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第2幕 Noblesse Oblige(ノブレス・オブリージュ)
2-7 午前零時
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「弟の許嫁に何か御用かな? 男爵。ジェームズ・マイヤーだ」
エドワードが到着した時にはすでに、ジェームズがクリスを自らの背後に隠し、睨みをきかせていた。
「マイヤー、だと⁉ ということは、あの小僧の……」
男は目を見開くも、なおも不満げな表情を浮かべていた。
「兄さん!」
エドワードがジェームズの隣に行くなり、男は大声を張り上げる。
「お、お前は! マイヤーの次男坊!」
「ヘーゼルダイン卿⁉」
ジョージ・ヘーゼルダインとエドワードが互いの顔を見合わせる中、いまだ状況を飲み込めないクリスは二人の顔を交互に見ることしかできず、ジェームズも驚きの表情を浮かべていた。
「エドワード! なぜここに?」
「すみません、兄さん。色々ありまして……」
ジェームズとエドワードの会話を割って入るようにヘーゼルダイン卿が詰め寄る。
「お前のせいで散々な目にあわされたんだ!」
今にも殴り掛かりそうなヘーゼルダイン卿を前に、エドワードは肩をびくびくと震えさせ、目を伏せた。
すると、
「父上、女遊びも大概にしてください!」
若い男の声が、エドワードの鼓膜を震わせた。
その声は、少なくとも夏目ではないことは確かだ。
エドワードが恐る恐る顔を上げると、二十歳すぎぐらいの見た目で細身の青年がヘーゼルダイン卿の腕を掴んでいた。エドワードも男としては細身の方ではあるが、その彼よりも体格が華奢《きゃしゃ》、というより全身がやつれている。頬はこけ、顔が青白い。とても健康的とは言い難いものであった。
「スチュアート! 家にいたんじゃなかったのか⁉」
「こうなることは想像がついていましたから。馬鹿なことはやめて、早く帰りましょう。あの世で母上が悲しんでいます」
スチュアートと呼ばれた青年は、父親であるヘーゼルダイン卿を睨みつけるようにして見上げていた。
「うるさい……何だ、その目は‼」
ヘーゼルダイン卿は腕を振り払い、スチュアートのことを勢いよく突き飛ばした。
「大丈夫かい?」
床に倒れたスチュアートに、エドワードが手を差し伸べる。
「そこまでだ。元はといえばイカサマ賭博で稼いだ金を使って、爵位を買ったアンタが悪い!」
ミランダを背後に隠した夏目が、ヘーゼルダイン卿の真正面で言い放った。夏目の言葉を聞いた貴族たちの視線が次々にヘーゼルダイン卿の方へと集まる。
「や、やめろ! それを大声で言うな!」
そう怒鳴った直後、ヘーゼルダイン卿は目を大きく見開き、その場で固まった。
「お前……」
一言呟くや否や、後ずさりを始める。
不審に思ったエドワードが、ヘーゼルダイン卿の視線の先を目で追ったが、どういうわけかミランダへと行き着く。
当のミランダも気が付いた様子で、毅然とした態度で応じる。
「私が何か?」
彼女に声をかけられたヘーゼルダイン卿ははっとした表情を浮かべ、我に返った。
「……気のせいだ。あれから十年近く経っている」
独り言を呟きながら、ヘーゼルダイン卿はその場を離れていった。
「父上、どちらへ?」
スチュアートもすぐさま彼の後を追う。
「この間といい、今回といい、人騒がせな男だ」
夏目が呆れた目で親子の背中を見送る。
「大丈夫だったかい? クリス」
エドワードはヘーゼルダイン卿の言動を不審に思いながらも、目の前にいるクリスを気遣った。
「ええ、私は平気。ありがとう。そちらの方は?」
クリスの視線は夏目の方へと動く。
夏目は取り繕った様子で、
「日本政府の要請で留学のため渡英した夏目総十郎です。マイヤー教授に師事しています」
と、答えてからエドワードとクリスの顔を交互に見つめ、小声で尋ねる。
「失礼ですが、お二人の関係は?」
「私はクリス・アンドリュース。エドワード様は私の許嫁ですわ。親同士が勝手に決めた」
と、クリスが強調し、ジェームズが付け加える。
「彼女は子爵家のご令嬢だ。エドワードがわざわざここに来たってことは、例の一件が絡んでいるのか?」
ジェームズの問いにエドワードは頷いた。
「はい、予告状の謎が解けましたので」
「予告状ですって⁉ 怖いですわ」
クリスは怯えた様子でジェームズの服の袖をつかみ、身を寄せた。
彼女の仕草を目の当たりにしたエドワードは目を背けるが、
「それで、内容は?」
と、ジェームズは真剣な眼差しを彼の方へ向け、構わず説明を求めた。
「……犯行予告時刻は午前零時。今夜舞踏会が開かれることから、場所をここバッキンガム宮殿と推測しました」
「なるほど、先日の私との会話からそれを導き出したのか」
「ですが、犯人の手掛かりはおろか、誰を標的にしているのかさえも分かりません。そもそも対象を示す文言が見当たりませんでした」
「見当はついているのか?」
「残念ながら、今は全く」
エドワードは首を横に振り、肩を竦めた。
「現状で分かることは、容疑者は舞踏会に出席している全員。そして、被害者もこの中にいるということぐらいでしょうか」
「受付の者に言えば、出席者のリストは手に入るだろうが、そこからどうやって犯人と被害者にたどり着くか。今の状況ではまるで打つ手なしだな」
「それでも、何とかして見つけなければ……兄さん、僕は夏目と捜査の手伝いをしていますので、クリスのことをお願いします」
「分かっている。にしても、随分とうかない顔だな、エドワード。安心しろ、お前の許嫁に手を出したりはしない」
「お見通しですね、兄さん」
心の中で苦笑いを浮かべ、エドワードはその場を後にした。
「では、私も」
丁寧にお辞儀をし、夏目もミランダを連れて彼の後を追おうとするが、ミランダは首を横に振った。
「ありがとうございました。私はもう大丈夫です。捜査に集中してください」
「だが……」
夏目が引き留める間もなく、ミランダは彼の元を離れていく。
「気を遣わせてしまったか。だが、私ももたもたしていられないな。そうこうしているうちに、教授を見失ってしまう」
夏目は周囲に注意を払いながら、足早にエドワードの元へ向かった。
それからほどなく、時刻は十一時を回ろうとしていた。
宮殿の執事たちの手によって、テーブルの上にワインが次々と置かれていく。
エドワードの表情にも次第に焦りの色が見え始めた。
「試飲会か。まだ何の手掛かりもつかめていないのに……」
隣にいた夏目も、悔しそうな表情を浮かべる。
「この状況を、犯人がどこかでほくそ笑んでいると思うと、是が非でも引きずり出してやりたくなる」
彼らの心配をよそに、試飲会は滞りなく開始され、貴族たちは思い思いにワインを飲み始めた。
二人は辺りを警戒し、会場内の見回りを続ける。ワインを楽しむ貴族たちとは対照的に、彼らの緊張感は高まっていくばかりだった。
だが、これといった手掛かりはなく、時間は無情にも過ぎていく。
エドワードは懐中時計を見た。
午前零時――。
外ではビッグベンの鐘の音が夜の街に鳴り響く。
貴族たちの会話がにぎやかに飛び交う中、
「ガシャン」
と、何かが割れるような音がした。
かすかではあるが、その音はエドワードの耳にも届いている。
「嫌な予感がする」
そう考えた彼は、慌てて音のした方へ駆け出した。
その様子を見た夏目も必死に後を追う。
エドワードの慌てぶりに、夏目にもある予感が頭をよぎった。
「まさか……」
二人が到着した時には男性がひとり、割れたグラスの破片と赤ワインのこぼれた床の上に倒れていた。
先程まで和気あいあいとワインを飲み交わしていた貴族たちの手が止まり、その声はたちまち悲鳴へと変わる。
「大丈夫ですか⁉ ……あなたは!」
エドワードが到着した時にはすでに、ジェームズがクリスを自らの背後に隠し、睨みをきかせていた。
「マイヤー、だと⁉ ということは、あの小僧の……」
男は目を見開くも、なおも不満げな表情を浮かべていた。
「兄さん!」
エドワードがジェームズの隣に行くなり、男は大声を張り上げる。
「お、お前は! マイヤーの次男坊!」
「ヘーゼルダイン卿⁉」
ジョージ・ヘーゼルダインとエドワードが互いの顔を見合わせる中、いまだ状況を飲み込めないクリスは二人の顔を交互に見ることしかできず、ジェームズも驚きの表情を浮かべていた。
「エドワード! なぜここに?」
「すみません、兄さん。色々ありまして……」
ジェームズとエドワードの会話を割って入るようにヘーゼルダイン卿が詰め寄る。
「お前のせいで散々な目にあわされたんだ!」
今にも殴り掛かりそうなヘーゼルダイン卿を前に、エドワードは肩をびくびくと震えさせ、目を伏せた。
すると、
「父上、女遊びも大概にしてください!」
若い男の声が、エドワードの鼓膜を震わせた。
その声は、少なくとも夏目ではないことは確かだ。
エドワードが恐る恐る顔を上げると、二十歳すぎぐらいの見た目で細身の青年がヘーゼルダイン卿の腕を掴んでいた。エドワードも男としては細身の方ではあるが、その彼よりも体格が華奢《きゃしゃ》、というより全身がやつれている。頬はこけ、顔が青白い。とても健康的とは言い難いものであった。
「スチュアート! 家にいたんじゃなかったのか⁉」
「こうなることは想像がついていましたから。馬鹿なことはやめて、早く帰りましょう。あの世で母上が悲しんでいます」
スチュアートと呼ばれた青年は、父親であるヘーゼルダイン卿を睨みつけるようにして見上げていた。
「うるさい……何だ、その目は‼」
ヘーゼルダイン卿は腕を振り払い、スチュアートのことを勢いよく突き飛ばした。
「大丈夫かい?」
床に倒れたスチュアートに、エドワードが手を差し伸べる。
「そこまでだ。元はといえばイカサマ賭博で稼いだ金を使って、爵位を買ったアンタが悪い!」
ミランダを背後に隠した夏目が、ヘーゼルダイン卿の真正面で言い放った。夏目の言葉を聞いた貴族たちの視線が次々にヘーゼルダイン卿の方へと集まる。
「や、やめろ! それを大声で言うな!」
そう怒鳴った直後、ヘーゼルダイン卿は目を大きく見開き、その場で固まった。
「お前……」
一言呟くや否や、後ずさりを始める。
不審に思ったエドワードが、ヘーゼルダイン卿の視線の先を目で追ったが、どういうわけかミランダへと行き着く。
当のミランダも気が付いた様子で、毅然とした態度で応じる。
「私が何か?」
彼女に声をかけられたヘーゼルダイン卿ははっとした表情を浮かべ、我に返った。
「……気のせいだ。あれから十年近く経っている」
独り言を呟きながら、ヘーゼルダイン卿はその場を離れていった。
「父上、どちらへ?」
スチュアートもすぐさま彼の後を追う。
「この間といい、今回といい、人騒がせな男だ」
夏目が呆れた目で親子の背中を見送る。
「大丈夫だったかい? クリス」
エドワードはヘーゼルダイン卿の言動を不審に思いながらも、目の前にいるクリスを気遣った。
「ええ、私は平気。ありがとう。そちらの方は?」
クリスの視線は夏目の方へと動く。
夏目は取り繕った様子で、
「日本政府の要請で留学のため渡英した夏目総十郎です。マイヤー教授に師事しています」
と、答えてからエドワードとクリスの顔を交互に見つめ、小声で尋ねる。
「失礼ですが、お二人の関係は?」
「私はクリス・アンドリュース。エドワード様は私の許嫁ですわ。親同士が勝手に決めた」
と、クリスが強調し、ジェームズが付け加える。
「彼女は子爵家のご令嬢だ。エドワードがわざわざここに来たってことは、例の一件が絡んでいるのか?」
ジェームズの問いにエドワードは頷いた。
「はい、予告状の謎が解けましたので」
「予告状ですって⁉ 怖いですわ」
クリスは怯えた様子でジェームズの服の袖をつかみ、身を寄せた。
彼女の仕草を目の当たりにしたエドワードは目を背けるが、
「それで、内容は?」
と、ジェームズは真剣な眼差しを彼の方へ向け、構わず説明を求めた。
「……犯行予告時刻は午前零時。今夜舞踏会が開かれることから、場所をここバッキンガム宮殿と推測しました」
「なるほど、先日の私との会話からそれを導き出したのか」
「ですが、犯人の手掛かりはおろか、誰を標的にしているのかさえも分かりません。そもそも対象を示す文言が見当たりませんでした」
「見当はついているのか?」
「残念ながら、今は全く」
エドワードは首を横に振り、肩を竦めた。
「現状で分かることは、容疑者は舞踏会に出席している全員。そして、被害者もこの中にいるということぐらいでしょうか」
「受付の者に言えば、出席者のリストは手に入るだろうが、そこからどうやって犯人と被害者にたどり着くか。今の状況ではまるで打つ手なしだな」
「それでも、何とかして見つけなければ……兄さん、僕は夏目と捜査の手伝いをしていますので、クリスのことをお願いします」
「分かっている。にしても、随分とうかない顔だな、エドワード。安心しろ、お前の許嫁に手を出したりはしない」
「お見通しですね、兄さん」
心の中で苦笑いを浮かべ、エドワードはその場を後にした。
「では、私も」
丁寧にお辞儀をし、夏目もミランダを連れて彼の後を追おうとするが、ミランダは首を横に振った。
「ありがとうございました。私はもう大丈夫です。捜査に集中してください」
「だが……」
夏目が引き留める間もなく、ミランダは彼の元を離れていく。
「気を遣わせてしまったか。だが、私ももたもたしていられないな。そうこうしているうちに、教授を見失ってしまう」
夏目は周囲に注意を払いながら、足早にエドワードの元へ向かった。
それからほどなく、時刻は十一時を回ろうとしていた。
宮殿の執事たちの手によって、テーブルの上にワインが次々と置かれていく。
エドワードの表情にも次第に焦りの色が見え始めた。
「試飲会か。まだ何の手掛かりもつかめていないのに……」
隣にいた夏目も、悔しそうな表情を浮かべる。
「この状況を、犯人がどこかでほくそ笑んでいると思うと、是が非でも引きずり出してやりたくなる」
彼らの心配をよそに、試飲会は滞りなく開始され、貴族たちは思い思いにワインを飲み始めた。
二人は辺りを警戒し、会場内の見回りを続ける。ワインを楽しむ貴族たちとは対照的に、彼らの緊張感は高まっていくばかりだった。
だが、これといった手掛かりはなく、時間は無情にも過ぎていく。
エドワードは懐中時計を見た。
午前零時――。
外ではビッグベンの鐘の音が夜の街に鳴り響く。
貴族たちの会話がにぎやかに飛び交う中、
「ガシャン」
と、何かが割れるような音がした。
かすかではあるが、その音はエドワードの耳にも届いている。
「嫌な予感がする」
そう考えた彼は、慌てて音のした方へ駆け出した。
その様子を見た夏目も必死に後を追う。
エドワードの慌てぶりに、夏目にもある予感が頭をよぎった。
「まさか……」
二人が到着した時には男性がひとり、割れたグラスの破片と赤ワインのこぼれた床の上に倒れていた。
先程まで和気あいあいとワインを飲み交わしていた貴族たちの手が止まり、その声はたちまち悲鳴へと変わる。
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