防具をつけていない、骨の邪魔しない場所へ入った衝撃に、兄はぐっ、と内臓を詰められたような声を出した。

「約束通り、殴りましたよ。次は父上を殴りに行きますので、止めないでください」
「……っ、の、阿保!」

 上体を折って呻く城主へ、側近のお兄さん達が慌てて駆け寄る。その整った顔はやめてボディにしてあげたのだから、文句は言わないでほしい。

 義龍兄上は、嘘を言っている。

 離れて暮らして長くとも脳筋の自覚があろうとも、兄の嘘がわからないほどではない。
 目を見て、表情を見て、嘘を見破れる女になれ。そう言われて育った。
 父上と、兄上達からだ。

 兄上の目は嘘をついていた。
 彼は嘘をつくのが上手いから、私に告げたうちのどの部分が嘘かはわからない。たぶん真実が混じっているから見破れないのだ。「二人を殺した」が嘘だったらいいんだけど。いや、きっとそう。

 孫四郎も喜平次も、幼少期は兄上が怖くて近づけなかったってだけで、腹違いだなんて関係なく、兄として慕っていた。
 肉親で殺しあう世界でも、自分を尊敬し懐いていた弟達を「怪しい」だけで殺す人じゃない。

 嘘は、私のためだ。
 私や織田へ火の粉がいかないように、もめごとに巻き込まないようにしてくれているんだ。
 私はそんな、庇われて囲われて護られたいわけじゃないのに。
 そう思ったら色々真っ白になって、イラ立ち任せで殴っちゃった。

「帰蝶様!お待ちください!」
「おい、お前らよせ……」

 まだ息がしづらそうな兄に代わり、隣にいた屈強なお兄さんが私の傍へ駆けてきた。
 私が振り返ると、本当は腕でも掴みたかったのだろう、悔しそうな顔で伸ばした手を引っ込めた。姫に手荒なことなんてできないもんね。
 主君を殴られて文句もあるだろうが、私はこれから、父を殴りにいかなければいけないのだ。手を出してくるなら、もう一発入れてもいいのよ?

「申し訳ありません、帰蝶様」
「ん?」

 ファイティングポーズの私には指一本触れずに、ずいずいと前に男子達が立ちふさがった。
 あれ、通路が埋まって通れない……

「さすがに、主君を傷つけられたとあっては、何もせずにお帰しするわけにはいきません」
「んん?」
 
 兄上の側近の方々に丁寧に押し戻され、一歩二歩と後退する。
 乱暴をされているわけではないから、こっちからは暴れられない。無抵抗の兄は殴りましたが。

「牢へお戻りください」
「んんん?」

 かくしてどんどん後退させられ、気がつけばまた牢の中。
 目の前で音を立てて格子が閉まった。
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