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後編

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「高杉さんっ!!」

 山県は、慌てて止めに入る。

 いくら何でも和議の使者を殺させる訳にはいかない。
 そんなことをすれば、今後長州藩は交渉に当たり、不信の重荷を背負うことになる。

「うるせぇっ、この野郎、ふざけたことぬかしやがって。殺さねえと気が済まねえっ!!」

 ダメだ、完全に怒り狂ってる。

 何故?

 嫡子を人質にとれなかったが、小倉藩全領土を得られるならば、小倉藩小笠原家を屈服させたのとほぼ同じだ。
 何が不満なのだろう。

「まずいですってば、和議を乞いに来た使者を殺しちゃ。」
「うるせえっ、何が和議だ。この野郎、人の足元見透かしやがって。」

 足元を見透かす?
 高杉さん、何を言ってるんだ?

 山県と一緒に高杉を押さえながら、伊藤の頭から、疑問が離れなかった。

「とにかく、銃を仕舞って下さい。暴発したら危ないですって。」
「うるせえっ、邪魔すんじゃねえ。」
「駄目ですってばっ!」

 二人は必死に高杉を抑えにかかる。
 
 若い二人と、死病に侵された高杉。
 取っ組み合いの結果は、当然のごとく高杉の敗北であった。

「とにかく落ち着いて下さい。」
 スミス&ウェッソンを取り上げた山県が、声をかける。
「落ち着けぇ?てめえらこそ落ち着きやがれっ!」

 荒い息をつきながら、高杉が怒鳴る。

「こ、この、これだから……ゴホッゴホッ!」
「高杉さん!」

 血を吐いた高杉に、伊藤が懐紙を差し出す。
 高杉は、素直に懐紙を受け取り、口元を拭った。

「この……浮かれやがって、バカどもが……。」

 おちおち死ねねえ。

 本当にこいつら、島村の言葉の真意がわかってねえ。

 二人に冷たい一瞥をくれて、高杉は島村の方に向き直った。

「すまねえな、見苦しいところお見せした。本当にこいつら、バカで困る。」

 バカと言われた二人の顔が歪む。
 どうして、バカと言われねばならないのか。
 そう考えていることが、高杉には手に取るようにわかった。

「して、ご回答は。」

 今までの騒動を完璧に無視して、島村は問いかける。

 この野郎。

 怒りと敵への賞賛が高杉の胸の内に共存し始めていた。

 殺されかかったってのに、眉一つ動かしやがらねえ。
 肝が据わってやがる。
 豪胆な男だって噂だが、事実のようだ。

 おもしれえ。

「企救丘郡(現在の北九州市門司区・小倉北区・小倉南区・苅田町の全域、八幡東区の一部、行橋市の一部)をもらう。」
「全領土を献じると申しましたが。」
「貰うと思っているのかい?」

 高杉と島村の視線が絡み合う。


「企救丘郡は、小倉藩領の中で最も豊かな地だ。十分だろうよ。」
「欲がございませんな。いかがでござろうか、お二方。」

 突然、島村に話を振られた山県と伊藤は、動揺する。

 全領土もらうべき、と思っているが、高杉ににらまれるのも怖い。

 沈黙する二人の代わりに高杉が口を開いた。

「全くこいつらときたら。欲の皮つっぱらせやがって。これだから……ゴホッゴホッ!」

 高杉はせき込んだ。

「大丈夫でござるか?」
「労咳だ。正直、死にてえと思うくらいツレえ時がある。」
「精のつくものを食べて養生されては。」
「してえんだが、今やったら、こいつらみてえに目先のエサにほいほい食いつくバカが藩政を司る。」

 バカバカ言われた二人が、怒りに顔を歪ませる。

「おーおー、いっちょ前に怒ってんな。」
「高杉さん、バカバカってあんまりです。」
「そうです、全領土を献じるっていうのに、一郡だけですませるなんて。」
「ほーお、全領土を受け取れってか。そうなったらどうなると思ってんだ、ああ。」

 どうなるって。

 二人は、顔を見合わせる。

「どーせ、お前らのこった。藩領が増えるから軍功に応じて加増があると思ってるんだろう。それは否定せんがな、政治ってもんを考えろ。」
「小倉藩で長州藩への一揆が起こるとか。」
「そんな小倉藩領だけの話をしてるんじゃねえっ!日ノ本全体の話だ……ゴホッゴホッ。」

 怒鳴りかけて、せき込む。

「高杉さん、落ち着いて。」
「落ち着いてられるか、バカどもが。いいか今回の戦、世論は俺達長州藩に同情的だった。大藩といえど所詮日ノ本の一部。それが幕府や他藩の連合軍とやりあおうってんだから、世論は俺達に同情していた。だが、世論ってのは変わりやすい。もし小倉藩領全土を受け取ったらどうなると思う。」
「えっと……。」

 答えが即座に出ず、山県は伊藤と顔を見合わせる。

「世論は、欲の皮のつっぱった長州藩を軽蔑するだろうよ。所詮、領土が欲しいだけか、とな。俺達は防衛戦争を戦ったんだ。間違えても侵略してんじゃねえ。今回企救丘郡をもらうのも、勝利の形として、だ。」
「勝利の形として、でござるか。」
「長州藩預かりの地、ということにする。藩主父子の罪が解かれるまではな。」

 禁門の変の罪が赦免されるまで、ということである。

「高杉さん、寛大にすぎませんか?」
「そうです、奇兵隊の連中だって、文句言うと思いますよ。」
「それを押さえんのがお前らの仕事……ゴホッゴホッ。」

 せき込んで、話が中断する。

「いいか。もし全領土を得たら、小倉藩士は各地に流れる。そこで俺達の悪口を言って回るのさ。所詮、何を言ったところで欲の深い連中。所領、金、栄爵なんかで簡単に転ぶ連中だとな。そう言われて楽しいか?」
「い、いや。」
「苦労することになるぞ。何を言っても所詮利益で転ぶ手合いと見なされるのはな。高邁な理想、名分を掲げても、信じてもらえず苦労することになる。」

 二人とも高杉の考えを理解して黙った。
 
 高杉は、全領土を得ることで、長州藩が利益で動く藩と見なされるのを恐れたのだ。
 それは、今後荒れ狂う政変の中で、確かに不利益しかもたらさないであろう。

 本音と建前というものが世の中にはあるのだ。
 理想は建前、本音は利益、と思われれば、今後の政治交渉などで疑われること間違いない。
 
「この野郎。こっちがそう考えるであろうことを見越して、『全領土を献ずる』なんて言ったのさ。ある意味、この和議の交渉の中で逆襲してきたのよ。」

 伊藤と山県の視線が、島村に注がれる。
 平然としている島村に、してやったり、といったような雰囲気は無い。

「全領土を献ずるのを断った口で、嫡子を人質に寄越せ、たぁ言えねえ。企救丘郡一つですますしかなくなっちまったぜ。」

 想像を越えた、島村の出した条件の効果に、山県と伊藤は慄然とする。



 島村は、見事に主家の独立と藩の存続を勝ち取ったのだ。



 たった一つの条件で。


「逆襲、というほどのことではござらん。手前程度が考える程度のこと、長州藩のどなたでも気が付き、対応されるでござろう。」
「どなたでも、じゃねえ。この二人は考え付かなかった。下手すりゃ全領土受け取ってるぜ。」

 さすがに二人とも赤面してしまう。
 島村のしかけた罠に危うく乗るところだったことに納得したのだ。

「ま、この二人が納得した。他の連中も納得すんだろうよ。仔細は後ほどつめるとしよう。」
「和議は成立でござるな。」
「おう……ゴホッゴホッ。」

 またも高杉は、吐血した。

「大丈夫でござるか?」
 島村が近寄り、懐紙を差し出す。
「すまねえな、見苦しいところ見せちまった。」
 そう言いながら懐紙で口を拭う。
「和議は成った。」
 ちゃんと言わねえと安心できまい。
 高杉なりの気遣いであった。
「左様でござるか。これで手前も肩の荷が下り申した。」

 そう言って島村は、平伏する。

「やれやれ、勝った側が平伏してやがる。」

 高杉は、苦笑いせずにはいられない。

 戦争が政治の延長であるならば、戦争で何を達成しえたか、何を獲得したかが勝敗を決める。
 長州藩は、数々の戦闘で勝ち、小倉藩を滅亡寸前まで追い込んでいたはずであった。
 後一息で小倉藩を屈服させられるところであったはずが、思わぬ逆襲を受け、最低限のところで妥協せざるを得なくなった。


 島村志津摩、見事と言わざるを得ねえな。


 立ち上がり辞去する島村の背に、高杉は感嘆の視線を送らずにいられなかった。
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