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第一部(幼少編)

3話 兄に土下座をいたしまして1

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 私、小蝶には年の近い二人の兄がいる。

 この世界は一夫多妻制いっぷたさいせいらしく、父上には奥さんが何人もいる。いわゆる異母弟妹いぼきょうだいもたくさんいる。
 私と二人の兄の母は正室で、異母弟妹達のお母様はみな側室。
 今ならそんな差別するわけないと思うけど、以前の小蝶は身分や出自に非常にこだわる女児ひめだったので、側室やその子たちはいじめて遠ざけてしまったのだ。

 本当にこれには申し訳ない。今からなんとか挽回できるならしたいけれど、幼子おさなごをいびり殺されるのではないかと恐れた側室の乳母たちによって、今では完全に近寄ることすらできなくなってしまった。

 よって、今現在交流があるのは、同じ正室の母上から生まれた、二人の兄のみ。
 しかしこの兄達とも、関係は良好とは言えない。


「おい、なぜ小蝶がここにいる」
「そうだそうだ、邪魔者は出ていけ」

 部屋を覗くなり私がいることに気付いて文句を言ったのが、上の兄の孫四郎まごしろう
 その後ろにひっついている子が、私と年子の下の兄の喜平次きへいじ
 ふたりとも、兄弟だけあってとても似通った顔をしている。

 二人が文句を言うのも無理はない。
 私は今、兄達がいつも勉強を教わっている部屋で、一緒に学ばせてもらおうと末席に陣取っていた。

 鈴加に勉強をしたいと申し出たはいいが、私は担当の先生も、教育係の乳母もどうでもいい理由をつけて解雇してしまっていたのだ。
 似たような理由で侍女を何人もクビにしていたから、そんな素行の悪い姫の教育係になろうなどという殊勝な大人はいない。

 しかし姫自身が急にやる気になったのだ。婚約も決まろうとしている姫が教養ゼロはまずい。
 それならば、と、やむなく上の兄達と一緒に学ばせようということになったのだ。

「兄上様方、今日は小蝶もご一緒させてください」
「嫌じゃ。お前となど、馬鹿がうつる」

 9歳のかわいい妹がにっこり笑ってお願いしたのに、普通に拒否された。仲が悪いのはわかってたけど、ちょっとへこむ。

「お願いします。お邪魔はいたしませんから、見学だけでも」

 頑として動こうとしない私に、兄たちがイラついてきたのがわかる。部屋の空気が重い。
 部屋の外で、どう入ったものかと先生や兄の乳母たちがおろおろしていた。

「先生、絶対にお邪魔はいたしません。兄上達とともに、ここで学ばせてください!」

 いきなり呼ばれてびっくりしてらっしゃる初老の先生は、おど、と視線を孫四郎に向ける。
 だが、普段から見下してる大人に視線を向けられたところで、兄がひるむはずも意見を変えるはずもなかった。

 孫四郎は先生には声もかけずにまっすぐ、私の座る畳まで脚を踏み鳴らすと、私の後頭部で結った髪を引っ張った。

「い、痛いです!」
「出ていけと言ってるのが、わからないのか!」
「学ぶ機会は、誰しもに平等であるはずです!私はここを動きません。先生に習う気がないのなら、兄上が出て行ってください」
「なんだと!!」

 大きな声とともに、さらに頭皮が引っ張られる。
 痛い。頭皮がもげそう。
 上の兄はたしか、今12歳。9歳の私の頭皮も柔いけど、小学生くらいの力でちぎれるはずはないから大丈夫。よね?
 けれど不安になる頭皮の痛みに、髪を握る手首を両手で掴んでせめてもの抵抗を試みた。転生者おとなとして、こんな子供と本気でやり合うわけにはいかない。でも痛い。

「兄上に向って、生意気だぞ小蝶!」

 喜平次も兄に加勢しようと、小さな手で私の手を掴みはがそうとしてきた。
 に、二対一は卑怯じゃないの?誰か大人は止めに入らないもの?

「兄上、お願いです。私は、この世界についてきちんと学びたいだけなんです!」
「?せかい……?また、わけのわからぬことを!」

 ばしゃん、と、耳元で水音が鳴った。
 ふいに髪を引かれる痛みが消えて、見上げると兄がはっとした表情で手を離すところだった。

 じわ、と沁みる感覚がある。
 私の座る畳の上に、墨壺すみつぼが毬のようにころんと転がっていた。

 どうやらこの混乱のさなか、置いてあった墨壺がひっくり返ってしまったらしい。兄二人にはかかっていないようだが、私の長い髪と服が、じわじわ濡れて染まっていく。
 畳に行く前に、慌てて自分の服を押さえた。

「鈴加、何か拭くものを持ってきてくれる?」

 室外で待機していたであろう鈴加に声をかけると、さすが、手早く手拭いを持ってきてくれた。
 受け取ってすぐに畳を叩く。
 大丈夫かな。墨って、染み込んじゃったら落ちないかもよね?

「お、お前が強情だから悪いのだぞ……さっさと拭いておけ」

 た、たしかに墨壺をひっくり返したのは私かもしれないけど、少しくらい心配してくれても良いのに。
 大人しくしていようと思っていたけど、これはひとことくらいは言ってやらないと、おさまらない。

「申し訳ございません、孫四郎様!」

 口を開きかけた私と兄の間に、割って入ったのは、鈴加だった。
 出しかけた言葉を、息を吐くだけに変えて留める。

 どうして。
 揉めたのは、兄妹喧嘩をして床を汚したのは私なのに。

「鈴加か。世話役ならこいつをきちんと見ておけ。お前のしつけがなってないからだぞ」
「申し訳ございません、孫四郎様」
「いいや、これで何度目だ。今までは小蝶はまだ童子こどもだからと大目に見ていたが、もう嫁ぎ先も決まったのだろう?この家のためにも、もっと厳しくしつけるべきだ。お前で無理なら、代わりを探すよう父上に進言するまでだぞ」
「も、申し訳ございません!孫四郎様、それだけは……」

「兄上」

 目の前には、畳に額を擦り付ける17歳の少女と、それを冷たく見下ろす12歳の男の子。
 鈴加は父上に仕える武士の娘さんで、病弱なお母様のかわりに城勤めをしている。
 私や兄に逆らって職を失えば、鈴加のお父様の立場が危うくなる。それをわかって、反論できないことを知った上で、兄上は彼女を責めているのだ。

 私が愚かにも目上の人に反論しようとしたから、慌てて間に割って入ってくれた。冷静で、頭の良い娘。
 
 鈴加は、私が無理なことを言うたびに、こうして畳に跪いていた。

 ー申し訳ございません。

 何度も聞いた。そのたび、私はゆるさなかった。
 小蝶の記憶にあるのは、彼女の顔よりも、こうして跪く姿ばかりだ。

 もう、彼女や、他の人を見下ろすのは嫌だったのに……。

 思い出すと、胸の奥が布で締められたようにキツくなる。以前の小蝶は、今の兄上は、そんな風に感じたことがないのだろうか。

 兄は、突然睨みつけてきた私を、同じ、いや、3倍くらいのキツイ目で睨み返してくる。
 まだ12歳の子供の威圧にしては、かなり鋭く重い。さすがは権力者の子供だ。

「鈴加は関係ありません。鈴加は毎日よくやってくれています。彼女を責めるのはやめてください」

 息を吸って、震えようとする指先を握って抑える。
 吸い込んだ酸素は、墨のツンとする匂いが混じっていた。鼻の奥が痛い。

「私が今まで兄上達にした無礼は謝ります。すみませんでした……どうか、ゆるしてください」

 鈴加と兄の間に入り、私はゆっくり、膝の前についた手にひたいをつけた。
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