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第二部

48話【十兵衛】その少女は、どこか似ていて

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 帰蝶は小さい頃、仲良くなった馴染みの子供がいなくなると知って、大泣きしたことがある。
 どこにもやらないでと駄々をこねて大人達を困らせ、ありえないことにその子供を自分の小姓にしてしまった。
 その子供は、本来なら殺されるべき子供だったので、命を救ってもらったと勘違いして彼女に一生の恩を感じた。

 この話は誰にもするつもりはないけれど、誰かにしても信じられないだろう。
 彼女は強く、芯のしっかりした聡明な女性に、見える。
 実際にそうではないことを、彼女と時を共にした者ならすぐに気付くけれど、彼女は凛とした、涙の一粒も流さない揺るがない女性に見えるのだ。

 その帰蝶が、泣いた。
 誰よりも強く、兄や夫にすら臆せず意見を言える、その意見を通しきりこうして城をあげての祭りのようなことさえできる元気な姫が、泣いたのだ。

 姿は変わっているが、どこにでもいるような少女を見て、ぽろぽろと涙を流した。

 理由は見当もつかない。ずっと側にいたと自負していたのに、わからない。
 僕がそうなのだから他の者になど検討がつくはずもないだろうが、奥方が泣かされたとあっては、皆、黙ってはいられない。
 特に今、この場を手伝ってくれていたのは「信長様の奥方の頼みだから」ではなく「帰蝶様の力になりたい」と言う理由で申し出た者が大半なのだ。

 彼女は故郷でもここでも、自分は人に好かれていないと思っているようだが、そんなことはない。
 むしろその逆だ。
 身分を気にすることなく、誰にでもありのままで打ち解けてしまう彼女を慕う者は多い。

 今回のように、手柄を立ててあわよくばお傍に置いてもらおうだとか、なにか特別な褒美が欲しいと思う不埒な輩は多い。
 夫である城主が信長アレなので、下の者達にしっかり言わないのもいけないのだ。
 だから何度もちゃんとしろと言ったのに。

 あの娘が何者か、果たして皆が言うように賊なのかはわからないが、捕まえて、どこの者なのか、調べなければ。
 そしてそれをするのは僕でなければならない。
 後ろを駆けてくる、他の誰でもあってはいけない。


 少女は素早く人の中に隠れたつもりだろうが、あの格好ではどうやっても目立つ。
 脚は異様なほどに剥き出しで走りやすそうな反面、固さのある妙な履物のせいでうまく走れないようだ。同じ年頃のようだが、帰蝶ほど速くはない。

 彼女は別格なのだ。剣撃が異様に速い。
 幼い頃についた師匠は「目が良い」と褒めていた。相手の動きを読むことに長けている、と。
 師匠も知らない、あれは、彼女のひたすらにまっすぐな努力の賜物だ。
 毎晩毎晩、手にできた豆が潰れるまで刀を握って振り上げて、汗を流しながら鍛錬に励んだ成果だ。
 彼女を、綺麗な表層だけで見るのは間違いだ。

 そんな彼女に追いつくために培った脚だ。人に隠れながら城を出ようとする少女の手を掴むまで、そうかからなかった。

 傷つけるなと言われているし、もともと手荒なことをするつもりはない。
 しかもこうも筋肉のついていない、折れそうな手首なら捕まえてしまえばこちらのものだ。縛りあげなくても、無理に抵抗することはないだろう。
 帰蝶と違って、暴れられたところでたかが知れている。

 腕が急に後ろに引っ張られたことで、ようやく自分が捕まったことに気付いたらしい。少女は勢いのまま振り向くと、僕の顔を見て驚く言葉を発した。

「み、光秀様……!」
「!?」

 なぜ、名を知っている?
 名乗った覚えはない。織田家の家臣ではない自分はまだ戦に出たことも公の場に出たこともない。
 城外の人間にまで、ましてやこんな変わった風体の娘に名が知れているはずがないのだ。

 さらに不可思議なことに、彼女の蒼白だった顔が、みるみる桜色になっていく。
 頬は赤い、と表現する方が適切なほどの色合いになった。この熱の籠る視線には、覚えがある。

「あああやばい……推しの顔面綺麗すぎ……輝いてる……こんな、こんなの無理……!」
「は?」

 意味のわからない言葉を残して、彼女はそのまま気を失った。
 かくんと膝が折れ、体が倒れ込んでくる。

「ちょ、ちょっと!」

 体の線が出すぎる着物のせいで華奢に見えるのかと思ったが、掴んだ腕同様、どこも細く軽い。
 腕の中に収まってしまった娘は、ただの可憐な少女でしかなかった。

 顔は、似ていない。
 けれど、なんとなく、幼い頃の帰蝶と似ていると思った。

 纏った、他とは違う雰囲気。
 早口な話し方。
 聞いたことのない言葉遣い。

 すべて知っていると思っていた幼馴染に、知らない面があるのかもしれない。
 そう思うと、腹立たしかった。

 帰蝶のすべてを知っておくのは、僕であるべきだ。
 後ろを追ってくる愚鈍な男達ではない。
 あのうつけの夫でもない。


 傷つけるなと言われたことを忘れて、腕の中の少女の肩に強く、指を食い込ませた。
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