上州無宿人 博徒孝市郎

久保 倫

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十九

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 目的地は信州は権堂。「牛にひかれて善光寺参り」で有名な善光寺のお膝元の繁華街である。
 忠治からの手紙には、間の川の政五郎の所に来てくれとなっていた。これはわかる。政五郎のところに草鞋を脱ぐよう言ったのは栄五郎だから。
 だが今、忠治は、信州松本、深志の貸元勝太のところに草鞋を脱いでいるとも記されていた。
「親分、忠治は権堂の方で政五郎親分に世話になっていると思ったのですが。」
「俺もだ。」
「何かしでかしたということはないでしょうな。」
「忠治に限ってそのようなことがあるとは思えないが。」
 会話する二人を孝市郎は、必死について行く。孝市郎も足が遅いわけではないが、この二人も早い。荷物を負ってる分だけ孝市郎が遅くなってしまう。
「忠治に会った時に詳細を聞くとしよう。」
 話しながら、歩いているだけなのに早い。同じ街道を行く人を何人も追い越している。
 この二人、襲われても逃げればいいだけじゃねえか。木刀だの長脇差だの関係ないだろう。そのようなことを考えてしまう孝市郎だった。

 権堂までは、六日程かかった。
 人に道を尋ね、間の川の政五郎の家の前に三人は並んだ。
「上総屋、となってますな。」
 上総屋の看板を掲げる女郎屋だった。だがここが政五郎一家であることも間違いないはずなのである。
 無論、堅気の人の出入りがある。働く者達も博徒でなく、普通の堅気のようだ。こんなところで博徒の仁義を切るわけにはいかない。
「裏を見てきます。」
「頼む。」
 孝市郎は、旅籠の裏に回った。すると裏口とは思えぬ立派な造りの戸口に「間の川」の看板がかかっていた。
「親分、裏に『間の川』の看板がかかっていました。」
 孝市郎が戻って報告すると、栄五郎達はすぐに裏に回った。
 栄五郎は裏戸口を五寸ばかり開け、中に入ることなく声を上げた。
「御門にて大声を発し、お許しを蒙ります。御当所貸元政五郎親分のお宅はこちらさんでございますか?」
「御意にございます。お入りなさいませ。」
 あれ?この声は。
 栄五郎は、戸口を開けた。
「忠治、元気なようだな。」
「叔父御、ご無沙汰しております。」
 返事をしたのは、やはり忠治であった。
「政五郎親分、大前田の親分が到着いたしました。」
 要吉と同じくらいの年頃の男が奥から出てきた。
「久しぶりだな、栄五郎。」
「元気そうで何よりだ、政五郎。」
「とりあえず立ち話もなんだ、上がってくれ。茶くらい用意する。」

 栄五郎と政五郎が向かい合って座る。孝市郎と栄次は、栄五郎の後ろに控える。
 忠治は政五郎の後ろに控えた。
「栄五郎、噂に聞いていたがおめえさん、本当に長脇差を持たなくなったんだな。」
「あぁ、もう人を殺めるような真似はすめえと思ってな。」
 腰から抜いた木刀をかざして脇に置いた。
「そいつはいい。俺も思うところあってな、博徒から足を洗うことにした。」
「なんだと。」
「しばらくはここで女郎屋を営むつもりだ。今後は上総屋源七と名乗る」
「しばらく?」
「しばらくだ。その後は、ちと秘密にさせてもらうぜ。」
「なんだ、そりゃ。」
 足を洗うのは理解できるが、その後の身の振り方などを秘密にするのはわからない。何か考えているのは、いたずらっぽく笑う笑顔からして間違いない。
 まぁ、害のあるようなことではなさそうだ、と栄五郎は判断し話を変えた。
「ところで今日は忠治に請われてきたんだが。」
 栄五郎は、政五郎の後ろに控える忠治に視線をやる。
「へい、自分は漢を売るべく信州を回っておりやした。たまたま、深志の勝太のところに草鞋を脱いだんですが、そこの子分が穂高の長兵衛の子分を袋叩きにしてしまったんです。」
「その原因はなんだったんだ?」
「勝太側の子分が盗人寺(その土地を縄張りとする親分に断りなく開かれた賭場のこと)の噂を聞きつけ、開帳した奴を探していたんです。たまたま所用で通りかかった長兵衛の子分をそれと勘違いしてことに及んだという次第で。」
「それで出入りというところまで話が進んじまったのかい。」
「俺も所詮よそ者。なんとか仲裁できないかと思い、政五郎親分の代貸伊伝次さんに頼ってなんとか手打ちに持っていくことができました。」
「違うよ。忠治さんはちゃんと手打ちにまで至るよう根回しをしてくれた。伊伝次は仕上げをしただけ。俺の跡目を継ぐ伊伝次の手柄にしようとしてくれたのさ。」
「そんなことはございやせん。伊伝次さんのお力なくして手打ちにはなりませんでした。」
「政五郎、おめえさんの跡目はその伊伝次ってのが継ぐのかい。」
「そうだ、今日は明日の手打ち式の手配に駆けずり回っている。今後の引立てをよろしく頼む。」

 三人は部屋を出た。間の川一家の子分に案内され客間に移動する。
「ごゆるりとしていて下せえ。もし何か用がありましたら遠慮なく申し付けて下せえ。」
 子分はそれだけ言って出て行った。
「親分は、手打ちをすることは手柄になるんですか?」
 孝市郎は聞いてみた。長脇差を常時所持し、喧嘩などをためらわない博徒の世界で出入りを未然に防ぐ手打ちが手柄になると言うのがちょっと不思議だったのだ。
「なるんだ。出入りと一口に言うが、お互い人数を百人単位で揃えてやるんだ。」
「百人!」
 前に佐十郎が百人くらい集められると聞かされたが、それ以上集められる親分がいるのだ。
「まぁ、その一家の者は言うに及ばず近隣の若い奴らに草鞋を脱いでる者、加えて遠方からでも兄弟分だったりする者が加勢にわざわざ来る。人数だけならちょいとした合戦だぜ。」
「はぁ。」
 確かに百人単位で集まり、それぞれが長脇差などの得物を持つとなればもはや喧嘩でなく、戦闘であろう。
「それだけに、やはり堅気に迷惑をかけないと言うのが難しい。大人数が一か所に集まれば何かと物騒だ。集まるのは荒くれ者だからな。堅気の人にしてみりゃ怖えだろうよ。」
「それにだ、どこで出入りをやるのかという問題がある。」
 栄次も会話に加わってきた。
「どちらかの一家の屋敷じゃないんですか?」
「あほう、忠臣蔵じゃねえんだぞ。そんなことやりゃ、さすがに幕府であれ大名であれ黙ってねえ。完全武装した侍が来るわ。」
「違うんですね。」
「どっかの河原とか開けていて大人数が動ける場所でやる。田畑を荒らすわけにはいかねえから場所はお互い慎重に選ぶがな。」
「それで、どうして手打ちが手柄になるのか、なんですが。」
「俺達博徒は、意地で生きている。だから一度揉めたら簡単には引けねえ。それをなんとかして止めるんだ。難しいことをやりおおせたって実績ができる。それで渡世に名が売れるのよ。」
「難しいことを成し遂げたから凄いとなるんですね。」
「そういうこった、わかったか。」
「へい。」
「手打ちがうまい親分とかいるんですか?」
「おめえの目の前の親分だ。」
「えっ。」
 栄次の思いがけない言葉に驚かされた。
「親分は『和合人』の異名をお持ちだ。尾張にいたころから仲裁を何度もなさってらっしゃる。」
「……そうだったんですか。」
「栄次、もういい。」
 栄五郎はそっぽを向いた。
「孝市郎、親分を見直したか。」
「へい。」
「だからな……。」
「栄次、おしゃべりはその辺にしときな。」
 その時、襖の外から声がかけられた。
「叔父御、伊伝次さんが戻られました。一度ご挨拶したいそうです。」
「そうか、わかった。」
 栄五郎は立ち上がった。
「栄次、おまえはついてこい。孝市郎、おめえはここで大人しくしてな。」
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