エドワード・マイヤーの事件録

櫻井 理人

文字の大きさ
上 下
23 / 46
第3幕 イースト・エンドの惨劇

3-6 墓地にたたずむ亡霊

しおりを挟む
「では男爵、私たちも出発しよう」
「出発とは、いったいどこに?」

 ヘーゼルダイン卿は首を傾げた。

「議会からの招集だ。あなたのところにも届いていたと思うが?」
「恐らく、この手紙かと」

 メイドの差し出した手紙を受け取ると、「こんな時間にか」とヘーゼルダイン卿は怪訝そうな表情を浮かべながらも、ジェームズと一緒に屋敷を後にする。
 エドワードも、夏目やホワードとともに屋敷の前に止めていた警察の馬車に乗り込んだ。

「しかしまあ、お貴族様も忙しいらしいな。こんな時間に議会だの、何だのと……こっちは人質の命がかかっているんだぞ。行方不明の息子も探さなきゃならねぇってのに」

 目の前を走るジェームズとヘーゼルダイン卿の乗った馬車を見て、ホワードが悪態をつく。

「うちの馬車ですね、すみません。それにしても、こんな時間から――よほどのことがあったのだろうか」

 ジェームズたちの馬車が曲がったのを確認すると、
「急げ! 何としても犯人を捕まえてやるんだ!」
 ホワードの気合の入った声が車内に響く。

「結局、六番目の謎は解けずじまいか。もう少し詳しい話を聞けるかと思ったんだが」
「仕方ないよ、夏目。それどころではなかったからね」
「まさかここで誘拐事件まで起きるとは想像もつきませんでした。墓地が男女の待ち合わせ場所というのがいまいち せないが」と、夏目は首をひねった。

「日本では違うのかい? イギリスでは散歩コースのひとつになっているけどね。それにクリスは、兄さんからの誘いだと思って行ったんだろうから、無理もないよ」
 エドワードはそう言いながら、馬車の天井を仰ぐ。
「どれほど嬉しかったことだろうね……」

 兄の名を語り、クリスを誘拐した人物――それが本当に自分たちの追っている連続殺人鬼だったとしたら、彼女は無事なのだろうか。今頃怖い思いをしているのではないだろうか。エドワードの胸中は決して穏やかなものではない。
 彼の表情を見た夏目が慌てて詫びを入れる。

「申し訳ありません、余計な話を……まずは犯人を捕まえることと、一刻も早くクリス嬢を救出すること、この二点を考えなければ。とは言え、私には分からないことだらけですが。第一に、わざわざ中途半端な内容の予告状を現場に残したこと――場所と時間は書いてあるというのに、肝心な 標的ターゲットについては言及されていなかった。予告状がなければ前の事件との関連性を疑われなかったかもしれない。あれでは連続殺人であることを自ら主張するようなものです。第二に、薬瓶ごと大学から持ち出したこと――大学に関連する人物で、当日舞踏会に出席した人物。しかも、薬品庫の位置などを熟知している人物といったら、かなり捜査対象がしぼられることになる。第三に、血文字の予告状を新聞社に送り付けたこと……どれもがまるで、『一連の事件をすべて、自分がやってやったんだぞ』という、犯人の強いアピールに感じてなりません」
「エヴァンズ教授から聞いた話だけど、シアン化カリウムは扱いが難しい薬品で、空気に触れたり、光に当たると分解されてしまうらしい。恐らく犯人はこのことを知っていて、やむを得ず薬瓶ごと持ち出すことにしたんだろうね。たとえ捜査の対象がしぼられて、警察の目が自分にいったとしても、時間のない犯人にとっては、どうでもいいことだったに違いない。宮殿のごみ箱に捨てるくらいだからね。予告状で 標的ターゲットを伏せたのは、連続殺人であることを印象付け、対象となる人物を自らの手で確実に葬り去るため――犯人の強いアピールというのは、君の言うとおりだと思うよ」

 淀みなく、自身の見解を述べていくエドワードの姿に、夏目は脱帽する。

「……教授、もしかして犯人が?」
「ああ、だいたいの見当はついているよ」
「犯人が分かっただと? 本当か⁉」

 ホワードの体が前のめりになる。
 警察特有の彼の大声に、夏目は思わず耳を塞いだ。

「何もこんな近距離でそんな大声を出さなくても……」
「おっと……すまん。つい興奮してしまった。だが、分からんのがミランダ・ノエルの不可解な行動と、ヘーゼルダインに送られた手紙の内容だ。あれはどう説明する?」

 ホワードが襟を正し、エドワードからの次の言葉を待つが、彼は窓の外を黙って見つめるだけだった。

「おい、マイヤー?」
「僕にとって気がかりなことは、彼に残された時間がどれくらいのものか――妙な胸騒ぎがします」

 すると、ホワードが窓から顔を出し、通りを歩いていた警官に声をかける。

「ハイゲイト墓地へ向かう。至急本署に応援を要請してくれ。人質を救出し、連続殺人犯を確保する」





 午後七時を回った頃、静寂に包まれた墓と墓の間の道を過ぎていく人影があった。
 だが、その足音に力強さはなく、ドレスの裾を揺らしながら、必死に目的の場所へと足を向けていた。ある墓石の前で足を止めると、か細い息で呟く。

「ようやく……この日が来た。もう少しで、僕も逝くよ」

 その時、カンテラの明かりがその人物の姿を捕らえた。

「女の幽霊⁉」

 冷や汗を流しながら拳銃を構えるホワードを、エドワードは首を横に振り、制止する。
 ベールのついた真っ黒な帽子を被っているため、その人物の顔をうかがい知ることはできないが、それが誰なのか、エドワードだけは確信していた。

「写真に刻まれていた十年前の今日の日付は、ある人物の命日を指していた。そして、その人物の着ていた服こそが、犯人にとって大切な形見であり、証拠の品。五人の女性を刺殺し、宮殿で毒殺事件を起こした犯人――“The Ripper切り裂き魔”の正体は、君だったんだね」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夏の嵐

萩尾雅縁
キャラ文芸
 垣間見た大人の世界は、かくも美しく、残酷だった。  全寮制寄宿学校から夏季休暇でマナーハウスに戻った「僕」は、祖母の開いた夜会で美しい年上の女性に出会う。英国の美しい田園風景の中、「僕」とその兄、異国の彼女との間に繰り広げられる少年のひと夏の恋の物話。 「胡桃の中の蜃気楼」番外編。

世界的名探偵 青井七瀬と大福係!~幽霊事件、ありえません!~

ミラ
キャラ文芸
派遣OL3年目の心葉は、ブラックな職場で薄給の中、妹に仕送りをして借金生活に追われていた。そんな時、趣味でやっていた大福販売サイトが大炎上。 「幽霊に呪われた大福事件」に発展してしまう。困惑する心葉のもとに「その幽霊事件、私に解かせてください」と常連の青井から連絡が入る。 世界的名探偵だという青井は事件を華麗に解決してみせ、なんと超絶好待遇の「大福係」への就職を心葉に打診?!青井専属の大福係として、心葉の1ヶ月間の試用期間が始まった! 次々に起こる幽霊事件の中、心葉が秘密にする「霊視の力」×青井の「推理力」で 幽霊事件の真相に隠れた、幽霊の想いを紐解いていく──! 「この世に、幽霊事件なんてありえません」 幽霊事件を絶対に許さない超偏屈探偵・青木と、幽霊が視える大福係の ゆるバディ×ほっこり幽霊ライトミステリー!

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

月宮殿の王弟殿下は怪奇話がお好き

星来香文子
キャラ文芸
【あらすじ】 煌神国(こうじんこく)の貧しい少年・慧臣(えじん)は借金返済のために女と間違えられて売られてしまう。 宦官にされそうになっていたところを、女と見間違うほど美しい少年がいると噂を聞きつけた超絶美形の王弟・令月(れいげつ)に拾われ、慧臣は男として大事な部分を失わずに済む。 令月の従者として働くことになったものの、令月は怪奇話や呪具、謎の物体を集める変人だった。 見えない王弟殿下と見えちゃう従者の中華風×和風×ファンタジー×ライトホラー ※カクヨム等にも掲載しています

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

処理中です...