上州無宿人 博徒孝市郎

久保 倫

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「結構、重いな。」
 翌日、論語の講釈を受けようと寺を訪れた孝市郎を待っていたのは、力仕事だった。
 何でも近々関東取締役出役の廻村があり、馬場村で宿泊するのだという。
 大人数を宿泊させられるのは、寺しかなく、準備をしている所に現れた男手に否応は言わせるほど上州女は甘くない。
「ほら、孝市郎。ふらふらしないでしゃんと運ぶ。」
「うるせえな、おみよ。ちゃんと運んでるよ。」
 後ろから注意してきたおみよの顔を見ながら返事をする。
 おみよが大きな瞳で睨んでいる。
 こいつも笑ってれば美人なんだよな、と孝市郎は思う。
 近隣でも評判の小町娘で、既に息子の嫁に是非、と声もかかっているとか。孝市郎の母も「あんな娘が欲しい」と孝市郎をちらちら見ながら言う。ようは、頑張って口説きなさい、と言っているのだ。
「音がしてる。食器に欠けやひびが入ったら使い物にならないでしょ。静かに運びなさい。」
「わかった。やいのやいの言うなよ。」
 孝市郎は前を向いて箱を持ち直した。さっきよりはゆっくりと歩く。
 厨に入り、床に箱を下ろそうとする。
「ゆっくりよ。乱暴に置いて割ったら承知しないからね。」
「はいはい。おおせの通りにいたします。」
 慎重に床に置く。音を立てることは無かった。
「こちらで最後です。」
 孝市郎の箱の横に秀然が箱を置く。
「秀然さん、重いものありがとうございました。」
「秀然様。」
 厨で洗い物などしていた女性陣が一斉に振り返る。
 秀然の秀は眉目秀麗の秀、などと言われる美青年の秀然に老いも若きも視線を向ける。
 視線を受ける秀然は、涼やかに微笑むだけだ。
「あんだよ、俺と対応が全然違うじゃねえか。」
「あんたと秀然さんとじゃ月とすっぽん。ほれ、次は水くみよろしく。」
「こき使いやがる。」
「孝市郎さん、一緒にやりましょう。」

 釣瓶から桶に水を移す。
「みよちゃん、美人ですよね。」
「そうか。」
「そうですよ、還俗できれば還俗して、などと思うことがあります。」
「本気か。和尚様が泣くぞ。第一、みよなんてあんたから見りゃ子供だろ。」
「お医者様でも草津の湯でも恋の病は治せやしない、などと言いますが。」
「おいおい。」
「ふふ、冗談です。年が離れすぎてますしね。ですが、みよちゃんが美人だというのは本気で言ってます。日は東から出でて西に沈むような事実ですから。」
「そこまで言うか。」
 さらに釣瓶で水を汲み、桶に移す。
「孝市郎さんは思わないのですか?」
「別にな、あれとは餓鬼の頃一緒に寺子屋行った仲だけど。」
 美人なのは認めるがよ。なんというか、そういう対象には見れねえ。
「姉弟子ですね。」
「なんだよそりゃ?」
「言ったではありませんか、卓玄様の弟子になったのは俺が先だと。それなら孝市郎さんと一緒に寺子屋に通っていたみよちゃんは姉弟子です。」 
「筋からいやそうだけどよ。」
 餓鬼の時分の背伸びを持ち出されてもな。
 卓玄に負けて寺子屋に通いだしてから現れた青年に、何故か対抗心を持ってしまい「おれが兄弟子だ」と宣言してしまって以来、時としてこの言葉を持ち出される。
「弟弟子としては、兄弟子と姉弟子が仲良くなって幸せになって欲しいのですよ。」
「何が弟弟子だよ。おれより一回りも年上のくせして。」
 一回りも上の青年に餓鬼の時分、精一杯突っ張ったことを思い出すと気恥しくなる。
 年長者らしく笑って見守られているとなるとなおさらだ。
「みよなんかどうでもいいさ。困っていりゃぁ助けてもやるが、それ以上はねえ。俺は道場で稽古したり、卓玄と論議してる方がおもしれえ。」
「そうですか。」
「勘違いするなよ。道場の人と一緒に木崎宿で遊んだこともあるがよ。それでもそう思うぜ。」
 この子は、まだ子供か。師と論議するのを聞いてはいると、結構なことを言うなと感心することもあるが、まだ幼い部分はあるようだ。
 桶四つに水を満たした。それぞれ両手に桶を持つ。
「それにしてもこの時期廻村してるらしいがよ、なんだってこの村に来るんだ。例幣使街道沿いの木崎宿や玉村宿の周辺を主に廻ってるんじゃないのか。例幣使が来る前に怪しい奴らを捕まえるためにやるんだろう。」
「事情はわかりませんが、来る以上応対しないわけにはいきません。」
「そうだがよ、なんだって水汲みなんかしなくちゃいけねえんだ。」
「まぁまぁ、そんなこと言わずに頑張りましょう。」
 秀然は、涼やかに笑って桶を運ぶ。この辺りが人気の秘訣か、などと思ってしまう孝市郎だった。

 みよから「お疲れさん」と言われるまで水汲みを繰り返し、孝市郎は秀然と一緒に卓玄の部屋に向かった。
 卓玄の部屋には、来客がいた。
 来客は、かなり大柄な男だった。年の頃は四十位だろうか。厚みのある体躯がどっしりと胡坐をかいて座る様は、赤城山みてえだと孝市郎は思った。
「秀然、孝市郎、こちらは儂の古い知人で穎悟さんだ。」
「お邪魔しております。穎悟と申します。」
 畳に手をついて深々と一礼してきた。
「弟子の秀然でございます。」
「孝市郎です。卓玄和尚と話をしに来ました。」
 秀然が同じように挨拶する以上考市郎もしないわけにはいかない。畳に手をついて一礼した。
「それはお邪魔でしたかな。」
「いや、頴悟さんの方が先ですし、つもる話もあるでしょうから。」
 孝市郎は立ち上がろうとした。
「いや、構わぬよ。お主らが女たちを手伝って居る間に積もる話は済ませた。お主の話を聞こうか。」
「では、『子貢政を問う……。』のくだりですけど。」
「ふむ、巻の六顔淵編、政治において大切なのは食と兵を十分に備え、人民を信用させることのくだりじゃな。」
「兵が無くすのはわかるんですけど、どうしても食を無くすのがどうしても納得できなくて。最後なんて絶対人間は死ぬんだから食をなくそうってどうしても納得できなくて。」
 熱くなって拳を振り上げ、床を叩く。
「孝市郎、落ち着け。これは国の政治に関してじゃからな。信用が無いと仮定してじゃが、その状態でお上が食料はどこにも無いと言ったとしよう。」
「はい。」
「じゃが、信用がないから人々は信じず、どこかに食料を隠していると考える。結果どうなると思う。」
「一揆でしょうか。」
「さようじゃ、どうせ死ぬなら暴動でも、と思うかもしれぬ。じゃがお上に信用があれば暴動で死ぬことは無く、少ない食料でも分かち合って生きることもできよう。」
「少ない食料を分かち合ってですか。」
「理想論じゃがな。儂がお前くらいの年の頃大飢饉でな。草は言うに及ばず、木の根なども食った。そうやって今の儂がある。」
「和尚様も飢えに苦しまれたのですか。」
「あぁ、じゃがなもっと苦しかったのは、人が人を信じられなくなることじゃ。動く元気があるのは飯を食っているから、と決めつけられ襲われた者もおる。無論、そのようなことは無く誤解じゃったのだがな。」
「信があれば避けられたことなのですね。」
「うむ、お上と民百姓もじゃが、人と人の間の信用も含めて信の大事を孔子は説かれたのじゃと儂は思う。」
「はい。」
 それからも孝市郎と卓玄の論争は続いた。

 孝市郎と卓玄が論争している間に日は暮れていた。
「つい、話し込んでしもうたな。」
「すいません。お暇させて頂きます。」
「いや、お主と話すと楽しくてつい時間を忘れてしまう。」
「失礼いたします。」
「気を付けてな。ああ、そうそうお主の母から頼まれておった。」
「なんでしょう?」
「喧嘩をしてくれるな。相手に非があってもな。」
「……そう言われても、茂三みたいな奴、殴り合わなきゃどうしようもないですよ。」
「そうじゃが、そこを言い聞かせてみよ、よいな。」
「努力してみます。」
 孝市郎は一礼して部屋を出た。
「山門まで送って参ります。」
 秀然も立ち上がって後に続く。
 秀然が部屋に出てから襖を閉めた。
 部屋には、卓玄と頴悟が残された。
「栄五郎、いかに見た。」
「色々と言ってやりたいことはありますが、俺が預かるほど子ですかね。もっと乱暴で俺は最強の男なんて馬鹿言ってるような奴を想像してましたが。」
 頴悟と名乗り卓玄が栄五郎と呼んだ大男が返事をする。
「確かに普段は大人しくなった。じゃがまだまだ。さっきのように、かっとなると何をしでかすかわからぬ。普段、いい子にしているだけにたちが悪くなったかもしれぬ。」
 さっき拳を振り上げたあたりのことか。栄五郎はそう思った。
「その辺りを躾てくれ、ということですか?喧嘩しないようにって。」
「頼む、教え込む際、取っ組み合うこともあるやもしれぬ。儂も歳じゃ。若い考市郎には敵わぬ。」
「俺も歳だが、要吉兄貴が世話になったあんたの頼みだ。必要と思えば引き受けよう。」
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