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35.目覚めてみれば、まさかのルートに突入していた件。
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フッと意識が急浮上する。
それまでのたゆたうような、フワフワとした感覚から一転して、すべての知覚のもとがからだのなかにきちんと収まっているような感覚に、これは現実なのだと知る。
───いったいどこなんだ、ここは?
ぼんやりと目に映る景色が急に焦点を結び、はっきりとした画像となる。
まず視界に飛び込んできたのは、アンティーク調の品のいい調度品でまとめられた室内に、立派なシャンデリアがつり下がる天井だった。
続いて感じるのは、クイーンサイズのやわらかく包み込まれるようなベッドの使用感だ。
何時間でも寝ていられるような快適さは、その室内の雰囲気とあいまって、ここも鷹矢凪家に負けないくらいの名家か、さもなくばホテルのスイートルームかといったところなのを感じさせる。
「………どういうことだ……?」
その知覚のおかげで自分は今、眠りから目が覚めたのだということはわかったものの、それに至るまでの経緯がつながらなかった。
だって最後に残る記憶は、酒匂先生行きつけの料亭で、白幡から絞め落としの技を食らったところまでしかない。
しかもそのあと、白くてフワフワとしたふしぎな空間で目覚めかけて、このまま殺されてバッドエンドになるなんて冗談じゃないって、そう思ったところで今度こそしっかりと目が覚めたわけだ。
ならここは、死後の世界なんかじゃない。
ちゃんとした現実だ。
あれから、どれくらいの時間が経ったんだろう?
本来の絞め落としの技だけなら、ほんの一瞬程度しか意識を刈り取ることなんてできないはずなのに、体感的にはまるで一晩ゆっくりと眠ったあとみたいにスッキリしていた。
───あぁそうだ、からだは問題ない。
なんなら心地よい眠りから覚めたあとのように、倦怠感もなく、それどころか空腹すら感じられるくらいに元気になっている。
いったいどういうことなんだろうか、これは……?
あらためて目を閉じて、己の体調の変化を感じとろうとしてみたところで、具合の悪いところはどこにもなくて。
本当に、久しぶりにゆっくりと休めたみたいになっていた。
「とりあえず起きなければ……」
なんにしても、会社への出勤もしなくてはならない。
そう思って身を起こそうとしたとき、ふいに大いなる違和感に襲われる。
「は??」
思わず間のぬけた声が出た。
いや、だって、これは……。
ジャラッ
無情な音を立てるのは、鈍色の鎖だ。
それは己の右手首に付けられた手枷と、そこからのびる鎖の立てる音だった。
えぇっと……ちょっと待て、これはなんだ??
恐るおそる触れたそれは、ひんやりとして重く、プラスチック製のおもちゃなんかではなく本物であると信じるには十分で。
視線でたどった先には、この立派なベッドの脚に同じような枷で取りつけられている。
もちろんこのベッドを持ち上げられれば枷をはずすことはできるかもしれないが、人ひとりの力でどうにかできるような重量ではなさそうだった。
───つまりこれは、『何らかの意図をもって、俺をここに閉じ込めようとしているものがいる』ということなんだろう。
でも……なんだろう、この心がざわつく感覚は。
こんな目に遭うのなんてはじめてのはずなのに、なぜか知っているような気がする。
ドクドクと音を立てて、心臓が早鐘を打ち鳴らしてくる。
それを知りたいと思う気持ちとおなじくらい、知りたくないと恐怖を叫び出してしまいそうだった。
それをこらえようと、かろうじて自由になる手で必死に口をふさぐ。
だって、こんなふうに───手枷の金属で怪我をしないようにと気づかうように、手首にタオルを巻いてあるなんて。
まるでこれじゃ、本編の白幡ルートのバッドエンド、冬也による監禁ルートみたいじゃないか!
なんで、俺がこんな目に?!
いったいだれが、どうして───!!?
そのときだ。
ガチャリと音がして、部屋の扉が開く。
「お目覚めですか、兄様!」
そこから顔を出したのは、まさかの人物だった。
「な、夏希……っ!?」
「はい、兄様!思ったよりもお元気そうで、よかったです!」
タッと駆け出してきた夏希は、そのままベッドのなかで身を起こした状態の俺のもとへと飛びつくように抱きついてくる。
「っ、どういうことだ……?」
どうして、ここに夏希がいるんだろうか?
だって夏希は白幡とともに、俺を捨てて出ていったはずじゃないか!
わざわざ保護をしたくせに、面倒を見ることもせず、己の秘書に丸投げするような俺に嫌気がさして……。
そう思った瞬間、きゅっと胸が痛みを訴えてくる。
あの日、連れ立って我が家の門を出ていくふたりの後ろ姿を見送ったときの悲しみが、どっと押し寄せてきて、なんなら吐き気までもが込み上げてきそうだった。
「『どういうこと』って?」
なのに夏希は、何を言われているかわからないとばかりに首をかしげる。
その姿からは、本当にわかっていないようにしか見えなくて、わけがわからなくなってくる。
「いや……まず、ここはどこなんだ?それに、どうしてこんなものをつけられなきゃいけないんだ?!」
右腕を動かすだけで、ジャラリと重たい鎖が音を立てる。
「『どうして』って、だってそれがなかったら、兄様はここから出ていってしまうでしょ?」
それはまるで、悪意なんてどこにもないみたいに、無垢なる瞳のままにまっすぐこちらを見つめてくる。
その違和感がひどすぎて、めまいがしそうだった。
「あたりまえだ、俺には守るべき会社もあれば、そこで働く大事な社員たちだっているんだ!連絡もなしに休めるわけがない!」
そんなのは社会人としての常識だし、なによりそんなことをしたら、きっと今度こそ山下は半狂乱になって俺を探しまわることだろう。
───山下のことを憎からず思うからこそ、そんなふうに心配なんてかけたくなかった。
だから帰らなくてはいけないのだ、と告げようとする俺に、しかし夏希はゆるやかに首をふる。
「ダメです、だって兄様は美しいから。外には兄様を狙う危険な狼だって、ごまんといるんですよ?今の弱った兄様なんて、弱みにつけこまれて、すぐに餌食にされてしまいます!だから今度は僕があなたを守るんだ!」
「冗談、だろう……?」
まっすぐにこちらの目を見て話す夏希の姿は、見なれた弟のようでいて、どこかちがう。
夏希が言わんとしているのは、己を主役に据えたスピンオフ作品に突入してしまったであろう俺が、今置かれている状況の危険さについてだろう。
会社のメインバンクと大口顧客たちの破産手続き開始の影響で、グループ会社の資金繰りが悪化してしまっていることで迎える凋落エンドの気配を察知し、心配しているといったところだ。
それに加えて、夏希が主役の本編ゲームのシナリオのほうで、彼が保護されたときのことを思い出して、今度はその恩返しをするのだという、そんな主張なのだろう。
さっと表面をなぞっただけならば、筋がとおっているようにも聞こえるかもしれない。
だけどこれは、大前提からしておかしい気がする。
なにせこの世界の夏希は、白幡ルートのハッピーエンドを迎えているはずなんだ。
ならば夏希にせよ白幡にせよ、冬也には愛想を尽かして出ていったのだから、今さら恩返しもなにもないと思う。
「───僕を育ててくれた母が死に、天涯孤独の身になったとき、僕は絶望の淵に立たされていました。大学もろくに出ていなくて、仕事と言っても安い時給で働くバイト漬けの毎日……」
夏希は俺に抱きついたまま、己の半生を語る。
それはもちろん、知っていた。
元々スタッフとして制作に携わったゲームのストーリーだ、それくらいは当然わかる。
それにこの世界で生きてきた冬也にしたって、己の双子の弟が生きていると知って、あわててその行方を調べさせたんだ。
もちろん、わかっているだろう。
大学を中退した夏希は、ありとあらゆるバイトをかけ持ちしているなかで、様々な攻略対象に出会っていく。
それが本編ゲームのあらすじだった。
「そんななかで、職場の先輩にだまされて多額の借金を押しつけられた僕が、オークションにかけられそうになったとき、助けてくれたのが兄様だったよね?」
「あぁ、それがどうした?」
いわゆるBL的お約束展開の、『闇オークション』というやつだ。
なんとなく不穏さをはらむ単語が出てきたことで、背すじに冷たいものが走る。
いや、そんな、まさか。
否定をしたくとも、己の背後にぴったりと張りつくような、バッドエンドに向けた進行の気配を感じる。
あらためて夏希が主役の本編とはちがう、ハードモードすぎるこのスピンオフ作品の主役に据えられてしまったらしい、我が身の不幸を呪うしかなかった。
それまでのたゆたうような、フワフワとした感覚から一転して、すべての知覚のもとがからだのなかにきちんと収まっているような感覚に、これは現実なのだと知る。
───いったいどこなんだ、ここは?
ぼんやりと目に映る景色が急に焦点を結び、はっきりとした画像となる。
まず視界に飛び込んできたのは、アンティーク調の品のいい調度品でまとめられた室内に、立派なシャンデリアがつり下がる天井だった。
続いて感じるのは、クイーンサイズのやわらかく包み込まれるようなベッドの使用感だ。
何時間でも寝ていられるような快適さは、その室内の雰囲気とあいまって、ここも鷹矢凪家に負けないくらいの名家か、さもなくばホテルのスイートルームかといったところなのを感じさせる。
「………どういうことだ……?」
その知覚のおかげで自分は今、眠りから目が覚めたのだということはわかったものの、それに至るまでの経緯がつながらなかった。
だって最後に残る記憶は、酒匂先生行きつけの料亭で、白幡から絞め落としの技を食らったところまでしかない。
しかもそのあと、白くてフワフワとしたふしぎな空間で目覚めかけて、このまま殺されてバッドエンドになるなんて冗談じゃないって、そう思ったところで今度こそしっかりと目が覚めたわけだ。
ならここは、死後の世界なんかじゃない。
ちゃんとした現実だ。
あれから、どれくらいの時間が経ったんだろう?
本来の絞め落としの技だけなら、ほんの一瞬程度しか意識を刈り取ることなんてできないはずなのに、体感的にはまるで一晩ゆっくりと眠ったあとみたいにスッキリしていた。
───あぁそうだ、からだは問題ない。
なんなら心地よい眠りから覚めたあとのように、倦怠感もなく、それどころか空腹すら感じられるくらいに元気になっている。
いったいどういうことなんだろうか、これは……?
あらためて目を閉じて、己の体調の変化を感じとろうとしてみたところで、具合の悪いところはどこにもなくて。
本当に、久しぶりにゆっくりと休めたみたいになっていた。
「とりあえず起きなければ……」
なんにしても、会社への出勤もしなくてはならない。
そう思って身を起こそうとしたとき、ふいに大いなる違和感に襲われる。
「は??」
思わず間のぬけた声が出た。
いや、だって、これは……。
ジャラッ
無情な音を立てるのは、鈍色の鎖だ。
それは己の右手首に付けられた手枷と、そこからのびる鎖の立てる音だった。
えぇっと……ちょっと待て、これはなんだ??
恐るおそる触れたそれは、ひんやりとして重く、プラスチック製のおもちゃなんかではなく本物であると信じるには十分で。
視線でたどった先には、この立派なベッドの脚に同じような枷で取りつけられている。
もちろんこのベッドを持ち上げられれば枷をはずすことはできるかもしれないが、人ひとりの力でどうにかできるような重量ではなさそうだった。
───つまりこれは、『何らかの意図をもって、俺をここに閉じ込めようとしているものがいる』ということなんだろう。
でも……なんだろう、この心がざわつく感覚は。
こんな目に遭うのなんてはじめてのはずなのに、なぜか知っているような気がする。
ドクドクと音を立てて、心臓が早鐘を打ち鳴らしてくる。
それを知りたいと思う気持ちとおなじくらい、知りたくないと恐怖を叫び出してしまいそうだった。
それをこらえようと、かろうじて自由になる手で必死に口をふさぐ。
だって、こんなふうに───手枷の金属で怪我をしないようにと気づかうように、手首にタオルを巻いてあるなんて。
まるでこれじゃ、本編の白幡ルートのバッドエンド、冬也による監禁ルートみたいじゃないか!
なんで、俺がこんな目に?!
いったいだれが、どうして───!!?
そのときだ。
ガチャリと音がして、部屋の扉が開く。
「お目覚めですか、兄様!」
そこから顔を出したのは、まさかの人物だった。
「な、夏希……っ!?」
「はい、兄様!思ったよりもお元気そうで、よかったです!」
タッと駆け出してきた夏希は、そのままベッドのなかで身を起こした状態の俺のもとへと飛びつくように抱きついてくる。
「っ、どういうことだ……?」
どうして、ここに夏希がいるんだろうか?
だって夏希は白幡とともに、俺を捨てて出ていったはずじゃないか!
わざわざ保護をしたくせに、面倒を見ることもせず、己の秘書に丸投げするような俺に嫌気がさして……。
そう思った瞬間、きゅっと胸が痛みを訴えてくる。
あの日、連れ立って我が家の門を出ていくふたりの後ろ姿を見送ったときの悲しみが、どっと押し寄せてきて、なんなら吐き気までもが込み上げてきそうだった。
「『どういうこと』って?」
なのに夏希は、何を言われているかわからないとばかりに首をかしげる。
その姿からは、本当にわかっていないようにしか見えなくて、わけがわからなくなってくる。
「いや……まず、ここはどこなんだ?それに、どうしてこんなものをつけられなきゃいけないんだ?!」
右腕を動かすだけで、ジャラリと重たい鎖が音を立てる。
「『どうして』って、だってそれがなかったら、兄様はここから出ていってしまうでしょ?」
それはまるで、悪意なんてどこにもないみたいに、無垢なる瞳のままにまっすぐこちらを見つめてくる。
その違和感がひどすぎて、めまいがしそうだった。
「あたりまえだ、俺には守るべき会社もあれば、そこで働く大事な社員たちだっているんだ!連絡もなしに休めるわけがない!」
そんなのは社会人としての常識だし、なによりそんなことをしたら、きっと今度こそ山下は半狂乱になって俺を探しまわることだろう。
───山下のことを憎からず思うからこそ、そんなふうに心配なんてかけたくなかった。
だから帰らなくてはいけないのだ、と告げようとする俺に、しかし夏希はゆるやかに首をふる。
「ダメです、だって兄様は美しいから。外には兄様を狙う危険な狼だって、ごまんといるんですよ?今の弱った兄様なんて、弱みにつけこまれて、すぐに餌食にされてしまいます!だから今度は僕があなたを守るんだ!」
「冗談、だろう……?」
まっすぐにこちらの目を見て話す夏希の姿は、見なれた弟のようでいて、どこかちがう。
夏希が言わんとしているのは、己を主役に据えたスピンオフ作品に突入してしまったであろう俺が、今置かれている状況の危険さについてだろう。
会社のメインバンクと大口顧客たちの破産手続き開始の影響で、グループ会社の資金繰りが悪化してしまっていることで迎える凋落エンドの気配を察知し、心配しているといったところだ。
それに加えて、夏希が主役の本編ゲームのシナリオのほうで、彼が保護されたときのことを思い出して、今度はその恩返しをするのだという、そんな主張なのだろう。
さっと表面をなぞっただけならば、筋がとおっているようにも聞こえるかもしれない。
だけどこれは、大前提からしておかしい気がする。
なにせこの世界の夏希は、白幡ルートのハッピーエンドを迎えているはずなんだ。
ならば夏希にせよ白幡にせよ、冬也には愛想を尽かして出ていったのだから、今さら恩返しもなにもないと思う。
「───僕を育ててくれた母が死に、天涯孤独の身になったとき、僕は絶望の淵に立たされていました。大学もろくに出ていなくて、仕事と言っても安い時給で働くバイト漬けの毎日……」
夏希は俺に抱きついたまま、己の半生を語る。
それはもちろん、知っていた。
元々スタッフとして制作に携わったゲームのストーリーだ、それくらいは当然わかる。
それにこの世界で生きてきた冬也にしたって、己の双子の弟が生きていると知って、あわててその行方を調べさせたんだ。
もちろん、わかっているだろう。
大学を中退した夏希は、ありとあらゆるバイトをかけ持ちしているなかで、様々な攻略対象に出会っていく。
それが本編ゲームのあらすじだった。
「そんななかで、職場の先輩にだまされて多額の借金を押しつけられた僕が、オークションにかけられそうになったとき、助けてくれたのが兄様だったよね?」
「あぁ、それがどうした?」
いわゆるBL的お約束展開の、『闇オークション』というやつだ。
なんとなく不穏さをはらむ単語が出てきたことで、背すじに冷たいものが走る。
いや、そんな、まさか。
否定をしたくとも、己の背後にぴったりと張りつくような、バッドエンドに向けた進行の気配を感じる。
あらためて夏希が主役の本編とはちがう、ハードモードすぎるこのスピンオフ作品の主役に据えられてしまったらしい、我が身の不幸を呪うしかなかった。
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