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14.明け方の疲れた脳は油断する件。
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気がつけば、だいぶ話し込んでしまっていたらしい。
空が白みはじめていた。
「あぁ、もうこんな時間か……さすがに君の本来の仕事に支障が出てしまうな。自宅まで送らせるよ」
「いえ、そういうわけにもいかないですから、タクシーでも拾いますよ」
たぶん、この時間でも流しのタクシーが拾えるくらいの大通りも近いことだし、大丈夫だろう。
そう言って立ち上がると、差し出された己のジャケットを受け取り、その内ポケットに入れていたスマホを取り出した。
と、そこで大量のショートメールが来ていることに気がついた。
差出人は……。
「山下……?」
「ん?なにか緊急事態でも起きたのかい?」
いぶかしげにつぶやいた俺の声に反応して、鷲見社長が首をかしげる。
「あ、いえ、秘書からの連絡が入っていたものですから……」
そうこたえながらも読みすすめていけば、いずれもこちらの身を案じる内容ばかりだった。
そして夜中だろうと朝だろうと、仕事あがりには迎えにいくから連絡がほしいと書いてある。
「どうやら足の心配は必要なさそうです。私の秘書が迎えに来てくれるようですから」
さっと操作して山下に今終わった旨を知らせれば、即返信が来た。
本当に、寝ずに待機していたらしい。
「そうなのか?ならいいんだが、迎えが来るまではここにいるといい。下手に外に出して、誘拐でもされたら大変だからな」
「……それはさすがに心配しすぎでは?」
「さっきも言ったが、今の君は隙だらけで、私が心配なんだ」
「まぁ、そうおっしゃるのなら……」
山下を待つ間に、社長室内にある鏡を借りてサッと身だしなみをととのえる。
髪型は問題ないし、泣いたあとの目もとは、おそらく徹夜明けゆえの目の腫れぼったさだと、ごまかせるくらいだ。
シャツのヨレ具合はちょっと気になる気もするが、まぁ大丈夫だとして。
問題はネクタイだった。
手首を縛るのに使われたせいで、妙なところにシワができてしまっていた。
ひょっとしたら、手首がすれてにじんだ血もついているかもしれない。
でも、はずしたままだと、首もとが大きくあいてしまって、あのとき鷲見社長につけられた紅い痕が見えてしまいそうだった。
困ったな、どうしたものか……。
替えのネクタイは、今日にかぎって会社に置いてきてしまっていた。
幸いなのは、首を絞められたときについた赤い手形は、もう消えていることだろうか。
あれが残ってしまっていたら、さすがにおたがいにシャレにならなかったというか、まちがいなく通報事案になっていたと思う。
「これ、よかったら使ってくれ。君のカラーとなるべく似た色を選んだつもりだが、ここにあるストックだとかぎりがあってだな……」
差し出されたのは、いつも俺が好んでつけているシルバーグレーに比較的似た色味のネクタイだった。
シルクの上品な光沢は、それなりの品であることがうかがえる。
「ありがたくお借りします」
見るからにヨレヨレのネクタイをつけてかえるより、まだこちらのほうがマシだろう。
「それくらい別にいいさ。コーヒーをこぼされた弁償として、私からもらったことにでもしといてくれ」
「お気づかい、痛み入ります」
そうしている内に山下からは、イーグルスター社の前に到着したとの知らせが入った。
そのことを告げると、社長室を辞した。
さすがに社内には俺を出迎えたときのような人数はいなくなっていたけれど、それでもまだ何人かは残っていた。
「お疲れさまでした、社長!」
「山下こそ、寝ずに待っていてくれたんだろう?なかなかメールに気づかず、申し訳なかったな」
「いえ、とんでもないです!社長がご無事でしたら、それで……」
我ながら、だいぶ自然に相手を気づかうセリフが出てくるようになったものだ。
「すまない、次からはなるべく事前に予定を伝えておくことにしよう」
そうすれば、確実に連絡が来ない時間帯に仮眠だってとれるだろう。
「承知しました」
ぺこりとあたまを下げられ、後部座席へと乗り込めば、車はスムーズに発進した。
「初日はいかがでしたか?」
「あぁ、問題ない。さすが鷲見社長の会社だけあって、社員も皆気さくそうな感じだったよ。歓迎の横断幕まで作って、社員総出で出迎えてくれた」
思い出すだけで、あの大企業にあるまじきアットホーム感に笑ってしまいそうになる。
俺がイーグルスター社に行くことに決まったのはその前日のことだから、おそらく社員たちが鷲見社長から知らされたのは当日の朝だったにちがいないのに。
効率主義の我が社にはない、なんともくすぐったいような雰囲気だった。
「そうでしたか、でもまぁそれは当然のことでしょう。やはり社長の圧倒的なカリスマ性は、生でお会いしてこそ伝わるものですし、その美貌を間近で拝みたいものも多くいてしかるべきです」
同意を示す山下のセリフは、やはりなにかおかしな感じがしなくもないが、前にもたしかこんなことがあった。
「いくらなんでもそれは誉めすぎだろう、山下……」
前ならばBLゲームの世界観に生きる人間なら、そんなこともあるだろうかと受け流してしまっていたけれど、かわいいだのなんだのと、さんざん鷲見社長から言われたあとだけに、無視することはできなかった。
「っ、いいえ、社長はその凛とした雰囲気や所作もふくめ、なにもかもがお美しいですから!よからぬことをかんがえる輩がいてもおかしくはないですし、心配なんです」
頬を赤くし、あわてたように言う山下にフッと肩の力を抜いて笑いかける。
「それはさっき鷲見社長にも、似たようなことを言われたよ。今の私は前とはちがって、隙だらけなんだそうだ」
「そうでしたか、やはり鷲見社長も……」
「山下?」
急に口調が重たいものに変わった相手に、若干の不穏さを感じて声をかければ、ハッとしたように顔をあげた。
「し、失礼しました……って、社長?あの、気のせいではないと思うのですが、目もとが少し赤いように見えますが、なにかありましたか?」
「え?」
バックミラー越しに目があった山下から、まさか気づかれるとは思わなくて、とっさに目が泳いでしまった。
「───まさか!?鷲見社長から、なにか無体なことをされたりなどっ?!」
図星を刺されそうになり、ギクリとからだが強ばる。
「……すまない、どうやらなれない環境での徹夜で、存外疲れてしまったようだ。少々眠っていてもいいか?」
そして心を閉ざすと、口早にたずねることで話をうやむやにした。
「え、えぇ……この時間帯ですので道路も空いていますから、10分くらいでご自宅に到着するかと思います」
「着いたら起こしてくれ」
「承知、いたしました……」
なおもこちらへ気づかわしげな視線を送ってくる山下にだけは、なぜか鷲見社長との間にあったことを知られたくないと、そう思ってしまった。
鏡越しとはいえ、これ以上山下と目を合わせていたらうっかりバレてしまいそうで、それがとても怖かった。
そのまま身を守るように、そっと腕を組んで手首を隠し、心持ちうつむいて目を閉じる。
寝不足のたたったからだは、それだけでも軽いめまいのようなものに襲われそうになる。
でもこれで山下からは悟られまいと思うと、ようやくからだの強ばりもとけ、小さく息をつけた。
「社長、ご自宅に着きました」
控えめな声で呼びかけられ、ハッとする。
本当に眠るつもりはなかったのに、どうやら意識を手放してしまっていたようだ。
「あぁ、すまない……っ!」
「危ないっ!」
ドアをあけられ地面に降りたところで、ふいに軽いめまいとともに足がもつれた。
「大丈夫ですか、社長……?」
とっさに山下にかかえられたところで、ホッと息を吐く。
とはいえ、心臓は一気に拍動がはげしくなり、めちゃくちゃドキドキしたままだったけど。
「大丈夫、寝不足によるただの軽い立ちくらみだ」
まして今は寝起きだからだと、なんてことのないように言い、額をおさえるように手をあててめまいがおさまるのを待つ。
だけど、そのときの俺はすっかり油断をしていた。
「っ!!社長、その手首のところ、いったいどうなされたんですかっ?!」
あわてたように叫んだ山下に、額にあてていたほうの腕をガシッとつかまれたところで、ハッとする。
至近距離からのぞきこめば、どうしたって手首のスリ傷は見えてしまう。
今もそこには、縛られたときの跡とともに抵抗しようと暴れた際にできた血のにじむすり傷とが、しっかりと残っていた。
マズい、見られた。
よりによって、知られたくない相手に知られてしまったと、心臓が早鐘をうちはじめる。
なにかうまく言いつくろわなくてはいけないというのに、俺のあたまは真っ白になってしまっていた。
空が白みはじめていた。
「あぁ、もうこんな時間か……さすがに君の本来の仕事に支障が出てしまうな。自宅まで送らせるよ」
「いえ、そういうわけにもいかないですから、タクシーでも拾いますよ」
たぶん、この時間でも流しのタクシーが拾えるくらいの大通りも近いことだし、大丈夫だろう。
そう言って立ち上がると、差し出された己のジャケットを受け取り、その内ポケットに入れていたスマホを取り出した。
と、そこで大量のショートメールが来ていることに気がついた。
差出人は……。
「山下……?」
「ん?なにか緊急事態でも起きたのかい?」
いぶかしげにつぶやいた俺の声に反応して、鷲見社長が首をかしげる。
「あ、いえ、秘書からの連絡が入っていたものですから……」
そうこたえながらも読みすすめていけば、いずれもこちらの身を案じる内容ばかりだった。
そして夜中だろうと朝だろうと、仕事あがりには迎えにいくから連絡がほしいと書いてある。
「どうやら足の心配は必要なさそうです。私の秘書が迎えに来てくれるようですから」
さっと操作して山下に今終わった旨を知らせれば、即返信が来た。
本当に、寝ずに待機していたらしい。
「そうなのか?ならいいんだが、迎えが来るまではここにいるといい。下手に外に出して、誘拐でもされたら大変だからな」
「……それはさすがに心配しすぎでは?」
「さっきも言ったが、今の君は隙だらけで、私が心配なんだ」
「まぁ、そうおっしゃるのなら……」
山下を待つ間に、社長室内にある鏡を借りてサッと身だしなみをととのえる。
髪型は問題ないし、泣いたあとの目もとは、おそらく徹夜明けゆえの目の腫れぼったさだと、ごまかせるくらいだ。
シャツのヨレ具合はちょっと気になる気もするが、まぁ大丈夫だとして。
問題はネクタイだった。
手首を縛るのに使われたせいで、妙なところにシワができてしまっていた。
ひょっとしたら、手首がすれてにじんだ血もついているかもしれない。
でも、はずしたままだと、首もとが大きくあいてしまって、あのとき鷲見社長につけられた紅い痕が見えてしまいそうだった。
困ったな、どうしたものか……。
替えのネクタイは、今日にかぎって会社に置いてきてしまっていた。
幸いなのは、首を絞められたときについた赤い手形は、もう消えていることだろうか。
あれが残ってしまっていたら、さすがにおたがいにシャレにならなかったというか、まちがいなく通報事案になっていたと思う。
「これ、よかったら使ってくれ。君のカラーとなるべく似た色を選んだつもりだが、ここにあるストックだとかぎりがあってだな……」
差し出されたのは、いつも俺が好んでつけているシルバーグレーに比較的似た色味のネクタイだった。
シルクの上品な光沢は、それなりの品であることがうかがえる。
「ありがたくお借りします」
見るからにヨレヨレのネクタイをつけてかえるより、まだこちらのほうがマシだろう。
「それくらい別にいいさ。コーヒーをこぼされた弁償として、私からもらったことにでもしといてくれ」
「お気づかい、痛み入ります」
そうしている内に山下からは、イーグルスター社の前に到着したとの知らせが入った。
そのことを告げると、社長室を辞した。
さすがに社内には俺を出迎えたときのような人数はいなくなっていたけれど、それでもまだ何人かは残っていた。
「お疲れさまでした、社長!」
「山下こそ、寝ずに待っていてくれたんだろう?なかなかメールに気づかず、申し訳なかったな」
「いえ、とんでもないです!社長がご無事でしたら、それで……」
我ながら、だいぶ自然に相手を気づかうセリフが出てくるようになったものだ。
「すまない、次からはなるべく事前に予定を伝えておくことにしよう」
そうすれば、確実に連絡が来ない時間帯に仮眠だってとれるだろう。
「承知しました」
ぺこりとあたまを下げられ、後部座席へと乗り込めば、車はスムーズに発進した。
「初日はいかがでしたか?」
「あぁ、問題ない。さすが鷲見社長の会社だけあって、社員も皆気さくそうな感じだったよ。歓迎の横断幕まで作って、社員総出で出迎えてくれた」
思い出すだけで、あの大企業にあるまじきアットホーム感に笑ってしまいそうになる。
俺がイーグルスター社に行くことに決まったのはその前日のことだから、おそらく社員たちが鷲見社長から知らされたのは当日の朝だったにちがいないのに。
効率主義の我が社にはない、なんともくすぐったいような雰囲気だった。
「そうでしたか、でもまぁそれは当然のことでしょう。やはり社長の圧倒的なカリスマ性は、生でお会いしてこそ伝わるものですし、その美貌を間近で拝みたいものも多くいてしかるべきです」
同意を示す山下のセリフは、やはりなにかおかしな感じがしなくもないが、前にもたしかこんなことがあった。
「いくらなんでもそれは誉めすぎだろう、山下……」
前ならばBLゲームの世界観に生きる人間なら、そんなこともあるだろうかと受け流してしまっていたけれど、かわいいだのなんだのと、さんざん鷲見社長から言われたあとだけに、無視することはできなかった。
「っ、いいえ、社長はその凛とした雰囲気や所作もふくめ、なにもかもがお美しいですから!よからぬことをかんがえる輩がいてもおかしくはないですし、心配なんです」
頬を赤くし、あわてたように言う山下にフッと肩の力を抜いて笑いかける。
「それはさっき鷲見社長にも、似たようなことを言われたよ。今の私は前とはちがって、隙だらけなんだそうだ」
「そうでしたか、やはり鷲見社長も……」
「山下?」
急に口調が重たいものに変わった相手に、若干の不穏さを感じて声をかければ、ハッとしたように顔をあげた。
「し、失礼しました……って、社長?あの、気のせいではないと思うのですが、目もとが少し赤いように見えますが、なにかありましたか?」
「え?」
バックミラー越しに目があった山下から、まさか気づかれるとは思わなくて、とっさに目が泳いでしまった。
「───まさか!?鷲見社長から、なにか無体なことをされたりなどっ?!」
図星を刺されそうになり、ギクリとからだが強ばる。
「……すまない、どうやらなれない環境での徹夜で、存外疲れてしまったようだ。少々眠っていてもいいか?」
そして心を閉ざすと、口早にたずねることで話をうやむやにした。
「え、えぇ……この時間帯ですので道路も空いていますから、10分くらいでご自宅に到着するかと思います」
「着いたら起こしてくれ」
「承知、いたしました……」
なおもこちらへ気づかわしげな視線を送ってくる山下にだけは、なぜか鷲見社長との間にあったことを知られたくないと、そう思ってしまった。
鏡越しとはいえ、これ以上山下と目を合わせていたらうっかりバレてしまいそうで、それがとても怖かった。
そのまま身を守るように、そっと腕を組んで手首を隠し、心持ちうつむいて目を閉じる。
寝不足のたたったからだは、それだけでも軽いめまいのようなものに襲われそうになる。
でもこれで山下からは悟られまいと思うと、ようやくからだの強ばりもとけ、小さく息をつけた。
「社長、ご自宅に着きました」
控えめな声で呼びかけられ、ハッとする。
本当に眠るつもりはなかったのに、どうやら意識を手放してしまっていたようだ。
「あぁ、すまない……っ!」
「危ないっ!」
ドアをあけられ地面に降りたところで、ふいに軽いめまいとともに足がもつれた。
「大丈夫ですか、社長……?」
とっさに山下にかかえられたところで、ホッと息を吐く。
とはいえ、心臓は一気に拍動がはげしくなり、めちゃくちゃドキドキしたままだったけど。
「大丈夫、寝不足によるただの軽い立ちくらみだ」
まして今は寝起きだからだと、なんてことのないように言い、額をおさえるように手をあててめまいがおさまるのを待つ。
だけど、そのときの俺はすっかり油断をしていた。
「っ!!社長、その手首のところ、いったいどうなされたんですかっ?!」
あわてたように叫んだ山下に、額にあてていたほうの腕をガシッとつかまれたところで、ハッとする。
至近距離からのぞきこめば、どうしたって手首のスリ傷は見えてしまう。
今もそこには、縛られたときの跡とともに抵抗しようと暴れた際にできた血のにじむすり傷とが、しっかりと残っていた。
マズい、見られた。
よりによって、知られたくない相手に知られてしまったと、心臓が早鐘をうちはじめる。
なにかうまく言いつくろわなくてはいけないというのに、俺のあたまは真っ白になってしまっていた。
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