32 / 134
第一部(幼少編)
29話【十兵衛】共に生きるためにできることすべて
しおりを挟む
天文十七年、今日、僕の主は敵国へ嫁ぐ。
僕も君も、数えで十五になった。
丁度良い頃合いだと、皆喜びの言葉を口にした。
君は不本意ながらもしっかり覚悟はしていたようで、むくれていたのは僕だけだった。
出会う以前から決まっていたことだったけど、本当は、ずっと、行かないで欲しいと思っていた。
ずっと隣にいるためには、ずっと共にあり続けるためには、どうしたらいいか、小さい頭でずっと、絶えず考えていた。
彼女の輿入れの日取りが決まった時、すぐに僕は彼女の兄に再戦を申し込んだ。
義龍様に稽古をつけていただいたのは、彼と会って初めてのあの日、小蝶が当たり前ながら敗北した後に「お前も稽古をつけてやる」と言われた時以来だった。
小蝶にさえまだ一度も勝てていない僕が、彼女よりも強い相手に勝てるかどうかは、賭けにすらならない事実だった。
無謀すぎる決意を汲んでくださったのか、義龍様は僕に真剣での稽古をつけてくださった。
「お前、もし今俺が親父と袂を分かったら、どっちにつく?」
血が噴き出ないよう刀を避けるので精一杯だった僕に、彼はこのあと妹にするのと同じ問いをした。
もちろん、迷う必要はない。
「利政様です」
「ほう。何故だ?」
「僕は小蝶様を守れる方につきます。今の貴方では、家臣軍の信用はまだ充分に得られていません。多くは利政様につくでしょう。それに……、利政様は、貴方より小蝶様を優先します。小蝶様を安全なところへ逃がすこともできますから」
「ま、及第点か」
ずっと気を張って構えていたはずなのに、貸していただいた真剣は一薙ぎで簡単に手から外れて、稽古場の端に落ちた。
負けた。一太刀も、浴びせられなかった。
本気で、殺すつもりで、挑んだのに。
けれど蝮の息子はにやりと笑うと、僕に手を貸して立たせてくれた。
なぜか、いつになく機嫌が良さそうだ。
「お前の視野の広さはあいつの助けになる。妹をまかせた」
「……はい」
仕合には負けたけど、どうやら、何かが彼の中の基準を超えられたらしい。
いつも他人には厳しいこの人が、僕にも笑いかけてくれるのだから、機嫌はかなり良い。
「なあ、これと同じ問いをあいつにもするつもりなんだが、あいつ、どう答えると思う?」
あいつ、とはもちろん、彼のかわいい妹君のことだろう。
義龍様はお父上の利政様ほどではないが、妹君を溺愛している。
他の弟妹君にはまったく興味を持っていなかったのに、小蝶のことだけは「あいつ」などと砕けて呼ぶのだから。
どうやら、当人達はお互い、それに気づいていないようなので、わざわざ言いはしないけれど。
「あの方の答えは……いつもわかりかねます。予想と全く違う答えを、出してくると思います」
「だよなあ」
彼が心を置いている妹以外には滅多に見せないが、笑った顔は、本当だ、小蝶の言ったとおり、父君に似ている。
彼女は、結果、僕たちの予想通りに予想を裏切った答えを出してきたので、笑ってしまった。
彼女はいつも、思いもよらない答えを出してくれる。
「筋トレしましょう。筋肉はすべて解決するわ!」
思い出しても笑ってしまうのだが、これは、僕が両親のもとへ行くことを考えていたあの日、それ以外の選択肢がなかった僕へ彼女が告げた言葉だ。
意味がわからなかった。
彼女の小さな才能に嫉妬して、罵倒して、八つ当たりした。
本当は、ただの努力家で、剣術が好きなだけの普通の女の子だったのに。
二度目に手を握られた時、少女の手が豆とたこで硬くなっていたのを、覚えてる。
彼女について「筋とれ」なるものを行ったら、五十回程度で汗が噴き出て根をあげてしまった。次の日全身が痛くなったほどだ。
普通の姫として生きられるはずの彼女を、そこまで突き動かす事柄が何か、今でもわからないけれど。
君が走り続けるのなら、僕はどこまでもついていける男になるしかない。
初春の空気は冷たく、肺に刺さる。
昔寝泊まりしていた、童子の遊び場のような土蔵に別れを告げて、ひとり指を掌の中に入れる。
初めての武具に戸惑ってしまったけれど、設えてもらったものは新品ながら、体に馴染んだ。
娘を溺愛する父が、質の良いものをきちんと誂えてくれたのだろう。
かなり無理を言ったのに、短期間ですべて揃えてくれて、本当に、彼女は身内に愛されている。
彼女自身はどうも、周りの人間から評価されていないと思っているようだけど、姫君として城の者からは充分に愛されている。
なんでも素直に受け入れ、思いもよらない答えで人の心を解放させられる、不思議な魅力のある人だ。
彼女を守ってほしいというのは、城の皆の総意だ。
あの日、誰もが僕の死を望んでいた中で、小蝶は僕に縋って泣いた。死なないでと泣いた。
父も母もいなくなって、重臣にも見捨てられた僕の生を、ただひとり望んでくれた。
共にいたいと言ってくれた。
なら、僕は君が望む限り、誰に望まれなくても、君の隣に居続ければいいんだ。
そのために、剣を覚えたのだから。
そのために、強くなったのだから。
小蝶は、僕が生きてきてたったひとり、ともにありたいと思えた女の子。
もし、君を害すものがいるのなら、そのすべてをこの手で排除しよう。
君を殺すものがいるのなら、そのすべてをこの剣で廃滅しよう。
君が生きるというのなら、血を吐いてでも君に従おう。
君が死ぬというのなら、腹を裂いてともに果てよう。
僕の命は、君のものだ。
これからも、ずっと。
貴女が尾張へ行くというのなら、私も共に行こう。
この明智十兵衛光秀、この命のすべてを、貴女のすべてのために使おう。
そう告げると、信じられないほど綺麗に着飾った蝶はぽかんと大口を開けて、そのあと同じくらいの大きさの声で叫んだ。
僕も君も、数えで十五になった。
丁度良い頃合いだと、皆喜びの言葉を口にした。
君は不本意ながらもしっかり覚悟はしていたようで、むくれていたのは僕だけだった。
出会う以前から決まっていたことだったけど、本当は、ずっと、行かないで欲しいと思っていた。
ずっと隣にいるためには、ずっと共にあり続けるためには、どうしたらいいか、小さい頭でずっと、絶えず考えていた。
彼女の輿入れの日取りが決まった時、すぐに僕は彼女の兄に再戦を申し込んだ。
義龍様に稽古をつけていただいたのは、彼と会って初めてのあの日、小蝶が当たり前ながら敗北した後に「お前も稽古をつけてやる」と言われた時以来だった。
小蝶にさえまだ一度も勝てていない僕が、彼女よりも強い相手に勝てるかどうかは、賭けにすらならない事実だった。
無謀すぎる決意を汲んでくださったのか、義龍様は僕に真剣での稽古をつけてくださった。
「お前、もし今俺が親父と袂を分かったら、どっちにつく?」
血が噴き出ないよう刀を避けるので精一杯だった僕に、彼はこのあと妹にするのと同じ問いをした。
もちろん、迷う必要はない。
「利政様です」
「ほう。何故だ?」
「僕は小蝶様を守れる方につきます。今の貴方では、家臣軍の信用はまだ充分に得られていません。多くは利政様につくでしょう。それに……、利政様は、貴方より小蝶様を優先します。小蝶様を安全なところへ逃がすこともできますから」
「ま、及第点か」
ずっと気を張って構えていたはずなのに、貸していただいた真剣は一薙ぎで簡単に手から外れて、稽古場の端に落ちた。
負けた。一太刀も、浴びせられなかった。
本気で、殺すつもりで、挑んだのに。
けれど蝮の息子はにやりと笑うと、僕に手を貸して立たせてくれた。
なぜか、いつになく機嫌が良さそうだ。
「お前の視野の広さはあいつの助けになる。妹をまかせた」
「……はい」
仕合には負けたけど、どうやら、何かが彼の中の基準を超えられたらしい。
いつも他人には厳しいこの人が、僕にも笑いかけてくれるのだから、機嫌はかなり良い。
「なあ、これと同じ問いをあいつにもするつもりなんだが、あいつ、どう答えると思う?」
あいつ、とはもちろん、彼のかわいい妹君のことだろう。
義龍様はお父上の利政様ほどではないが、妹君を溺愛している。
他の弟妹君にはまったく興味を持っていなかったのに、小蝶のことだけは「あいつ」などと砕けて呼ぶのだから。
どうやら、当人達はお互い、それに気づいていないようなので、わざわざ言いはしないけれど。
「あの方の答えは……いつもわかりかねます。予想と全く違う答えを、出してくると思います」
「だよなあ」
彼が心を置いている妹以外には滅多に見せないが、笑った顔は、本当だ、小蝶の言ったとおり、父君に似ている。
彼女は、結果、僕たちの予想通りに予想を裏切った答えを出してきたので、笑ってしまった。
彼女はいつも、思いもよらない答えを出してくれる。
「筋トレしましょう。筋肉はすべて解決するわ!」
思い出しても笑ってしまうのだが、これは、僕が両親のもとへ行くことを考えていたあの日、それ以外の選択肢がなかった僕へ彼女が告げた言葉だ。
意味がわからなかった。
彼女の小さな才能に嫉妬して、罵倒して、八つ当たりした。
本当は、ただの努力家で、剣術が好きなだけの普通の女の子だったのに。
二度目に手を握られた時、少女の手が豆とたこで硬くなっていたのを、覚えてる。
彼女について「筋とれ」なるものを行ったら、五十回程度で汗が噴き出て根をあげてしまった。次の日全身が痛くなったほどだ。
普通の姫として生きられるはずの彼女を、そこまで突き動かす事柄が何か、今でもわからないけれど。
君が走り続けるのなら、僕はどこまでもついていける男になるしかない。
初春の空気は冷たく、肺に刺さる。
昔寝泊まりしていた、童子の遊び場のような土蔵に別れを告げて、ひとり指を掌の中に入れる。
初めての武具に戸惑ってしまったけれど、設えてもらったものは新品ながら、体に馴染んだ。
娘を溺愛する父が、質の良いものをきちんと誂えてくれたのだろう。
かなり無理を言ったのに、短期間ですべて揃えてくれて、本当に、彼女は身内に愛されている。
彼女自身はどうも、周りの人間から評価されていないと思っているようだけど、姫君として城の者からは充分に愛されている。
なんでも素直に受け入れ、思いもよらない答えで人の心を解放させられる、不思議な魅力のある人だ。
彼女を守ってほしいというのは、城の皆の総意だ。
あの日、誰もが僕の死を望んでいた中で、小蝶は僕に縋って泣いた。死なないでと泣いた。
父も母もいなくなって、重臣にも見捨てられた僕の生を、ただひとり望んでくれた。
共にいたいと言ってくれた。
なら、僕は君が望む限り、誰に望まれなくても、君の隣に居続ければいいんだ。
そのために、剣を覚えたのだから。
そのために、強くなったのだから。
小蝶は、僕が生きてきてたったひとり、ともにありたいと思えた女の子。
もし、君を害すものがいるのなら、そのすべてをこの手で排除しよう。
君を殺すものがいるのなら、そのすべてをこの剣で廃滅しよう。
君が生きるというのなら、血を吐いてでも君に従おう。
君が死ぬというのなら、腹を裂いてともに果てよう。
僕の命は、君のものだ。
これからも、ずっと。
貴女が尾張へ行くというのなら、私も共に行こう。
この明智十兵衛光秀、この命のすべてを、貴女のすべてのために使おう。
そう告げると、信じられないほど綺麗に着飾った蝶はぽかんと大口を開けて、そのあと同じくらいの大きさの声で叫んだ。
0
※「小説家になろう」作品リンクです。→https://ncode.syosetu.com/n0505hg/
お気に入りに追加
44
あなたにおすすめの小説

悪役令嬢によればこの世界は乙女ゲームの世界らしい
斯波@ジゼルの錬金飴②発売中
ファンタジー
ブラック企業を辞退した私が卒業後に手に入れたのは無職の称号だった。不服そうな親の目から逃れるべく、喫茶店でパート情報を探そうとしたが暴走トラックに轢かれて人生を終えた――かと思ったら村人達に恐れられ、軟禁されている10歳の少女に転生していた。どうやら少女の強大すぎる魔法は村人達の恐怖の対象となったらしい。村人の気持ちも分からなくはないが、二度目の人生を小屋での軟禁生活で終わらせるつもりは毛頭ないので、逃げることにした。だが私には強すぎるステータスと『ポイント交換システム』がある!拠点をテントに決め、日々魔物を狩りながら自由気ままな冒険者を続けてたのだが……。
※1.恋愛要素を含みますが、出てくるのが遅いのでご注意ください。
※2.『悪役令嬢に転生したので断罪エンドまでぐーたら過ごしたい 王子がスパルタとか聞いてないんですけど!?』と同じ世界観・時間軸のお話ですが、こちらだけでもお楽しみいただけます。

このやってられない世界で
みなせ
ファンタジー
筋肉馬鹿にビンタをくらって、前世を思い出した。
悪役令嬢・キーラになったらしいけど、
そのフラグは初っ端に折れてしまった。
主人公のヒロインをそっちのけの、
よく分からなくなった乙女ゲームの世界で、
王子様に捕まってしまったキーラは
楽しく生き残ることができるのか。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

過程をすっ飛ばすことにしました
こうやさい
ファンタジー
ある日、前世の乙女ゲームの中に悪役令嬢として転生したことに気づいたけど、ここどう考えても生活しづらい。
どうせざまぁされて追放されるわけだし、過程すっ飛ばしてもよくね?
そのいろいろが重要なんだろうと思いつつそれもすっ飛ばしました(爆)。
深く考えないでください。
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

原産地が同じでも結果が違ったお話
よもぎ
ファンタジー
とある国の貴族が通うための学園で、女生徒一人と男子生徒十数人がとある罪により捕縛されることとなった。女生徒は何の罪かも分からず牢で悶々と過ごしていたが、そこにさる貴族家の夫人が訪ねてきて……。
視点が途中で切り替わります。基本的に一人称視点で話が進みます。

悪役令嬢の独壇場
あくび。
ファンタジー
子爵令嬢のララリーは、学園の卒業パーティーの中心部を遠巻きに見ていた。
彼女は転生者で、この世界が乙女ゲームの舞台だということを知っている。
自分はモブ令嬢という位置づけではあるけれど、入学してからは、ゲームの記憶を掘り起こして各イベントだって散々覗き見してきた。
正直に言えば、登場人物の性格やイベントの内容がゲームと違う気がするけれど、大筋はゲームの通りに進んでいると思う。
ということは、今日はクライマックスの婚約破棄が行われるはずなのだ。
そう思って卒業パーティーの様子を傍から眺めていたのだけど。
あら?これは、何かがおかしいですね。

ねえ、今どんな気持ち?
かぜかおる
ファンタジー
アンナという1人の少女によって、私は第三王子の婚約者という地位も聖女の称号も奪われた
彼女はこの世界がゲームの世界と知っていて、裏ルートの攻略のために第三王子とその側近達を落としたみたい。
でも、あなたは真実を知らないみたいね
ふんわり設定、口調迷子は許してください・・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる