26 / 55
26.強制イベント突入の気配が濃厚な件。
しおりを挟む
他愛のない話のふりをして、さりげなくおたがいの持つ情報を交換する。
議員にしろ大企業の社長にしろ、表だって口にできないけれど有益な情報なんて、いくらでも入ってくるわけで。
それは使いようによっては、経済を大きく動かすもととなり得る。
無論、はかりしれないほどの価値がある、大事な情報だ。
鷹矢凪冬也にとってのそれは、まだ学生にすぎないときから似たような場に連れられて同席し、学んできたことだった。
いわば日常のなかの、ほんのひとかけらにすぎない。
「さて、せっかくだから、たまには飯でもいっしょにどうだ?」
ひとしきり話をして、いつものように事務所を辞そうとしたところで、酒匂先生のほうから声をかけられた。
「えぇ、よろこんで。酒匂先生とごいっしょするのは、久しぶりですね」
ここの事務所からは、車で10分とかからない場所に、酒匂先生の行きつけの料亭がある。
議員と社長と料亭。
まぁ、いかにもな組み合わせだ。
実際にそこで話し合われた事柄で、国が大きく動くこともあるのだから恐ろしい。
「さて、それじゃ行こうか」
「はい」
秘書からコートを着せてもらった酒匂先生が部屋を出ていくのにつづいて出ようとしたところで、部屋の外にさっきコーヒーを運んできてくれた女性の秘書が立っていることに気づいた。
「あ……」
「どうぞお気をつけて」
とっさに、なにか声をかけなければいけないような気持ちになる。
けれど相手は笑みをうかべると、そのまま会釈で見送られた。
彼女は秘書として、あたりまえのことをしているにすぎない。
だから本来なら、このまま酒匂先生のあとをついて退室すればいいだけだ。
おそらくこれまでの冬也だったなら、彼女の存在にすら気を配らなかったにちがいない。
こちらはこの事務所の主の客という立場で来た以上、彼女はもてなす側で、俺がもてなされる側なのは確かだけど。
でも、感謝をしなくていいわけじゃないだろ?
もちろんさっき飲んだときに、酒匂先生にはおいしかったと告げたけれど。
でも、もし彼女があのコーヒーを淹れてくれた人ならば、あらためてお礼を言いたかった。
一瞬ためらいそうになり、けれど変わらなきゃという気持ちも湧いてきて。
「あぁ、君!さっきのコーヒー、とてもおいしかったよ。とても……懐かしくて落ちついて……大好きな味だった、ありがとう」
気がつけば、うっすらと笑みを浮かべて、そんなことを口にしていた。
ひょっとしたら、原作ゲームの冬也なら言わないセリフだったかもしれない。
だって、たかがコーヒーだ。
でもさっき飲んだときに感じた衝撃と、そしてホッと肩の力が抜けるような安らぎをおぼえたのを、ちゃんと伝えたかった
「っ!あ、ありがとうございます!そのお言葉、淹れたものにも、しっかりと責任もってお伝えしておきます!!」
その瞬間、ピクリとからだをはねさせた彼女は一度顔をあげると、あらためていきおいよくお辞儀をする。
今度は最上級の、直角に腰を曲げてのお辞儀だった。
というより、耳まで真っ赤にしているのがわかる。
たったこれだけのことでも、俺にとっては大きな変化のひとつだった。
「おーい、なにしてるんだ冬也くん?早く行くぞ!」
「はい、申し訳ありません、すぐに参ります」
先を行く酒匂先生に声をかけられ、あわてて早足で玄関口へと向かう。
そこには、いつものように黒塗りの車が停められていた。
ここから料亭に向かうときは、酒匂先生の車で行くのが通例だった。
だから今回も、自分の秘書の山下には、宴席がお開きとなるころに料亭へ迎えに来るよう伝えてあった。
「久しぶりだな、あの店に君と行くのは。このところ君は忙しそうにしていたからね、少し落ちつくのを待っていたんだ」
「お気づかい痛み入ります」
乗り込んだところで、スムーズに車が発進する。
車内では、あたりさわりのない会話がつづいていた。
けれど俺にとっては、よほど先ほど事務所で受けた衝撃の余韻が残り、それどころではない気分だった。
だって、あの───白幡の淹れてくれるコーヒーとおなじ香りと味のそれ。
久しぶりに味わうと、ことさらおいしいと感じたというか、はじめて自分はあの味が大好きだったんだということに気がついたから。
でもそれは己のせいで失われ、二度と口にすることの叶わないものになってしまった。
白幡の忠誠心にあぐらをかき、その心づかいに甘えつづけてきてしまったのが、あの夏希を主役にしたBLゲーム本編のエンドなのだとしたら。
もう二度と白幡は、俺のことをゆるしてはくれないだろう。
なにしろ彼は、幼いころから鷹矢凪家に仕えるための英才教育をほどこされて育ってきた、忠誠心のかたまりのような存在だ。
その白幡が冬也を見捨てることになるなんて、これまでに相当なことが積み重なってきたからなのだと思う。
いわゆる『堪忍袋の緒が切れた』というヤツだ。
そんなになるまで、きっと何度も改善するチャンスはあったはずなのに、それをすべて棒に振ってきたなんて、自分のこととはいえ、本当に度しがたすぎる。
過去の俺は、本当にどうしようもないヤツだったんだな……。
失ってからその大切さに気づくなんて、まるでドラマかマンガのなかの話みたいだ。
そんなことを思い、一瞬、自嘲の笑みをくちびるに刷く。
そうこうしているうちに、あっという間に料亭へと到着した。
「酒匂様、お待ちしておりました。鷹矢凪様も」
艶やかな笑みをうかべ、上品な色味の着物を身にまとう女将から直々のお出迎えを受け、奥の座敷へと通される。
おたがいに着席するのを見計らって、熱いおしぼりが供され、すぐに冷たいビールとグラス、先付けの八寸が配膳された。
前世の俺なら、縁もないようなきらびやかなそれは、朱塗りの盆や器にしても色鮮やかで、そこに盛られる料理にしても、負けないくらいにきれいな彩りだった。
「さぁ、遠慮しないで食べて飲んで、今夜は旧交を温めようじゃないか」
「本当にご無沙汰してしまって、申し訳なかったです」
さりげなくチクリと毒が織りまぜられるセリフに、苦笑まじりにぺこりとあたまを下げる。
「ハハハ、君が大変なときに手を差しのべられなかったことが悔しくてね、すまない、八つ当たりだ」
「不義理をしてしまい、申し訳ないかぎりです」
そう言いながらも、相手の顔はにこにこの笑顔で、冗談なのだということがわかった。
「あぁ、そういえば今日君がここに来ると知って、会いたがっているヤツらがいてね」
相手も自分もほろ酔いになったころ、ふいにそんなセリフが相手の口から飛び出した。
「えっ……私に会いたい人、ですか?」
「あぁもう是非に、と頼まれていたんだ」
だれだろうか、そんな酒匂先生に頼み込むような人物に心当たりはない。
「前から頼まれてはいたんだが、君には有能な秘書がついていて、これまで門前払いを食らわされていたからね」
そのなかの単語に、ドキリとした。
有能な秘書───白幡のことだ。
白幡なら、たぶん俺にとって少しでも利の有る相手ならば、うまく調整して面会の時間くらいはとってくれていただろうに……。
それが門前払いをされていたなんて、どう考えても百害あって一利なしの相手ということだろ?!
嫌な予感しかしないじゃないか、それは。
背中にひんやりとしたものが走っていく。
ろくなコネもない議員か、はたまた二世議員のボンボンか?
「おい、入ってこい」
「どうも~、かなり待ちかねてしまいましたよ、酒匂御大」
「うわ、本当にいる!あの鷹矢凪冬也と仲がいいってのは、本当だったんすねぇ!」
「はいはい、こんばんは~!うっわ、噂にたがわぬ美人さんじゃん!?」
酒匂先生の声にしたがってふすまが開き、真っ赤な顔をした男たちが、ぞろぞろと入ってくる。
着ているスーツの感じからするに、それなりにセンスがよく金まわりは良さそうだが、いかんせん着ている本人たちの品性は欠如している。
とたんに、室内に彼らの呼気にふくまれるアルコールが香った。
これまでに、相当の酒量をたしなんできたのだろう。
よぎる予感は、果てしなく面倒なことになる気配しかただよってこない。
この世界がスピンオフのゲームの世界だと言うのなら、おそらくイベントがはじまったところとしか思えなかった。
議員にしろ大企業の社長にしろ、表だって口にできないけれど有益な情報なんて、いくらでも入ってくるわけで。
それは使いようによっては、経済を大きく動かすもととなり得る。
無論、はかりしれないほどの価値がある、大事な情報だ。
鷹矢凪冬也にとってのそれは、まだ学生にすぎないときから似たような場に連れられて同席し、学んできたことだった。
いわば日常のなかの、ほんのひとかけらにすぎない。
「さて、せっかくだから、たまには飯でもいっしょにどうだ?」
ひとしきり話をして、いつものように事務所を辞そうとしたところで、酒匂先生のほうから声をかけられた。
「えぇ、よろこんで。酒匂先生とごいっしょするのは、久しぶりですね」
ここの事務所からは、車で10分とかからない場所に、酒匂先生の行きつけの料亭がある。
議員と社長と料亭。
まぁ、いかにもな組み合わせだ。
実際にそこで話し合われた事柄で、国が大きく動くこともあるのだから恐ろしい。
「さて、それじゃ行こうか」
「はい」
秘書からコートを着せてもらった酒匂先生が部屋を出ていくのにつづいて出ようとしたところで、部屋の外にさっきコーヒーを運んできてくれた女性の秘書が立っていることに気づいた。
「あ……」
「どうぞお気をつけて」
とっさに、なにか声をかけなければいけないような気持ちになる。
けれど相手は笑みをうかべると、そのまま会釈で見送られた。
彼女は秘書として、あたりまえのことをしているにすぎない。
だから本来なら、このまま酒匂先生のあとをついて退室すればいいだけだ。
おそらくこれまでの冬也だったなら、彼女の存在にすら気を配らなかったにちがいない。
こちらはこの事務所の主の客という立場で来た以上、彼女はもてなす側で、俺がもてなされる側なのは確かだけど。
でも、感謝をしなくていいわけじゃないだろ?
もちろんさっき飲んだときに、酒匂先生にはおいしかったと告げたけれど。
でも、もし彼女があのコーヒーを淹れてくれた人ならば、あらためてお礼を言いたかった。
一瞬ためらいそうになり、けれど変わらなきゃという気持ちも湧いてきて。
「あぁ、君!さっきのコーヒー、とてもおいしかったよ。とても……懐かしくて落ちついて……大好きな味だった、ありがとう」
気がつけば、うっすらと笑みを浮かべて、そんなことを口にしていた。
ひょっとしたら、原作ゲームの冬也なら言わないセリフだったかもしれない。
だって、たかがコーヒーだ。
でもさっき飲んだときに感じた衝撃と、そしてホッと肩の力が抜けるような安らぎをおぼえたのを、ちゃんと伝えたかった
「っ!あ、ありがとうございます!そのお言葉、淹れたものにも、しっかりと責任もってお伝えしておきます!!」
その瞬間、ピクリとからだをはねさせた彼女は一度顔をあげると、あらためていきおいよくお辞儀をする。
今度は最上級の、直角に腰を曲げてのお辞儀だった。
というより、耳まで真っ赤にしているのがわかる。
たったこれだけのことでも、俺にとっては大きな変化のひとつだった。
「おーい、なにしてるんだ冬也くん?早く行くぞ!」
「はい、申し訳ありません、すぐに参ります」
先を行く酒匂先生に声をかけられ、あわてて早足で玄関口へと向かう。
そこには、いつものように黒塗りの車が停められていた。
ここから料亭に向かうときは、酒匂先生の車で行くのが通例だった。
だから今回も、自分の秘書の山下には、宴席がお開きとなるころに料亭へ迎えに来るよう伝えてあった。
「久しぶりだな、あの店に君と行くのは。このところ君は忙しそうにしていたからね、少し落ちつくのを待っていたんだ」
「お気づかい痛み入ります」
乗り込んだところで、スムーズに車が発進する。
車内では、あたりさわりのない会話がつづいていた。
けれど俺にとっては、よほど先ほど事務所で受けた衝撃の余韻が残り、それどころではない気分だった。
だって、あの───白幡の淹れてくれるコーヒーとおなじ香りと味のそれ。
久しぶりに味わうと、ことさらおいしいと感じたというか、はじめて自分はあの味が大好きだったんだということに気がついたから。
でもそれは己のせいで失われ、二度と口にすることの叶わないものになってしまった。
白幡の忠誠心にあぐらをかき、その心づかいに甘えつづけてきてしまったのが、あの夏希を主役にしたBLゲーム本編のエンドなのだとしたら。
もう二度と白幡は、俺のことをゆるしてはくれないだろう。
なにしろ彼は、幼いころから鷹矢凪家に仕えるための英才教育をほどこされて育ってきた、忠誠心のかたまりのような存在だ。
その白幡が冬也を見捨てることになるなんて、これまでに相当なことが積み重なってきたからなのだと思う。
いわゆる『堪忍袋の緒が切れた』というヤツだ。
そんなになるまで、きっと何度も改善するチャンスはあったはずなのに、それをすべて棒に振ってきたなんて、自分のこととはいえ、本当に度しがたすぎる。
過去の俺は、本当にどうしようもないヤツだったんだな……。
失ってからその大切さに気づくなんて、まるでドラマかマンガのなかの話みたいだ。
そんなことを思い、一瞬、自嘲の笑みをくちびるに刷く。
そうこうしているうちに、あっという間に料亭へと到着した。
「酒匂様、お待ちしておりました。鷹矢凪様も」
艶やかな笑みをうかべ、上品な色味の着物を身にまとう女将から直々のお出迎えを受け、奥の座敷へと通される。
おたがいに着席するのを見計らって、熱いおしぼりが供され、すぐに冷たいビールとグラス、先付けの八寸が配膳された。
前世の俺なら、縁もないようなきらびやかなそれは、朱塗りの盆や器にしても色鮮やかで、そこに盛られる料理にしても、負けないくらいにきれいな彩りだった。
「さぁ、遠慮しないで食べて飲んで、今夜は旧交を温めようじゃないか」
「本当にご無沙汰してしまって、申し訳なかったです」
さりげなくチクリと毒が織りまぜられるセリフに、苦笑まじりにぺこりとあたまを下げる。
「ハハハ、君が大変なときに手を差しのべられなかったことが悔しくてね、すまない、八つ当たりだ」
「不義理をしてしまい、申し訳ないかぎりです」
そう言いながらも、相手の顔はにこにこの笑顔で、冗談なのだということがわかった。
「あぁ、そういえば今日君がここに来ると知って、会いたがっているヤツらがいてね」
相手も自分もほろ酔いになったころ、ふいにそんなセリフが相手の口から飛び出した。
「えっ……私に会いたい人、ですか?」
「あぁもう是非に、と頼まれていたんだ」
だれだろうか、そんな酒匂先生に頼み込むような人物に心当たりはない。
「前から頼まれてはいたんだが、君には有能な秘書がついていて、これまで門前払いを食らわされていたからね」
そのなかの単語に、ドキリとした。
有能な秘書───白幡のことだ。
白幡なら、たぶん俺にとって少しでも利の有る相手ならば、うまく調整して面会の時間くらいはとってくれていただろうに……。
それが門前払いをされていたなんて、どう考えても百害あって一利なしの相手ということだろ?!
嫌な予感しかしないじゃないか、それは。
背中にひんやりとしたものが走っていく。
ろくなコネもない議員か、はたまた二世議員のボンボンか?
「おい、入ってこい」
「どうも~、かなり待ちかねてしまいましたよ、酒匂御大」
「うわ、本当にいる!あの鷹矢凪冬也と仲がいいってのは、本当だったんすねぇ!」
「はいはい、こんばんは~!うっわ、噂にたがわぬ美人さんじゃん!?」
酒匂先生の声にしたがってふすまが開き、真っ赤な顔をした男たちが、ぞろぞろと入ってくる。
着ているスーツの感じからするに、それなりにセンスがよく金まわりは良さそうだが、いかんせん着ている本人たちの品性は欠如している。
とたんに、室内に彼らの呼気にふくまれるアルコールが香った。
これまでに、相当の酒量をたしなんできたのだろう。
よぎる予感は、果てしなく面倒なことになる気配しかただよってこない。
この世界がスピンオフのゲームの世界だと言うのなら、おそらくイベントがはじまったところとしか思えなかった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
749
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる