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一章
【1】
しおりを挟む「…………ン」
光を感じて目を開ける
だが視界は霞んでいたのでよく見えない
手で目を押さえゆっくりと目を凝らす
視界の情報より
鼻から得た情報が速かった
花の香り?………それと僅かに血の香りと消毒液の匂いがした
鼻を動かしてより探るがそれ以上わからない
ん?
自分の体から、別の匂いがする
人?嗅いだことがない匂いなのに
なぜだか知っている気がした
目が光に慣れてなんとか周囲を窺うことができた
白いカーテンに光が当たり部屋は柔らかい光で照らされており
半分ほど開いた窓からは土の匂いだったり人工的な香りもした
ここは………俺は死んだんじゃなかったのか?
頭がぼぅとする
まだ夢心地のような
もしかしてここはあの世なのかもしれない
そんなことすら思う
清潔で整えられたこの空間がどこか無機質でありながら
温かみがある
……‥天国、じゃないよな
頭に浮かんだワードに己でくだらないと一蹴する
ベッドの横にあるサイドテーブルにはガラスの花瓶に白い花が生けてあった
まるで死人の為のような色だが
俺はこの甘く優しい香りのする花は
見舞いのために用意されたような感情を感じされる
可愛らしい花だった
………花なんて久しく気にも留めていなかった
あの血と汚泥で塗れた生活には無用な感性だったからだ
……
とりあえず起きて状況を確認するか
このままもしかしたら薬物実験や金持ちの道楽で何をされるか分かったもんじゃない
痛みも侮辱も日常茶飯事だが
別に好んではないのでお断りだ
「……ッ」
動こうとしたら腹と足、そして片腕に痛みが走った
見てみるとその箇所には真新しい包帯が巻かれていた
…
こんなに清潔なもので治療なんてされたのは初めてだ
獣人は頑丈だから大怪我でもしないとそもそも治療なんてさせてもらえないし
流行病や金がかかりそうな状態なら隔離されて捨てられる
それが許されていた状況だったのだ
仲間が苦しみもがき、次第に弱って声すら出せず朽ちて死んでいくのを何度も見た
慣れたと思っていても
やはり苦々しい気持ちになる
…
俺はゆっくりと体を起こし立ち上がった
途中よろけたが、何とかテーブルに手をついて体勢を整える
殺風景な部屋だな……
何度か金持ちの人間に連れて行かれて無駄に豪華で悪趣味な家と部屋を見たことがあるが
ここは広いがものは少なく
匂いもあまりしなかった
ただこのベッドと俺の体から香る他人の香りが
なぜか俺をざわつかせた
……
逃げ出せるか?
窓の外は二回の高さで身体能力の高い獣人から余裕だ
だがこの体じゃ着地してもそこから立ち上がれなくなるだろう高さだ
…別にそれで死んだならそれでもいいが
わざわざ奴隷の獣人にこんな酔狂なことをする奴を
一度見てみたい気もした
こんな何かに気持ちが動くなんて
本当に久しぶりだった
どうせ死ぬなら悪人でも殺して、仲間の仇を少しでも取ってやるのがいいかもしれない
正直最初の頃は悔しく惨めで、憎くて憎くてたまらなかったが
次第に感情がすり減って
心が摩耗してしまって、どうでもよくなってしまった
俺は非情な獣人になってしまったんだな
笑った気がしたが
笑えてすらいなかった
机と本棚、そしてクローゼットと金属のインテリア
それぐらいしかなかった
病室にしてはものはあるが
普通の部屋にしては物が少なかった
この部屋の主は何者なのだろうか……
これが変態な主で獣人に発情する獣より恐ろしい奴だったら
逃げれなかったら自害するしかないか
舌を噛み切るか、爪で首を裂くか
どちらも痛そうだが永く続く苦しみよりマシだろ
あれ、俺何でさっさと死ななかったんだ?
そんなことすら 俺は忘れてしまった
壁に手をついてゆっくりと扉に近づいて、扉を開ける
部屋と同じで伽藍とした廊下を渡り
階段があったので降りた
そして廊下を進む
人の気配や匂いが本当に少なく
もうこの家の人間は出ていってしばらく経つと聞いても信じるほどだった
だが唯一この中では強く香る
なんとも言えない 花のような甘い香りをもつ者は
どんな奴なのか
それだけは確かに俺は気になっていて
それだけで俺は突き動かされいた
…ふう
鈍い痛みにも慣れ
進む
すると突き当たりに扉があった
あそこから匂いが続いている
俺は動悸が早くなったのは分かった
なぜだ?
緊張しているのか?
今更恐ろしいことはない
人間を噛み殺すなんて容易い
今は存在感が慣れるほど体に馴染んでしまった首輪も手錠も
鎖もついていなかった
…‥獣人を捕まえたにしては不用心だ
よほど身の安全に自信があるか
愚か者だ
どちらかのはずだから確認した後
どうしてやろうか
……
どうだっていいか
今更何かしたところで
…何も救われはしないんだから
白い扉のドアノブに触れる
手触りがいい洒落たドアノブだった
ポロン……
中から音がした
その音に俺はどきりとした
これはあの暗闇の中
俺を呼んだ音だ!
俺は無意識に手に力を込めて
扉を開けてしまっていた
「ッ!」
「……あっ」
中の人物と目があった
やはり、人間か…
中は広く二階の部屋と同じで物が少なく整然としていて
無機質だった
だが違うのは
開かれた扉からは緑の香りがする風が入り込み
陽の光がレースカーテン越しに部屋に溢れていた
その中央で
白いピアノの前で
疲れた顔をした幼い人間が
キョトンとした顔でこちらを見つめていた
子供……俺が怖くて固まっているのか
「…」
「…」
互いに無言で見つめ合う
なぜだか何か話さないといけないのに
俺は何も言葉が浮かばなかった
怖がっているなら、どうにかしないと
それだけは考えられた
手を挙げ降参したようなポーズをした
僅かに痛むが仕方ないだろう
泣かれたら堪らない
あの声は俺たち獣人には辛い
耳がいい分ダメージが大きかった
「………ンアッォ、レ」
声を発しようとしたが
声が出なく嗚咽ような酷い声が出た
今更俺は喉がひどく乾いていることに気がついた
「あ、喉が辛いんだね」
鈴のような声で
だが不思議と耳通りの良い優しい声音だった
子供はテーブルに置いてあった水差しを持って横においてあったグラスにトクトクと水を注いだ
それをみて俺は情けなくも出ていない唾液を飲み込みさらに喉が痛かった
「はい、どうぞ」
トコトコと近づいて俺に両手で水を差し出した
その仕草と瞳には恐れは感じられなかった
あまり理解していないのか
獣人の恐ろしさを
俺は大人しく僅かに頭を下げ
水を受け取った
僅かに触れた指先は
滑らかで柔らかかった
…
俺が変態みたいじゃないか
誤魔化すように水を喉に流し込む
冷たい液体が流れ
一瞬で飲み干す
「ふぅ……」
…うまかった
久しぶりに泥水以外を飲んだ
子供はつぶらな瞳で俺を見つめていて気まずくなる
なんだ、この状況は……
この家の主人の子供か?
なら人質にして逃げ出すも脅すこともできるが
俺はそんなクズのようなことはしない
腐っても俺は青狼族なんだ
「……おかわり、飲みますか?」
「…」
俺がなんて言葉を返そうと考えていると
子供は何か閃いたのか
「あ、もしかして言葉がわらかないのかな、どうしよう。おみず、おかわり、する?」
子供は早合点してグラスに水を注ぐジャスチャーをした
俺はとりあえず頷き
それをみて子供はまたトコトコと歩きテーブルにある水差しでまたグラスに水を注ぐ
「はい、どうぞ」
「…」
俺はまた黙って頷き水を一息で飲み干した
子供はおーと言う言葉が漏れ出していて
俺をみている
そしてまた無言で見つめ合う
…
子供が俺の持っているグラスを受け取ろうとしたので
渡す
その時やっと俺は言葉を発した
「……水、うまかった」
「わ、話せたんだね。それなら良かった」
小さく笑った子供
良かったのは水が旨かったことなのか
話せたことなのか
どちらもなのか
俺にはわからなかった
初めて人間に優しくされたのだから
俺はむず痒く混乱した
子供は俺がまるで当たり前にこの家にいる存在であるかのように振る舞い
グラスを片付け
一方的に話している
正直声は小さいが
俺には聞こえた
むしろ小さくて柔らかい声は俺は嫌いじゃなかった
「立っているの辛くないですか?良かったら、そこ座っててください」
ピアノの前の椅子に座りながら子供は言った
顔を動かして促された方向を見る
そこには灰色の柔らかそうなソファーがあり
そこに座れと言う
そんなことありえないはずだ
獣人が人間のように椅子に座るなんて
拷問されても文句が言えない行為だ
俺は黙って見つめる
こいつは何を考えているんだ
「……あの、……」
「………なんだ」
子供は何故か顔を背け目だけ俺の方を向いている
目障りだから消えろと言うことか?
「あの、じっと見つめられるの、は、恥ずかしいです」
白皙の肌を赤く染め
子供はそう言った
恥ずかしい?
何がだ?
俺は不思議に思って首を傾げる
「み、見つめられるのというか、そもそも視線が苦手で、すみません」
最後の方は消え入りそうな声だった
それは、すまないことをしたのか?俺は
「わかった」
一言そう言って別の方を向く
緩やかに風に揺れるレースカーテンを見る
昼間すぎの時間帯で日差しが気持ちよさそうだった
「すみません」
「…謝るな」
人間が簡単に謝るなんて
変わった奴だ
俺の言葉に子供はビクッとした
少し怖がらせてしまったか
何故だか俺はすこし
少しだけ申し訳なく思った
「……別に、怒ってはいない」
今度は本当に顔を背けていった
慣れないことを言うのは嫌な物だ
らしくない
「なら、良かったです」
子供は俺の言葉に
ホッとした顔をした
何故かその顔は
悪くないと感じた
「どうか楽に座ってください。怪我まだ治ってないと思うので」
確かにまだ治ってはいない
別段立っているのは辛くはないが
座った方が楽なのは確かだ
黙って頷き
俺は大人しく座った
驚くほど静かで柔らかいソファーに俺は内心驚き
柔らかさに不安になってつい手で押して確認したほどだ
子供はそれをみて僅かに微笑む
なんだかむず痒い
「……」
「……」
またお互い無言で見つめ合う
今度は互いに座っているのが唯一の違いだ
「水、好きなだけ飲んでいいですからね。…あ、お腹空きました?」
「…」
腹か、そう言われると減っているのかもしれない
内心そう思うと自覚した瞬間
グゥという音が静かな部屋に響いた
……
子供は目を丸くしていた
さすがに、恥ずかしさを俺は感じた
ポリポリと後ろ首をかいた
「すこし…待っててくださいね」
子供はトコトコと歩き白いシャツを揺らしながら歩く
すると離れたテーブルから布がかけられた皿を手渡してきた
俺は大人しく受け取る
……いい匂いがする
つい本能で鼻がひくつき
クンクンと嗅ぐ
尻尾が僅かに揺れた
「サンドイッチです。今これしかなくてすみません」
「‥‥食べて、いいのか?」
俺は訝しげな視線を送る
だが相手は俺の言葉と態度に対して反応もせず
黙って頷いた
おずおずと受け取り片手に皿を置いてもう片方で布を避けて中身を取り出す
……変な匂いはしない
毒物などの薬品の類は、多分なさそうだ
例えそうでも今更どうでもいいか
匂いを感じて勝手に唾液が溢れてしまう
本能というものは本当に厄介だ
主人を無視してがっつくなんてこれじゃあ本当に獣だな
と自虐しながらサンドイッチを頬張った
…!!
うまい、うまいぞこれは
二口で食い終わる
さらにまだ残された片方も取り出して食べる
シャキシャキとした野菜と何かピリッとするソースとトマト、そして加工された肉とパンに塗られたバターが
相乗効果で驚くほど美味しかった
「…」
いつのまにか持ってきたのか子供は片手にミルクらしきものを持っていた
目で尋ねるとこれも良かったら飲んでくださいと言って差し出された
俺は卑しくもそれを黙って受け取り
一気に飲み干す
久しぶりに飲んだミルクは甘くとても美味しかった
………
一気に食べ終えてしまった
我を忘れて食べてしまって今更まずいことをしてしまったんじゃないかと思った
以前連れられたところでは別の獣人が人間に食べ物に釣られ床に捨てられた肉に飛びついて食べているのを人間たちは嘲笑うようにして見ていた
そして満足したかと聞きならば食った分罰として痛ぶられていた
……本当に悪趣味だ
まさかこの子供も俺を罠に嵌めているのだろうか
眠そうな顔で俺を見つめている
音も匂いもここからは感じられず
とりあえず武装した人間が現れることはまだなさそうだ
「お腹いっぱいになりましたか?」
「……」
お腹が、いっぱい
なんでこんなことを聞くんだ
腹がいっぱい…正直全然物足りないが
今まで食べたものの中でとてつもなく旨かった
これでさらに強請るなんて恥ずかしいことはできない
「いや、満足した」
グゥ……
本当に俺の体は嘘がつけないらしい
さすがに恥ずかしさを感じ、固まる
「ふふ、まだ足りなさそうですね。ちょっとお待ちを」
またトコトコと歩いて離れた
その度に寝癖だろうか
跳ねた毛が揺れてつい目で追ってしまう
「うーん、全然ないですね。今日が買い出しの日でした。仕方ない」
ブツブツと小さな体手を折って棚の中を探り
小さな尻が揺れる
子供らしい仕草だ
きっと子供の獣人なら尻尾が揺れていただろう
狼族は他の種族よりあまり尾では感情は示さない
もちろん仲の良いものや気心の知れた仲なら多少他よりは表現が豊かになる
子供なら特に分かりやすく動く
「とりあえずこのビーフジャーキーと作っておいたスープで今は我慢してくださいね」
袋のままのお得用と書かれたビーフジャーキーと白い丸い形の器に入ったスープを受け取った
………俺は餌付けされているのだろうか
まぁ早々起きて食って飲んでしかしてない
情けなく感じるがもらえるなら貰おう
座ったまま袋を丁寧に破り中身を取り出して齧る
スパイスが効いていてうまい
獣人には強く感じられるが俺は平気だ
そしてふわりと美味しそうに香るスープを飲む
熱くてつい舌を出してしまい
それを子供に見られた
微笑んで見られていて気まずく感じる
何が面白いんだか
変な子供だ
野菜と腸詰された肉の旨味がよく出ていてとても旨かった
熱いからふぅふぅとして飲む
子供のようで情けないがどうせ一度見られているし
子供相手だ気にする方が馬鹿らしい
子供は俺が黙々と食べているのを確認している
見るのが趣味なのかこいつ
食事をもらっているから文句は言わないが
マナー違反、という奴じゃないのか
「……なんだ、俺が食うのがそんなに面白いか?」
ついきつめの口調になってしまう
後から俺はこんな風にキツくいうつもりではなかったと内心弁解した
子供はびくりとした後申し訳なさそうな顔になった
「…すみません。食べづらいですよね」
「…べつに、いい」
そっけなく言ってしまう
俺は何がしたいんだ
「綺麗だなと思って」
その言葉を耳が捉えたが、頭に入ってはこなかった
何がだ?聞き間違いだろうか
獣人がビーフジャーキーを齧ってスープを飲んでいるのがか?
確かに人間のようにまでとはいかないが
俺は小さなスプーンを使って飲んでいる
舌を出して舐めて啜るのは流石に俺たちでも人前ではやらない
幼い子供がよくやることだ
「………」
「灰色なんですね」
「灰色?…」
その言葉が気になってつい顔を上げて見る
子供は優しく微笑んでいた
「目です」
「目」
俺の目は、灰色、確かにそうだ
そんなことすら忘れていた
俺たち獣人は毛色も様々だったり同じ種族でも瞳の色が違かったりする
俺は確かに、珍しいと言われる灰色だった
そいつは、それを綺麗と言ったのか
なんだが全身の毛が立ちザワザワとした
形のないこの溢れる衝動はなんなんだ
走り回って遠吠えをしたくなるような感じだった
「あ、光に当たると銀色になる。本当に綺麗…」
うっとりする様な声で子供が俺の顔に手を伸ばし添えた
そのまま俺たちは見つめあった
奴は俺の目を見ている
それは自然に俺も奴を見ることになる
色素の薄い髪に所々跳ねた髪
幼い顔立ちに柔和な微笑み
そして澄んだエメラルドの宝石の様な瞳だった
お前の方が綺麗だ
つい俺はそんなことを口走りそうになった自分に驚いて
顔を背けた
マズルの毛がピクピクと動く
やはり俺は走り回りたくなって
吠えたくなった
トコトコ…
背けな方角から足音が聞こえたので顔を向き直す
すると子供はピアノの椅子に座って乗っていた楽譜に何か書き込んでいた
その横顔は真剣で幼さは感じられず
俺は驚いた
シャッシャッと鉛筆が紙を滑る音とカーテンが風に揺れる音だけが聞こえる
弱い風に吹かれて子供の柔らかそうな髪がふわりと揺れる
その光景が俺はなんだかとても落ち着く気持ちになった
ただぼんやりと静かな陽だまりの様なこの部屋の中
俺は静かに見ていた
……
ポロンッ
!
子供がピアノの鍵盤に指を置いた
そして静かに演奏を始めた
音楽なんて人間どもの催しの時喧しく流れていた
そして獣人の悲鳴と共に
なのにこの時流れた音楽は
俺は初めて音を美しいと思えた
優しく紡がれた音が次第に流れる様に跳ねる様に
そしてそっと寄り添う様に届く音が
俺の中に響いた
…
演奏が終わった
俺は身に溢れた何かに
押し潰される様で動けなくなった
動いてしまったらきっと俺は……
「わぁっ!」
子供が素っ頓狂な声を出して慌てて近づいてきた
そして俺の膝にまたがり上目遣いで見つめ
心配そうな顔をしていた
何故だ?
「どこが痛いんですか?ああどうしよう痛みどめあったかなぁ」
慌てた様子で綺麗な白いシャツで俺の顔を拭う
汚れていたのか?一応気をつけて食っていたが…
だが子供は何度も拭う
そんなに擦ったらお前の手が痛いだろうに
俺は子供の手首を掴んだ
細くて小さな手だった
この手が先ほどピアノであんな演奏をしていたのかと信じられない気持ちだった
袖は汚れていたが、それは濡れていた
これは…
口元に寄せた
ビクンと子供が動いたが無視をした
クンクンと嗅ぐ
これは、涙
涙?俺の涙か?これ
驚いて手を離す
信じられなかった
泣くなんて誘拐されて一年で出なくなった
その俺が泣くなんて……
子供は心配そうな顔をしたままだった
お前の方が泣きそうじゃないか
つい奴の頬を舐めた
ミルクの様な香りがして甘く感じた
子供は驚いていた
それはそうだろうなと張本人のくせに
俺は他人事だった
「ちょ、…やめ、くすぐったいですよ、もぅ」
途中から子供は耐え切れられなくなったかの様に笑った
それを見て俺は気持ちが落ち着くのがわかった
不思議な気持ちだった
ただ夢中で舐める
…
「し、しつこい!」
「ふごっ」
下から顎を押され上を向かされる
意外と荒いことをする子供だ
俺の唾液で光る頬は赤くなっており
なんだかそれが誇らしく
美味しそうだなんて思った
獣人には食人するおかしいものもいるが
俺は断じて違う、はず
子供は濡れた頬を袖手拭った
俺の青と黒のの混ざった色の抜け毛がついていた
つい指の背で取り除いてやる
俺の毛だしな
「よくわからないけど、落ち着いたならいいです」
子供はふぅやれやれといった仕草で離れていった
なんだか触れていた膝の温もりが冷えるのが嫌だと思ったが口にはしなかった
そういえば俺は腰に布一枚のままだった
体毛があるから寒くはないはずなのにな
不思議だ
「僕はこの後買い物に行きますので、あなたは好きにしていてください。電話には出ない様にお願いします。飲み物はご自由にどうぞ。何か質問はありますか?」
一気に捲し立てられ俺は慌てる
好きにしていてよくて、電話には出てはダメ、飲み物はご自由、そして質問
質問…
「…あの」
今更言葉遣いを丁寧にする
本当に今更だ
「なんですか?」
俺はじっと見つめる子供に
親に秘密を打ち明ける様な仕草で言った
「さっきの音楽、良かった」
子供は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてから
泣きそうな顔で笑って言った
「それはありがとうお客さん」
変な子供だと思った
ただわかったのは俺はお客さんというものらしい
なれない言葉に俺は耳がピクピクと動いたのがわかった
また走り回って吠えたくなった
子供返りのようで頬が熱くなったが
きっと毛でわからないだろうと思い
一度尻尾を揺らすだけにしといてやった
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