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Ep.14 甘美なる死への誘惑

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「ボクの力だけじゃ、もう二度と会えないと思っていたリュクス様にハルトのおかげでふたたび会えたし、さらには言葉を交わすこともできたんだ……もう十分だろ?」
 あえて口に出して、強欲な己を戒める。

 もういい加減、ハルトに甘えてここにいるのをやめないと、いよいよあきらめがつかなくなってしまう。
 思い立ったら、行動は早くに移すべきだ。
 迷っているひまなんてない。

 身じたくをととのえ外套を羽織ると、わずかなお金を持って外に出る。
 重たい足を引きずりながら使用人宿舎の裏手にある通用門へと行けば、顔見知りの番兵がいた。

「めずらしいな、ロトが夜に出歩くなんて。気をつけろよ、外には怖いヤツらがごまんといるんだからな?」
「えぇ、ありがとうございます。ここにいると息苦しくて、たまには外の空気を吸いたくなってしまって」
「なるほど、それはよくわかるぞ!気をつけて行ってこいよ?」
「……はい、いってきます」

 王宮の警備をする番兵は、外からの侵入には厳しかったけれど、こうしてなかの人間が夜、己の自由時間に外に出る分には甘かった。
 それを利用して、使用人たちは夜に抜け出し、酒場で飲んだり、女遊びをしたりしていた。

 ボクはお酒もあまり飲まないし、性欲のほうもあまり湧かなかったから、こうして夜に出歩くのはめったになかったけど。
 でもこうして使用人宿舎に住んでいたおかげで、そういう習慣を知っていたから、特に止められることもなく外に出ることができたのだった。





 ひょこひょこと足を引きずりながら歩いていけば、やはりふだんからの運動不足がたたり、簡単に息があがってしまう。
 ふと足を止めたのは、王都を流れる大きな川にかかるレンガ造りの橋のたもとだった。

 空を見上げれば、満点の星空と、うっすらとあざ笑うような細い三日月が見える。
 それははるか下で、黒々とゆらめく水面にも映っていた。

「ボクの分までしあわせになってね、ハルト……」
 そうつぶやいたところで、さっきまでとはちがって、もう胸が痛みを訴えることはなかった。
 ゆっくりと流れる川の水に、嫉妬のあまりにどす黒く変色していた己の内面が溶け出して徐々に薄まり、ようやくボクは人にもどれたのかもしれなかった。

 そうしてぼんやりとしたところで、これからのことをかんがえる。
 先ほど番兵の前を通り抜けるときには、ただの夜間の外出に見せかけて出てきたけれど、本音のところでは二度と王宮にもどるつもりはなかった。
 そりゃもちろん、目指せるならば元いたスラムにもどりたかったけれど、現実問題、この足ではそんな遠くへは行けない。

 ここに来るときだって、何日も馬車にゆられて来たんだ。
 歩くのはもちろん無理だし、手持ちのお金はあまりにも心もとなくて、乗り合い馬車に乗ることもできそうになかった。
 だから恐らくは、王都の片隅で息をひそめるように暮らしていくしかないと思う。

 ふぅ、とため息をつく。
 あまりにも長くて大きな橋は、なかなか渡りきれず、反対側のたもとにたどり着くころには、うっすらと額に汗をかき肩で息をしていた。

 ……あぁもう、なんでボクはこんなに体力がなくなってしまったんだろう!?
 足を悪くする前はスラムのなかでも、かなりすばしっこくて元気なほうだったのにさ。

 そうしてひと息つけば、ほんの少しだけ心配になってくる。
 お世話になったまわりの人たちに、あいさつもせずに出てきちゃったけど、大丈夫だったかな?って。
 失礼ではなかっただろうかと、そんな心配をしかけたところで、すぐに思い直した。

 いや、大丈夫だろ!
 だって、ボクが王宮からいなくなったところで、だれも困らないし、おそらくハルト以外、気にしないんじゃないかって思うから。

 最初のうちは、ひょっとしたら近くの部屋に住む人くらいは気にしてくれるかもしれないけれど、どうせボクは雑用程度しか働けないお荷物だから、いなくなったところで、しわ寄せを受けてだれかが大変になるということもない。
 おそらくボクはスラム育ちの『かわいそうな子』だから、教養もなくて、お世話になった人にすらあいさつもできなくて当然だと思われるだけで済むと思う。

 それならきっとこの街の裏───たとえばスラムのようなところまで逃げ込んでしまえば、王宮の人たちは、わざわざボクなんかを探しに来るはずもないだろう。
 そうかんがえれば、少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 その一方で、つい夢想する。
 いなくなったボクを、リュクス様が心配して探して来てくれないかな……なんてことを。

 でもそれは、あまりにも矛盾している願いだ。
 もう二度と会わないようにするために、自ら進んで逃げ出したんだから、ある意味で追われたくないわけで。
 なのに、追ってきてほしいだなんて、わけがわからない。

 ……でもボクだって、ハルトみたいにリュクス様の『特別』な存在になってみたかった。
 一度でいいから、『ずっとそばにいてほしい』なんて一途に想われてみたかった。

 それがいかに高望みなのかということも、なにより本当にそんな風に想われたりしたら、その気持ちが重くてボクには耐えられないだろうこともわかってるんだけど。
 それは、なにもリュクス様だけでなく、相手がだれだとしてもそうだ。

 ───だって、ボクは自分という存在に自信がないから。

 ただでさえ足のせいでまともに働けないのに、これといって特別な能力を持っているわけでもなければ、賢くもない。
 だったらせめて心の底から性格がいいならばともかく、こうして大切な幼なじみ相手に、醜い嫉妬心も抱いてしまっている。

 リュクス様から愛されるハルトは、元々はいたってふつうで冴えない見た目だったはずなのに、愛されているうちに、いつの間にかきれいになっていて。
 しかもそれは決して性欲のはけ口として見られるような存在としてではなく、愛されて大事にされる存在として、周囲からも認識されている。

 それにハルトはいくらスラムの出だろうと、ボクとはちがって聡明で、今や彼はこの国にとっても大切な『神子』様だ。
 王宮騎士団の『双剣』の片割れであるリュクス様とも、身分的にも釣り合いがとれる。
 それがうらやましくて、妬ましくて、神様はなんて不公平なんだって、文句を言いたくてたまらない……!!

 ───あぁ……やっぱり、本当にボクは醜い。
 そんな自分を、どうやって好きになればいいんだろう?
 そもそも自分自身ですら好きになれない存在を、いったいだれが好きになるものか!

 さっきも思ったことだけど、ハルトがリュクス様からの好意をすなおに受けとれない要因は、昔からボクの気持ちを知っているからというのも大きいはずだ。
 だからリュクス様のことが大好きなんだと公言するボクじゃなくて、自分が愛されていることに、少なからず罪悪感のようなものを抱いているんだろうと思う。

 でもね、いくらハルトがボクを思って身を引こうとしてもムダなんだ。
 リュクス様もキャスター様も、ハルトに対する想いは、そう簡単にあきらめられるものじゃないだろうし。
 そもそもがハルトだってふたりのことが好きなら、実質、両想いなんだから障害なんて有るはずもないだろ!?

 ハルトに想いを寄せるあの方々にとってのボクは有ってもなくてもどうでもいい存在で、ハルト本人にとっては、その想いを受け入れる際の障害でしかない。
 だったら、そんなお邪魔虫がいなくなれば───?

 皆が皆、自分の想いが通じてしあわせになれるじゃないか!
 そうだ、それがいちばん平和でいいし、こうして消えようとするボクの選択は正しいことなんだ!
 ……そう思っているはずなのに、なぜか王宮から離れていくうちに、どんどん胸が痛くなっていく。

 王宮から出たら、もうリュクス様には会えなくなってしまうんだよなぁ……。

 それはボクにとって、絶望をもたらすことと言っても過言ではなかった。
 ボクにとってのあの人は、一目でいいから会いたいと、ずっと恋い焦がれてきた存在なんだ。
 言葉を交わすのもやっとで、ほんの少し目が合いそうになるだけでドキドキして、それだけでボクをしあわせにしてくれる人でもあって。

 極上の存在のリュクス様と、それにただ焦がれるだけの底辺の存在のボクとでは、釣り合おうはずもないことだけはたしかだった。

 だったらいっそ、こんな想い、抱かなければよかった……!
 気がつけばいつしか足は止まり、ぽろぽろと涙がこぼれていた。

 この心臓を、今すぐ引き裂いてしまえたなら。
 あるいはいっそ、この痛みに押しつぶされて死んでしまえたなら。
 そうすれば、この苦しみからは解放される。

 黙っていれば、どんどんネガティブなことばかりが浮かんでくる。
 奇しくも自分が立ち止まった場所は、先ほど渡った大きな川の支流にかかる、小さな橋の上だった。
 橋から下をのぞきこめば、闇のように深く暗い水面がうごめいている。

 ───ひょっとして、このまま飛び込めば死ねるんじゃないだろうか?
 この不自由な足なら服を着たままでは、きっとうまく泳げない。
 それは今のボクにとっては、とてつもなく甘美な誘惑だった。
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