エドワード・マイヤーの事件録

櫻井 理人

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第3幕 イースト・エンドの惨劇

3-4 MからHへ

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 ホワードの案内で応接室に入った三人は、テーブルの上に乗った薬瓶に目を向ける。エドワード、夏目、ホワードが固唾をのんで見守る中、エヴァンズは肩を落とし、頷いた。

「薬瓶の形状にこの手書きのラベル――間違いない、うちの物だ。だが、いったいなぜバッキンガムから」
「部屋もしくは薬品庫が荒らされたような形跡は?」

 エドワードがエヴァンズに問う。

「いや、特になかったな」
「やはり外部の人間ではなく、内部の人間――うちの大学に出入りし、かつ先日バッキンガム宮殿で開催された舞踏会に出席した人物」
「一応聞くが、エヴァンズ。アンタはこの間の舞踏会に出席したのか?」

 ホワードの問いに対し、エヴァンズは首を横に振った。

「舞踏会の招待状は確かに届いたが、学会の準備でそれどころではなかった。宮殿の受付で出席者のリストぐらいは控えているだろうから、不安ならそちらを確認してくれたまえ」

 ホワードは、エヴァンズから聞いた内容を書き留めながら、次の質問を考える。

「薬瓶が消えたのはいつの話だ?」
「最初に気が付いたのは金曜日の晩だ。だが、あの時は遅い時間だったから、見間違いか何かだろうと、次の日に講義の合間をぬって再度探したんだ。それでも発見できなかったんで、そこにいる彼らに一緒に探すのを手伝ってもらったというわけさ」

 エヴァンズはエドワードと夏目の方を見た。

「しかし、このような物騒な薬品が、簡単に盗み出せるものなのでしょうか?」

 夏目の問いに、エドワードが答える。

「犯人は薬品庫の場所だけではなく、その中で目的の薬品がどこにあるのかまで把握している可能性が高い。そうでなければ、誰かに探しているところを見られてもおかしくはないでしょうから」
「確かに、マイヤーの言うとおりだ。ということは、アンタも容疑者の一人というわけだな」

 エヴァンズを見るホワードの目がギラリと光った。
 彼の迫力に押されたエヴァンズはうわずった声を張り上げる。

「おいおい、ちょっと待ってくれ! なあ、頼むよ、マイヤー教授。私は犯人じゃない。むしろ被害者だ、助けてくれ!」
「ホワード警部、これだけで彼を疑うのは……。ところで、薬品の在庫確認をしているのは毎回決まった生徒なのでしょうか?」

 エドワードはエヴァンズの目をまっすぐに見つめ、尋ねる。

「ああ、主に三人の生徒にお願いしている。皆私の研究室に所属していて、成績が優秀な子たちだ」
「その生徒の名前は?」
「オリヴァー・トンプソン、パーシー・ディアス、ヘンリー・ジェンキンスの三人だ」

 エドワードは瞠目した。

「ジェンキンスって……まさかエルマー・ジェンキンス卿のご子息?」
「そうだが、それが何か? まさかマイヤー教授、彼らを疑っているのかね?」
「アンタがそういう態度をとるのも無理はない。あの事件は公になっていないからな。俺から話そう」

 怪訝な表情を浮かべるエヴァンズの問いに、今度はホワードが答える。

「バッキンガム宮殿で毒殺事件が起きた。その時に殺されたのが、エルマー・ジェンキンスだ」

 エヴァンズは目を見開いた。

「ジェンキンス卿が⁉ マイヤー教授の言っていた事件というのは、このことだったのか。その時に使われた凶器がうちのシアン化カリウムだったと……」

 その時、ノック音とともに応接室の扉が開いた。

「失礼します! やあ、皆さんもお揃いで」
「ケリーか。何か情報はつかめたか?」
「彼女の話によると、ヘーゼルダイン卿の前に姿を現すよう依頼があったそうです」
「彼女というのは?」

 エドワードが問う。

「ミランダ・ノエルさんです。『言う通りにすれば、報酬を弾む』と、手紙を送られたそうで。伯爵家とはいえ、あまり裕福ではないそうです」
「それで、彼女は何と?」
「『応じる』と伝えたそうです。後日、一着の服とプラチナブロンド白色に近い金髪のかつらが送られてきたとのことでした」

 ――かつらと服? 誰かのなりすましか?

 エドワードが顎に手を添え思案していたところに、今度はホワードが疑問を投げかける。

「返事をしたということは、差出人の名があったということか?」
「差出人のところには“H”とだけ書かれていて、返事は新聞広告を指定されたそうです。その時の広告をもらってきました」

 Yes.
 From M to HMからHへ.

「MからH。Mはミランダさんのファーストネーム。問題の手紙はどこに?」

 エドワードの問いに対し、ケリーは力なく首を横に振る。

「残念ながら、手紙は燃やされていました」
「燃やしただと⁉」
「やはり、そうでしたか」

 驚いた様子のホワードとは対照的に、エドワードの声色は落ち着いていた。
 ケリーは首肯する。

「差出人からの指示だそうです。暖炉で燃やしたと伺いました」
「クソ、ようやく 尻尾しっぽをつかめたかと思えば……」

 ホワードは拳を握りしめ、悔しがるそぶりを見せたが、直後「ん?」と大きく首を傾げた。
「待てよ……“H”っていうと、ジェンキンスの息子が『ヘンリー』って言わなかったか?」

「確かにそうだ。だとすれば、ずいぶん分かりやすいとも思うが。その前の暗号がどうにも小難しかったせいで、そうも簡単に犯人に辿り着くものかとつい疑ってしまう」
「確かに、夏目の言うことにも一理あるね。ただ、『ヘンリー』という名前はそんなに珍しい名前でもないし、本当に犯人のファーストネームを表しているのかも、現状では何とも言えないかな」

 エドワードの見解に対し、夏目は理解を示すも更なる疑問をつきつける。

「しかし、腑に落ちない。手紙の差出人が犯人だとして、ヘーゼルダインの前に姿を現すことが、犯人にとってどんなメリットがあるのでしょう?」

 エドワードを含め、一同は無言となった。

 ケリーは、静まり返った場を盛り上げようと、「あ、あの……収穫が何もないというわけではありませんよ」と付け加える。
「現場付近で聞き込み調査をしたところ、イーストエンドで殺害された娼婦がヘーゼルダイン卿と話しているのを見かけたことがあるという方がいらっしゃいましたから。あっ、そうだ、思い出しました! ヘーゼルダイン卿の息子さんが行方不明になったと、彼から相談を受けていたんです」

 得意げな口調から一転、ケリーのうっかりに一同が騒然となる。

「何だと⁉ ケリー、それを早く言えっ‼」

 ホワードの怒声が部屋中に響き渡った。

「す、すみません! つい……」

 ホワードの怒声に肩をびくりと震わせるケリーだったが、ホワードは構わず、「話は後だ、ヘーゼルダインの家に向かうぞ!」と、慌ただしく席から立ち上がる。
「お前らも一緒に来い!」

「毎回振り回されるこちらの身にもなれ」

 夏目が悪態をつくが、当の本人の耳には入っていない様子である。

「スチュアート君の身にいったい何が……」

 エヴァンズの呟いた一言に、エドワードは怪訝な表情を浮かべてから小さく頷いた。

「そうか、だからあの時……」

「どうかしましたか? 教授」

 夏目が問いかけたところで、エドワードはエヴァンズに尋ねた。

「スチュアート君は、あなたの教え子ですか?」
「ああ、そうだ。彼は病弱で、大学に来れないことも多いがね」
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