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第一部(幼少編)

31話 花嫁は織田信長をぶん殴りたくて1

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「うぇぇ……う゛あ゛あ」

 輿にゆっさゆっさされ、生まれ育った稲葉山を離れること1時間半。私は路肩に盛大に吐いていた。
 整備されていない道を完全人力で進む輿が、こんなに揺れてしんどいとは思わなかった。

「だから輿に乗る練習をしてって言ったのに……」

 新しく私のためについてきてくれたかわいい侍女2人に背中を丁寧にさすられ、うずくまる。
 十兵衛が馬上からひらりと降りて差し出してくれた水を、一気に飲んだ。ちょっと清涼感。
 いいなあ十兵衛は。そっちは馬だから酔わないし。りんはいい子だから暴れないし。

 凜とは、私が10歳の時に与えてもらった栗毛の馬だ。愛馬の名前といえば「ジョセフィーヌ」なんだけど、長いから「凛」にした。ちなみに、牡馬おとこのこである。(知らない子は適当にググってね。)
 いつの間にか、十兵衛にも手なずけられてしまったらしい。

「私も馬がいい……十兵衛、後ろに乗せてよ」
「その格好で乗れるわけないだろう。だめ」
「ぐぬぬ……」

 だからお姫様の格好は嫌なのよ!
 裾も長いし重いしで、狭い輿の中では足すら組み直せない。
 仕方なく、窓を開けてドライブする犬のように顔を出して、極力揺れを抑えてもらい進むこととなった。
 鍛えてるから大丈夫だと思ったのに。
 馬の方が揺れるし、馬に慣れとけば輿の練習なんかいらないと思ってた。甘かった。

 眺める景色は、美濃も尾張もそんなに変わらない。
 ビルも線路もないし、出てくる色は緑と茶色と空の青。建物の様式も似たり寄ったりだ。気候も、となりの市程度だからほとんど一緒。

 変わり映えのしない緑を見ながら、遠ざかる稲葉山に別れを告げ、ようやく目的地に着いた頃には、私は人間の言葉を話せなくなっていた。

「帰蝶様、着きましたよ。大丈夫ですか?」
「う゛ぇ゛あ゛あ」

 小柄な侍女二人に両脇を支えられ、なんとか人の形を保っている状態。手を離されたら、瞬時にスライムのように地面にでろんと広がる自信がある。
 電車や車とは言わない。蒸気機関車。蒸気機関車をはやく作ってくれ、誰か。

「お待ちしておりました、帰蝶様。お支度部屋へご案内いたします」

 出迎えてくれたのは、平手さんというおじさんだった。
 各務野先生と十兵衛がてきぱきと指示を出し、織田側の人と連携を取って荷物を運んだりしている。私は侍女二人に背中をさすられながら、お仕度部屋に押し込められた。
 もうちょっと外で休んでたかったけど、私が吐いたり休憩したりしてたせいで時間が押しているのだ。さっさとお色直しをして、今日のメイン衣装である白無垢しろむくに着替えなければ。

 お屋敷の中に入ると、私の顔色が最悪だったのか、平手さんが女中さんに指示をして、冷たいお水をくれた。「お疲れでしょう」と優しい言葉も添えて。
 あ~、なんて気が利く人なんだろう。好きになっちゃう。

 そういえば、出立の少し前に義龍兄上から「困ったことがあれば平手って爺さんを頼れ」と言われていたのを思い出す。
 平手さんは、吉法師(信長)くんのじいやさんで、私との婚約を取り持ってくれた人なんだそうだ。
 たしかに、頼りにしたくなるような、気配りのできる初老のおじさんだ。
 穏やかで優しそうで、この人がじいやだったなら、きっと信長もいい子に育っているに違いない。



「あーーーっいけませんぼっちゃま!お止まりくだされーーーー!!」

 ……「いけませんお客様」が聞こえるんだけど、気のせい?
 着物を着換えて、お化粧を直……す途中で、奥の方からドタドタと盛大な足音と、平手のじいやさんの叫びが聞こえてきた。
 複数の足音が、どんどん、すごいスピードで近づいてくる。

「来たな、蝶!来い!」
「うええ!?」

 突然仕度部屋に入って来られて、きっと止めようとしたのだろう、じいやさんと女中さんと十兵衛と、色んな人が一緒になだれ込んできた。
 私も城中の人を呆れさせる天才だと思ってたけど、上には上がいるものだ。

 花嫁わたしを連れ去ろうとする不届きものは、赤地に蝶の刺繍という、めちゃめちゃに派手な着物を着ていた。女性用だと思う。
 大きく開いた廊下側ではなく、庭に続く方の戸をあけ放つと、困惑する侍女やじいやさんを無視して私を引っ張って庭に降りた。

「ぼっちゃま!もう式が始まるんですぞ!どちらへ行かれる気で……」
「ジイ、ちょっと待っててくれ!蝶を連れてきたいとこがあるんだ!」
「だめです!すでにお時間も押しているんですぞ!これ以上は御館様もお待ちに……あーーーーっ!」

 じいやが喉が裂けんばかりに叫ぶのも聞かず、ぼっちゃまは私の腕を掴んだまま、外に止めていた馬に跨った。ついでのように私もひょいっと抱えて。
 どうみても細身なのにこの腕力、すごい!羨ましい!

「帰蝶様!」
「若ーーーー!」

 若様が手綱を操ると、馬はすぐに小気味よく蹄を鳴らして走り出した。
 この、馬のアップも済んでる感じ、さては最初から準備してたな。
 さすが、尾張の大うつけ・カリスマSSR武将・第六天魔王・織田信長。やることが違う。
 拘束されてるわけでもないし、私ならタイミングをみて馬から飛び降りることもできるけど(みんなは骨折するからマネしないでね)、せっかくなのでどこへ連れて行ってくれるのか、見せてもらおう。

 馬は私が吐きそうになりながら来た道をタカタカと小気味よく走り、城下町へ。
 切る風が気持ちよくて、おかげで、吐き気は完全に治まった。
 
「あー、若様がお姫様連れてるー」
「おや、若様。いいんですか、今日は祝言の日でしょう?」

 城下町に着くと、信長くんは悠長に町を案内してくれた。

「蝶、ここの団子はうまいんだぞ、食うか」
「食べる」
「だろ!?うまいだろ!?」

 ちょっと話を聞かないところはあるが、お団子をおごってくれるあたり、悪い人ではないと思う。
 白無垢と赤い着物の私たちは、町中でどう考えても目立つらしく、どんどん人が集まってきて、みなさん野菜や布やいろんなものをわけてくれた。

「若様のお嫁様ですね、いや~やっぱりお綺麗だ!」
「どうぞどうぞ姫様、持っていってくださいまし。やだねえ、信長様にじゃないよ!」

 といった感じで、信長くんはとても民に慕われていた。それはとても良いことだ。
 美濃人生の前半、城に引きこもっていた私は、町に出てもこれほど皆さんに話しかけられることはなかった。
 なんなら、知られなさすぎて市に見物に行けばお財布をスられ、何もない日に散歩に行けば袴姿のせいでどこぞの若様と思われて、稲葉山城の姫だとは認知されなかった。

 お嫁に行った話題も「ふうん」程度だと思う。
 それに比べると、きっとこの人はちゃんと自分の領民と交流を深めていたのだ。
 上に立つものとして、それは、なかなかに見どころがありそう。
 ノブレスオブリージュを素でやっているのは好感度にじゅうまるです!
 さすが織田信長だ。
 で、裾の長い白無垢を引きずりつつ、団子をほおばりながらついて行くと、ようやく「連れていきたいところ」に着いた。

 町から離れて林を進み、木々が途切れて見晴らしの良い場所に出た。
 数歩進むと、開けた風が一気に私たちの服と髪をはためかせる。まだ角隠つのかくしをつけていなかったから、豊かな黒髪が、舞う枯草と一緒に音を立ててくうに広がる。
 道草をしていたせいで太陽はだいぶ傾き、黄色からオレンジにかかる色になって、広い農地を照らしていた。
 まだ残っていた雪がところどころ、きらきらと反射している。

「……きれい」
「だろ、俺も、この赤い色が気に入ってるんだ。派手なのがいいよな!」

 前を歩く少年が、振り返って笑う。

「うん。着物もだけどね。似合ってるよ」

 蝶の図柄の着物は、珍しい。きっと、私の名前にあわせて着てきてくれたのだろう。
 はじめて会った時のように着物を褒めると、彼はまたぶわ、と火柱があがるように瞳を輝かせた。感情のわかりやすい子だ。
 見た目には背も私より高くなったし、すらりと伸びた長い手足は活発そう。大きな美少女のようだった目は、だいぶ少年らしい精悍なものになっていた。
 大人扱いされる年齢と見た目のはずなのに、無邪気。
 この景色も、城下町を見せたのも、彼は、自分の好きなもの気に入ってるものを、私に見せたかったのかもしれない。
 純粋で、一直線な、いい子じゃないか。
 でも、

「信長様。私ね、あなたに会ったら、聞きたいことがあったの」
「おう、なんだ?」

 念のため、周りを見渡す。ここには町人のみなさんも城の人もいない。
 聞くなら、ここしかない。


「どうして、美濃の町を燃やしたの?」


 私の輿入れ、今日の日取りが決まった原因になったあの戦の日。
 ずっと疑問に思ってた。

 織田の兵がいるはずのなかった場所であがった火と、そのあとどこの軍も進行してこなかったこと。
 あれは、つける意味のない火だった。
 燃やすべきものでは、なかった。

 そして、あの炎と黒煙の中にいたのは、間違いなく彼だった。
 身分を考えれば、あそこにいたのに何も知らないとは、考えづらい。

「答えによっては、私、あなたを斬るわ」

 刀も何も持っていない、花嫁装束の私だけど。
 この拳で、織田信長くらいぶん殴れる。
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