君の好きなもの

秋谷イル

文字の大きさ
上 下
7 / 7

つづく?

しおりを挟む
「面白かった」

 その一言が自分の部屋に戻った後も、何度も何度も頭の中で繰り返されている。
 ずっと聞きたかった一言。なのに、あんなにあっさり……。

「面白かった」
「面白かった」
「面白かった」

 ……はっ!?

「あ、あぶな……ずっと先生のことだけ考える生き物になりかけてた」

 そんな場合じゃない。もうずっと勉強してないんだから、学校に戻るならしっかり勉強しないと。久しぶりに一年生の時の教科書を引っ張り出して机の上に置く。
 でも最初のページをめくったところで、またしばらくフリーズ。

「……文一? 飯だぞ?」
「はっ!?」

 父さんが部屋を覗き込んでいた。呼びかけられて我に返る。
 駄目だ、どうしてもプロテア先生が頭から離れない。

 その後も、食事中、入浴中、さらには睡眠中までずっと先生の「面白かった」が脳内で繰り返された。まるで中毒に鳴ってしまったように。
 そして、そのせいで久しぶりにあの疑問も脳裏に浮かんでくる。
 あの人、どっちなんだ?

 翌朝、食事の席で父さんと母さんに訊ねる。この二人ならきっと知ってると思って。
「あの……プロテア、いや、月見先生って……男の人? 女の人?」
「え? いや、オレは知らんな。母さん知っとるか?」
「知ってるけど、むしろなんで文一が知らないのよ。あんた弟子でしょ」
「いやだって、そういう話題は最近センシティブだから!」
「また小難しい言葉を使って」
「小説を書き始めてから語彙が増えたな、ははっ」

 いや、ははっじゃなくて答えを教えてよ。気になってしょうがないんだってば。
 じっと母さんを見つめると、母さんはやがてニヤリと笑った。嫌な予感。

「自分で聞いたら? 母さん大家だし、店子さんの個人情報を明かすわけにいかないわ」
「くっ!」
 本人には聞きにくいから母さんに訊ねてるのに! わかってて言ってるよね!?
 でも、たしかにそれしか手は無い。母さんは面白がって教えてくれそうにないし。
「わかった、帰ってきたら自分で訊く」
「なに? どこか出かけるの?」
「珍しいな、こんな朝早くに」

 いや、今さら何を言ってるのさ。
 ていうか二人とも、僕のこの格好を見てわからないの?

「あの……まさかと思うけど、気付いてない? 僕、制服を着てるよ」
「……」
「……」
 今度は父さんと母さんがフリーズした。ああ、そういえば学校に復帰することはまだ言ってなかった。昨日からずっと頭の中がプロテア先生一色だったし。

 しばらくして、父さんと母さんは跳び上がって喜んだ。そして二人揃って僕に抱きつく。

「やった! やったぞ母さん! やったな文一!」
「大丈夫、大丈夫だからね。学校で何かあったら言うのよ。すぐに駆けつける!」
 ああもう、わかってるって。
「心配ないよ。僕はもう、やりたいことが決まってるんだ」

 そのために学校に行くんだからね。
 あんなクソガキ共に負けるもんか。



 とはいえ、やっぱり久しぶりの登校は緊張する。
 一緒に行こうかなどと心配する両親を振り切って一人で外へ出た僕は、ゴミステーションの前にいる人が誰か気が付いてドキッとした。ゴミ出しに出ていたらしい。
「ぷ、プロテア先生!」
「え? わっ、ちょっ」
 慌てて駆け寄ってくる先生。そして叱られた。
「外でその名前はだめ」
「あっ、そ、そうですよね……すみません」
「最近はすーぐ住所特定されたりして怖いからね。だから私、あんまりSNSもやらないんだ」
「なるほど、それで……」
「それで?」
「あ、いや」
 危ない。先生のアカウントをフォローしてるのがバレるところだった。
 でも、直接顔を合わせたらまた知りたい欲求が強くなってきた。どうしても知りたい。教えて欲しい。
 そうだ、先生も勇気は作家にとって大切なものだって言ってたじゃないか。聞こう! 今ここで!
「あ、あの、先生!」
「何? てか、早く行かないと遅刻しちゃうよ? 学校行くんでしょ、その格好」
「あ、はい。って、そうじゃなくて。失礼な質問かもしれませんが、教えてください。先生は女性ですか、それとも男性ですか?」
「なんだそりゃ。本当に失礼だな」
 片方の眉を上げる先生。まずい、怒らせたかな? いや、怒って当然なんだけど。
 ところが先生は、次の瞬間にはニンマリ笑っていた。あ、また嫌な予感。
「そうだなあ、高校に受かったら教えてあげよう」
「ええっ!?」
「それまでは詮索することを禁じます。これ師匠命令ね。じゃあ、学業に励め少年。頑張れよ!」

 ウインクとサムズアップをしてアパートへ戻っていく先生。
 僕は悶々としたまま、その場に屈み込む。
 どっちなんですか? どうして教えてくれないんですか?

「ああああああああああああああああ……っ」

 結局僕は、復帰初日から遅刻した。



 ――その後、僕は色々あった中学時代を経てなんとか高校に入学。しかも高校在学中に作家デビューを果たすことになるのだが、先生との師弟関係は今なお続いている。
 先生の性別がどっちなのかは、皆さんには秘密にしておこう。あれだけ苦労したものだから、簡単に知られてしまうとちょっと悔しい。
 先生と僕が師匠と弟子以上の関係になれるのかは、僕にもまだわからない。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

あと少しで届くのに……好き

アキノナツ
ライト文芸
【1話完結の読み切り短編集】 極々短い(千字に満たない)シチュエーション集のような短編集です。 恋愛未満(?)のドキドキ、甘酸っぱい、モジモジを色々詰め合わせてみました。 ガールでもボーイでもはたまた人外(?)、もふもふなど色々と取れる曖昧な恋愛シチュエーション。。。 雰囲気をお楽しみ下さい。 1話完結。更新は不定期。登録しておくと安心ですよ(๑╹ω╹๑ ) 注意》各話独立なので、固定カップルのお話ではありませんm(_ _)m

自殺志願少女と誘拐犯

瑞原唯子
ライト文芸
オレに誘拐されてみないか——。 ある夏の日、千尋は暴走車に飛び込もうとした少女を助けると、 そう言って彼女のまえに手を差し出した。 本編全12話

バイオリンを弾く死神

三島
ライト文芸
創作の苦しみは絵も小説も同じなんじゃないかと思います。 画像を見てお話を作る課題で書いた、絵描きと骸骨の掌編二本。 (画像は、アルノルト・ベックリン「バイオリンを弾く死神のいる自画像」でした)

峽(はざま)

黒蝶
ライト文芸
私には、誰にも言えない秘密がある。 どうなるのかなんて分からない。 そんな私の日常の物語。 ※病気に偏見をお持ちの方は読まないでください。 ※症状はあくまで一例です。 ※『*』の印がある話は若干の吸血表現があります。 ※読んだあと体調が悪くなられても責任は負いかねます。 自己責任でお読みください。

猫スタ募集中!(=^・・^=)

五十鈴りく
ライト文芸
僕には動物と話せるという特技がある。この特技をいかして、猫カフェをオープンすることにした。というわけで、一緒に働いてくれる猫スタッフを募集すると、噂を聞きつけた猫たちが僕のもとにやってくる。僕はそんな猫たちからここへ来た経緯を聞くのだけれど―― ※小説家になろう様にも掲載させて頂いております。

クラシオン

黒蝶
ライト文芸
「ねえ、知ってる?どこかにある、幸福を招くカフェの話...」 町で流行っているそんな噂を苦笑しながら受け流す男がいた。 「...残念ながら、君たちでは俺の店には来られないよ」 決して誰でも入れるわけではない場所に、今宵やってくるお客様はどんな方なのか。 「ようこそ、『クラシオン』へ」 これは、傷ついた心を優しく包みこむカフェと、謎だらけのマスターの話。

もう一度『初めまして』から始めよう

シェリンカ
ライト文芸
『黄昏刻の夢うてな』ep.0 WAKANA 母の再婚を機に、長年会っていなかった父と暮らすと決めた和奏(わかな) しかし芸術家で田舎暮らしの父は、かなり変わった人物で…… 新しい生活に不安を覚えていたところ、とある『不思議な場所』の話を聞く 興味本位に向かった場所で、『椿(つばき)』という同い年の少女と出会い、ようやくその土地での暮らしに慣れ始めるが、実は彼女は…… ごく平凡を自負する少女――和奏が、自分自身と家族を見つめ直す、少し不思議な成長物語

六芒星の奇跡

あおい たまき
恋愛
世の中にはびこる社会病理。 いじめ、不登校…… 暗闇の中で もがいて必死に出口を探している――― 私、はるかは、まだ朝の早い時間。 海岸線の砂浜を、一人でもくもくと掃除をすることが日課だった。 誰かの、何かの役に立ちたかった。 その手首には、古い傷痕。 心にどれほどの闇を抱えているのか。 そんな時。 朝もやの立ちこめる砂浜に一人の男がやってきた。 「おはよう」 「ごみ拾い朝からご苦労様ですね」 突然、声をかけられて戸惑うはるかは…… 二人の出逢いの奇跡を描きました。 (他アプリで公開していた作品になりますが そちらは削除済みになります)

処理中です...