57 / 134
第二部
48話【十兵衛】その少女は、どこか似ていて
しおりを挟む
帰蝶は小さい頃、仲良くなった馴染みの子供がいなくなると知って、大泣きしたことがある。
どこにもやらないでと駄々をこねて大人達を困らせ、ありえないことにその子供を自分の小姓にしてしまった。
その子供は、本来なら殺されるべき子供だったので、命を救ってもらったと勘違いして彼女に一生の恩を感じた。
この話は誰にもするつもりはないけれど、誰かにしても信じられないだろう。
彼女は強く、芯のしっかりした聡明な女性に、見える。
実際にそうではないことを、彼女と時を共にした者ならすぐに気付くけれど、彼女は凛とした、涙の一粒も流さない揺るがない女性に見えるのだ。
その帰蝶が、泣いた。
誰よりも強く、兄や夫にすら臆せず意見を言える、その意見を通しきりこうして城をあげての祭りのようなことさえできる元気な姫が、泣いたのだ。
姿は変わっているが、どこにでもいるような少女を見て、ぽろぽろと涙を流した。
理由は見当もつかない。ずっと側にいたと自負していたのに、わからない。
僕がそうなのだから他の者になど検討がつくはずもないだろうが、奥方が泣かされたとあっては、皆、黙ってはいられない。
特に今、この場を手伝ってくれていたのは「信長様の奥方の頼みだから」ではなく「帰蝶様の力になりたい」と言う理由で申し出た者が大半なのだ。
彼女は故郷でもここでも、自分は人に好かれていないと思っているようだが、そんなことはない。
むしろその逆だ。
身分を気にすることなく、誰にでもありのままで打ち解けてしまう彼女を慕う者は多い。
今回のように、手柄を立ててあわよくばお傍に置いてもらおうだとか、なにか特別な褒美が欲しいと思う不埒な輩は多い。
夫である城主が信長なので、下の者達にしっかり言わないのもいけないのだ。
だから何度もちゃんとしろと言ったのに。
あの娘が何者か、果たして皆が言うように賊なのかはわからないが、捕まえて、どこの者なのか、調べなければ。
そしてそれをするのは僕でなければならない。
後ろを駆けてくる、他の誰でもあってはいけない。
少女は素早く人の中に隠れたつもりだろうが、あの格好ではどうやっても目立つ。
脚は異様なほどに剥き出しで走りやすそうな反面、固さのある妙な履物のせいでうまく走れないようだ。同じ年頃のようだが、帰蝶ほど速くはない。
彼女は別格なのだ。剣撃が異様に速い。
幼い頃についた師匠は「目が良い」と褒めていた。相手の動きを読むことに長けている、と。
師匠も知らない、あれは、彼女のひたすらにまっすぐな努力の賜物だ。
毎晩毎晩、手にできた豆が潰れるまで刀を握って振り上げて、汗を流しながら鍛錬に励んだ成果だ。
彼女を、綺麗な表層だけで見るのは間違いだ。
そんな彼女に追いつくために培った脚だ。人に隠れながら城を出ようとする少女の手を掴むまで、そうかからなかった。
傷つけるなと言われているし、もともと手荒なことをするつもりはない。
しかもこうも筋肉のついていない、折れそうな手首なら捕まえてしまえばこちらのものだ。縛りあげなくても、無理に抵抗することはないだろう。
帰蝶と違って、暴れられたところでたかが知れている。
腕が急に後ろに引っ張られたことで、ようやく自分が捕まったことに気付いたらしい。少女は勢いのまま振り向くと、僕の顔を見て驚く言葉を発した。
「み、光秀様……!」
「!?」
なぜ、名を知っている?
名乗った覚えはない。織田家の家臣ではない自分はまだ戦に出たことも公の場に出たこともない。
城外の人間にまで、ましてやこんな変わった風体の娘に名が知れているはずがないのだ。
さらに不可思議なことに、彼女の蒼白だった顔が、みるみる桜色になっていく。
頬は赤い、と表現する方が適切なほどの色合いになった。この熱の籠る視線には、覚えがある。
「あああやばい……推しの顔面綺麗すぎ……輝いてる……こんな、こんなの無理……!」
「は?」
意味のわからない言葉を残して、彼女はそのまま気を失った。
かくんと膝が折れ、体が倒れ込んでくる。
「ちょ、ちょっと!」
体の線が出すぎる着物のせいで華奢に見えるのかと思ったが、掴んだ腕同様、どこも細く軽い。
腕の中に収まってしまった娘は、ただの可憐な少女でしかなかった。
顔は、似ていない。
けれど、なんとなく、幼い頃の帰蝶と似ていると思った。
纏った、他とは違う雰囲気。
早口な話し方。
聞いたことのない言葉遣い。
すべて知っていると思っていた幼馴染に、知らない面があるのかもしれない。
そう思うと、腹立たしかった。
帰蝶のすべてを知っておくのは、僕であるべきだ。
後ろを追ってくる愚鈍な男達ではない。
あのうつけの夫でもない。
傷つけるなと言われたことを忘れて、腕の中の少女の肩に強く、指を食い込ませた。
どこにもやらないでと駄々をこねて大人達を困らせ、ありえないことにその子供を自分の小姓にしてしまった。
その子供は、本来なら殺されるべき子供だったので、命を救ってもらったと勘違いして彼女に一生の恩を感じた。
この話は誰にもするつもりはないけれど、誰かにしても信じられないだろう。
彼女は強く、芯のしっかりした聡明な女性に、見える。
実際にそうではないことを、彼女と時を共にした者ならすぐに気付くけれど、彼女は凛とした、涙の一粒も流さない揺るがない女性に見えるのだ。
その帰蝶が、泣いた。
誰よりも強く、兄や夫にすら臆せず意見を言える、その意見を通しきりこうして城をあげての祭りのようなことさえできる元気な姫が、泣いたのだ。
姿は変わっているが、どこにでもいるような少女を見て、ぽろぽろと涙を流した。
理由は見当もつかない。ずっと側にいたと自負していたのに、わからない。
僕がそうなのだから他の者になど検討がつくはずもないだろうが、奥方が泣かされたとあっては、皆、黙ってはいられない。
特に今、この場を手伝ってくれていたのは「信長様の奥方の頼みだから」ではなく「帰蝶様の力になりたい」と言う理由で申し出た者が大半なのだ。
彼女は故郷でもここでも、自分は人に好かれていないと思っているようだが、そんなことはない。
むしろその逆だ。
身分を気にすることなく、誰にでもありのままで打ち解けてしまう彼女を慕う者は多い。
今回のように、手柄を立ててあわよくばお傍に置いてもらおうだとか、なにか特別な褒美が欲しいと思う不埒な輩は多い。
夫である城主が信長なので、下の者達にしっかり言わないのもいけないのだ。
だから何度もちゃんとしろと言ったのに。
あの娘が何者か、果たして皆が言うように賊なのかはわからないが、捕まえて、どこの者なのか、調べなければ。
そしてそれをするのは僕でなければならない。
後ろを駆けてくる、他の誰でもあってはいけない。
少女は素早く人の中に隠れたつもりだろうが、あの格好ではどうやっても目立つ。
脚は異様なほどに剥き出しで走りやすそうな反面、固さのある妙な履物のせいでうまく走れないようだ。同じ年頃のようだが、帰蝶ほど速くはない。
彼女は別格なのだ。剣撃が異様に速い。
幼い頃についた師匠は「目が良い」と褒めていた。相手の動きを読むことに長けている、と。
師匠も知らない、あれは、彼女のひたすらにまっすぐな努力の賜物だ。
毎晩毎晩、手にできた豆が潰れるまで刀を握って振り上げて、汗を流しながら鍛錬に励んだ成果だ。
彼女を、綺麗な表層だけで見るのは間違いだ。
そんな彼女に追いつくために培った脚だ。人に隠れながら城を出ようとする少女の手を掴むまで、そうかからなかった。
傷つけるなと言われているし、もともと手荒なことをするつもりはない。
しかもこうも筋肉のついていない、折れそうな手首なら捕まえてしまえばこちらのものだ。縛りあげなくても、無理に抵抗することはないだろう。
帰蝶と違って、暴れられたところでたかが知れている。
腕が急に後ろに引っ張られたことで、ようやく自分が捕まったことに気付いたらしい。少女は勢いのまま振り向くと、僕の顔を見て驚く言葉を発した。
「み、光秀様……!」
「!?」
なぜ、名を知っている?
名乗った覚えはない。織田家の家臣ではない自分はまだ戦に出たことも公の場に出たこともない。
城外の人間にまで、ましてやこんな変わった風体の娘に名が知れているはずがないのだ。
さらに不可思議なことに、彼女の蒼白だった顔が、みるみる桜色になっていく。
頬は赤い、と表現する方が適切なほどの色合いになった。この熱の籠る視線には、覚えがある。
「あああやばい……推しの顔面綺麗すぎ……輝いてる……こんな、こんなの無理……!」
「は?」
意味のわからない言葉を残して、彼女はそのまま気を失った。
かくんと膝が折れ、体が倒れ込んでくる。
「ちょ、ちょっと!」
体の線が出すぎる着物のせいで華奢に見えるのかと思ったが、掴んだ腕同様、どこも細く軽い。
腕の中に収まってしまった娘は、ただの可憐な少女でしかなかった。
顔は、似ていない。
けれど、なんとなく、幼い頃の帰蝶と似ていると思った。
纏った、他とは違う雰囲気。
早口な話し方。
聞いたことのない言葉遣い。
すべて知っていると思っていた幼馴染に、知らない面があるのかもしれない。
そう思うと、腹立たしかった。
帰蝶のすべてを知っておくのは、僕であるべきだ。
後ろを追ってくる愚鈍な男達ではない。
あのうつけの夫でもない。
傷つけるなと言われたことを忘れて、腕の中の少女の肩に強く、指を食い込ませた。
0
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説
目が覚めたら夫と子供がいました
青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。
1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。
「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」
「…あなた誰?」
16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。
シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。
そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。
なろう様でも同時掲載しています。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
乙女ゲームの断罪イベントが終わった世界で転生したモブは何を思う
ひなクラゲ
ファンタジー
ここは乙女ゲームの世界
悪役令嬢の断罪イベントも終わり、無事にエンディングを迎えたのだろう…
主人公と王子の幸せそうな笑顔で…
でも転生者であるモブは思う
きっとこのまま幸福なまま終わる筈がないと…
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
悪役令嬢の独壇場
あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。
彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。
自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。
正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。
ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。
そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。
あら?これは、何かがおかしいですね。
家族内ランクE~とある乙女ゲー悪役令嬢、市民堕ちで逃亡します~
りう
ファンタジー
「国王から、正式に婚約を破棄する旨の連絡を受けた。
ユーフェミア、お前には二つの選択肢がある。
我が領地の中で、人の通わぬ屋敷にて静かに余生を送るか、我が一族と縁を切り、平民の身に堕ちるか。
――どちらにしろ、恥を晒して生き続けることには変わりないが」
乙女ゲーの悪役令嬢に転生したユーフェミア。
「はい、では平民になります」
虐待に気づかない最低ランクに格付けの家族から、逃げ出します。
私が死んだあとの世界で
もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。
初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。
だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる