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第一章 [序] 目覚め
第19話*『世界一幸せな妹』 (妹のままでいさせて①)
しおりを挟む「私ね、実は告白したの。だけど恋愛感情を持つなって言われた」
絶句して凝視する薊。虚ろに続ける澄美怜。
「でもね、でも……くっ……それが出来ない自分は……もう、消えるしかないと思った」
道端にポトリ、と涙を落とす。ハッと我に返る薊。
「……そうやって迷惑掛けないつもりでこれ以上ないダメージ与えておいて! 逆な事やってるって気付かないの?! 」
―――大事な妹が死ぬくらいならボクも死ぬっ!
再び脳裏に蘇る約束の日の深優人の叫び。
「 第一恋愛したらワガママも当然だよ。恋愛感情を持つなというのはやたら恋人関係を要求するなってだけでしょ、想うのは自由だよ!」
「!……」
「そんな風に決着つけられたと思うんだったら今の深優人《みゆと》を見てみなさいよ、あんなに苦しめて! 直視してあげてないのは一体誰っ?! 」
……違う。私は誰よりあの人を想うからこうしただけ……何も知らないで……そもそも……
「……あなたには報われない妹の気持ちなんて分からないんです」
「!…… バカーッ、話にならないっ!……そんなに深優人《みゆと》が大事じゃないなら、もう勝手にしなさいっっ!」
薊はそう吐き捨てて走り去った。棒立ちの澄美怜《すみれ》。
ああ、尤もだ……私はバカだ……
*
その後も薊の言葉が胸にささり続け、兄の様子が気になって仕方ない澄美怜。
―――もっと直視? 迷惑かけたくなくて、逆に迷惑かけてた……?
……大事じゃないなんて……あるわけないのに……
……誰より大切にしてくれた。……共に死ぬとまで言ってくれた。そしてずっと約束通り守り続けてくれた……
薊の叱咤があの恨みの感情に歯止めをかけていた。兄を裏切りたくない想いを再び呼び戻すかの様に。
*
その夜、おそるおそる兄の部屋を訪ねた。あの日から食事の時間をずらして極力顔が会わない様にしていた澄美怜《すみれ》。
ノックして静かにドアを開け、囁くように声をかけた。
「兄さん……」
月明かりの薄暗い部屋の中でベッドの上にいる様だった。呼称が深刻度を物語っている。
兄は鼻声で「電気つけるな」とポツリ。女々しい自分を見せたく無いのだろう。
深優人は前世のトラウマを誰にも話していないが故に、こんな姿が誰にも理解される筈もないと思っている。そのため陰で自らの腑甲斐なさを―――大切な者を支えきれなかった自分を―――責め抜いて悲歎にくれていた。
薄暗いまま静かに部屋へ入る澄美怜。
「兄さん、私、間違えたのかな……」
その質問は正気の時でなければ出来ないはず。そう捉えた深優人は逆に澄美怜に問うた。
「……いや、何か俺の方が間違えてたのか? やって来たこと全て、無意味だったのか? (ただ、澄美怜の幸せだけを思ってきたのに……)」
「違う。……ただ、嫉妬して、恋心を拒まれて、居場所を失って、苦しさから逃れたくて、そのうち破壊衝動を抑えきれず消えてしまいたくて……つい兄さんを遠ざけてしまった。でもまさか兄さんがこんな風になるなんて思ってもみなかった……」
深い溜め息をついた深優人。そして切り出した。
「……子供の頃の……『あの日の約束』……覚えてるか?」
澄美怜にとっての魂の約束。それは心の中心に常にある、それこそが澄美怜の全て。
「忘れるはず無い。兄さんが壊れかけた私を助けてくれた……あのお陰で自棄の囚われから少し抜け出せた。ここに居ちゃいけないという強迫衝動にも少しは抗える様になった。……でも無謀な恋を兄さんから突き放されて……再び消えたくなってしまった」
「……俺は澄美怜をパニック障害とかから守る事しか考えてなかった。澄美怜の気持ちを考えてなかった……君にとってそんなに大事だって知らず……こんなんで消えてしまったら約束の意味だって無いのに。
だから……そんなに望むなら……どうしてもと言うなら……」
顔を逸らしながら
「俺は恋人になる……」
!! ……
兄さん……私は図らずも自分を人質にしてまでこの人の意志を奪おうと……でもこの人は……きっと大切にしてたものを捨ててまでも私を……
その瞬間、『ブワァァァ―――ッ』 と一気に闇が払われる感覚に陥り、思わず床へとへたり込む。
黒い感情を抑え込む為に纏っていた自己消滅の衝動がその悪感情ごとみるみる融解していった。
自らの変容に唖然とする澄美怜。
「恋人でなら、また一緒にやれるか?」
刹那、拒絶していた深優人特有の癒しの力が入り込んできて瞬く間に何時もの正気へと戻って行く。と同時にあり得ない悪い事をしてしまった、と自覚した。
あまりの愚かさに失望し両手を床につき、泣き崩れ肩を震わせて言った。
「ごめんなさい……私、とんでもない事をしてた……私は……んくっ……まだ…」
―――とてもそんな資格ない……
「まだ……うぅ…… “ 妹のままでいさせて ” ……」
「……スミ……」
「……私……薊さんにも叱られた……兄さんの気持ち……もっと大事な事……相思相愛は今でも夢。でも、して来てくれたこと考えるべきだった。
私の欲しかった形で無くても、そんなの関係ないくらい大きいものくれてた……分かってるはずなのに私………自分の事ばっかり……どうかバカな私を許して……」
「澄美怜……」
ベッドを降りて近付く深優人。、薄暗闇の中、やさしく抱擁し合う。
「……俺は今回、遠ざけられて嫌というほど分かった。もっと別の言い方にしなきゃいけなかったって。されてみて初めて気付くなんて……
澄美怜のこと分かってたつもりで全然……俺こそバカだ。きっとあんな言い方されて……辛かったろ? 本当にごめんよ……」
「うううっ……お……にい…ちゃん…………本当は……本当は……」
その大きな瞳からポロポロと溢れ出す。
「つらかったぁ―――っ……うぐっ……はぅ……ううっ……」
全身震えながら止め処なく涙が零れ落ちる。
「本当にごめん。もうあんな言い方……」
暫くの間、一緒に抱きしめ合って泣いた。
*
やがて落ち着き、囁く様に言う。
「でも、ここずっとカッコ悪いとこ見せちまったな。絶対守るなんて言っときながら……」
「そんなコ卜無い。私のやり方が卑怯だった……」
「カッコは悪かっただろうけど、それだけ愛してるんだ。澄美怜《すみれ》より……何倍も」
! ……ビリッと脳が痺れた。それは激しい喜びと愛憎の怒りによって。
「っ!……兄さんっ、ヤッパリ分かってない! 私の方が何倍も好きだし愛してる!」
「いや、そっちこそ分かってない! 俺より大きいハズがない!」
「ふふ。私の気持ちが兄さんに負けるなんてあり得ない。だって私は兄さんの為なら……」
―――死んだっていい。
そう言いかけてやめた。言葉では何とでも言える。本気だからこそ、嘘くさく聞こえて欲しくなかった。
そして何より常に消えたがっていた自分にはやはりこの方がしっくり思えたからだ。
―――生きたっていい。
「なぁ、俺たち……元通り、やれるか?」
「うん。出来るよう頑張る」
「俺、もっと言い方を気をつける。澄美怜も、もう二度と遠ざけたりしないか?」
「うん。もうしない。だからまた元通り、お願いします」
兄さんも人間なんだ。私と同じで傷付くし、弱い所もある。それを私相手に普段見せないだけ。ここまで弱みを見せた出来事なんて……
―――百合愛さんの時と……そして今回だけだ。
あの時くらいに落ち込むなんて……でも兄さんにとって私って何なんだろう……
「ねえ、兄さん、私、何もしてあげられないのに、何で私を大事にするの?」
「実は昔……いや、何でもない……」
深優人は前世の記憶を話かけるも、信じて貰えないだろうと踏んで押しとどめた。
「家族なら守るのは当たり前。ましてや俺以外救えないなら尚更。でも今はそれだけじゃない。たくさん貰ったんだ。俺が苦しい時、ずっと」
「たくさん?……ずっと……貰った?」
「確かに澄美怜は俺の様なハッキリと分かる癒やし効果とかを渡せる訳じゃない。でも根気強くあの手この手で俺の一番苦しい時を救ってくれようとしてた。
俺と同じくらい、澄美怜はいつでも見ててくれてた。こんな関係を失いたくないと思うのは当たり前だろ」
―――再び脳がビリッとしびれた。うっ……と短い嗚咽がその愛らしい口から漏れた。
……私は少しは兄さんの役に立ててたんだ! ずっと励ましたかった事、見ててくれてた。マンガだのアニメだの、ウザイ構ってちゃんだの、不器用なやり方しか出来ない所も含めて全部分かっててくれてた……。
ありがとう。こんなもに棒げてくれて。
ああ……私は幸せ者だ……まあ恋愛以外でだけどね……
まだこの先も出口の見えないトンネルだけど、今日ぶつけ合った『気持ちの大きさ比べ』を思い出せたなら、そう、きっと感謝しかないよ……。
これを毎日思い出して生きて行ければきっと違うよね……兄さん………ううん、お兄ちゃん。
澄美怜は今日の事を二度と忘れぬ様に苛烈に脳裏に刻んだ。この想いの大きさ比べを。
そう、それこそ実際に脳がしびれる程の愛おしいやり取りをした事を。
その日、部屋に戻った澄美怜は今だかつてないほど深く眠れた。
**
そうして薊の叱責をきっかけとして兄とのすれ違いも消え、あれ以来頭の中でリフレインしていた言葉の凶器は氷解に至った。
思った以上の自分への想いの大きさと兄へも与えられる役割を感じられた事が澄美怜の気持ちをポジティブに変化させた。
そしてその兄妹愛の深さは、むしろ遠ざけ合いをした事で気付かせてくれた。想像以上の両想いだった――という事を。それが澄美怜を最悪の事態から寸前で立ち直らせた。
お兄ちゃん、今は妹のままでいる代わりに、『世界一幸せな妹』 として最大限に兄フェロモンを回収させてもらうね。
結局振り出しに戻った感じだけど、またお兄ちゃんと楽しく過ごせると思えば絶望などしているのも勿体無い。
そう、私のポリシー『妹道』で。さあ、初心に帰って出来る事をやるのみ! どこ迄も妹の価値を上げ、可愛く想ってもらい、そんな兄のために尽くして幸せを願う。そして見返りにフェロモンをもらってしっかり循環しなきゃ!
ああ、そう言えばこのところお兄ちゃんフェロモン不足だった。 今からまた憑依するか、ちょっとだけお兄ちゃんのベッドで癒されるか…… あ、また枕カバー入れ替えとこう……フフフ。
一方、深優人はそんな澄美怜の復活振りに胸を撫で下ろしていた。こよなく愛する妹を今迄通り大切にして行ける。
自分の大変な時、誰より支えようとしてくれた、このいじらしくも可愛い家族。それを失わずに居られる事を心底喜んでいた。
そこで一つ、薊と映画の約束をしている事を敢えて正直に告げた。以前ならショックを受けぬ様に、そして阻止や無理矢理の告白に持ち込まれぬよう気を遣って伏せていたが、むしろ今は逆効果になると分かったからだ。
「……うん……正直、うらやましいし、諦め切れる訳じゃない……でももう狂ったりはしない。だから……行って来て……。それから……ちゃんと言ってくれて有り難う……」
それはある意味で、二人はもう付き合う事を前提にしているのだと理解した澄美怜。
ぎこちない作り笑い。ツイッっと涙を落として容認する所が余りに痛々しいが、深優人も、『俺も……有り難う』と、辛そうな笑顔で応えた。
だがそれでも一つ伏せていた事がある。
兄妹愛という言葉を隠れミノにして。
薊とのデート、それは澄美怜への秘めた想い―――澄美怜が兄を慕うよりもずっと『好き』だという気持ち―――を隠し それを断ち切る為のものだと云う事を。
深優人《みゆと》は心で泣いていた。
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