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第2幕 Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)

2-8 惨劇は再び

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 エドワードは倒れた男性の肩を叩いた。
 だが、男性の息はすでになく、目は見開いたままだ。

「誰か! 誰か、医者を呼んでください!」

 エドワードは、可能な限りの大声を出し、周囲にいた貴族や宮殿の執事たちに呼びかけた。続いて、夏目にも指示を出す。

「入り口にいるホワード警部たちに報告を!」

 夏目は首肯し、広間の入り口まで駆けた。

「……なんてことだ」

 エドワードはがっくりと肩を落とす。
 それからまもなく、夏目に呼び出されたホワードとケリーが、血相を変えてやって来た。
 医者もすぐさま駆けつけ、男性の生死を確認するが、力なく首を横に振る。

「……そうですか」

 エドワードは膝をつき、その場で俯いた。暗号を解いたまでは良かったが、被害者を特定するには至らなかった。己の無力さを嘆いた。

「この男は、ミランダさんの後を付きまとっていたという酒場の男か?」

 先程まで被害者の顔をろくに見る間もなかった夏目が、冷静に言い当てる。

「ミランダさん……そういえば彼女は? 途中まで君と一緒だったよね」
「彼女なら捜査に集中してくれと、自分から離れていきました」

「ヘーゼルダインにミランダ? ヘーゼルダインは、酒場で見た奴か。どこにいる?」

 二人のやりとりを聞いていたホワードが、会話に割って入った。

「ヘーゼルダインならあそこに」

 夏目の示した方向へホワードとケリーが目をやると、ヘーゼルダイン卿は大きな体を小さくし、肩が大きく震えていた。

「……次は、私が狙われるのか? なぜ、私の周りばかり……」
 と、壊れたからくり人形のように何度も呟いている。

 その様子を見たホワードは鼻で笑った。

「話は署で聞かせてもらおうか。この間のイカサマ賭博のこともあるからな」
「違う! 私じゃない!」
「今さっき、自分の『周り』がとか、ほざいていただろう? 被害者との関連も十分ありそうだ。コイツを署まで連行しろ」

 ヘーゼルダイン卿の抵抗も空しく、応援に駆け付けた警察官たちによって身柄を拘束された。

「あの男、まだいたのか。息子の姿が見えないようだが」

 夏目が呆れた顔で彼らの後ろ姿を見送る中、エドワードは一人放心状態に陥っていた。
 だが、夏目にはエドワードにかける言葉が見つからない。呼びかけようにも、頭の中の辞書にある数多あまたの言葉からその先の言葉を紡ぎ出すことができない。どんな思いで彼が今夜ここにいるのか、捜査を手伝っていたのか、出会って間もない間柄ではあるが、彼の心の痛みを夏目はひしひしと感じていた。
 すると、ケリーがエドワードの前に出て頭を下げる。

「あなたのような一般人の方を巻き込んでしまって、本当に申し訳ありませんでした。どうか、今回のことは気に病まないでください」
「刑事の言うとおりです。教授が一人で抱え込む必要などありません」

 ようやく声をかけることができた。夏目がそう安堵し、エドワードの肩を軽く叩いた時、彼の目には涙が浮かんでいた。

「……すみません。結局お役に立てることができずに。僕は、なんて無力だ」
「そんなことないですよ。僕らなんか、暗号文を解くどころか、犯人を取り逃すことなんて日常茶飯事ですし。あなたはとても優秀です」

 遺体を調べていたホワードが不満げに鼻を鳴らす。

「ケリー! 黙って聞いてりゃ、俺たちが無能みたいに聞こえるぞ!」
「あっ、いえ、そんなことは……」

 あたふたとするケリーをよそに、ホワードは手で仰ぎながら被害者の口臭を確認する。

「アーモンド臭。青酸カリか」

 エドワードは床で割れていたワイングラスの持ち手部分を手袋の上から取った。

「あの暗号文ですが、僕には一点だけ解けなかった箇所がありました。『宴は血の色に染まる』――人間の血ではなく、床にこぼれた赤ワインを指していたのかもしれませんね」
「しかし、これだけで今回の毒殺を予期するには難があるでしょう。被害者や犯人を特定できるような手掛かりもないわけですから」

 夏目の言葉に、ホワードとケリーは首肯した。
 その後、念には念をと、会場にいた者たち全員の身体検査が行われたが、凶器は見つからず、貴族たちは次々に宮殿を後にする。
 エドワードはジェームズ、夏目と一緒に馬車に揺られていた。夏目を大学の寮まで送り届けると、大きな溜息をついた。馬車の窓ガラスに映りこんだ彼の顔は、憂いの表情を帯びている。

「大丈夫か? エドワード」
「兄さん。どうも今回の事件、僕には分からないことだらけで。これまでの事件の凶器は、鋭利な刃物のようでした。けれど、今回は青酸カリによる毒殺。これだけを見れば、関連性のない事件にも思えます。それをわざわざ――その前の事件に残された予告状と、ヤードへ送り付けられた予告状――連続殺人であることを自ら強調したようなものです」
「ご丁寧に、王室で出しているワインを犯行の道具に選ぶとはな。恐らく今回の事件、迷宮入りになると思うぞ」
「迷宮入り……ですか?」

 エドワードが首を傾げる。

「王室は自分たちの威信を守るため、事件のことは口外しまい。大のマスコミ嫌いだからな。とはいえ、マスコミが事件のことをかぎつける可能性も捨てきれんし、それ以前に、会場にいた誰かがマスコミに情報をリークしないとも限らない」
「高値で情報の取引をする者が現れかねない、と」
「ああ。だが、間違いなくもみ消しにかかるだろう。万が一、裏切り者がいれば、それ相応の制裁が待ち構えているはずだ。王室にとって、そいつらの爵位、領地をはく奪することなど、何とも容易たやすいことだからな」

 ジェームズの言ったとおりだった。その日の朝刊では、「王室ワイン、販売中止」と大きな見出しで報じられていたが、中止の理由は「製造元の都合により」とだけ書かれており、事件のことは一切言及されていなかった。
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